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(順不同、以下原文まま)

留学体験記

上岡 優介

私は2023年3月から1ヶ月間、アメリカのボルチモアにあるジョンズホプキンス大学の感染症内科で1ヶ月間実習させていただきました、上岡優介です。1ヶ月間という短い期間でしたが、貴重なかけがえのない経験をしました。私が過ごした実習生活や日々の生活について、紹介させていただきます。

【留学前】

今回の留学はコロナ明けで4年ぶりの再開ということで、留学前の準備がとても難航しました。名大内ではジョンズホプキンスで留学できることが決まっていましたが、実際に先方の学務から留学受け入れの連絡が来ず、留学予定の1ヶ月前になっても本当に留学できるか未定の状況でした。担当の方に直接電話し、なんとか受け入れが決まりましたが、その後大慌てで生活の準備に入りました。

従来2から3ヶ月だった受け入れ期間が1ヶ月に短縮したせいか、病院附属の寮費がとても払えないほど高額になっていたため、寮に住むのは断念しました。大学近くのマンスリーアパートを探して大家さんと連絡を取り合い、なんとか住む場所を確保して、一緒に留学にいく同級生とシェアハウスすることになりましたが、大学のあるボルチモアが治安の悪い場所だと聞いていたため、無事生活して帰ってくることができるのか不安は積もるばかりでした。

【病院と感染症内科について】

私はこの度、ジョンズホプキンス大学の分院であるBayview Medical Centerの感染症内科で実習させていただきました。この病院は本院からバスで20分のところにあり、複雑な手術や疾患の多い本院と比べてより軽症から重症まで幅広く地域住民を受け入れる砦のような病院でした。

感染症内科では、合併症を多く抱えた感染症や、重度の敗血症・菌血症など、込み入った感染症診療のコンサル業務を行ないます。若手のFellow(日本でいう専攻医)1人とベテランのAttending(日本でいう指導医)の先生1人がチームで診療にあたり、毎日平均4件ほどのコンサルをこなします。また、コンサルされた患者の中でも容態が落ち着いたり治療方針が立つまで時間がかかったりする患者は感染症内科が副科として担当します。

1日の流れとしては、朝イチに前日の夕方から朝までにきたコンサルを確認し、カルテから患者の背景や入院までの流れ、現在の検査結果やコンサル理由を把握します。Fellowは午前中に患者さんを診察してまわり、午後イチでAttendingと感染症専属の薬剤師とカンファレンスで話し合った後、午後に再びチーム全員で患者を回診していきます。コンサルされる患者さんの入院場所は一般病棟からICU、CCU、ときには救急外来まで散らばっており、病院中を歩き回って各科の医師やナースたちと連絡を取りながら的確にアドバイスしていく先生方の後ろ姿はとてもまぶしく見えました。

【実習について】

実習内容としては、まず先生の後ろについて回り診察とカンファの見学から始まりました。初日は、先生の担当患者のリストを渡され、「今から診察行くからついてきて」と言われて付いていったものの、初めての病院は迷路のようで、先生の説明は早口すぎて半分も聞き取れず、質問しようにも何を質問していいのかわからない、という散々なものでした。これでは何も得ずに実習が終わる、と強い危機感を感じたのを覚えています。

そこで少しずつでもやれることを増やそうと思い、先生方より早く病院に来てカルテで患者の情報を集め、昼ご飯を食べながらUp-To-Dateで標準治療を調べ、とにかく先生に質問するネタを探し、カンファや回診中に質問し続ける日々が続きました。アメリカでは同じ電子カルテシステムを使っている病院同士なら、同じ患者の他院での入院記録や培養検査を見ることができます。便利な反面、情報が煩雑で、診察に必要な既往歴や抗菌薬の使用歴1つ見つけるにも時間がかかりました。

2週目からは実際に患者を担当するようになり、はじめはFellowが診察している様子を見てカンファでは自分がFellowの診察内容とカルテの情報を発表しました。次第にFellowの前で自分が患者に問診するようになるも、うまく話を進められず問診の途中で上の先生に話を遮られることも多々あり、悔しい日々は続きました。先生の患者への話し方や聞く内容、カンファで注目しているポイントをメモしてはすぐに真似していくにつれ、徐々に「1人で患者から話聞いてきて」と任せてもらえるようになりました。最終的には、患者の診察から、アセスメントとプラン立て、カンファで発表、カルテ記載までをすべて1人で行えるようにまでなり、成長を実感するとともに少しではありますが自分の自信にもなりました。

