南ドイツでの6週間
樋川 篤
私は2024年の3月から4月中旬まで、南ドイツのルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(LMU)の神経内科にお世話になりました。派遣プログラムでの経験や私生活などに触れながら振り返ろうと思います。
病棟と外来見学
実習を行った場所は、ミュンヘン郊外に位置するヨーロッパ最大級の病院、Klinikum Großhadernです。前半はNeurology Winter School (NWS)に参加し、後半は運動障害の外来見学をさせていただきました。
Winter Schoolは午前中に病棟業務、真昼に放射線科との合同カンファ、午後に講義、ケースディスカッションあるいはラボツアーという予定でした。病棟では、指導医2名、実習年度の医学生2~3名、同じくWinter Schoolから参加のLMUの学生(study-buddy)と共に業務を行いました。ドイツでは医学部低学年から病院実習があるそうです。手慣れている現地の学生に遅れを取るのではないかと最初こそ焦りを感じたものの、身体診察や新患の問診など経験のあるものから、採血やルート確保といった慣れない手技まで、buddyであるMichelleの助けもあり無事乗り切ることができました。
昼食後の合同カンファは、放射線科医と神経内科医が集まって、画像検査について議論を重ねる場です。内容は全てドイツ語だったので、自分の病棟の症例がないかどうか画像を目で追うのが精一杯でした。
午後の内容は日によって様々で、毎日新しい学びがあり飽きることはありませんでした。午後が講義の際は専門分野の教授、稀に脳神経外科や救急科など関連領域の教授が担当します。大抵の場合、学生の自己紹介の後に「なぜこのプログラムを選んだのか」や「興味のある研究分野・診療科は何か」といった当たり障りのない質問から始まります。一方で、「これに関連する大規模な研究プロジェクトが日本で進行中ではないか?」や「この疾患の有病率は日本とヨーロッパと同じか?」といった授業中の問いかけに答えるのは決して容易ではありませんでした。留学する以上、日本という国や医療だけでなく、外国と比較して論じられるよう準備するべきだったと反省しております。他にも、病棟医が司会を務める Clinical Case Discussionが数回あり、実際に回診しながら学生同士で議論をした場面が印象的でした。院内併設のセンターや研究室、関連施設の見学も魅力的で、市内中心部のキャンパスまで足を運ぶ機会もありました。中でも鮮明に記憶に残っているのは、郊外にあるリハビリセンターでの一日実習です。見慣れない機器を間近で見学したり、実際に操縦したりと、日本での病院実習では中々できない貴重な体験だったと思います。
Winter School期間中は病棟が主な舞台でしたが、後半の外来見学では全く違う雰囲気を味わうことができました。見学といっても、実際は上級医の監督のもと神経診察を行わせていただく機会が数回あり、希望すれば積極的に診療に参加できる素晴らしい環境だったと思います。運動障害の専門外来ということもあり、研究の一環として入念な神経診察や何ページにも及ぶ質問票、腰椎穿刺やMRIなど大量の検査対象となる患者を数名診たのが特徴的でした。また、上級医から現在進行中の臨床試験についても教えていただくこともあり、国内有数の病院であると同時に巨大な研究施設でもあることを実感しました。患者を一緒に診察して都度英語で説明していただき、外来診療が終了する午後過ぎには、ドイツでの残りの時間を十分満喫するようにと上級医に声をかけられて一日が終わるのです。Winter Schoolの同期のほとんどが帰国してしまった後で孤独を感じることもありましたが、同じく病院に残っていたスロベニア出身のJakobと頻繁に会っては夕食を共にし、何時間も語り合っていました。
院外のライフスタイル
観光や娯楽は留学の醍醐味ですし、平日の大部分を病院で過ごす分、当然息抜きも必要になります。幸い、私生活の方面でも充実していました。
NWSとNWSに並行して開講されるOncology Winter School (OWS)の参加者には、南ドイツ内の週末旅行が事前に計画されており、病院内で関わりの少ない学生とも交流を深められました。それ以外にも、病院終わりに外食したりバーを巡ったりと、共に時間を過ごすことがほとんどでした。中でも印象に残っているのは、三週間目の週末に招待されたビール祭(Starkbierfest)です。3月の断食期間に食事の代わりとして愛飲されていたことが由来のビールを楽しむ祭りで、日本でも知名度のあるOktoberfestとも一味違いました。
もちろん、ミュンヘンの美しさに触れないわけにはいきません。中央駅から市内中心部にかけてぶらりと散歩するだけでも、豊かな文化と歴史を垣間見ることができます。中でもミュンヘンで一番重要なランドマークであるMarienplatzは圧巻です。市庁舎(Rathaus)が荘厳に佇む中央広場は地下鉄の乗換駅でもあり、活気あふれる地元経済の中心でもあります。賑やかな市場の周辺には、カフェやレストラン、パブ、数多の専門店などが立ち並んでいます。ゆったりしたい日には市内に散在する博物館でのツアーや市庁舎周りの教会巡り、広大な英国庭園で散歩など他の選択肢も豊富にあり、退屈することがありません。
住居について
私たちWinter School参加の留学生は、オリンピック村にある寮の部屋を貸与されました。寮のある(巨大)学生住宅域にはスーパー、レストランやパン屋、オリンピック公園、コインランドリー、地下鉄駅(Olympiazentrum)と必要なものが揃っており、大変快適です。特に市内中心部へのアクセスがスムーズで、通学にも便利でした。
寮の部屋はWinter Schoolの期間中のみ利用可能で、3月末には退去を求められました。幸い、以前から連絡をとっていたLMU生である友人のAureliaの助けもあり、彼女の友人Piaの部屋を借りて残りの期間を過ごせました。
留学を振り返って
日本での臨床実習の大部分を終えて臨んだ今回の派遣実習では、これまで身につけた知識を試すことができました。振るわない場面もありましたが、怠けることもなく主体的に参加することができたと思います。今思えば、集中して実習に参加できたのには周囲の環境も関与していたのかもしれません。というのも、だいたいどの先生方も教育熱心でしたし、出会ったどの学生も好奇心旺盛で議論好きだったのです。医療・非医療を問わず文化の違いについて質問をされることは非常に刺激的で、複雑で抽象的な話題に発展するたびに心が躍りました。人懐っこい人の多い環境のおかげで現地の学生や留学生とも友達になれましたし、今でも連絡を取り合う仲の学生もいます。
ここまでネガティヴな記述がほとんどなく、首を傾げた方もいるかもしれません。実際、側から見ても終始平和な毎日を過ごしていたそうです。しかし、海外経験があるとはいえ今回全くトラブルがなかった訳ではありません(ほぼ言語関連のみではありますが)。院内では医師や医学生と英語でコミュニケーションを取れる一方、院外ではそう簡単にはいきませんでした。毎朝立ち寄っていたパン屋には英語のメニューがなく、美味しそうなものをその都度Googleで調べては口にしていました。ある時にはドイツ語で書かれた標識をデタラメで推測し、またある時はパターン認識に頼って適切だと思わしい選択をするなど、滞在するにつれて行き当たりばったりで行動することが増えました。どこに行くにしても、現地の言語の基礎ぐらいは勉強するべきですね。
謝辞
今日に至るまでの数々の素敵な出会いが無ければ、このような貴重な経験を得ることはできませんでした。派遣留学の機会をくださった国際連携室とMISUの先生方、Dimitriadis教授を始めとするLMUの神経内科の先生方、Winter School参加の学生や面倒を見てくれたLMU生、そして相談に乗ってくれた家族に感謝の意を表します。
Marienplatzにて
外来の指導医と
寮の前で
留学体験記
徳永 康太
私は2024年3月から4月にかけて、名古屋大学の海外派遣留学プログラムで、デューク大学病院の腫瘍内科にて4週間の臨床実習に参加しました。固形がんの治療と研究に興味を持つ私にとって、一流のアカデミック施設であるデューク大学での腫瘍内科の実習は非常に貴重な経験となりました。
デューク大学とダーラム
デューク大学はノースカロライナ州ダーラムに位置し、全米でもトップクラスの大学です。ダーラムはかつてタバコ産業や繊維産業で栄えていましたが、1950年代にリサーチ・トライアングル・パーク(RTP)が設置されて以来、デューク大学を擁する大学町として知られるようになりました。RTPはダーラム、ローリー、チャペルヒルという3つの都市に囲まれた広大な研究・開発拠点で、現在では全米有数のハイテク産業やバイオテクノロジー、医療研究の中心地です。ダーラムはリサーチ・トライアングル・パークの影響を受け、イノベーションの場として発展している一方、同時に自然が豊かでのどかな、静かな街でもあり、私が滞在していたホストファミリーの庭にはリスや鳥もおり、静かなとても快適な街でした。
デューク大学病院の血液腫瘍内科
デューク大学は白血病に対して骨髄移植のパイオニアとして知られており、CMLの患者さんに対してグリベック、最近でもHER2 陽性の乳癌に対する治療薬を変える臨床試験を行っていたり、最先端の治療と研究を行っており、世界的にも高く評価されています。私はそのような贅沢な環境で4週間実習をさせて頂く機会に恵まれました。
実習について
主に病棟の業務を手伝い、空いている時間で興味のある先生の外来の参加をしました。病棟のみの典型的な一日の流れとしては
5:30 病棟について患者さんの確認
7:00 夜勤帯と引き継ぎ
8:00 学生回診をしてアセスメントとプランを立てる
10:00 指導医の先生が空いている時間にプレゼンテーション+先生からの指導
13:00 フェローの先生のシャドーイング
16:00 フェローの先生帰宅、宿題や患者さんのアップデートをする
17:00 終了
です。
アセスメントとプランでは、根拠となる論文を用いて予後を予測することが求められます。実習を行った病棟は腫瘍内科で、がんの内科的治療を専門としており、単にガイドラインを読み上げるだけでなく、ガイドラインの元となる臨床研究の文献を参照し、患者さんがその研究の要件を満たしているかどうか、またその研究から無増悪生存率や寛解率がどの程度予測できるかを評価する必要がありました。さらに、参照できる研究が存在しない場合、類似した研究から患者さんの予後を推測し、その根拠を明確に説明した上で先生に伝えることが求められます。このプロセスを通じて、現在の治療が過去の研究に基づいていることを強く認識することができました。
印象に残った先生
病棟以外の時間では、興味のある先生に直接アポイントを取り、外来に参加しました。特に印象に残ったのは、乳癌の腫瘍内科医であるCarey Anders教授です。彼女は外来での患者対応が非常に丁寧で、治験を主導し、臨床研究にも積極的に参加しています。また、乳癌の基礎研究や遺伝子解析にも携わり、子育てをしながら腫瘍内科のdivision chief も務めている素晴らしい先生です。患者さんの信頼も熱く、患者さんはAnders を見た瞬間笑顔がこぼれ、くだらないことまでたくさん喋ってしまいます。あるがん患者さんには標準治療がないことを伝えると涙を流されましたが、Anders教授が「別の施設で治験を主導している医師を紹介できる」と言った時、再び喜びの涙を流されました。残念ながらその患者さんがその治験に参加することはありませんでしたが、彼女の存在と治験の存在が患者さんに生きる希望を与えていることを実感しました。私たち医療関係者は、進行がんの場合、治験の予想される生存率などの限界を想定できてしまいますが、改めて治験が患者さんに与える影響の大きさを再確認し、Anders先生のような、先進医療を通して患者さんに希望を与える医師になりたいと強く感じました。
家族会議
積極的ながん治療がない、予後が短い患者さんとそのご家族へホスピスの選択肢を提案する家族会議に病棟や外来で参加しました。指導医の先生だけでなく、専攻医の先生もがん告知やホスピスへの提案といったbad news を伝えることに長けていたのですが、理由を聞いた際、医学部生時代からそのような場を経験しているために慣れているようでした。名大の実習では参加することはなかったのでとても貴重な経験でした。医学部生は一つ一つの症例が特別で、ある意味守られた環境であり、そのモラトリアムの期間のうちにそのような精神的に負荷のかかる体験をすることは将来、患者さんの気持ちがわかる医師になるにあたってとても有意義な経験だと感じました。
日本とデューク大学の比較
デューク大学の腫瘍内科病棟と日本の病棟を比較すると、以下のような点が挙げられます。
1. 治療レベルの比較
治験の豊富さを除けば、治療レベルは日本とデューク大学で大きな差はなく、ほぼ同等に見えました。
2. 多職種連携と効率重視の運営
日本では医師が様々な業務を行う一方、デューク大学では、PA(Physician Assistant)やナースプラクティショナー、病棟薬剤師がそれぞれ専門性の高い仕事を担当し、それぞれがお互いの知識を補完することで強みを発揮しており、高いレベルの治療と効率的な運営が実現されています。事実、solid tumor oncology の指導医は50人以上いる中で、病棟を担当する腫瘍内科医の指導医は一人だけでした。
3. 医師の勤務体系
デューク大学では専門医を取得した医師の業務が最小化されており、研究や教育など臨床業務以外の活動に多くの時間を割くことができます。また研究面では、資金面や共同研究の環境が日本と比較すると非常に恵まれていることを実感しました。
4. 教育的なスタッフ
デューク大学のスタッフは教育的であり、どの先生もご多忙の中、時間を割いて解説やレッスンをしてくださりました。
実習の合間
休日は主にホストファミリーや近所の友人と週末を楽しみました。二週間に一回、ホストファミリーでお世話になったFredとJennyと一緒にボランティア活動に参加し、自然豊かで心優しい人々と時間を過ごし、心が洗われました。ある休日にはDurham Bullsの野球の試合に行き、本場の野球を楽しみました。友人のBridgettの演奏会に参加した際、彼女の演奏を聴いて感動して泣きそうになったり、岸田首相が外遊中にお会いする機会に恵まれ、「I met the prime minister of Japan」と周囲に言ったら、いろんな先生から勝手にすごい人認定されたり、どれも日本では経験しなかったよい思い出です。何よりも、ホームステイ先の犬、Baggerに毎日癒されていました。
名大のフロンティア会ご出身でデューク大学周辺の現在製薬会社でご活躍されている原田洋平先生にはダーラムに行ったときからとてもあたたかく受け入れてくださり、ホームパーティーに招待してくださったり、日本人で研究者でデュークやチャペルヒルに来ている先生とお話する機会を作ってくださったり、あらゆるサポートしてくださりました。他にも、以前名大に来られたチャペルヒルにで医師をされているBatsis 先生の研究室にお邪魔をしたり、シカゴ大学で心臓外科としてご活躍されている先生にお会いしたりして、アメリカで成功する秘訣を学びました。
この海外派遣実習の意義
研修内容自体は日本でも同等のものができるかもしれません。私が毎日疲弊しながら行っていたデューク大学で行った病棟での業務内容も、研修医になれば日本で行いますし、日本の研修医のほうがアメリカの医学部生よりも臨床業務の量も質も高いと思います。それでも私は以下の二点でデューク大学の腫瘍内科に行ってよかったと実感しています。
