精神医学・親と子どもの心療学

精神疾患横断的なゲノム、iPS細胞、モデル動物を用いた検討

 統合失調症、自閉スペクトラム症(ASD)、双極性障害といった精神疾患の発症には遺伝要因の影響が大きいことが国内外の多くの疫学研究によって確かめられています。しかしながら発症に関与するゲノム変異は非常に多様で、発症への影響力もさまざまなため、ゲノム変異(バリアント)から発症に至るメカニズム解明は未だ道半ばです。
精神疾患の発症に強い影響を及ぼす稀な変異の探索研究が世界規模で実施され、発症に強く関与するまれなゲノムコピー数変異(CNV)や一塩基置換(SNV)が多数同定されました。我々はその国際共同研究の枠組みに属すると同時に、日本人のASDや統合失調症患者を対象としたCNV解析を実施し、患者CNVがシナプス関連遺伝子など脳が正常に働くために必要な遺伝子群に集積していることを発見しました。また日本人固有の発症関連ゲノムバリアントも同定されつつあり、発症には民族差も関与している可能性を示唆しました。
 精神疾患発症の分子メカニズムを理解することは、客観的な診断方法の開発と、適切な診断結果に基づく治療方法の開発=創薬、から当事者・家族、引いては社会全体にも寄与する可能性が高いと我々は考えております。具体的には、疾患コホート研究が各所で立ち上がり、患者末梢血のオミックス解析から診断につながるバイオマーカー開発を目指しています。加えて、ヒトのゲノム解析の知見に基づいた妥当性の高い精神疾患モデルマウスを我々の研究室でも開発しており、ゲノムバリアントの生物学的意義が少しずつ明らかにされてきています。
 さらに近年、ヒトiPS細胞の培養技術および分化方法の改良から、サブタイプ毎の神経細胞へ分化、構造解析・機能解析などから、患者で見つかったゲノム変異がどのようにヒト神経細胞へ影響を及ぼすのかを直接検証することが可能になりつつあります。我々もASDや統合失調症患者から樹立したiPS細胞を用いて精神疾患の病態解析を実施しており、例えば、リーリン遺伝子を欠失している統合失調症患者由来iPS細胞からつくった神経細胞では、移動の方向性が安定しないことがわかりました。このように、疾患モデルマウスと疾患iPS細胞を用いることで、発症に関与するゲノムバリアントの生物学的意義が明らかになり、精神疾患発症の分子メカニズムの理解につながると考えています。

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精神疾患横断的な脳画像・眼球運動を用いた検討

 

脳画像研究:主にMRIを用いて、精神疾患の病態解明や、診断補助・治療の効果判定・予後の予測などを目標とし研究を行っています。MRIでは非侵襲的に脳の形態や、機能を評価することができます。統合失調症、双極性障害、自閉スペクトラム症など診断に基づいた検討では、その疾患に特異的な所見や、精神疾患に共通の所見があることがわかってきました。そこで、疾患ごとの検討ではなく複数の精神疾患を対象に精神疾患横断的な検討を始めています。また、脳の構造や機能と認知機能、眼球運動などの臨床データとの関連も検討しています。多施設共同研究により精神疾患のMRI画像データーベースを構築し、大規模データによる疾患横断的な研究も計画されています。

眼球運動解析研究:わたしたちが物を見るときには、目を1秒間に2-3回の割合で大きく動かします。目の動きには「何を見たいか」という目的意識や、「次に何が見えるだろうか」という予測機能が含まれ、目の動きそのものに脳の情報処理の結果が含まれていることがわかっています。「目は心の窓」という言い方があるように、目の動きを調べ、MRI検査などの結果と合わせることによって、脳における情報処理の特性を調べることができると考えています。

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死後脳からの精神疾患解明の戦略

 精神疾患解明の戦略のなかで、脳組織はその情報の収斂として、重要な地位をしめています。なぜなら、心臓なら心機能、肝臓なら肝機能というように他臓器と同様に、脳組織は精神神経機能の首座であるからです。そして近年、脳科学の飛躍的進歩によって、脳からは様々な情報を抽出することが出来るようになっています。かつては、脳組織の設計図であるゲノム解析で病態解明がなされうると思われた時期もありますが、その後、脳が完成した後も脳は環境からさまざまな修飾をうけ変化に富むことがわかってきます。このように、ゲノム情報や、多くの臨床から得られた生理学的情報を、脳組織上で収斂させ、病態を明確化することで病因病態解明がすすめられる時期にきています。生体の脳は研究困難なことも死後脳で検証可能となります。脳病理も従来の古典的神経病理観察だけでなく、免疫組織学的技術や透明脳技術を駆使し、病理学的に疾患特異なプローブを開発し適応すること等々、実際の疾患死後脳組織によって様々なことが検証でき、病因病態を解明が可能となっています。