日本で実習をしていた頃は、培養検査の結果だけを見て感染症なのだと判断していました。しかし、先生方から「培養検査の陽性が本当に感染を意味しているのか」「その細菌はいつどこから体内に入ってきたのか」「適切な抗菌薬の種類・量・期間は」と毎日質問をあび、一つずつ調べて考えていくにつれ、患者の病歴・所見・検査結果を適切に解釈して組み合わせ、目の前の患者に起こっていることを一つのストーリーとして導き出す、という感染症診療の基本であり極意を深く学ぶことができました。この経験はただ一実習としてだけでなく、これからの医師人生を送る上でも自分の血肉となって役立っていくだろうと感じています。

感染症のコンサル業務を実習するほかにも、世界的に有名な感染症の先生や、現地の院内感染対策の方々(日本と違って元看護師さんや公衆衛生学部卒の方がやられていました)、同じ名大出身で現在ジョンズホプキンス大学の教授をやられている先生と直接お話する機会、また現地の医学生と一緒にレクチャーを受ける機会もありました。なかなか向こうから一留学生に対して話しかけていただくことは少なかったですが、自分から話しかけにいき質問をしていったときには、親切に歓迎され色々なお話しを聞かせてもらうことができました。海外の慣れない病院で実習する中で改めて、自分で何をしたいか考え、自分から行動を起こす大切さを実感することができました。

【実習の隙間で】

1ヶ月という短い期間でしたが、隙間を見つけて週末には同級生の王くんとともに近隣の街に旅行にも行き、観光からスポーツ観戦、音楽鑑賞まで隙間時間で羽を伸ばしました。中でも、人生初のミュージカルや、MBAやNBAといったスポーツの観戦は迫力がものすごく、とても楽しかったです。ある金曜には、指導医の先生にHappy Hourで飲みにつれてっていただき、先生の過去の研究話や地元トークで盛り上がりました。現地で知り合った医学生の子ともご飯を食べに行き、日本でまた会おうと約束したのもいい思い出です。

【最後に】

今回このような大変貴重な経験をサポートしていただいた、粕谷先生や長谷川先生を初めとする国際研究室のスタッフ皆さん、大学入学時から医学英語の授業をしてくださったイッツェル先生、受け入れ先のジョンズホプキンス大学の先生方やスタッフ、一緒に生活した王くん、そして両親にこの場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


現地の医学生と

先生方とのHappy Hourにて

ジョンズホプキンス大学病院での一月

王 然

私は、2023年3月から4月の間、四週間ジョンズホプキンス大学病院(以下、JHHと略す)小児血液内科で実習させていただきました。ここで、実習の典型的な1日を中心に紹介させていただきます。

小児血液内科は主に午前中の病棟業務と午後の外来業務に分けて行われています。小児血液内科に入院している患者は常に約5−6人いますが、私はそのうちの一人を担当します。朝は夜勤帯の先生から申し送りを聞き、早朝のカルテ確認と回診前の挨拶と身体診察を行います。最初の一週間はレジデントの先生と一緒に回り、カルテのどのようなものを確認すればいいか、その上身体診察に何を確認するかを学びました。そのあとの三週間は、自分の担当患者のところに一人で回診するようになり、患者の病態と変化、本日の治療などを考えます。それらを全部まとめて、集合前にカルテに朝回診時のプレゼンテーションの元を作ります。

回診はアテンディングの先生一名、フェローの先生一名、レジデントの先生二名と自分が行います。患者の病室に入る前に、担当するレンジデントの先生か自分がプレゼンテーションし、入院経過、現在の状況と今後の治療方針について発表します。この時に、ただ現状報告だけでなく、今後の治療の提案をする上、フェローの先生とアテンディングの先生がアドバイスや、その認可をいただきます。これらをすべて議論した上、患者に確認したい問題点をピックアップし、病室に入ります。