1.ボランティアリズムを重視する人との出会い
これまで私は成果主義に偏っており、自分さえ良ければ、自分の周りさえ良ければという自分中心の考え方をしていました。しかし、この実習の準備を通じて、予想もしなかった様々な人々との出会いや彼らの心温まる行動に何度も助けられました。この経験を通して、困っている人に手を差し伸べることができる人になりたいと強く思いました。
2.内省の時間の確保
よそ者として日々の実習を過ごす中で、自分が何者で、何を学びに来ていて、何をしたいのかを毎日伝える必要のある環境に身を置きました。その結果、自分の内側にある本当の気持ちに耳を傾けることができました。日本にいると、「名古屋大学の医学部生」という肩書が良い意味でも悪い意味でも、自分を守ってくれますが、私が実習した環境では「自分が何を貢献できるのか」という1点のみで評価をされることを肌で実感しました。4週間では将来は気づくだけで精一杯でしたが、今後は自分だけの特徴を見つけて、それを伸ばしていこうと思います。
私の将来の目標は、「アカデミックな腫瘍内科医となって、医学の発展に貢献し、周りの人すべてから必要とされる人間になること」です。実習を通して得た素晴らしい経験を糧に、これからも精進してまいります。
最後になりますが、医学教育の基本を叩き込んでくださったブストス先生、最後まで留学の調整をしてくださった長谷川先生、粕谷先生、ご多忙の中、臨床留学に関するいろはを教えてくださったフロンティア会の先生方、ダーラムでお世話になったホストファミリーのJenny とFred、 原田先生、Dr. Anders やDr. Matthew を始めとするデュークの先生方、そしてお世話になったすべての先生方に心より感謝いたします。
岸田首相がNCへ外遊された
ときに撮った一枚
尊敬するCary Anders先生と
病棟のいたるところにDukeの
広告がありました
留学体験記
増田 瑞希
私は2024年3月の1ヶ月間、ドイツのミュンヘン大学で実習させていただきました。海外での生活は慣れないことばかりでしたが、この留学を通して貴重でかけがえのない経験をすることができました。ここに私の実習内容や現地での生活について紹介させていただきます。
ミュンヘン大学は正式名称をLudwig-Maximilians-Universität-Münchenといい、通称LMUと呼ばれます。1472年にルートヴィッヒ9世によって創立され、ヨーロッパを代表する大学の1つとして高い評価を得ています。LMUは毎年春、神経内科と腫瘍内科の2分野においてWinter Schoolという4週間のプログラムを主催しており、私はそのうちのNeurology Winter School(NWS)に参加しました。このWinter Schoolには私のような留学生が世界各国から集まり、同じプログラムで一緒に学びます。特に留学生とLMUの現地学生とは一対一のペアを組み、そのペアは常にともに行動し教え合うことができます。今年はNWSの留学生、現地学生はそれぞれ5人でした。私のペアは神経内科医を志望する4年生の男子学生でした。
ここからは実習内容について紹介します。毎日の予定は事前に細かく定められており、午前は病棟実習、午後は講義でした。まず朝8時に病棟に着くと、採血から1日が始まります。ドイツでは採血、ルート確保などは学生が行うのが一般的で、私も何度も採血をやらせていただきました。そのあとは医師による回診に同行したり、ペアの学生とともに問診、診察を行いカルテに記入し、必要な検査についてディスカッションをしたりもしました。病棟実習は、ペアごとに違う部署に配属され、そこで医師の指導のもと学びます。私たちペアは神経内科の総合的な部門に配属され、脳腫瘍や髄膜炎、ALSなど多彩な疾患を見ることができました。診断がついていない原因不明の末梢神経障害も多く、問診、診察を行った上でどんな治療をするかをさまざまな観点を考慮し決断するのはとても新鮮でした。
採血を始めとする、日本ではまだできない手技を一人でやらせていただけたのはとてもわくわくするものでした。何度も繰り返すうちに着実に上達していき、手技に自信がつきました。ある女性の患者さんは私が採血にやって来るのを心待ちにしてくれ、最後の朝にとても悲しんでくださったのは、忘れられない思い出です。私の部署の医師は非常に熱心で優しく、疾患や行っている治療について質問すると詳しく教えてくれました。回診中にわざわざ時間を割いて私に説明してくださることも度々ありました。先生方の会議や回診、また患者さんへの問診は大抵ドイツ語でしたが、ドイツは英語が堪能な方がとても多く、英語で医師とのコミュニケーションが取れるのはもちろんのこと、患者さんとの簡単な会話も楽しむことができました。またなんといってもペアの学生の存在が大きかったです。彼はドイツ語の会話を要点を絞って逐一英語で説明してくれたため、私も会話についていくことができました。彼にはわからないことを気軽に聞け、安心して学べたため非常に感謝しています。
昼食を食べた後は講義を2つ受けます。神経変性疾患から脳梗塞、ケースディスカッションなどあらゆる分野を網羅しており、毎日専門の先生が基礎から最先端の医療まで、興味深い講義をしてくださいました。中でも印象的だったのは眼球運動についての講義です。神経内科なのに今日は目なんだ、と軽く考えていましたが、目の動きを見るだけでどの場所がどのような障害を受けているのか推測できると学び、非常に感銘を受けました。眼球の動きを見る様々な診察方法も習得でき、神経内科医への道に一歩近づけた気がします。
こういった病棟実習、講義だけでなく、外部機関を見学させていただく機会も何度かありました。例えば2時間ほどかけて郊外のリハビリテーション施設へ行き、日本では見たことのない最新の運動器を体感し、整備された施設と美しい環境の大切さを実感しました。また病院の近くの研究所を訪問し、マウスを用いた基礎研究について学んだこともありました。
週末にはミュンヘン市内のバスツアーやダッハウ強制収容所、そしてノイシュバンシュタイン城へ行く日帰り遠足がありました。Winter schoolの学生が皆参加するため、ここでは普段あまり関わる機会のないOncologyの学生たちとも交流し仲を深めることができました。このようにWinter schoolは毎日異なる学びができるだけでなく、ペアで助け合い、学生同士の交流もできる非常に洗練された素晴らしいプログラムだと感じています。
留学生には病院から電車で40分ほどの場所にある寮が提供されました。キッチンや食器類、コインランドリーも装備された学生向けの寮です。近くにスーパーもあり便利で、自炊することもありました。Olympia parkにあるため、放課後や休日に散歩を楽しむことができます。放課後はWinter schoolの友達と一緒にご飯に行ったり、街を散策したりして楽しみました。ドイツはプレッツェルを始めとするパンが非常に美味しく、朝パン屋さんに寄って食べることが楽しみの一つでした。ドイツ料理もソーセージやビールだけでなく、日本では見たことのないような料理もあり多彩で、1ヶ月飽きることなく楽しめます。毎日メニューが変わる学食もおすすめです。観光に関しても、教会や市場など魅力的な場所が豊富ですし、池や木々の美しい公園も多く自然を感じることもできます。バレエ鑑賞や劇場へ足を運んだこともありました。ミュンヘンは治安も良く、ここで留学できて本当に良かったと感じています。少し足を伸ばしてドイツ南部の街や、プラハやウィーンへ観光に行ったりもしました。
この留学で感じたドイツと日本との違いについてですが、なんといってもまず海外の学生は非常に積極的でした。講義中に先生の話を遮って自分から質問をすることはごく当たり前で、病棟実習でも患者さんの治療方針について、自分はこっちの方がいいと思う、と意見をぶつけている場面も見られました。彼らに聞いたところ、疑問に思った点はその場ですぐ聞けば自分も納得できるし当たり前のことでしょ、と返事があり非常に感銘を受けたのを覚えています。遠慮しすぎずに意思を表明することの大切さを学び、日本でも実践しようと心がけています。またドイツは日本と違って国試のような大きなテストが3つもあり、それらは臨床実習に入る前から始まります。そのため医学生の知識量は想像よりもかなり高く、実際私は4年生のペアの学生に教えてもらうことが何度もありました。採血などの手技もかなりできるため彼らがとても頼もしく見え、私ももっと頑張ろうという刺激になりました。神経内科については、診察から治療に至るまでの内容に日本と大きな違いはありませんでしたが、例えば腰椎穿刺は患者さんが座位のまま、局所麻酔なしで行うことが衝撃でした。病室内は患者さん同士の間に仕切りのカーテンはなく、気軽に会話を楽しんでいる姿は文化の違いだなと感じました。
今回の留学は私にとって初めての留学であっただけでなく、初めての一人暮らし、一人旅でもありました。留学に行く前は、どんな生活が待っているのか想像もつかず不安ばかりでしたが、こうして無事に終えることができて大きな達成感に包まれています。留学の準備や手続きから何が必要かわからず大変でしたし、もちろん現地に着いた後はすべて自分でどうするか考え、自分から行動を起こさなければいけませんでした。言語の問題でなかなか意思が伝わらずもどかしく辛い思いをしたこともありました。またスマホのSIMが壊れたり、大事なものをなくしたり、電車が遅れて辿り着けるか怪しくなったり、と焦って泣きたくなるようなトラブルは数え切れないほどありました。そんなとき何が最善の策なのか、自分はどうしたいのか、を自分に問いかけ考え、実際に行動に移すことができるようになり以前を思い出すと大きく成長できたなと感じています。またどんな時でも助けてくれる仲間がいて、一緒に悩み、解決策を見つけ出してきてくれました。ここで出会うことのできた仲間は私にとって大きな大きな宝物です。
最後になりますが、このような素晴らしい機会を提供してくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室の皆様、そして留学でお世話になったLMUの先生方、関係者の皆様に深く感謝申し上げます。それだけでなく現地で支えてくれた学生のみんな、日本で応援してくれた家族、友人にも感謝の意が尽きません。本当にありがとうございました。
ミュンヘン観光の1場面
講義の様子
Winter schoolの参加者全員で
留学体験記
薫 瑞生
こんにちは。本年度2月より10週間ウィーン医科大学に留学してきました、薫瑞生と申します。
早速ですが、私の留学生活について書いていこうと思います。
私の実習は麻酔科から始まりました。1週目は4つあるope グループの内、眼科、整形外科、外傷を受け持つグループ4に所属し、主に整形外科と外傷の麻酔につかせていただきました。ウィーンの朝はとても早く、麻酔科のカンファは7:30に始まり、8つあるオペ室の内興味のある部屋を担当する先生に自ら頼んで一日の実習を始めます。ウィーンへ行く前は英語で何とかなるだろうと高をくくっていたところがありましたが、行ってみるとオペの計画表、オペ室の場所、先生の名前、すべてがドイツ語で、学生も私一人だけだったこともあって、勝手をつかむのにものすごく苦労しました。幸い3日目に脳外科のオペ室から来ていた麻酔科の良い先生に巡り合い、彼の担当するオペに張り付いたことでかなりの症例でVライン、Aラインを入れることができ、更にはここの学生でも中々やらせてもらえないと聞いていたビデオ喉頭鏡なしの気管挿管を何例か担当したり、硬膜外麻酔を練習させて頂いたりとたくさんのことを学ぶことができました。また2週目はこの先生の計らいで脳外科のオペ室で実習を行い、整形外科と異なり、より体位変換や薬の量、そしてバイタルに繊細に気を配る必要のある麻酔を学ぶことができたのもよかったです。とりわけ最後の担当手術では末梢、挿管に加えバイタルの管理も任せて頂き、モニターの数値やオペの進行具合を考え、先生にも確認を取りつつ、麻酔をすることができたのはこの上ない自信と経験になりました。
麻酔科が終わると産婦人科の中での産科の実習が始まりました。10日間の内4日間をカイザー、自然分娩の部屋で、そして残りは外来や病棟を見学しました。カイザーは8:00に1件目が始まり、1日大体5、6件くらい入りました。日本と縫合方法が違うこと、麻酔をかける時間が少ないこともあり、1件のカイザーにかける時間がとても短いことに驚きました。オペの合間には自然分娩に立ち会うなど、とにかく目まぐるしい実習でしたが、お母さんが処置を受けている間抱っこしていた赤ちゃんが初めてそのグレーの瞳を開けてくれる姿が本当にすべてを癒してくれました。また、2件ほどでしたが分娩後の性器大量出血の救急患者の処置も見学することもできました。外来においては、ウィーン医科大学の産科はヨーロッパの中でも最大級で世界中から患者が集まることもあり、母体にリスクのある患者(DMや高齢出産など)、染色体異常のリスクがある患者、胎児にリスクがある患者(ダウン症疑いなど)といったように細分化された診察室があり、それら全てを1日か2日ずつ回りました。その中で特に印象に残ったのが人工妊娠中絶でした。日本では22週が人工妊娠中絶を受けることができるボーダーとされていますが、オーストリアでは母体と胎児が健康である場合12週までしか中絶を受けられない一方、どちらかに問題が見つかった場合にはいつでも中絶することができます。私は25週の胎児を体内で死亡させる前処置に立ち会わせて頂きました。先生にも本当に見るのかと何度も確認され、自分でも一応の覚悟を持って臨みましたが、覚悟が甘かったとすぐに気づかされました。詳しくは書けませんが、自らの中で中絶に伴う倫理的な問題とされるpro-life、pro-choiceについて改めて考えさせられる機会となりました。
次の2週間は放射線科に行きました。この病院は病室や手術が多い分、3階に分かれてCT、MRI、X-rayの部屋が存在し、これらの部屋と食道造影、そして移植後のICUを見学しました。今回の実習期間で唯一担当の先生が割り当てられ、その先生に教えていただいたり、実際のケースを用いて読影の練習をしたりと大変よく面倒をみて頂きました。この大学は移植が有名でかなりの患者さんが肺、肝、腎、心臓移植を受けているため、正常の解剖とは異なる放射線画像を学び、移植の術後経過を見ることができたのは新鮮でした。また、撮影室に隣接して、読影室があるため、必要があれば放射線科医がその都度撮影した画像を確認し、体位や撮影方法を技師さんに指示しながら撮影を行っているところや、時には撮影途中でも治療しても生命予後が良くないと判断した患者さんについては撮影を中止し帰宅という判断を下すことができることは興味深いと思いました。
続いて再び産婦人科に戻り、今度は婦人科でお世話になりました。イースター休暇中でいつもの半分ほどしか先生がおらず、人手がとにかく足りなかったため、来院する患者さんにつたないドイツ語と英語を使って採血をひたすら行う日もありやりがいを感じました。この婦人科では大きなポーションを乳がんが占めており、私も何件か患者さんを診察することができました。乳腺の知識は本に書かれていることしか知らず、触診してどうだった?と聞かれても初めは自信をもって答えることができませんでしたが、担当の先生に画像と共にとても丁寧に説明して頂き、とても勉強になりました。婦人科では特にオーストリアの抱える移民問題についても垣間見ることができました。時には英語もドイツ語も話せず、グーグル翻訳も使えないような少数民族の人が来院したり、何十年もオーストリアに住んでいるにも関わらず、ドイツ語が話せず、知り合いや子供を介して診察したりする人もいました。移民が増え、各国のコミュニティができることでオーストリアになじむことなく生活ができるようになっていることが大きな問題になっていると感じるとともに、現在日本にも移民が増えているため、そういった人たちに対する医療を整えていく必要性を感じました。