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現在、ゲノム研究、動物モデル研究、iPS細胞研究、神経画像研究、分子病理学研究などの各分野で、精神神経疾患の解明に向けた精力的に攻究されています。それぞれの得られた情報・成果は、実際の死後脳での検証が不可欠です。それは、実際の患者の脳でおきていることを確認・検証してはじめて、疾患解明となるからです。そのために、すでに欧米では、統合失調症や、双極性障害、自閉症スペクトラム、強迫性障害、認知症性疾患(ハンチントン病などの変性疾患を含む)を対象とした大規模な精神疾患研究のためのブレインバンクがありますが、日本ではいまだ脳の蓄積システムが乏しい状況です。この分野ではまだ欧米に遅れをとっていますが、われわれは、さまざまな研究成果を検証し連携するため、患者さんご遺族の同意・篤志を得て解剖させていただき脳の蓄積を開始しています。

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精神疾患横断的なPSG等を用いた検討

 睡眠の障害は、様々な疾患を引き起こすことが知られています。例えば、不眠を有する方では、不眠のない方と比較し、うつ病の発症率が高くなっています。また、自覚的睡眠時間が短くなるとアルツハイマー病と関連のあるβアミロイドの脳内の沈着が増加しています。
うつ病、双極性障害、統合失調症、不安症、認知症、神経発達症(発達障害)など精神疾患では、不眠をはじめとした睡眠の問題がよく認められます。例えば、うつ病患者さんでは、不眠はもっとも初期から高頻度にみられる訴えの一つであり、さらに不眠はうつ病の残遺症状で最も頻度の高いものでもあります。睡眠の変化はその他の臨床症状に先行することが多く、その悪化や改善はうつ病の治療経過を見るうえで臨床的に有用な指標と考えられています。一方で、睡眠時無呼吸症候群などの睡眠障害が併存していることも多く、それに伴う不眠や過眠、精神症状と精神疾患との鑑別も不可欠です。

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睡眠障害を客観的に評価する方法として、睡眠ポリグラフ検査があります。睡眠ポリグラフ検査は、脳波、眼球運動、心電図、筋電図、呼吸曲線、いびき、動脈血酸素飽和度などの生体活動を一晩にわたって測定する検査です。睡眠ポリグラフ検査は、通常、専門の施設に入院し行われるため、環境変化に敏感な方や長期間の経過観察には不向きです。簡便で負担なく、自宅でも検査可能な睡眠モニターについて睡眠ポリグラフと比較検討しています

また、認知症の中で、うつ病と類似の抑うつ症状を呈するレビー小体型認知症は、レム睡眠時に筋肉の緊張が現れる病的な睡眠を示し、このタイプの睡眠を確認することが、うつ病との鑑別上、有用です。高齢になって精神症状を呈した患者さんを対象に、レム睡眠行動障害あるいは睡眠ポリグラフ検査上の必須所見であるREM sleep without atoniaに注目することで、レビー小体病の鑑別診断の可能性について検討を行っています。

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社会復帰を目指した精神疾患患者の運転技能及び認知機能に関する研究

 うつ病など精神疾患では、症状が良くなった後も再発予防のために服薬を継続することが必要です。そのため、ほとんどの患者さんが、治療薬である向精神薬(抗うつ薬など)を服用しながら、仕事をしたり、日常生活を送ることになります。ところが、ほとんどの向精神薬の添付文書(薬の説明書)は、服用中の自動車運転を中止するように求めています。また、近年では、精神疾患を持つ患者さんの交通事故が厳しく罰せられる可能性も出てきました。そのため、運転が欠かせない多くの地域で治療と社会生活は両立できず、患者さんは十分な社会復帰が果たせていないのが現状ですが、科学的検証に基づいたものではありません。
 そこで私たちは、1)向精神薬や病状が運転技能に与える影響を検証するための、標準化された運転シミュレータを開発し、2)向精神薬が運転に影響するリスクを見積もり、患者さんが安全運転可能か否かの判断や、運転時に気をつけるべき事をデータに基づいて検討します。その結果、個人の権利と公共の安全性の双方を踏まえた、ノーマライゼーションの実現を目指しています。