JHH小児血液内科では回診は約一人に30分以上かけて、まず緊張をほぐし、その後に丁寧に子どもにもわかりやすく病状を説明することが非常に挑戦的でした。さらに、患者本人だけでなく、保護者にも説明する必要があるため、先生方の回診を真似しながら、自分の担当患者とその家族に話をします。時に言葉の壁にぶつかる時には、後ろに控えている先生方が優しくフォローしてくれました。いつも頼もしく感じながら、翌日頑張るとモチベーションも上がります。回診が終わった後にアテンディングの先生からのフィードバックをいただきます。優れた点や改善点を含めて、時にミニレクチャーもしてくださいました。

全員の回診がおよそ昼頃に終わりますが、この後に外来が始まります。自分を含めてレジデントの先生が先陣を切り、外来患者から話を聞きます。そこで得た情報をまとめて、アテンディングの先生にプレゼンテーションします。患者一人一人に対し議論を重ね、方針が決まった後にアテンディングの先生と一緒に再度診察室に戻ります。アテンディングの先生の診療を見学した後に、フィードバックとレクチャーを受けます。

以上が典型的な1日でした。おそらく感じたと思いますが、かなり自主性と教育性に富んだ医療現場だと思います。私はこの一か月の実習で、日本と異なった患者の接し方と診療を体験しました。実習初日に二人の外来患者の問診を任された驚きもありながら、回診しながらミニレクチャーを受けられる嬉しさと、卒業年数に関係なく、治療方針の議論を厚く行う雰囲気もとても変え難い経験でした。貴重な留学機会をくださった国際連携室の先生方と、JHHの先生方に心より感謝申し上げます。そして、この経験を活かし、将来の医師人生のつなげることを信じ、ここで筆を擱きます。

留学体験記

竹井 いずも

青い空に歴史ある建物。所々に桜が咲き、テラス席にはビールと音楽を楽しむ人々。
私が5週間過ごしたミュンヘンはそんな街でした。
爽やかで温かい街並みとは裏腹に、ミュンヘン中央駅に初めて降り立った私の心はいつになく動揺していました。留学初日、ストライキによってほとんどが運休となった街の公共交通機関。ドイツに入ってなぜか通信ができなくなったSIMカード。しかし同時に、とてもワクワクしたのを覚えています。――初日にこんなハプニングがあったんだから、これ以上悪いことは起こらない。きっと、いい留学になる。

<実習について>

ミュンヘン大学はバイエルン王の名前をとり、ドイツ語でLudwig-Maximilians-Universität München(LMU)と呼ばれます。X線を発見したレントゲンが研究を行っていた大学でもあります。医学部のキャンパスは、中央駅の近くと市中から離れたGroßhadernにそれぞれあり、私が主に実習を行っていたのは後者でした。LMUでの実習は他の大学の実習とは少し異なり、前半の3週間は大学が主催するWinter Schoolに参加しました。Winter SchoolはNeurology DepartmentとOncology Departmentで行われており、私はNeurology Winter Schoolに参加しました。今回のWinter Schoolに参加していた学生は約30人で、そのうち半分はLMUの学生、残りはヨーロッパをはじめ、ブラジルやメキシコ、インド、タンザニアなど世界各地から集まった学生でした。留学生はLMUの学生とそれぞれペアになり、同じ病棟で実習を行います。私のstudy buddyは5年生の女子学生で、優しく責任感の強い子でした。

Neurologyの朝は8時に始まります。まずは大きめのスクラブに着替え、入院患者さんの採血をします。LMUの学生は日本の研修医のようで、採血からルート確保、局所麻酔なしの強気の腰椎穿刺まで自分で行うことができます。患者さんも協力的で、学生の医療行為を拒む人はいませんでした。私が採血に失敗してしまったとき、「Learning by doing!」とやり直しを許してくださった温かい言葉は、今も心に残っています。採血が終わると、学生とResidentによる病棟回診を行います。私が実習を行った病棟には、脳腫瘍や感染症、神経免疫疾患などの患者さんが10数人いました。回診はドイツ語でしたが、study buddyが要点を英語で説明してくれたので、Residentと症例について話したり質問したりすることはそれほど難しくありませんでした。回診後は、新規の入院患者さんの問診と神経診察を学生が行い、その内容をResidentに報告します。診察はstudy buddyと手分けして行い、英語が話せない患者さんの場合は通訳もしてもらいました。その他、Neurology Department全体の症例報告会が週に2回、Chief Professorによる回診が週に1回ありました。