最後の2週間は形成外科に行きました。一度は海外で花形と呼ばれ、人気のある科で実習がしてみたかったこと、ドイツで再建手術が盛んなこともあって似たようなものを見ることができたら、縫合の練習ができたらと思って選択した科でしたが、行ってみると手術の多くを占めていたのが、高度肥満の人が減量を行い、その余った皮膚を切除するボディリフトや甲状腺疾患による女性化乳房の縮小術など、日本だといわゆる美容手術に分類されるものが多く、更にはそれが保険適用で行われていることに驚きました。思っていた手術とは違いましたが、それでも何件か見たこともないほど全身に重症火傷を負った人の管理や皮膚移植を見学することができたのはよかったです。やはり一番コンペティティブな科と聞くだけあり、先生方の就職活動がかなり大変そうな様子や、どことなくシビアな雰囲気、他の科と大きく異なりドイツ語圏出身の医師しかいないなど色々察することがある最後の2週間となりました。
思い起こすと、私の派遣留学は大きな戸惑いと違和感から始まったように思います。留学はずっと思い描いてきた夢であり、医学英語を勉強したり、必要であろう手技を事前に身に着けていったりとそれなりに準備をした分、多くを学び、海外の友人を得られたらいいなとかなり気負ってやってきました。しかし、実際に行ってみると休暇がかぶっていたこともありほとんど現地の学生と知り合うこともなく、ドイツ語がわからないため、今何がここで起こっているのか周りの会話から判断できなかったり、手術に入ることを断られたり、伝えられた場所に行ったのに誰もいなかったりと日本での実習では決してぶち当たることがない壁に途方に暮れ、自分は果たしてここまで来て成長できているのか、将来につながる何かを得られているのか、自信が持てなくなる時もありました。
でも今ここに帰ってきて思うことは、本当に良い経験をさせていただいたな、ということです。何でもやらせてもらえるという環境ではない分、自分から積極的に聞くのはもちろん、ダメだといわれてもめげずに何度も聞くこと、そして与えられるチャンスが少ないからこそその1回を成功させ、できるということ示す大切さを学びました。私自身、結紮、縫合、ルート、気管挿管は日本で練習しある程度できるようになっていったことで、比較的手技を任せて頂ける機会に恵まれたように思います。また実習終わりに行ったカフェ、学生の身分を利用してお得にチケットを手に入れ通ったオペラ座や劇場、週末や休暇に行った小旅行、そしてアパートの最寄り駅にたむろしていた‘’愉快な‘’麻薬中毒者たちは紛れもなくこの短い3カ月を一生のものに彩ってくれました。
最後になりますが、この派遣留学に多大なるお力添えを頂きました、長谷川先生、Itzel先生、事前研修で授業してくださいました先生方、そして何よりも上手くいかない日々が多い中、心の支えとなり、青天井状態が続く円安にも関わらず(留学期間中20円近く上がりました、、、)惜しむことのない援助を頂いた家族に謝意を表しまして筆をおきたいと思います。
ありがとうございました。
ウィーン医科大学にて
ウィーンの舞踏会にて現地の友人と
留学体験記
清水 啓紀
私はドイツ南西部に位置するフライブルク大学にて2月から4月まで臨床実習を行いました。今回の海外派遣留学プログラムの中でも最長の3ヶ月間で「ドイツで最も日照時間の長い街」で経験し学んだことを以下で述べようと思います。
Intro:フライブルクの街と大学
私が行った街の正式名称はFreiburg im Breisgau。実はフライブルクという名前の街はヨーロッパにいくつか存在します。工業都市のイメージがあるドイツの中で、シュヴァルツヴァルト(黒い森)周辺に位置するフライブルク街中は、石畳が敷かれ中世の面影を残しつつ豊かな自然を持ち合わせた趣深い街です。人口は名古屋市の約10分の1の23万人で、そのうち3万人が学生。典型的な大学街でした。
創立1457年のフライブルク大学は、ハプスブルク帝国内ではウィーン医科大学に次ぐ第二の大学。もちろんドイツ国内でも最古の大学の一つです。大学病院の病床数は名大病院1080床に対して1600床で、ドイツ内で最も規模の大きい病院の一つです。
渡欧
私は外科系志望ですので、外科系の診療科のみの受け入れをしているフライブルク大学医学部はぴったりの行き先でした。(原則、留学生に対しては言語基準を設けていますが、名古屋大学の学生に対してはありません。内科系での実習を行いたい場合はB2もしくはB1レベルが求められます。)消化器外科、泌尿器科、整形外科などでの実習を希望し、5年生の夏終わりに書類を提出しました。
留学の受け入れの連絡はすぐに来ましたが、診療科との調整が済んだという連絡が来たのは結局12月。しかも、調整結果は2月:法医学、3月:感染制御部、4月:耳鼻咽喉科。先方の勘違いなどがあったことで、予想とは違うスタートを切ることになってしまいましたが、国際連携室の長谷川先生からのアドバイスを受け、現地で私の希望診療科と直接交渉を行い再調整することを心に決め渡欧しました。
現地についてからは希望診療科の医師や秘書と何通もメールのやり取りをしました。ホームシックや、孤独と戦いながら交渉を続けました。最終的に交渉は成功し、自身の希望科にてとても満足のいく実習ができました。
実習について
実習スケジュールは、2月:法医学、3月:感染制御部(2週間)、脳神経外科(3週間)、4月:一般外科となりました。法医学では司法解剖の見学・参加をしました。腎臓や肝臓は簡単らしく、実習後半は任せてもらえることもありました。法医学の講義で学んだことを目の当たりにできた他、焼死体を見たり警察との連携を学んだりしたことが印象的でした。感染制御部では、病院の空調や水質などの衛生管理について、院内感染や経路の把握・隔離の指示について勉強しました。フライブルク大病院は名大病院と違って診療科ごとに施設が離れており、幾つも棟があるので一つ一つの問題点を把握し医療の質を確保し底上げすることの重要性を学びました。また外科系志望であると伝えると、手術器具の衛生についても教えてくださり、洗浄施設の見学も行いました。法医学や感染制御部は日本のポリクリでは見られない部分であったので、貴重な体験をできました。
脳神経外科を回った際は、毎日7時からの回診及びカンファレンスに参加して、日中はオペ見学を行いました。脳神経外科の先生が救急外来で見逃せない疾患について講義してくださったり、病棟業務を行ったりと、有意義な3週間を過ごせました。一般外科でも朝7時から現地の6年生に混じって過ごしました。毎日術野に助手として参加し、病棟業務でドレーン抜去・皮膚縫合・採血を行いました。現地の6年生はPJ(Praktisches Jahr: Practical Year)と呼ばれ、日本でいうと研修医のような立ち位置に近いと感じました。現地学生の優秀さに感銘を受け、自身のモチベーションアップにもつながりました。何より、自分が一歩を踏み出し診療科や事務と交渉したことで外科実習を行えている喜びを噛み締めていました。
生活について
フライブルク大学では寮の提供はありませんでした。自分でAirbnbなどを通して条件の良さそうなところを探して予約し、3ヶ月を過ごしました。私の宿はホストファミリーと一緒に住むタイプの場所でしたが、幸いなことにホストの方々が優しくお世話になりました。物価も外食以外はそれほど日本と変わらず、天気も「ドイツで最も日照時間の長い街」にふさわしく、冬場のドイツらしくない晴れを見せる場面もあり住みやすい環境でした。実習外では、平日は現地学生とドイツ料理店や学生酒場に飲みに行ったり、図書館で一緒に勉強したりしました。週末は現地で作った友人や他都市に留学に来ている名大生とヨーロッパ旅行を楽しみました。日本にいたらできない体験を数多くすることができ、輝かしい思い出となりました。
留学を終えて
今回の海外派遣留学プログラムを通して実感したことは、世界の広さと自分の小ささです。見知った顔に囲まれ居心地のいい環境下で生活していましたが、勇気を持って積極性を出すことで価値観が変わることを目の当たりにしました。がむしゃらになんでも経験する心持ちで臨んだことが成功に繋がったのだと思います。勉強面や語学面での成長はもちろん、視野の広さや積極性を身につけ人として何倍にも成長できた、かけがえのない経験でした。 最後になりますが、今回の留学を支援してくださった全ての方々へ感謝申し上げます。
外科の指導医と
外科病棟の前で
脳神経外科の先生と
留学報告記
山岸 美彩
私は2024年3月から4月の2ヶ月間、オーストリアのウィーン医科大学に留学させていただきました。留学を意識しはじめてから、準備期間も含めて約2年間、このプログラムを通して本当に多くのことを学び、一生忘れることのない素晴らしい経験ができたと思います。
神経内科
ウィーン大学の神経内科は、脳梗塞、神経変性疾患、運動疾患と3つのフロアに分かれています。私は実習初日に日本好きの学生に声をかけてもらい、運動疾患グループに配属されることになりました。ウィーンでは、最終学年はお給料をもらって実習しており、日本の研修医のような役割を担っています。自信を持って患者とコミュニケーションを取り、問診や身体診察をこなして上級医に報告しており、聞いていたとおりではありましたが経験の差を強く感じました。またランチタイムレクチャーでも、薬の具体的な使用量や選び方といった、自分が主体的に医療に関わるための質問が多く、違いを感じました。
私も学生と一緒に患者さんを毎日診察していましたが、ドイツ語のためカルテが読めなかったり、問診ができない分、身体所見だけを頼りに病気を鑑別する訓練をすることになり、図らずも所見をとり考察する力がついたように思います。また、朝少し早く行って病棟採血をさせてもらったり、外来でルートをとったりと、手技も随分上達しました。
呼吸器外科
胸部外科では、日本人フェローの中西先生、佐伯先生に大変お世話になり、日本とのオペの違いを学ぶことができました。日本では見ないような進行肺癌も多くあり、健康診断などの予防医療が十分に行き届いていないという問題点があるのではと感じました。また肺移植が3日に1度ほど行われていました。ウィーンではドナーの意思表示がオプトアウト方式のため臓器提供が多いそうです。私も運良くドナーからの臓器摘出を見せていただけることになり、プライベートジェットに乗ってウィーンから45分ほどの病院に駆けつけると、ドイツからからの心臓チーム、消化管チームが来ており総勢20名ほどが関わっていました。皆が揃うと胸腹部を正中切開し、丁寧に臓器をとっていきます。ドクドク動いていた心臓や肺が灌流液で満たされて白くなって止まっていく様子は、とても印象的で、大学に戻り、自分たちがとってきた肺がレシピエントにわたった時には本当に感動しました。術前・術後外来も見せていただき、肺移植された方々が元気に生活されている様子も見て、移植の素晴らしさを知ることができました。また、心停止後移植なども議論されており、臓器移植にまつわる倫理的問題についても深く考えるきっかけとなりました。イタリア、スペイン、ポルトガル、トルコといった世界中から集まったフェローと自国の医療制度について話すことができたのも良い思い出です。
家庭医療実習
家庭医療に興味があり、海外のプライマリケア制度を学ぶことを目標の1つとしていたため、ウィーン医科大学での実習とは別に、吉田先生のご好意で現地の開業医の方を訪問させていただき、4人の先生にお会いすることができました。ある先生は患者1人に1時間かけて、高血圧、骨粗鬆症などそれぞれの病気を聞き取って細かいところまでケアされていて、またある先生は移民の多い貧困地域で1日に100人を見て、必要に応じて専門医に振り分けつつ、何かあったとき医療サービスが受けられるところに患者を繋ぎ止める役割をしていました。どの先生も、ご自身の役割を大切にして患者さんをみており、さまざまな先生方とお会いする中で自分のなりたい医師像が見えてきたように思います。田舎町での往診に同行した際には自家製のワインをいただいたりと、患者さんと深く接することのできる家庭医の楽しさも味わうことができました。
また、実習の最後には、GP見学のためロンドンにあるCross deep surgeryというクリニックで2日間実習をさせていただきました。General Practitionerとは乳児から高齢者まで幅広い患者層、多岐に渡る疾患を取り扱うプライマリケアの専門医で、毎年、医学部を卒業する約半数がGPにすすみます。イギリスでは、住民全員がかかりつけのGPを登録しており、病気になった際にはGPを受診して、必要に応じ専門医に紹介されることになっています。
イギリスの診療所は、複数の医師、看護師、ソーシャルワーカーなどがおり、日本の一般的なより比較的大きい規模の病院です。GPは疾患を専門医に振り分けるゲートキーパーという役割だと聞いていましたが、実際にはホルモン治療を含む婦人科診療や、うつ病などの精神病、発疹などの皮膚科の疾患、整形外科疾患と本当にあらゆる領域を、かなり専門的な診療まで行っていたのがとても印象的でした。日本では産婦人科や精神科にかかりにくい、ということを耳にしますが、イギリスでは1人の医師が診療してくれるため、患者にはメリットが大きいと感じました。
医師の働き方について
ウィーンでは、定時は9時から14時でした(実際は16時ごろまで働いていた印象ではありました)。その分、昼食も取らずに仕事をしていて、とにかくオンオフを意識していたのがすごく印象的でした。休暇も年に1ヶ月はとれるそうで、次の休みに日本に行く、と仰っている先生もいました。
イギリスのGPは、10年間働いたら半年間の休暇をとるケースもあるようで、COVIDもあり燃え尽きかけていた先生は、休暇をとったことで患者にまた真摯に向き合えるようになったと話されており、「休む」ことが自分にも周りにも利益になるという認識がしっかりとあったように思います。ほかに印象的だったのは、男女比です。ウィーンでは、外科でも半分ほどが女性で、皆性別にとらわれずやりたい科を選んでいる姿が印象的でした。その理由の1つに、産休などの制度がしっかりしていることがあります。半年近い休みを取ることができ、産休をとったせいでポジションを追われることもないそうです。このように、ワークライフバランスの観点からみると日本よりも随分良いような印象でしたが、その皺寄せが全くないのかと言うと、医師が足りなくて股関節形成のオペが1年待ちなど患者に必要な医療がすぐに届けられないなど問題点もあり、完璧な制度はないのだということも知りました。
ウィーンでの生活
習後にはカフェをしたりオペラやオーケストラを見に行ったり、川沿いでサイクリングをしたり、週末は色々な国に旅行に出掛けて、毎日新しい経験をして、本当にあっという間の2ヶ月間でした。特にがんのチャリティのための舞踏会に友人たちと正装で参加して、深夜の1時までワルツを踊り続けたのは忘れられない思い出になりました。
最後に
さまざまなご縁からWHOや、国境なき医師団で働かれていた先生、イギリスでGPとして働かれている日本人の先生など、多くの海外で活躍されている先生にお会いして色々な考え方を知ることができ、これから自分がどんな医師になりたいかを考える上で本当に貴重な経験になりました。現地でサポートしてくださった吉田先生、清水先生、澤先生、Costoner先生、Clare先生、日本で相談に乗ってくださり、留学中にもアドバイスをくださった上田先生、高見先生、そして粕谷先生を初めとする国際交流室の皆さん、親身にサポートしてくださった長谷川先生、いつも力強く温かく応援してくださるイッツェル先生、プログラムの先輩方、現地で一緒に色々なことを経験した同期の皆、そしてどんな時もやりたいことを応援してくれる家族、本当に多くの方々に助けていただいて充実した留学をすることができました。この場を借りて感謝申し上げます。