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妊産婦を対象とした前向きゲノムコホート研究

 うつ病のなりやすさには男女差があり、女性は男性の2倍、うつ病になりやすいといわれています。とりわけ妊娠中や出産後は、一生の中でもうつ病になりやすい時期です。妊産婦がうつ病になると、こころの健康が害されるとともに日々の生活や育児にも影響が及びます。そのため、妊産婦のうつ病に対する効果的な予防および治療法の確立が急務ですが、発症に関係する遺伝要因や発症に至るプロセスなど、その詳細は未だ解明されていません。
そこで私たちは、妊産婦のうつ病の実態と発症に関与する因子を明らかにするために、妊産婦を対象とした前向きゲノムコホート研究を行っています。これは、研究に協力していただいた方々の遺伝子解析を行い、さらに気分の変動や周囲のサポート状況についても妊娠中から出産後までの継続した調査をあわせて行うものです。近年、環境要因によってひきおこされるDNAのエピジェネティックな変化がうつ病の生物学的因子として注目され、遺伝要因と環境要因、およびそれらの相互作用(遺伝環境相互作用)を包括的に解析する研究がすすめられています。また、AI解析(機械学習)による仮説にとらわれない網羅的解析による研究も着目されています。我々は従来の研究手法に加えて、エピゲノムの解析やAI解析などの手法もとり入れ、前向きゲノムコホート研究を行うことで、遺伝要因と環境要因の両方を検討し、これらの要因と妊産婦のうつ病との関係を明らかにすることを目指しています。

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摂食障害研究 

摂食障害には、年齢と身長にみあった体重を維持できない拒食症(神経性やせ症など)と、体重は維持できるが食と体型を巡る悩みが続く過食症(神経性過食症など)が含まれます。拒食症は、やせたいという気持ちが強く、その結果食べなくなり、原因となる身体の病気がないのに著しくやせて、無月経などを伴う状態です。過食症は、食べ物や自分の体重についてのこだわりが強いのに、自分でコントロールできない無茶食いをして、その後、意図的な嘔吐や下剤・利尿剤の使いすぎで体重を増やさないようにします。
 この一見相反する両者に共通した特徴は、「自分自身の体重や体型に関するとらえ方が極端になり、それにより自己評価が左右されすぎる」ということがあげられます。

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摂食障害は決して珍しい病気ではありません。15-22歳の女性では、約1%が拒食症・約4%が過食症になると言われています。その原因については様々な論がありますが、やせを礼賛する文化を背景に、「やせ・ダイエット志向」「個人の体質や脳機能の個性・気質」「低栄養による脳機能障害」が相互に悪循環を起こしているものと推測されています。 医療現場では、病的なやせに対する身体の治療(栄養補給など)や、身体イメージが極端になっていることに対する様々な精神療法、病気についての情報提供、対人関係の悩みなど心理面のサポート等が治療として行われていますが、いまだ難治性疾患であり、十分な病態理解や標準的な治療法の開発には至っていません。いったん低下した脳や身体の機能が治療によってどこまで回復するのかは完全にはわかっておらず、また、個々の患者さんに合わせて治療法を選択すること(個別化医療)も十分には行えていません。何より、拒食症の死亡率は高く、一般と比較して、全ての死因については11.6倍、自死については56.9倍とされています。
 私たちは、研究への参加に同意された患者さんたちを対象に、脳の構造画像(MRI)、脳の機能画像(近赤外光スペクトロスコピー)、遺伝子、血液成分、認知機能、アンケート形式の心理検査、腸内細菌叢などを解析し、治療前後でのそれぞれの要素の変化を調べ、健康な方から得られたデータとの比較解析を行ってきました。

私たちはこれらの研究を通して、
・摂食障害の病態生理の解明
・現在行われている治療の効果と限界の評価
・個別化医療など、より優れた治療法の開発
・発症予防や早期発見に結びつく知見の検討
などを行うことによって、若年女性に多い摂食障害の患者さんの生命予後の改善に資することを目指しています。

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