食堂で昼食をとった後は、Radiologic conferenceに参加したり、カフェでコーヒーを飲みながら友人たちと雑談をしたりしていました。午後の実習は主に座学でした。内容は脳梗塞や神経変性疾患、てんかんなど神経疾患全般の講義、小児神経病院への訪問、case discussionなどです。講義では、臨床現場の診断に沿った内容や基礎研究について、fMRIの仕組みについてなど幅広く学ぶことができました。また、リハビリテーション病院の見学をしたときには、外骨格ロボットやゲーム形式のトレッドミルを体験しました。

後半の2週間は神経変性疾患の外来で実習をさせていただきました。また、神経内科の他に血液内科にも興味があったので、白血病の研究を行っているLMUの友人に研究室を見せてもらうこともできました。神経変性疾患グループの外来はmovement disorder外来とdementia外来に分かれており、それぞれ1週間ずつ回りました。movement disorder外来では、パーキンソン病や多系統萎縮症、進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核症候群、ハンチントン病、本態性振戦の患者さんを診た他、頸部ジストニアに対するボツリヌス療法も見学しました。大脳皮質基底核症候群はかなり珍しい疾患で、実際にalien handを見ることができたのは貴重な経験でした。dementia外来の患者さんはアルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症が中心でしたが、Down症候群のフォローアップや神経心理学的検査も見ることができました。外来での診療ももちろんドイツ語で行われており、毎回英語で説明してもらわなければならないことや泣いてしまった患者さんに何の声も掛けられないことにもどかしさを感じたこともありました。しかし神経疾患の症例を学ぶ上で、言葉の壁があることは悪いこととは言い切れません。言葉がわからないからこそ、診断に重要な身体所見や患者さんの感情の動きに集中することができます。今では、この留学の経験のおかげで、患者さんをよく観察できるようになったと胸を張って言えます。

<日本と違うところ>

1. practical vs. academic


ドイツでは学生が手技を積極的にやらせてもらえたり、講義でも具体的な問診内容や薬の一般名が問われたりとpracticalな印象を受けました。一方日本の学生は、三大〇〇といったものや疾患の責任部位、薬の作用機序という教科書的な知識を中心に学びます。どちらもメリット、デメリットはありますが、どちらが良い悪いということは言えないと考えています。なぜなら、LMUの学生より自分の知識量は劣っている、同じ場で議論し合えないほど自分の知識が足りないと、留学中1度も感じなかったからです。臨床実習まで進んだ学生なら、自信を持ってこのWinter Schoolに参加することができると思います。

2. Doctorと呼ばれる人たち
ドイツでは、学位論文を書いていない人は医師であってもDoctorと呼ばれません。学位論文を書くために1、2年卒業を延ばす学生もいました。大学病院に勤める医師だけでなく、学生も研究に興味を持ち、積極的に研究できる環境があることを羨ましく思いました。

3. 自分の学びは自分で作る
自分自身でカリキュラムを組み、学びの少ない講義に対しては「もっとこういう話が聞きたかったのに」と批判をするLMUの学生や、英語での説明が不十分であったことについて抗議のメールを送っていたブラジルの学生の姿を見て、日本の教育環境に甘えていた自分を恥ずかしく思いました。

4. プライバシーの問題
ある朝の回診で、3人部屋の1人の女性のもとを訪れました。Residentとその患者さんが話すドイツ語を聞き取ることはできませんでしたが、理解できたことは「Multiple Sklerose」という単語とショックを受ける女性、その隣に2人の患者。私が実習を行っていた病棟には、面談室がありませんでした。医師は仕方なく他の患者さんがいるところで診断名を告げるしかないと聞きました。日本での実習では見たことのない状況に衝撃を受けたと同時に、日本ではきちんと患者さんのプライバシーが守られていると改めて思いました。

<ミュンヘンでの生活>

Winter Schoolの間はOlympia parkにある学生寮の1室が提供されました。ベッド、デスク、キッチンおよび食器類、トイレ、シャワールームが全て付いており、部屋もそれなりにきれいでした。敷地内にはスーパー、ベーカリー、バー、ATM、郵便局、コインランドリーがあり、生活するのに困ったことは特にありませんでした。寮を出た後はAirbnbで見つけた部屋に移動しましたが、そちらでも快適に過ごすことができました。