AKH前で
お世話になった看護師さんたちと
ドナーのいる病院への移動
現地の友人とがんのチャリティ舞踏会に参加
留学体験記
木村 実茂
僕は留学前、海外経験が台湾に一回修学旅行で行った以外になく、日本の外側がどうなってるのかよくわからなかった。それに加えて、僕は日本語に囲まれて23年間生きてきて、一体他の言語に四六時中囲まれるのはどういった感覚なのかよくわからなくて、それを知りたいということがあった。正直な話特に外国の医学に興味があって行きたかったというわけではなく、単純に好奇心で軽い気持ちで応募してみた。それでも昨年の2月には毎日しっかりと、勉強をして、英語のスコアを取って、7月には英語の面接を受けて、ドイツへの留学が決まった。それからはちょろちょろ医学英語を詰めてドイツへと向かったのである。
まず初めにフランクフルト空港に着いて初めて衝撃を受けたことは、パンを一個買うことにすら苦労したことだ。日本とは違う無愛想な店員と、しどろもどろな英語を話す僕とで、たったクリームパンを買うことですら非常に困難だった。(トイレの便器もドイツ人用に高かった)。
その後、自分の宿泊先へ向かうのだが、そこで僕はドイツの洗礼をたっぷりと受けることになる。宿には一緒にオーナーが住んでいた。最初、挨拶をして、にこやかに話をしていくうちに、ああなんて明るくて親切そうな人なんだろうと思った。ただ、家賃が事前にaround 700ユーロと言われていたので、700ユーロくらいなんですか?と聞いたら、800だけど?と突然空気が一変し、僕もハテナになった。メッセージアプリの履歴には確かに700位と伝えられているのに、これってaroundに収まるブレなのか?そう思ったら、そこからウクライナの戦争後物価が上がって云々カンヌン。僕はそこで初めて、この大人を信用しすぎることはやめた方が良いと気づいた。この大家は非常にお金と家の清潔さに関してはヒステリックで、僕は初めてパニックになって会話が成立しなくなる人と出会ったのである。
学校での生活は初めは法医学に通うことになり、それとなく色々な症例を見ながら、緩やかに2月は過ぎていった。
そんなこんなで3月になり僕は脳神経外科を回ることになり、そこで1人の学生と出会った。彼女は他大学の3年生でインターンシップとして休暇中に、1ヶ月同じく脳神経外科を回ることとなったのである。最初は面食らった。いきなり他大学の生徒と2人で四六時中一緒に実習するなんて考えてもいなかったからである。ただ、一緒にいる内に、その子の性格が見えてきた。まず、僕が初めに気づいたことは、NOとYESが信じられないくらいはっきりしているということだった。先生の1人が僕らに常にコーヒーを勧めてくる人で、僕はなんとなく2杯目とかでも断れずになんとなく飲んでいたのだけれど、その子はNOと断ることが多くて、先生に本当にいらないの?としつこく聞かれてもNOと言い続けていた。最初は肝座ってんなーくらいに思っていたのだが、次第に気づいたことは、裏を返せばその子がYESと言ったことには絶対的なYESになるということだった。それは人間関係を進める上ではっきりしているからこそ、気を使わなくて済むし、すごく関わっていて楽であるということに気づいた。嫌々何かをしているという可能性が極めて低いということである。それがまず僕にとって新鮮だった。プレッツェルの食べ方を教えてもらったり、一緒に待ち時間にりんごを齧ったり、それはそれでなんだか面白い日々だった。脳外科では見学が中心で、オペに入るということはできなかった。
ここで一つ、ドイツと日本の医学部生の違いについて記す。それは間違いなく日本の学生より体感2年ほど早く教育が施されているということである。これは彼女と話していて感じた。彼女は患者さんへの採血をスムーズにこなすし、医学的知識も3年生とは思えないほど持ち合わせていて、ディスカッションの授業の時などは面食らうことが多かった。どうやら教養教科がない?から早めに医学教育を開始できるみたいだが、僕のプライドもいい感じに引き裂かれ勉強しなきゃなと感じた。そもそも彼女は1ヶ月のバケーションなはずだが1ヶ月のインターンシップをしてることがそもそも矛盾してるんじゃないかと思ったり。ただ、そうやって早くから臨床の現場を体験しているのだなと思った。最終週にはチリから来てる医師と、彼女と僕の三人でお別れ会をした。流れでベトナム料理をなぜか食べることになって、枝豆とかをシェアして食べたのだけど、会計時に割り勘する時に、先に彼女が払って僕がラストに払うことになったんだけど、もちろん枝豆代は出そうと思ってたのだが、彼女が先に払ってくれていて、あー一本取られたと心の中で思った。5ユーロの枝豆。
そして、僕はここで色々な先生と関わることで、気づいたことがあった。それは先生達の中には僕のことを完全に無視する人がいたということだった。これはなかなか日本では体験できないことだと思う。確かによく考えてみれば、外から来た1ヶ月しかいない学生に優しくしたところで短期的になんのメリットもないなと思った。それはある意味当然のことだった。挨拶をしても目すら合わせてくれず、シカトされることが何度あったか思い出せない。その度に僕の心は削られていった。そして、もう一つ、僕がこの留学で挫折とも言える経験をしたことがあった。それは次の脳神経放射線科にて起きるのであるが、僕はこの科を事前に自分で選択したのである。それには理由があって、まず1ヶ月間脳外科で見学だけで手を動かしたくなった。5年前に同大学に留学した先輩からカテーテル作業をたくさんさせてもらえたという話を聞き、僕も脳に興味あるし変更して手技をやろう。そう思ったのである。ただ、いつまで経っても先生達からやってみるか?と聞かれることがなく、僕はきを使って突っ立って見学していた。ただ流石に終了の3日前に、何かしたいと思い、思い切って先生になんでもいいんで補助をさせてください、そう僕は先生にお願いした。すると先生の空気と顔色が変わり、君は留学生なんだから責任も取れないし立ってみてるのがいいよ。そう言われた。これは僕に取っては本当に言葉にできないほど大きなショックだった。日本の名古屋大学なら頼み込まなくても入れることが多かった術野に入ることがここまで遠く長い道のりになるとは想像もしていなかったのである。そこで僕は一つ学んだ。断られるこの心の苦しさっていうのはある程度なれなきゃいけなくて、それでも自分がやりたいなら壁を叩き続けるしかないということに。
そこから僕は次に耳鼻咽喉科に実習することになった。僕はそこでも1人の医師に断られた。その人は他のドイツ人の学生は一緒に入るのを許可するのに僕だけ一緒に入れないということがあった。そんな中でも僕は常にオペに入りたいと常に主張し続け、ようやく他の医師の人工内耳埋め込み術の補助に入れたのである。初めてドイツでスクラブアップしてアシスタントをした。あの時は本当に泣きそうになり、終わった後の達成感も凄まじかった。ドイツの医療に貢献できたという喜び。余談だが、そこである管理職?のナースの信頼をどうやら得たみたいで、仲良くなった。先ほど述べた男性医師のオペにまた、頼む機会があってまた当たり前のように、そこに立ってた方が良いよみたいなことを言われたのだけど、そこでそのナースさんが、僕のために2度目のお願いをしてくれたのである。そうするとその医師の態度は一変し、入れよみたいな感じになり、僕はその人と一緒にオペに入った。終わった後にそのナースさんに、ありがとう。そう言いにいった。すると、何か学べた?と聞かれ、たくさん学びましたと答えた。職場の信頼関係というのは大切だと改めて感じた。
また、ナースの人や、毎日の診察で僕はドイツ語を音で少し覚えた。新しいドイツ語を周りの人から教えてもらうたびに、それは音でしかなくスペリングもよくわからないので、それは赤ちゃんの自然な言語習得に近く、ナースさん達が僕に赤ん坊のようにドイツ語を動作と一緒に根気強く教えてくれて、僕はこうやってお母さんや周りの人から根気強く日本語を教えてもらったんだなと気づいた。
色々な感じたことを書いてきたが、僕自身が一番成長を感じることは小さなことで傷ついて落ち込まなくなったということである。先に記述したような、体験があり、強くなったような気がする。そして、何より僕が一番感じたのは継続の重要性である。僕は実習に行くことを最後までやめなかったし、苦しい時でも自分のやりたいことをしっかり周りに伝えて、可能性を広げられるようになったと思う。その結果、学習面だけではなく、友達もできて、総じていい留学だった。両親、友達、先生方には本当に感謝しかない。
現地の学生と法医学実習
日本留学経験のある先生のお家にて
脳神経外科のみんなとの1枚
最終日現地のコメディカルの人達と
グラスゴー大学留学体験記
峯松 礼佳
私は3月から4月の2か月間、スコットランドのグラスゴー大学に留学しました。3月には主にグラスゴーの市中病院であるQueen Elizabeth University Hospital (QEUH)で、4月にはスコットランド各地の家庭医 (GP)のもとで実習し、大変貴重な経験をさせていただきました。
グラスゴーについて
グラスゴーはイギリス北部、スコットランド最大の経済都市です。加えて文化・芸術活動も盛んで、ウイスキーの名産地でもあります。街は活気にあふれていて、自分の文化も相手の文化も大切にする雰囲気が根付いており、とても暮らしやすかったです。
グラスゴー大学での実習
グラスゴー大学の医学生はQEUHという、1,600床以上ある巨大な急性期病院で実習します。私が3月に行った老年内科は大きく救急外来・病床、計180床ほどの病棟の病床、一般外来に分かれていました。それら3部門での実習に加え、外部のリハビリ病院での実習、訪問診療の同行、現地学生とのbedside teaching参加も経験できました。ありがたいことに、先生方には「患者さんへの問診や身体診察などやりたいことは何でも言ってね!」と快く迎え入れていただきました。新しい環境や慣れない訛り英語に苦戦しましたが、指導医の先生にフィードバックをいただき、何に着目して診察を進めるべきか日々学びを深めることができました。セリアック病や、ポリオの後遺症など日本では目にしない病態に触れたことも貴重な経験でした。QEUHの先生方、スタッフの方々は本当に親切な方ばかりで、充実した実習期間を過ごすことができました。
QEUHの実習で学んだことの1つが、患者さんの生活背景を把握することの大切さです。外来中には患者さんのご家庭内で意見が一致せず、ご本人に責任能力があるのに希望するリハビリが受けられなくて、ADLが急激に低下しているような事例にも出会いました。主訴の裏にどんな問題があるのか、症状に加え家庭環境や生活環境から把握することが適切な診療につながると実感しました。
GPでの実習
4月には世界各地からの留学生を受け入れてくださっているGPのAlec Logan先生のご協力のもと、スコットランド中にある6カ所の診療所で実習をしました。イギリスではプライマリケアを基盤とした医療が特徴的で、GP(家庭医)がその役割を担っています。Alec先生のGPを中心に、都市部でドラッグ中毒問題に取り組む病院や、山のふもとの一般外科病院、田舎の炭鉱跡地の貧困地域にあるGPなど多様な背景を持つ病院に伺い、外来見学を中心に患者さんの問診や診察も行いました。プライマリケアにおいて「患者を全人的に診る」とは良く聞く言葉でしたが、GPの先生方は患者の家族や仕事、精神面の状況を把握する形で診察を進め、患者の困りごとを打ち明けやすくしており、その姿勢に感銘を受けました。先生からは、プライマリケアでは患者を「安心させる」ことも重要な仕事であり、些細なことでも不必要に不安を与える言葉を発しないこと、なぜ安心して良い状況なのかを説明できる知識と技術を身につけることをアドバイスしていただきました。日本の大学病院でのポリクリとは違った視点から学びを深められた貴重な実習期間でした。
コメディカルの方々の役割の広さと、GPが地域で果たす役割も印象的でした。GPの診療所は複数の医師が共同で運営していますが、医師以外に看護師や薬剤師の診察室もあり、彼らも薬剤を処方することができます。糖尿病や更年期障害など、投薬で長期的にフォローする場合は薬剤師の診察を受けるといった分業が進んでいる一方、昼食では毎回皆が集まって雑談しながら午前の外来の様子を話し合い、専門分野を生かしながらチームとして診療している様子がうかがえました。またGPの先生方は各患者の状況に加え地域の医療の問題点に大変お詳しく、この地域は平均寿命が何年短い、遺伝的に特定の疾患の割合が高いといったことを、どの先生にも教えていただきました。実際に、地域の問題に対応すべく地域ごとにGPの特色は大きく異なっており大変興味深かったです。
たくさんの出会い
グラスゴーに来なければ会えなかった、沢山の人々と出会えたことも留学での大きな収穫でした。スコットランドでは他国から働きに来ている医師も多いため、病院実習では現地出身の学生だけでなく、さまざまな国(マルタ、ミャンマー、ナイジェリアなど)からの学生や医師と話す機会がありました。日本の医療システムに興味を持ってくれて、彼らの国での医療についても色々と教えてくれました。またGPのAlec先生には実習期間全体を通じて特にお世話になり、実習では現地学生と一緒に講義や問診に参加する機会をいただいた上、グラスゴー大学でのGPレクチャーイベントや、休日にはオペラやコンサートに連れて行っていただき、一生忘れられないような貴重な体験ができました。もちろんQEUHやGP実習で出会った先生方や優秀な学生の方々にも沢山助けられ、感謝してもしきれません。
最後に
2ヶ月間海外生活を送る経験は初めてで緊張しましたが、新しいことを沢山経験し濃密な時間を過ごすことができました。自分から行動する力がついたこと、どのような医師になりたいかを留学前よりも真剣に考えるようになったことが、留学を通じて自分なりに成長した部分だと感じています。最後になりますが、このような貴重な機会をいただいた国際連携室の先生方、QEUHの先生方、GPの先生方、グラスゴーでお世話になった皆様に心より御礼申し上げます。
老年内科のEmily先生と
GPのAlec先生ご夫妻とオペラ観劇
宿泊先ホストの方とイースターパーティー
ルンド大学での留学体験記
林 紘範
私は2024年2月から2ヶ月間、スウェーデンのルンド大学に留学しました。それまではヨーロッパに行ったことがなく、未知の環境で生活することに不安がありました。しかし、Frontier会や国際連携室の先生方の講義、同級生との勉強会、両親の援助など、多くの人々に支えられて留学することができました。心から感謝申し上げます。
ルンド大学はスウェーデン南部のスコーネ県ルンド市にメインキャンパスを構える、国内で2番目に古い歴史を持つ大学です。国際交流が盛んで、日本からの多くの留学生が学んでいます。ルンド市は北欧らしい洗練された街並みで、住民の半数以上が学生のため治安が良く、スウェーデンでも温暖な地域であるため、非常に生活しやすい環境でした。
最初の1ヶ月はルンド市のSkåne University Hospitalの外科(Surgery Clinic)で実習しました。上部消化管グループ、肝胆膵グループ、内分泌・軟部組織腫瘍グループに分かれており、各グループには10名以上の医師が所属していました。男女比は5対5でした。主に肝胆膵グループで手術見学をし、吸引、結紮、閉創の補助を経験しました。ERCPや内視鏡検査を行う外科医、転移性肝癌の術中に放射線科医と連携してアブレーションを施行する症例、ロボット支援下の膵頭十二指腸切除術など、各医師が専門性を発揮しながら最新技術を駆使して治療する様子を見学できました。
次の1ヶ月はマルメ市のSkåne University Hospitalの手の外科(Hand Surgery Clinic)で実習しました。スウェーデンでは手の外科は整形外科や形成外科とは独立した診療科です。マルメ病院の手の外科はスウェーデン最大規模のクリニックであり、1日10件以上の手術を行う日もあります。同じ建物内に外来、病棟、手術室、リハビリ室があり、シームレスに連携して診療が行われていました。手指の外傷時に医療用ヒルを用いることには驚きました。
実習を通じて、外科や手の外科の知識や手技を深く理解することができました。さらに、スウェーデンの医療システムや教育、保険・福祉制度、文化について貴重な学びを得ることができました。スウェーデンではPersonal number制度が普及しており、患者IDや銀行、仕事、保険などが全て紐づいているため、疾病による休暇の申請や補償が円滑に行われています。現地の医学生の教育システムや就職活動について日本との違いも知ることができました。ルンドの学生たちの知識や熱意に触れ、自分のモチベーションの不足を実感しました。
留学中の2か月間は非常に充実しており、実習以外にも寮での留学生との交流や、休日に友人と各国を旅行するなど、毎日が新鮮でした。学生時代にこのような貴重な経験をさせていただいたことに、支援してくださった方々に心より感謝申し上げます。この経験を糧に、今後一層努力してまいります。ありがとうございました。
留学での2か月間は非常に充実しており、実習以外にも寮での留学生との交流や、休日で友人と会って様々な国に旅行し、毎日が新鮮でした。学生中にこのような貴重な経験をさせていただけたことを、支援してくださった方々に感謝申し上げます。この経験を糧に、より一層精進してまいります。ありがとうございました。
Hand Surgery Clinicの皆様
留学体験記
加藤 菫
私はスウェーデンのルンド大学で2ヶ月間の実習を行いました。大学入学前から憧れていた海外派遣留学に参加し、貴重な経験をさせていただけたことを大変嬉しく思っております。現地での実習生活の様子や、留学を通じて得た学びをここに報告いたします。
ルンド大学
私が滞在していたルンドはスウェーデン南部に位置しており、街と大学が融合した学生の街です。北欧最大の学生数を誇るルンド大学の敷地はとても広く、街を歩いているといつの間にかルンド大学のキャンパス内に入り込んでいたことも多々ありました。北欧と言えど南部に位置するため冬でも気温は寒すぎず、私が滞在した3月から4月の間で雪が降ったのはわずか数日で、とても過ごしやすかったです。公用語はスウェーデン語ですが、ほとんどの方が英語を話すことができ日常生活で言語に苦労することはありませんでした。
救急科実習
前半の4週間はルンドの隣町マルメにある大学附属病院の救急科にて実習をさせていただきました。救急科は規模が大きく60名程の先生が在籍しており、Day shift(8–15時)、 Evening shift(15-22時)、Night shift(22-翌日8時)の三交代制の勤務形式が取られていました。朝の申し送り時には看護師の方々も含めて80名ほどのスタッフが参加しており、実習初日に全員の前で自己紹介をした時はとても緊張しました。実習は毎日異なる先生について回るシャドーイング形式でした。診察やカルテ記載はスウェーデン語のためその都度先生が英語に訳してくださいました。スウェーデンは移民の受け入れが多いため英語での診察を希望する患者さんもいらっしゃり、その際は問診と身体診察、上申までを自分1人で任せていただけました。派遣前実習で練習した英語での身体診察を、初日から臨床の場で活かすことができ嬉しかったです。問診の内容から鑑別疾患を考えてアセスメントしたり、プレゼンに対してフィードバックをいただけたり、教育熱心な先生方のおかげで学びの多い毎日を過ごすことができました。
実習で感じた日本との違いの一つに看護師の裁量の大きさが挙げられます。スウェーデンでは救急外来に来た患者さんのファーストタッチは看護師が行い、問診やトリアージ決定、軽症であれば帰す判断もすることができます。また、症状別にオーダーすべき検査や処方するべき薬剤が予め決められており、それに当てはまる場合は看護師が検査オーダーや処方指示を行います。医師が診察する前に必要な採血結果やレントゲン写真がすでに揃っていることも多く、治療の方針を判断する上でとても効率的だと感じました。
また、スウェーデンの医療制度の問題点として医療アクセスまでの待ち時間が長いことが知られています。軽症の患者さんの場合、救急外来に到着してから医師の診察まで5-6時間の待ち時間が生じることもしばしばありました。医師不足ですぐに医師が対応することが難しい部分が、タスクシフトや24時間体制の公的医療相談ダイアルの普及等により補われていました。
小児科実習
後半の4週間はルンドから電車で2時間半程離れたヴェクショーという街の市中病院の小児科で実習しました。私の滞在期間にはルンド大学附属病院で小児科実習の受け入れがなく、代わりに市中病院であれば小児科実習が可能とのことで、ヴェクショー中央病院で実習できることになりました。今までの先輩方も訪れたことがないため事前情報がなく不安もありましたが、市中病院ならではのcommon diseaseにも触れることができ大変貴重な経験となりました。小児科の先生は20人程でどの先生もとてもフレンドリーで、実習中も困ったことがないかいつも気にかけてくださりアットホームな雰囲気でした。1週間ごとに一般病棟、専門外来、救急外来、NICUと小児科診療の様々な場面を見学しました。外来見学の週は循環器、アレルギー、リウマチ等の専門外来を見学させていただきました。1人の先生が受け持つ患者数は1日で8-10人程と少なく、1人40-60分と長く時間を取りそれぞれの患者さんからじっくりと話を聞き、丁寧に診察していたのが印象的でした。救急外来ではマイナンバー制度に紐づけられたカルテシステムの利便性の高さに感銘を受けました。スウェーデンの病院では地域ごとに共通のカルテを使用しているため、かかりつけ医からの紹介で救急対応する場合も、同一カルテ上で病歴や受診歴、内服歴等の患者の医療情報を一目で把握することができ、非常に効率的な対応がされていました。
私が一番衝撃を受けたのはNICUの違いです。日本のNICUでは急変に備え医師や看護師がモニターできるよう、大部屋に新生児用のベッドがずらりと並べられているのが一般的です。一方スウェーデンでは、赤ちゃんができるだけ家族と一緒に過ごせるようにというファミリーセンタードケアの概念が浸透しており、NICUは全床個室管理され、保育器の隣には両親が寝泊まりできる大人用のベッドも備わっています。スウェーデンは充実した育休制度が整っており、男性の育休取得率が9割を超えているということもあり、ほとんどの病室で両親揃って泊まり込みで赤ちゃんの面倒を見ていたのも大変印象的でした。赤ちゃんと家族の気持ちに寄り添ったNICUの本来あるべき姿だと感じました。医療スタッフの数や設備、スペースの問題からすぐに導入することは難しいですが、日本に取り入れるためにできることを考えていきたいです。
スウェーデン文化
スウェーデンは男女平等先進国として知られており、実習をした小児科では女性医師が9割を占めていたり、ルンド大学医学生の男女比率は近年では女性の方多かったりと、女性の社会進出が進んでいます。ワークライフバランスが整い、家事や出産育児を女性だけのものと捉えていないため、女性医師もキャリアが継続しやすくなっている点に大きな魅力を感じました。公平性の精神は男女間に限らず社会全体に根づいていると感じました。例えば、スウェーデンでは医師や看護師、医療スタッフがお互いの名前を敬称をつけずファーストネームで呼び合います。教授であってもDr.やProf.をつけず呼ぶフラットな関係性をとても新鮮に感じました。
スウェーデンではFikaと呼ばれるコーヒーブレイク文化があり、多くの学校やオフィスでもFikaの時間が設けられています。病院内でもコーヒーを片手にお菓子をいただきながら申し送りを行ったり、業務の合間にコーヒーを淹れてひと息ついて医療スタッフ同士コミュニケーションを楽しんだりと、心にゆとりを持って仕事をされていました。また、皆が家族との時間を大切にしており、残業が少なく休暇が長いことも働き方の特徴の一つです。17時以降残業している先生が1人もいないことや、医師でも4-6週間の夏休み休暇を取得できることに大きな衝撃を受けました。
留学を終えて
この留学では医療現場のみならず、社会制度や文化、ライフスタイルの違いからも多くの学びを得ることができました。今回受けた刺激を大切にしながら、卒後の研修生活においても高いモチベーションを維持し、より一層精進していきたいと思います。
最後になりましたが、この度貴重な留学の機会をくださいました粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室の皆様、ルンド大学の先生方や学生の皆様、この留学を支援してくださったすべての方に心より感謝申し上げます。
ルンド大学附属病院の救急外来棟
個室NICU
小児科の先生方と
ルンド大学の友人とホームパーティ
留学体験記
城 航平
グダンスク医科大学での全ての実習を終え帰国した現在、あの「自分が壊れるほどの他者」との出会いの連続だったエキサイティングな日々が、いかに貴重なものだったのか、ひしひしと感じます。
留学前は、グダンスクのことはもちろん、ポーランドに関する知識も殆どない状態でした。ポーランドといえば、2003年に放送されたドラマ『白い巨塔』にて主人公の財前五郎が国際外科学会に出席するために訪れた国というイメージしかありませんでした。グダンスクはポーランド北部に位置するポーランド最大の港町で、歴史的には第二次世界大戦勃発の地として知られています。そんなグダンスクにあるグダンスク医科大学は、1454年頃に設立された外科医を中心とする医療施設を起源とし、1945年に創立された大学です。
留学前
留学前の準備として、過去に留学された先生方による派遣前研修に参加したり、英語で医学を解説している動画を観たりして、医学英語の勉強をしていました。また、私は英語のリスニングに不安があったので、洋画を繰り返し見たり、ポッドキャストを聴いたりして、日常的に英語の音に触れるようにしていました。手技の面では、現地で披露する機会があったときに、「日本人は器用だ」というイメージを壊してはいけないと思い、腹腔鏡下での結紮の練習などもしていました。そんな中でも、常に心に「本当にグダンスクに行くのが自分で良いのか」という葛藤を抱えながら、期待よりも不安の多い毎日を過ごしていました。
実習について
グダンスクに到着すると、現地の学生が寮まで荷物を運ぶのを手伝ってくれました。夜には病院の敷地内を案内してくれたり、旧市街の有名なカフェに連れて行ってくれたりしました。この時点では依然として私の英語は拙いものだったので、現地の学生の英語表現を真似して取り入れようとする毎日だったことを覚えています。
グダンスク医科大学には、ポーランド人学生からなるPolish Divisionと、留学生からなるEnglish Divisionがあり、私はEnglish Divisionに混ざって実習を行いました。English Divisionでは、レクチャーは全て英語で行われます。学生の出身国は、ノルウェー、スイス、インド、スペイン、カザフスタンなど様々で、ポーランドにいながら国際色豊かな環境に身を置くことができました。
今回の留学では、脳神経外科、外科、移植外科、泌尿器科、消化器内科、循環器内科、麻酔科、小児外科で1~2週間ずつ実習させていただきました。多くの科で実習ができることが、グダンスク医科大学の魅力の1つだと思います。実習の内容としては、名古屋大学での臨床実習のように、レクチャーや病棟実習、外来見学、手術見学が主でした。
特に印象的だったのが麻酔科です。元々は麻酔科で実習を行う予定はなかったのですが、ある手術を見学した際に、麻酔科の先生が外科の先生や看護師さんと良好なコミュニケーションをとりながら働かれている姿に感銘を受け、麻酔科の先生に直接交渉をし、実習をさせていただけることになりました。手術室での実習では、挿管などの手技を経験させていただき、麻酔維持についても熱心に論理的に教えていただけました。先生が「私は麻酔科医として、すべてのスタッフをリスペクトして働いている」と仰っていたのを聴き、現地の麻酔科医の人間性の高さを改めて感じました。
また、各ブロックの最終日には筆記試験や口頭試問がありました。同じグループの学生に声を掛けて試験の情報を教えてもらうなどして、何とか対策をしていました。特に循環器内科の試験は、現地の学生が口を揃えて難しいと言う内容で、心電図の判読を課されるものでした。循環器内科での病棟実習では、先生から何枚もの心電図が与えられ、グループ内でその所見をディスカッションしました。不慣れな英語で冷や汗をかきながら心電図の所見を述べたのも、今では良い思い出です。最終日には、先生からの質問にほとんど答えられるようになり、成長を感じました。
現地の学生を見ていて印象的だったことは、学生の自主性の高さです。現地の学生はレクチャーの途中でも自由に発言・質問をします。レクチャー間の休憩時間の長さも、学生が先生に交渉して自由に決めることができます。私が年を重ねるにつれ失ってしまった、自由に発言をする、という能力を、彼らは持ち続けている。その事実を目の当たりにして、強い衝撃を受けたのを覚えています。私も初めは躊躇していましたが、次第にその能力を取り戻し始め、積極的に意見を言えるようになり、自分自身の再生を感じました。
生活について
現地では、名古屋大学からの留学生を長年受け入れてくださっているWoźniak教授に大変お世話になりました。Woźniak教授からは、過去にグダンスク医科大学に留学された方々が残してくださったフライパンや食器などの日用品の詰まったバッグをいただき、日々の生活に大変役に立ちました。その他にも、私が何か困っていないか常に気をかけていただいたり、週末には現地の学生と一緒に実験をさせていただいたり、生活面でも学術面でもお世話になりました。また、現地の学生向けにNagoya Day というイベントを開催していただき、寿司や日本茶に関する発表をする貴重な機会もいただきました。
寮はシャワーとトイレ付の2人部屋を1人で使わせていただいていたので、不便を感じることはありませんでした。寮母の方々も本当に優しい方ばかりで、フロントでお話をすることで、毎日エネルギーをいただいていました。また、ポーランドは物価も安く、名古屋大学からの留学生には、決して少なくない額の奨学金もいただけるので、金銭面での負担は比較的少ないのではないかと思います。
現地での生活を思い出すために、当時書いていた日記を読み返しました。序盤の記事には、ヨーロッパの文化に馴染めず、別の星から来た宇宙人の気分を味わった日や、日本の物質的豊かさにより、自分自身の精神的豊かさを失いかけていたことに気付き、ショックを受けた日などがありました。様々な出会いを通じて、長年の日本での生活により形成されてきた常識を木端微塵に破壊され、ヨーロッパ文化の良い部分を取り入れ、新たな自分を創造していく毎日でした。カルチャーショックに藻掻きつつも、確実に変化していく自分を感じるエキサイティングな経験は、留学したからこそできたものだと思います。そこで、帰国の2週間前に書いた記事を見てみると、「許されるなら、もっと長くここにいたい。そして何よりもここで新たにできた人脈を途切れさせたくない。」と書いてありました。出発前は不安しかなく、序盤は正直早く日本に帰りたいと思う毎日でした。そんな私でも、現地の方々との素晴らしい出会いに恵まれ、様々な新しい感情を経験することができました。私の留学生活は、キラキラとは言えないものの、確かな生の実感があるものでした。