留学中は1日も無駄にしたくないという思いから、平日の実習後は友人とご飯に行ったり、美術館やバレエ鑑賞に行ったり、ビールの飲み比べやソーセージの食べ比べをしたりしていました。また、休日はWinter Schoolのレクリエーションに参加したり、1人で郊外へ日帰り旅行をしたりしていました。レクリエーションにはNeurologyだけでなくOncologyの学生も参加していて、親交を深めることができました。歴史や芸術が近い環境の中、それらと触れ合えたことで、実習中でもリフレッシュすることができました。

ミュンヘンではLMU-NU Collaborative Online USMLE Review Classesに一緒に参加していたLMUの学生とも会うことができました。渡航前からいろいろな相談に乗ってもらい、現地では街の案内もしてくれました。週末にヨーロッパの他の大学に留学していた名古屋大学の学生がミュンヘンを訪れた際には一緒に食事をしました。

<最後に>

5週間の留学中、心に留めていたのは留学前研修で坂野先生がおっしゃった言葉でした。――自分にできることを精一杯やる。はじめは実習における実力の話だと解釈しました。そして案の定、自分の英語力の低さを痛感しました。そんなとき、study buddyにこんなことを言われました。
――You are always positive. You always say “Yes! I want to do it!”.
私にできること。それは、毎日真面目に実習をすること、時間を守ること、常にポジティブなYesマンでいること。実力は確かに必要です。しかしそれ以上に、自分の姿勢が自分の評価を作っているのだと思います。
最後に、この留学をサポートしてくださったすべての方に感謝申し上げます。


USMLEクラスの友人たちと

Residentsと

Winter schoolの友人たちと

神経変性疾患外来の先生方たちと

ウィーン医科大学での8週間の海外派遣留学を終えて

木下裕香子

私は2023年3, 4月の8週間、ウィーン医科大学における海外派遣留学に参加させていただき、大学総合病院(以下AKH)の小児科、放射線科、産婦人科・乳腺外科、麻酔科の計4診療科にて各2週間実習をさせていただくことができました。本体験記では特に印象的であった、小児科、麻酔科での実習に焦点を当てて書かせていただきます。

AKHでの初めの2週間では小児科の中でも初週にNICU、2週目に小児循環器科を回らせていただきました。5年次の小児科ポリクリで小児循環器科の患者さんにお会いする機会がなかったため、2週目では教科書でしか見たことのない疾患を持つ患者さんのいらっしゃるチームで実習ができたことが特に非常に勉強になりました。さらに、小児循環器科実習では、病棟リーダーの先生から、学生のみで患者さんの身体診察、心電図解釈をトライして、サマリーを指導医に報告するという課題を頂いたため、毎日複数の先天性心疾患の患者さんを自分で身体診察し、特に聴診の結果を踏まえて、一緒にローテーションをしていたエラスムスの学生と診察所見を議論し、心電図の解釈も交えて患者さんの病態を説明するというトレーニングができました。患者さんのご家族にも大変ご協力いただき、毎日ステーションにいらっしゃるほぼすべての患者さんと新規患者さんを診察して、さらに患者さん毎の所見を比較することで、日毎に自分の聴診スキル、診察スキルが向上するのを実感できました。また小児循環器科が担当するカテーテル治療にも参加させていただき、小児循環器科だけでなく、患者さんをどう鎮静するかという自分の興味分野である麻酔科の勉強も兼ねることができたので、大変有用な機会となりました。

一方、最後の2週間でローテートした麻酔科では、外傷外科専属の麻酔科チームにて2週間実習をさせていただきました。外傷外科のステーションは予定外傷手術の他に、救急搬送される外傷患者のファーストタッチも担当しており、麻酔科の実習生として、手術麻酔だけでなく、ショックルームの対応にも参加させていただきました。さらに、自分の興味分野であることから、レジデントの先生について、一般麻酔科の夜勤帯にも参加させていただき、ヨーロッパ最大規模であるウィーン大学の麻酔科を幅広く見学させていただく機会も得ました。留学前の名大病院での麻酔科実習の知識を踏まえて、ウィーンと名古屋の麻酔方法の違い、使用薬剤の違い、手術部勤務体制の違いなどに気づき、AKHの麻酔科の先生方とその違いについて、論文や各国の規則などを基に議論ができたのは、改めて名大病院での麻酔科実習を振り返り、その特徴を知る大変教育的な機会となりました。