グダンスク医科大学とのご縁を繋いでくださった若林先生、国際連携室の粕谷先生、長谷川先生、日本で多大なご支援をいただいた皆様、そして、一人の日本人に正面からぶつかってくださり、コンフォートゾーンから抜け出す勇気を教えてくださったグダンスクでの全ての出会いに感謝いたします。グダンスク医科大学と名古屋大学とのご縁が末永く続きますように。
NagoyaDay
ノルウェー冒険記
小林 正直
私は、ノルウェーのトロンハイムにあるノルウェー科学技術大学(以下、NTNU)にて、3ヶ月間臨床実習をさせていただきました。名古屋大学医学部からNTNUへの派遣は、私で第3号になります。
ノルウェーという自然豊かな国で、日本とは全く異なる北欧の医療に触れたいという思いからノルウェーでの実習を希望しました。まず述べておかねばならないのは、今回のノルウェーへの留学は私の中で一生の宝物になったということです。間違いなく、人生のハイライトに入りました。本当に素晴らしい時間を過ごすことができ、大変満足しております。
この度、“交換留学者からのメッセージ”ということで私の経験を伝えさせていただく機会を賜ったので、いま思いつく限りの留学中の経験を紹介させていただこうと思います。
ノルウェー渡航準備
多くの日本人にとって、ノルウェーは全くなじみのない国だと思います。私も例外ではなく、「はて3ヶ月間未知の地ノルウェーで生きることができるのか?」とフライト直前になってからとてつもなく不安になってしまったことを覚えています。これまでに休暇を利用して友人と海外旅行に行くことが何度かありましたが、毎回何かしらの体調不良を訴えていたため、今回の留学に関して体調面で家族や友人にだいぶ心配されていました。その結果、必要以上の医薬品、防寒着、食べ物、カイロ、さらには電動の携帯式マッサージ器なんかもいただいてトランクケースがいっぱいになりました。重たいトランクケースの荷物預けが完了し、空港まで見送りに来てくれた家族と別れを惜しみながら出国ゲートをくぐりました。ゲートをくぐってしまうともう前に進むしか選択肢がないのでネガティブな気持ちはすっかり消え去り、海外生活への期待が高まっていきました。
トロンハイムに到着するまで、シンガポールとコペンハーゲンでトランジットになりました。体力的に大変な部分はありましたが、ノルウェーへ行く前にお得にサクッと二か国を旅行できてしまいました。極寒の地へ行く前に、シンガポールで寒さデトックスできたことに最もお得感を感じました。
実習
臨床実習では、循環器内科、腫瘍内科、呼吸器内科にて1ヶ月ずつお世話になりました。各診療科での実習について紹介する前に、病院や医療システムに関して気づいたり感じたりしたことをまとめようと思います。
すべての実習は、St. Olav’s hospitalというNTNUの附属病院で行われました。この病院は、診療科ごとに建物がわかれており、すべての建物は渡り廊下と地下でつながっています。名大病院のように病棟に上がるためにエレベーターを長時間待つことは全くありませんでしたが、横に広い分病棟間の移動距離は長かったです。広すぎるため、スクーターを使って病棟間を移動するほどです。私も移動のために使わせていただきましたが、病院内でスクーターに乗るという若干の背徳感を感じる反面、なかなか快適で気持ち良く新鮮な経験をすることができました。なお、このスクーターはだいぶスピードが出て、しっかり危ないと思いました。
また、病院では先生方のほかに看護師さんや検査技師さん、放射線技師さんなどすべての医療スタッフの方に英語でご指導していただきました。ノルウェーは、英語を母語としない国の中では、英語の普及率がトップレベルに高く、ご高齢の方を除いてほとんどの人が流暢に英語を話すことができます。そのため、言語面でもかなり学習しやすい環境であったと思います。
最後に、ノルウェーの医療システムについて紹介します。ノルウェーでは、Fastlege(Family doctor)の紹介がないと、患者が大きな病院にかかることができない仕組みになっています。大病院や専門医療機関を受診するべきかどうかをFastlegeが判断するのです。これにより、医療需要が過剰になってしまうことを防ぎ、限られた医療資源を効率よく活用することを可能にしています。
① 循環器内科
最初に循環器内科で実習しました。2月のノルウェーは日が昇るのが遅く、カンファレンスが始まる8時ごろはまだ真っ暗で、カンファレンス中に鳥がチュンチュンうるさく泣き始めたなと思って外を見ると、日が昇り始めているというような具合でした。日が沈むのも早く、16時過ぎに日が落ちてしまうので、暗いうちに病院に入り、暗くなってから病院を出るという太陽をなかなか拝めない生活になりました。今までに味わったことのない雪と極寒の中、滑らないように雪を踏みしめて登校することは何度もありました。予想通りの異世界観に胸が躍りました。循環器内科は、“Akutten og Hjerte Lunge-Senteret”という循環器科と呼吸器科が含まれる急性期病棟にあります。屋上には、ヘリポートがあり、ノルウェーの僻地から緊急性の高い患者を運ぶ際に使われるそうで、ドクターヘリは日本より頻繁に使われている印象でした。
私のボスは、心不全領域を専門にされているRune先生でした。Rune先生は指導も丁寧で、非常にユーモアに富んでおり、現地学生からも大人気でした。毎日Rune先生のオフィスに通いましたが、勉強に行っているのか、先生と雑談しに行っているのか、わからなくなるほど楽しい時間を一緒に過ごしていただきました。実習時間は、朝8時から夕方5時で、午前中はRune先生と病棟の患者さんに話を聞きに行くことが主でした。午後は、Rune先生が手技のある循環器内科の部署にアポイントメントを取ってくださり、心エコーラボや血管造影ラボ、ペースメーカーを入れるオペの見学をしました。どの方も日本から来た僕に興味を持って下さり、患者さんや手技の説明や雑談をしてくださいました。また、私からの質問にも快く答えてくださいました。午後の手技で印象に残っているのは、血管造影ラボで行っていた冠動脈ステントを見学したことです。患者さんの意識がある中、清潔野に十分注意して間近で見せていただきました。術後は、カテーテルが血管の中でどのように動いていたのかを、実際に使っていたカテーテルで示しながら解説してくださいました。机の上でできる勉強ではなかったので、大変興味深かったです。また、術後に患者さんが、明らかにノルウェー人ではない私に気づいて、話しかけてくださいました。日本から実習に来ていることを知ると、「それはよく来たね!もっと私の体で勉強していいよ!」と笑いながら言ってくださいました。当時、実習が始まったばかりで慣れないことが多かったのですが、患者さんが日本人医学生の存在に寛容な姿勢を示してくださり、大変嬉しかったです。「ありがとう。じゃあ、僕が今度カテーテル入れてみてもよいですか。」と言ってみたところ、笑って首を横に振っていました。
毎週金曜日は、病棟の休憩室にケーキが置かれ、1日の業務終了後に病棟の医療スタッフが休憩室に集まって談話できるようになっていました。私も、毎週金曜日はRune先生と休憩室にケーキを食べに行きました。休憩室には、ケーキを食べようとドクターやナースが次々に集まってきます。ケーキとコーヒーをいただきながら、週末の予定などについて盛り上がりました。ここでも、Rune先生はユーモラスな発言を重ねて場を沸かせていました。この病棟の雰囲気は、Rune先生が作っているといっても過言ではないと思いました。ドクターもナースも、心に余裕を持って日々の業務に当たれているように感じました。医療スタッフ全員が一丸となって働けるような和やかな職場環境をつくれるように、医療スタッフとの何気ないコミュニケーションを大切にできる医師になりたいと思いました。
② 腫瘍内科
Rune先生に別れを告げ、3月は腫瘍内科で実習しました。今年は暖冬のようで、3月になると雪が解け、春の到来を予感させました。ノルウェー人からすると、冬を楽しむために雪が降り積もる期間は一定以上必要のようで、もっと積もっていてほしいと悲しそうな顔をしていました。腫瘍内科は、各臓器のがんを扱う診療科で、臓器別にグループ分けされています。私は、1週目に内分泌・乳がんグループ、2週目に消化器グループ、3週目に泌尿器グループにて実習しました。
1週目の内分泌・乳がんグループでは、指導して下さる先生の回診や外来を見学しました。最も衝撃的だったのは、初日です。このグループでの実習初日、先生が担当患者の現病歴や現在行っている化学療法のレジメンの構成を解説してくださっていました。疼痛緩和目的で麻薬を処方するという話の時に、彼女が「私はまだ処方できないのだけどね。」といったので、「医師になってどれくらいで処方できるようになるんですか。」と尋ねました。すると、「私まだ学生だから。」と聞いて、発狂しそうになりました。彼女は、NTNU 6年生であり、腫瘍内科にてインターンをしていたそうです。NTNUには、いわゆるポリクリ2のようなものは存在せず、代わりに各自でインターンに申し込むそうです。同じ学年の医学生のレベルの高さに驚きを隠せませんでした。あまりのレベルの高さに、私は彼女を指導医だと勘違いしてしまっていたわけです。こうして、もっと頑張らなければならないと強く思わされ続ける、刺激的な1週間が始まったのでした。このグループでの実習では、乳がんから脳転移のおそれのある患者さんに対し、神経診察を毎日行いました。OSCEや国試の神経分野で勉強してはいたものの、忘れかけていた部分もあったので、すぐに復習しました。異常な神経所見から、脳の障害部位を推測するディスカッションは臨床的で大変勉強になりました。
2,3週目の実習では、1週目よりもはるかに多くの患者さんを見ました。2週目の消化器グループでの実習では、回診や外来に加えて、多くのカンファレンスに参加しました。カンファレンスは私に配慮して、英語でやってくださいました。カンファレンスで強く思い出に残っているのは、C型肝炎から肝臓がんになった患者さんのディスカッションです。ノルウェーでは、C型肝炎に感染すること自体珍しかったようでした。そこで、日本とアジアのB,C型肝炎ウイルスの流行具合を質問されたのですが、漠然とした答えしかできず、先生方は何人くらい?という数字まで気にしていました。もしここでスパっと答えられていれば、自分も参加してディスカッションがより盛り上がったのかもしれないと思うと、悔しくなりました。勉強するうえで疫学的な側面はあまり気に留めていなかったのですが、このやりとりを経て今後勉強していくうえで各疾患の病態や治療のみならず疫学も勉強していくようにしようと思いました。
3週目の泌尿器科グループでの実習は、前立腺がんの患者さんに対し直腸診を行ったことが印象的です。これもOSCE実習で模型に対して行ったことはありましたが、実際の臨床現場で行うのは初めてでした。回数を重ねていく中で、腫瘍の場所や硬さの識別ができるようになっていったのが嬉しかったです。ドクターや患者さんには協力していただき、大変感謝しております。
③ 呼吸器内科
イースター休暇明けの最後の1ヶ月は呼吸器内科で実習しました。4月になると、日照時間がだいぶ長くなり、21時でも明るくて驚きました。すっかり春の空模様でも、気温はまだ氷点下を行ったり来たりしていました。呼吸器内科では、腫瘍グループと腫瘍以外グループで分かれており、両グループを行ったり来たりして過ごしました。この1ヶ月で特に印象に残っているのは、気管支鏡検査です。NTNUの呼吸器内科は、気管支鏡検査を毎日行っており、私は毎日気管支鏡室に足を運びました。日本で行っている検査前の喉麻酔は行わず、麻酔による鎮静と気管支鏡による麻酔によって検査を行なっていました。麻酔導入や一部の気管支鏡操作を、気管支鏡室のナースが行なっていたことが印象的でした。ノルウェーの気管支鏡も日本同様、OLYMPUS社のものが使われており、思わぬところで日本ブランドに遭遇しました。毎日見学して、気管支鏡がいま左右どちらの、何番にあるかまではわかるようになりました。毎日見て、写真と照らし合わせながら復習しても、さらに細かい分岐になると全く追えなくなってしまい、まだまだ機関誌の解剖に関して勉強が必要だと感じました。毎日見学していた成果もあってか、最後の週には気管支鏡を握らせてもらい、操作の練習をさせていただきました。実際の患者さんに対して気管支鏡操作を行うのは初めてで緊張しましたが、模型やシミュレーションでしか練習したことがなかったので大変良い経験になりました。
病棟では主にElena先生がご指導してくださいました。病棟にて先生の患者さんの回診や治療のディスカッションを行い、英語の喋れる患者さんがいらっしゃる時には、初診を取らせていただきました。更に、血ガスを取ることにもチャレンジしました。なかなか1発で針が刺さらなかったのですが、患者さんも「彼の自信のために成功するまでやらなきゃダメよ。」と言って腕を貸してくださいました。初期研修医になる前に採血の鍛錬をたくさん積むことができ、大変良い練習になりました。
毎週木曜日の放課後には、Elena先生が先生激推しのクラシックコンサートに連れて行ってくださいました。クラッシック音楽に関して、教養のかけらも持ち合わせていない私でしたが、気づけば音楽に聴き入っていました。ドヴォルザークの『新世界より』など、聞き覚えのある楽曲の演奏もあり、思わぬところでクラシック音楽の良さに気付かされました。
ノルウェー生活
ノルウェー生活初日は散々でした。というのも、ノルウェー到着日が日曜日だったからです。寮に到着していざ自室に入ってみると、自室にはベッドフレームのみでマットレスがないことに気づきました。機中泊をしていたこともあって身体はバキバキだったので、ふかふかのマットレスに寝たいという気持ちが強かったのを覚えています。当然食べ物もないので、マットレスや食べ物を探しに買い物に行こうと思ってGoogle mapで店を探したところ、店がどこも閉まっていました。ここまで来て、ヨーロッパの国は日曜日に営業していない店が多いという話をようやく思い出しました。泣きそうになったのを通り越して、一人で笑ってしまいました。こういうわけで、ノルウェー生活初日は何もないベッドフレームの中にうずくまって寝ることになってしまったのです。今となっては、だいぶ滑稽な笑い話です。
① 寮
私は、3か月間病院までバスで20分ほどの距離にある学生寮に住んでいました。学生寮は、Sit(the Student Welfare Organization)という組織によって運営されており、場所や寮の形態も様々です。私は、Moholtにある9階建ての寮に住んでいました。各フロアには15人の学生が住んでおり、Moholtにある学生寮の中では最大級です。(大規模で、Moholtの中心に位置しているため、学生たちの間では通称”tower”と呼ばれています。)キッチンとリビングが共用で、バスルームは個室使いとなっており、住みよい快適な寮でした。建物に関して最も驚いたのは、扉が自動であることです。これは、寮だけでなくノルウェーにある建物のほとんどに通じることです。鍵は、日本でよく見るような鍵穴に入れるタイプではなく、ICチップをかざすタイプとなっており、かざして反応すると自動で扉があくという仕組みになっています。おそらく雪が積もって扉があかなくなってしまうことを防ぐ策だと思いますが、なんだか近未来的でワクワクしました。私が住んでいたフロアには、ノルウェー人のほかにドイツ人、トルコ人、スリランカ人、メキシコ人の学生が住んでおり、様々な国の文化に触れることができました。上述したように、キッチンは共用なので、料理中や食事の時間にタイミングよくキッチンに居合わせたメンバーで楽しく会話することができました。彼らが日本では見ないような料理を作っていることもあり、それを観察しているだけでも面白かったです。この寮の特徴は、なんといっても人数が多くにぎやかなことだと思います。放課後や休日に、寮のみんなで集まってパーティーをすることもありました。フロアのメンバーだけで行うものに加えて、寮の建物全体で行う”tower party”と呼ばれるものも経験しました。様々な国から人が集まって行われたパーティーは、陽気に話したり踊ったり歌ったり…、想像以上に賑やかで、最初のころは気後れしてしまいそうでした。これまでの大学生活で、自分なりに盛り上がったパーティーを経験してきたつもりでしたが、海外の学生基準で考えるとまだまだ盛り上がりが足りていなかったのかと反省しました。帰国のタイミングには寮のメンバーがお別れパーティーも開催してもらい、非常に楽しい思い出を作ることができました。
また、Moholtのど真ん中にLoftetという学生共有スペースがありました。Moholtに住む学生なら誰でも無料で使うことのできる施設で、図書室や勉強スペースに加えて、無料ドリンク、ビリヤード、楽器、テレビゲームなども置いてある非常に学生からの需要の高い場所でした。私も放課後の暇な時間に、パソコンを持って調べ物や勉強をしにLoftetへ行きました。そこで知り合って意気投合した学生と、お互いのことを喋ったりプレイステーションでウイニングイレブンをして遊んだりして交流することができました。
Moholtで、たくさんの学生との交流を楽しみながら快適な生活を送ることができました。
② 食事
ノルウェーでの生活で1番苦しかったのは食事です。私はそもそも一人暮らしであるため、生きていくのに必要な自炊スキルは持ち合わせているつもりでした。さらに、日本から食べ物を持参していたのでまず困らないだろうと思っていました。しかしながら、ノルウェーでの生活を始めてから、全く美味しくないパスタを作って食べ続ける毎日となっていました。ノルウェーは物価が高く、気軽に外食することはできないため、不味いパスタを食べ続けねばなりませんでした。私が不味いパスタを作っている一方で、寮のメンバーは美味しそうな匂いのする料理を作っており、悲しい気持ちになりました。一時は食生活に絶望してお先真っ暗な私でしたが、私の食生活を案じてくれた人が小さな炊飯器とお米を送ってくれて、それに甘えて米食生活を送りました。寮に炊飯器とお米が届いた時は、衝撃が走り、歓喜の声を上げました。結局、最初の1週間以外は食生活に全く困りませんでした。ノルウェーの食べ物も楽しまねばと思い、頻繁にスーパーマーケット(主にREMA1000)に足を運びました。日本ほど美味しいものは多くありませんが、ノルウェーサーモン、ブラウンチーズ、フルーツ、ジュース、チョコレートなどは美味しくて何度も食べました。
ノルウェーには食事に関する毎週恒例の風潮として、金曜日の夜ご飯にタコスを食べるというものがあります。私もこれに従って金曜日に、病院や寮でタコスを食べました。本来の風潮では金曜日の夜ご飯なのですが、病院の食堂でランチにノルウェータコスを提供していたので、ランチに先生方とノルウェータコスを食べました。「金曜日にタコスを食べるようになったら、君もノルウェー人の仲間入りだ。」と、歓迎してもらいました。食堂の金曜日のメニューが、毎週裏切ることなくタコスだったことが面白かったです。
寮でも夜ご飯に時々ノルウェー人のフロアメイトがタコスを作って振舞ってくれました。トルティーヤ生地の上に自分が好きな分だけ、具材を載せることができ、満足感の高いタコスを味わえました。一緒にタコスを食べる時は、リビングで決まってバイキングの映画を見せてくれました。バイキングの歴史はなかなか深く、暗い部分もあり、ヘビーな夜ご飯の時間になりました。
③ 交友関係
ノルウェー滞在中には、寮のフロアメイト以外にもたくさんの学生と友達になることができました。
私は、MDECという名大医学部に留学に来た学生と交流するサークルに所属しており、そこで知り合ったNTNUの学生Mariとまず再会を果たしました。Mariに学内を案内してもらい、また、同じタイミングで留学に来ている他の医学生の紹介もしてもらいました。紹介を受け、仲良くなったフランス人医学生とラーメンを食べたり、飲みに行ったりして交流を深めました。彼女らには、ある週末にトロンハイム郊外の山小屋でのcabin tripに誘ってもらいました。cabin tripでは、凍って雪の積もった湖や森の中の散歩、キャンドルナイト、フィンランド式サウナなど今まで味わったことのない経験をすることができ、大満足でした。cabin tripでの個人的なハイライトは、フィンランド式スチームサウナで、薪をくべて温めたサウナ室から出て、雪の中や氷を割った湖の中に飛び込んでクールダウンしたことで、本当に良い思い出です。
Mariは、プライベートでも何度か遊びに誘ってくれました。Mariの家でタコスパーティをしたり、カラオケをしたり、サウナに連れて行ってくれたりしました。Mariたちとサウナに行ったのは4月で、雪は溶けていましたが、クールダウンにトロンハイムの海に飛び込みました。寒かったですが、最高に気持ちよかったです。
4月には、MDECを通じて仲良くなったSunnivaが名大からトロンハイムに戻って来ました。Sunnivaも帰国の準備の手伝いや、パーティー、図書室での勉強などを一緒にしてくれました。1番思い出に残っているのは、ノルウェー寿司を一緒に食べに行ったことです。寿司はノルウェーでも大人気だそうで、どんな具があるのか楽しみでした。海外の寿司は、いわゆる巻き物が多く、イチゴ×エビフライ、ツナ×揚げ海苔など奇妙な組み合わせのものもありましたが、味はどれも美味しくて驚きました。寿司を食べている時に、Sunnivaの友達から箸の持ち方が正しくないことを指摘され、日本人として箸の持ち方を正さなければならないと思わされました。
留学中にできた友達とはSNSでつながっており、今も連絡を取ることがあります。なかなか会える距離ではありませんが、いつか再会を果たしたいと思っています。
休暇の旅行
長い休暇や週末を利用して、色々な場所に出かけました。今回の留学まで、ヨーロッパや北欧に来たことがなかったため、旅行するのも楽しみの一つでした。ノルウェー国内の旅行で見たオーロラやフィヨルドは圧巻で、言葉を失う素晴らしさでした。鮮やかで幻想的に頭上を舞うオーロラを見た夜のことは、一生忘れません。イースターや実習終了後には、私と同じように名大からヨーロッパに留学している友人と、イギリス、ポルトガル、スペイン、オランダ、イタリアに出かけました。ノルウェーには1人で留学に来ており、日本人と関わることもほとんどなかったため、気心の知れた友人と留学中のエピソードを話しながら旅行するのは良い気分転換となり、最高に楽しい時間となりました。
留学を終えて
いざ日本に戻ってくると、滞在中は長く感じた3ヶ月が一瞬の出来事だったかのように感じられました。時の流れを忘れてしまうほどに、充実した日々を過ごせていたのだと思います。この3ヶ月間は、毎日が冒険でした。新しいことを見つけるたびに胸が高鳴り、次第にトロンハイムという街、ノルウェーという国に魅せられていきました。行く前までは完全に未知の領域だったノルウェーという国は、今となってはなじみ深い愛着のある国となりました。毎日雪を降らせる銀色の空、北欧特有のカラフルな建物群、フィヨルドを代表とする雄大で美しい自然、バイキングを想起させる体つきの良いノルウェー人。ノルウェーのすべてを好きになってしまいました。またいつか(できれば夏に)訪れてみたいと強く思っています。
3つの診療科における臨床実習では、机上の勉強や名大での実習で実現しえない密度の濃い時間を過ごすことができました。病院スタッフの方々と、時に患者さんと、英語でやり取りして得た学びは今後の医師生活に生きてくると思います。また、ノルウェーという医療制度が整備された国で、実臨床に間近に触れることができたことも貴重な人生経験となりました。Rune先生が最後にお別れする時に、「Masa、なんのために働くのかよく考えるんだよ。」と仰っていました。ノルウェー人からすると、日本人は働きすぎだという印象が強いそうで、働くことだけに執着するのではなく、いろいろなことに時間を使って自分の人生を豊かに過ごしてほしいとのお話でした。このような視点は、Rune先生のみならずノルウェー人全体に共通する、国民性のようなものだと感じています。私は来年から医師として研鑽を重ねて頑張っていくつもりですが、先生の「Put first priority on your own life.」というお言葉やノルウェーで味わった彼らの国民性を忘れないようにしようと思いました。他の何よりもこうしたノルウェー人の心持ちが高い幸福度に直結しているのだと、ノルウェー人と触れ合う中でわかりました。
私は、ノルウェーでの生活から得た教訓、ノルウェーマインドを頭の片隅に大事にしまっておこうと思います。そして、何か壁にぶち当たって思い詰めてしまう時には、遠い地ノルウェーに思いを馳せながらこの3ヶ月間を振り返りたいと思います。永遠に煌めく思い出が、きっと私に力を与えてくれるような気がするからです。
謝辞
この度の留学派遣につきまして、長谷川先生、国際連携室の先生方、派遣前研修で講義してくださった先生方、アドバイスをくださった先輩方、そして家族や友人、たくさんの方にお世話になりました。この場をお借りして、多大なご支援をくださった皆様に心からの感謝の意を表したいと思います。誠にありがとうございました。
金曜午後の循環器内科病棟にてcake break
キャンドルナイト (cabin trip)
トロムソにてオーロラ観測
台大でのDeep learning
王 劭
私は2024Q1~Q2にかけて、国立台湾大学の救急科と精神科でそれぞれ2週間、合計4週間実習させていただきました。
まず前提として、内科系の場合、台湾大学の方針は交換留学生にカルテを書く権限を与えず、診療への関わりも許さず、基本見学のみです。形は基本現地の学生のポリ班に入り、一緒に行動することになっています。
また、救急科は中国語話者でなければ受け入れ不可で、精神科は英語でも可ですが、中国語できなければ、時と精神の部屋にぶち込まれたような2週間を過ごすことになってしまいそうです。(中国語がわかるだけで評価できます!昔は中国語を話せない学生が来てましたからね。。何もわからないから本当に見てるだけでした。by 精神科 Dr.謝明憲)
しかし、中国語縛りの診療科でむしろ英語だけだとありえないような深い体験ができて、国立台湾大学でディープなラーニング(?)ができたとも言えます。
救急科
救急科での14日間は、最初の2日だけびっしり朝から夕方まで講義を聞いて、残りの日はなんと、当直に入ることになります。日勤(8時~20時)3回、夜勤(20時~8時)2回、準夜勤(12時~20時)2回、小児救急準夜勤(12時~22時)1回、重症エリア(8時~20時)1回、1人あたり9回シフトに入らなければなりません。もちろん自分と関係がありませんでした(笑)。見学したければポリ班のメンバーと連絡して、誰かと入ってもらってもいいよと言われたので、日勤1回、夜勤1回、重症エリア1回ずつ見学させてもらいました。
印象に残ったことは主に2つあります。
1つ目は医学生の医行為に対する許容度でした。上級医と相談して承認を得る必要がありますが、カルテの記載から処方まで、救急患者の対応は普通に一人でさせられていました。現地の学生は卒業を控えているのもあるが(6月末に卒業し、7月1日から研修医になる)、NG(経鼻胃管)とFolly(尿道カテーテル)を自分で入れることになっており、バイクで転倒した患者の眉毛あたりのちょっとした傷口の縫合も任せられていました。(自分もできれば手伝いくらいはちょっとやってみたかったが、何回も確認したところ、やはり交換留学生はprocedure(医療処置)がダメで、手を出せず、見学のみでした。)
とにかく忙しく、医学生も戦力の片端として扱われていました。その理由は台湾の健康保険にあると言われています。台湾は日本と同じように国民皆保険制度ですが、日本のように紹介受診重点医療機関制度が機能していないそうです。保険診療であれば初診料以外の料金は均一であるものの、初診料は病院ごとに自由に決めていいとのことでした。クリニックは初診料が高く、かつ大学病院は選定療養費も徴収していない結果、料金的に変わらないから大学病院を受診したほうがいいと考える患者がたくさん存在しているため、病院全体がとにかく忙しいです。その上、待ち時間が比較的短めで予約も不要だから、緊急でない場合もウォークインで救急を受診してしまう人が少なからずいます。
2つ目は感想というよりも体験で、救急車に乗せてもらったことでした。指導医の張先生が台北市消防局忠孝分隊の医療カウンセラー?のようで、月に1回忠孝分隊に行くことになっています。私が救急科を回っていた頃にちょうどその機会がありましたので、同行させていただきました。生まれて初めて救急車に乗る夢(?)は台湾で叶いました。最初の患者を近くの病院に搬送したのち、帰りに「線上派遣(オンライン派遣)」されて、OHCA(Out-of-Hospital Cardiac Arrest、院外心停止)の患者を乗せることになって、自分の座るところの横にLUCAS(自動式心臓マッサージ器)とAEDが装着されている皮膚蒼白の患者が寝ている状態で台大病院に戻りました。大変インパクトのある体験でした。
ちなみに、救急科の「中国語話者のみ」という制限は、おそらく先生たちが忙しく、面倒を見てくれる余裕がないからだと思います。中国語話者ではなければ、かなり苦しい体験になりそうです。
精神科
精神科は救急科に比べてあっさりしていて、実習内容は主にカンファと回診で、たまに外来見学と講義でした。現地の学生の実習内容も回診とカルテ記載がメインで、診療に関わる機会が少ない印象を受けました。その点では予診を数回取らせてもらえる今の名大の精神科の実習に軍配が上がると個人的に思いました。
全体的なイメージとして、文化の違いによるものなのかは定かではないが、自殺歴のある患者、重度統合失調症の患者が日本に比べて多めでした。台湾語(台湾バージョンの閩南語)をしゃべる患者も多かったので、病棟回診中に話についていけないこともしばしばありました。
精神科での実習の一環として、外病院の見学がありました。台北101のある信義区の片隅に位置する、台北市立連合病院松徳院区(分院)という精神科専門の病院にポリ班全員で訪問しました。レクチャーを聞いてから、病棟や保護室、デイサービスエリアの見学をしました。
デイサービスエリアには特色があり、日本と似たような料理教室や工作教室、書道教室、カラオケルームといった健全(?)なコンテンツもあれば、日本では見たことのない、にぎにぎしく麻雀をぶっているコーナーもありました。また、地下にあるバスケットボールとテニスコートを併設している広い体育館と、ダンススタジオも見学させてもらいました。
感想
今回の留学を通して、とりわけ大切だと思ったことが4つあります。
1つ目は、医学の勉強への刺激を得られたことです。お恥ずかしい限りですが、私は普段あまり勉強しておらず、名大のポリクリだけはそこそこまじめにやっているつもりです。しかし、今回の留学でいきなり患者を任せられた、あと数カ月で国試を受けて研修医になる台湾大学の6年生たちと一緒に実習すると、自分の不勉強が浮き彫りになってしまい、「賢を見ては斉からんことを思う(見賢思斉焉)」というような気分になりました。それに、現地の学生は英語で医学を勉強することになっているため、「そしたらUSMLEの試験問題も読めるよね?」と友達に確認したところ、「内容自体はわかるよ(内容だけなら)」との返事だったので、USMLEの勉強を始めようと思いながらも手をつけていない私はひそかに赤面しました。日本に戻ってきて数ヶ月、猛省しつつ今まで勉強してこなかった分を少しずつ取り返しています。
2つ目は、現地の友達ができたことです。台湾大学の同級生はもちろん、助教たち(診療や教学に直接関わらない、「教学を助ける」管理職)や上級医の先生とも仲良くなって、ある意味では人脈を広げることができました。「台湾の医学は英語を使っているので、もし将来英語圏の国に行きたければ、その前に台大へ実習に来なよ」とも誘われました。ゆかりがほぼない土地との繋がりを持つことができたのも、自分にとっての留学の意義の一つでした。
3つ目は、デジタル化について考えられたことです。私は極めてのデジタル人間で、各種デバイスやアプリなどの新機能をそこそこ使いこなし、普段紙媒体よりも電子版の資料を好んで使っていますので、デジタル化に関しては人一倍敏感です。前文に述べませんでしたが、実は台湾の医療情報システムはかなり進んでおり、保険証1枚で他の医療機関での診療情報を見ることができるほか、私物のスマホやパソコンなどで、院外からもカルテにアクセスできます。もちろん、文化の違いなどで個人情報の取り扱いに関する考え、常識も異なるが、診療情報の統合(複数医療機関、保険証との紐付け)のところは見習う価値があります。少なくとも、私は今回の留学を通して、そのような世界(システム)も存在して、実際に運用されていると知りました。頭の片隅に置いておき、いざというときにこの知見をうまく活用したいと思いました。
4つ目は、国際化について考えられたことです。台湾では、カルテの記載や薬剤の名前がほとんど英語であるところでした。自分だけなのかもしれませんが、日本で医学教育を受けていると、他の国でもカルテは自国の言語で書くと勝手に思い込んでいました。台湾に行く前にも必死に注音輸入法という台湾で広く使われているIME(日本で言うとかな入力とローマ字入力みたいなもの)の練習をしていましたが、結局カルテを書けなかったし、書けたとしてもほぼ英語(一部主訴や地名、病院名などが中国語)で、注音輸入法の出番がありませんでした。薬剤名もほぼ英語でした。病院用の処方薬が英語なら仕方ないと思ったが、台北駅地下のマツキヨで市販薬を手に取って見てみたら、漢方薬以外の説明書に書かれている成分表記も英語でした。なんなら、台湾の医師国家試験の専門用語に英語が併記されており、「むしろ中国語がわからないから英語のほうを見ている」と友達が言っていました。
ちなみに、台湾の医学は少なくとも1950年代から英語のみでしたので、歴史的な慣習らしいです。
自分は最初、日本の医学も英語を全面的に推進して、積極的に国際化すべきだと思いました。その最初の一手はなんと言っても医師国家試験の英語併記です。医学を英語で勉強したいのに、国家試験の準備でまた日本語を覚える必要があるという二度手間が生じてしまうと思うと気が進まないからです。しかし、よく調べたら、看護師国家試験にはすでに英語が併記されるようになっていることに気づきました。なぜ医師国家試験ではなく、看護師国家試験だけだろうと思って、よく考えると、真先に思い浮かべたデメリットの1つは医学の勉強は英語中心であれば、医師の海外流出につながり、ただでさえ医師偏在が悪化してしまうおそれがあることです。逆に海外からの流入も医師過剰の事態を招きかねません。実際は、他の要素もいろいろ絡んでおり、個人的な考えにすぎませんが、深く考えずに国際化を推進すべきでないと、自分の考えが安直であることを思い知らされました。では、一体「国際化」はどこまで進めば、どこに立ち止まればいいでしょう。「国際的」な医師になることの意義は何でしょう。
これから考え続けるしかありません。
謝辞
振り返ってみると、もし今回の留学に行かなければ、一生できないような、まさに一期一会の大変貴重な体験ができました。申請手続きなどで同級生以上に多くの方々にお手数をおかけしてしまいましたが、結果的になんとかやり遂げて感無量です。そのサポートをしてくださった、粕谷先生や長谷川先生を初めとする国際研究室のスタッフ皆さん、心よりお礼申し上げます。
也同樣感謝國立台灣大學醫學院辦公室的助教們、張耀文學長、曾文鴻學長、急診科盧愷儀助教、張家銘医師、台北市消防局忠孝分隊陳小隊長、精神科謝明憲医師、台大M5、M6的同學們。另對張以雯助教表示特別感謝。
期待再會的那天。
5年生救急科レクチャーの様子
台大の助教と鼎泰豊にて
地震で崩れ落ちてきた天井
東大、阪大、国福の友達と、九份にて
高麗大学での実習について
丹羽 智香
私は2024年3月18日から4月19日までの5週間、韓国ソウルにある高麗大学で実習しました。実習開始の1ヶ月程前から韓国中で研修医のストライキが始まってしまい、研修医や現地の学生にあまり会えなかったことは残念でしたが、先生方が非常に優しく丁寧にご指導して下さったため、充実した日々を送ることができました。
高麗大学について
高麗大学は韓国三大大学の一つで、韓国内に3つの関連病院があります。私が実習した安岩病院はダヴィンチを韓国の中でも早くから導入し、ロボット手術に積極的に取り組んでいる病院です。私は乳腺内分泌外科と大腸外科で実習し、ロボット手術を多数見学できました。
乳腺内分泌外科での実習
最初の2週間は乳腺内分泌外科で実習し、手術見学が中心でした。安岩病院での最初の実習であり、英語でのコミュニケーションに初めは不安もありましたが、手術中に先生が何を行っているか毎回解説して下さることがとても嬉しく、質問にも丁寧に答えて下さったため緊張が和らぎました。特に内分泌外科の実習で、安岩病院教授のKim先生が開発したTransoral robotic Thyroidectomy (TORT) を見学したことがとても印象に残っています。TORTでは、下唇の内側に3つの切開を入れてカメラやロボット鉗子を挿入し、そこから甲状腺を切除します。外から見える部分に切開を入れない新しい手術方法です。病変をとるだけではなく、傷口を目立たなくするなど患者に寄り添った医療を提供する工夫が感じられました。
また、私がロボット手術に興味があることを伝えた時に、乳腺外科の先生が一般外科に連絡して下さり、胆石症に対する胆嚢摘出や膵臓切除のロボット手術を見学することができました。これらの手術でロボットを用いることは日本では珍しく、韓国ではより多くの疾患にロボット手術が適応されているのだと改めて実感しました。また、胆嚢摘出で使用されたダヴィンチはシングルポートでカメラと鉗子を入れられるSpであり、日本ではまだ導入数の少ないSpでの手術を見学できたことも貴重な経験となりました。科を超えて柔軟に対応して下さった先生に本当に感謝しています。
大腸外科での実習
その後の3週間は大腸外科で実習し、ロボット支援下によるヘルニア手術や腹腔鏡下の大腸がん手術などの見学に加え、外来見学もさせて頂きました。外来は韓国語で行われましたが、先生が一つ一つの症例を英語で説明して下さり、とても有り難かったです。さらに大腸外科での実習期間中に、テジョン市にて行われたロボット手術のシンポジウムであるKSERS2024やロボット手術センターに先生と一緒に行きました。KSERSでは発表や議論を通して、消化器領域、乳腺内分泌領域でのロボット手術の特徴を学んだり、レセプションでソウル大学の先生や日本から来た医師とも交流することができて、良い思い出となりました。ロボット手術センターでは、まず手術用ロボットの種類や歴史を教えて頂き、その後シミュレーターを通してカメラ操作、アームのクラッチ操作、縫合等、ダヴィンチの操作方法を学びました。ロボット手術に興味のある私にとって、実際にダヴィンチの操作をさせて頂けたことは本当に嬉しい経験でした。
実習が始まるまでは英語でのコミュニケーションや医療英語に不安もありましたが、自分から積極的に質問し、話しかけにいくことを意識した結果、先生方も熱心に答えて下さりたくさんの学びを得ることができました。
韓国での生活
私は東大門歴史文化公園駅のホテルで宿泊していました。ソウル市内の移動では殆ど地下鉄を使っていましたが、東大門歴史文化公園駅は大学から近いだけでなく、様々な路線が通っている駅なので観光もしやすかったです。1人暮らしも1人で海外に行くことも初めてでしたが、治安が良く安心して生活できました。また、韓国の人達が本当に優しく、お店や駅などで困っている時に声をかけて助けてくれる温かい人がたくさんいました。
実習後や土日に関してですが、先生が他の留学生を紹介して下さり、シンガポールやハンガリーからの留学生と過ごすことが多かったです。毎日連絡を取り合い、韓国内の観光地や料理、映画などを一緒に楽しみました。名大からの実習生は私1人であり、韓国の研修医ストライキの影響で現地の医学生にあまり会えなかったので少し心細い部分もありましたが、他の留学生と交流することができ、毎日楽しく過ごすことができました。
今回の留学を通して、様々なロボット手術など韓国の医療を学ぶことができたのはもちろんですが、積極性が身についたと思います。実習先の先生方や看護師さん、他の留学生、KSERSで出会った先生方に自分からたくさん話しかけたり、質問しに行けたことは、大きな成長だと感じています。慣れない環境に身をおいたからこそ自分の殻を破ることができたと思います。
このような貴重な経験をさせて下さった高麗大学の皆様、たくさん相談に乗って下さった長谷川先生、粕谷先生をはじめとする国際連携室の皆様に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
KSERS 会場
ロボット手術センターにて
北京大学―海外派遣臨床実習報告書
山本 吉祥
私は3月から4月末まで北京大学に行かせていただきました。臨床実習は同大学が有する10の関連病院のうち北京大学人民病院(第二病院)にて8週間行いました、そのうち4週間を心臓外科、4週間を循環器内科で過ごしました。
心臓外科では主に担当教官のDr. Hanについて、彼が外勤の際はattendingのDr. Zhangについて実習しました。具体的な内容は次の通りです。月曜日にカンファレンスに出席し、その週のスケジュールを確認し、今後の手術症例について話し合いました。火曜日から金曜日までは、朝の引き継ぎと病棟回診に参加し、その後、手術の見学や助手をしました。手術と手術の間は、CCUでの術後管理を学びました。カンファレンスや病棟回診での会話は主に中国語で行われましたが、Dr. Hanはじめ何人かの先生が必要に応じて通訳をしてくれたので、私は理解することができました。手術件数は大学病院の約2倍で、循環器疾患や悪性腫瘍の合併例も多く、新鮮な経験でした。Dr. Hanは低侵襲手術を専門としており、がん患者の心臓手術に対する見識を深めることができた。特に、前日に貧血を改善するための輸血を受けた慢性骨髄性白血病患者への手術や、右肺がん患者への手術は心臓へ介入後、早期の化学療法を主目的とする治療計画に驚きました。日本で担癌患者は比較的リスクが高いものと判断され、開心術よりカテーテル治療が選ばれやすいと聞いています。当初は1週間ほど手術を見学するだけでしたが、その後は術野に清潔で参加させてもらい、さまざまな手術手技を経験させてもらいました。術前の消毒から真皮縫合、皮下縫合、大伏在静脈グラフト採取まで挑戦することができました。最初はぎこちない手技でしたが、昼休みにフェローのDr. Gauから指導を受けたり、Dr. Zhangから持針器や鑷子などの練習器具を貸してもらったりして、練習を重ねるうちに上達しました。さらに、循環器内科の期間中にも休み時間に手術見学や参加を許可してもらいました。すなわち約2ヶ月間ほとんど毎日手術を見学したり参加したりすることができ、手技上の大きな成長につながりました。この実践的で集中的なトレーニングは実習が始まる前の予想を上回る内容で非常にありがたく感じました。
循環器内科では、attendingのDr. Houについて学びました。朝のカンファレンスや病棟回診に参加し、該当する場合はカテーテル治療や処置に参加し、そうでない場合は電子カルテを見ながら患者の状態や治療計画について話し合いました。電子カルテは全て中国語でしたが、漢字表記なので薬剤名以外は理解することができました。英国留学経験のあるDr. Houは、その留学時に指導された方法を真似て流暢な英語で、私に指導してくれました。例えば病棟回診では、各患者の症例をベッドサイドにて英語で説明した後、治療計画や検査について意見を求められ、積極的に学習できました。また、関連論文(NEJMなど)を薦めてくださり、読後に私の質問への対応に加え、解析手法に関しての講義もしてくださいました。さらに外来では、中国の保険制度、処方規則、疫学について学びました。名古屋大学病院の数倍以上の件数(1日40件以上)が行われたカテーテル室では、症例の多さと医療チームの手際の良さに感心しました。また、米国で画像検査(OCTやIVUS)の研究をされていたProf. Liuにお会いする機会があり、高度な知識を得ることができました。さらに、各カテーテル治療後には、Dr. Houと冠動脈造影の結果を評価し、各区間の狭窄度について話し合い、マンツーマン指導により狭窄度判定の大幅な向上を図ることができました。緊急カテーテル治療も見学しました。私たちの大学病院ではプライマリーPCI(緊急PCI)を見学した経験がなかったので、とても印象的でした。PCI前の患者さんの状態(胸痛など)が15分以内にPCI後に劇的に変化することに驚きました。さらに、プログラム最終日には、ヘパリン起因性血小板減少症について発表する機会を得ました。私はこの期間中にこの病気の患者さんに遭遇しましたが、この病気はPCIだけではなく心臓手術においても重要な危険因子です。循環器内科の実習もインプットとアウトプットがバランスよく組み合わさった素晴らしいものでした。
実習以外では、Mr. Shiを含む3人のボランティア学生が私をサポートしてくれました。特に最初の1週間は、顔認証の登録や寮の支払いなど、病院外職員とのコミュニケーションが必要で、中国語が話せない私にとって彼らの助けは非常に役立ちました。その後も、観光や食事を共にして、学生生活や将来の夢について語り合い、絆を深めていきました。また、Dr. Houとの毎日の昼食では、杜甫や李白の漢詩、少数民族の衣装や生活様式、郷土料理などの中国文化を学び、中国への親近感を深めました。発音の違いこそあれ、日本と中国の文化的な共通点を多く発見し、中国への親近感が深まりました。他にProf. Xuには派遣先決定後から留学期間中にわたりビザ申請や公安局への届け出、担当教官の選定など多岐にわたりサポートしていただき、大変感謝しています。
最後に、このような最高のチャンスを与えてくださり、私を支えてくださった名古屋大学国際課の先生方に心から感謝申し上げます。この貴重な経験と人脈を大切にしていきます。今後もこのプログラムが継続され、より繁栄していくことを願っています。
循環器内科の先生方と私
ナースステーションにて
心臓外科の先生方と私
Dr. Gau, I, Dr. Han, Dr.Zhang
(左から順に) CCUにて
Dr. Hou 夫妻とMr. Shiと夕食
万里の長城にて