放射線科や産婦人科も含めて全体を通して、どの先生も大変熱心に教えてくださったこと、患者さんとの言語の壁をフォローしてくださったこと、また現地学生ともお互いの学びを深め合えたことなど、皆様に支援協力していただけたからこそ非常に充実した8週間となりました。8週間で得た貴重な経験を必ず、自信の将来の麻酔科としての技能、知識だけでなく、国際性のあるキャリアへと繋げていこうと思っております。本留学を実施するにあたりご尽力いただきました名古屋大学医学部国際連携室粕谷教授、長谷川先生はじめ、ウィーン医科大学国際交流部の先生方、関わらせていただいた全ての先生方、学生さんにこの場をお借りして心より感謝申し上げます。有難うございました。


ショックルームでの救急搬送患者対応の準備中

ホストファミリーとのイースターパーティー

小児科ローテで参加させていただいた
小児の緊急対応シミュレーションセミナー

名大で仲良くなったウィーン医科大学生とのお別れパーティー

2023年ウィーン医科大学留学体験記

山中 滉介

先生方のご尽力によって実現し、諸先輩方によって継承されてきた、この派遣留学プログラムに参加させていただけたことを大変嬉しく思います。この度、2023年3月6日から4月28日の2ヶ月間、オーストリアの首都ウィーンにありますウィーン医科大学の病院にて実習をさせていただきました。

〈ウィーン医科大学について〉

ウィーン医科大学病院は現地でAKH(Allgemeines Krankenhaus:総合病院)と呼ばれ、オペラ座や王宮といった観光地のひしめく市街地からそう遠くない距離にあり、オーストリアに4つある公立医学校の中でも最大規模を誇る病院です。1365年、神聖ローマ帝国時代にウィーン大学の中の医学部として設置され、2004年にウィーン医科大学として分離して現在に至るそうです。そのため、ウィーン大学とはキャンパスが近く、留学中にウィーン大学の学生たちが開く交流会にも何度か足を運びました。特に、日本語学科の学生が主催していたウィーン水曜語学交流の会では、数人と友達となり、出身国のことや趣味などについて様々な話を聞くことができました。大学の近くには、ハプスブルク家マリアテレジアの息子、ヨーゼフ2世の名を冠するJosephinumという医学博物館があり、18世紀に医学教育のために作られた多数の蝋人形の解剖模型や、オーストリアにおける医学の歴史が展示されていて、先人たちの努力や、戦争の時代を通じた医学の発展に触れることができ、興味深かったです。また、ウィーン医科大学は、胃切除術のビルロート法で有名な外科医のビルロートがかつて外科の教授を務め、さらに、ABO式血液型を発見しノーベル医学生理学賞を受賞したランドシュタイナーを輩出した大学でもあり、研究、臨床ともに活発な大学でもあります。地下鉄6番線の駅から直結しており、21階建ての大きな病棟を構え、病床数1732床、手術室およそ50部屋、学生の数は一学年約600人という、日本よりもかなり集約された、想像以上の規模の病院は大変刺激的でした。

〈実習について〉

ウィーン医科大学では心臓外科、呼吸器外科、放射線科の3つの診療科で実習をさせていただきました。

・心臓外科:ウィーンに着いて最初の2週間は、心臓外科にて実習をさせていただきました。心臓外科では、毎朝7時半から、30〜40人ほどでカンファレンスを行います。カンファの後は、オペ室を5つほど同時に使い、活発に手術が行われており、毎日異なる手術を見ることができました。多くの手術を見させていただけたのが大変勉強になったのに加え、現地の6年生から多くの刺激を得ました。ウィーン医科大学の6年生の1年間はpractical yearと呼ばれ、彼らはお給料をもらいつつ、日本でいうならば学生というよりも研修医のように働いていました。手術のアシスタントや病棟業務をこなしながら、知識も豊富で多くのことを気さくに教えてくれ、大変助かりましたし、自分も負けていられないなと気持ちを新たにしました。また、毎日手術を見る中で、先生同士、あるいは先生と看護師のスタッフの方が、手術後に握手を交わし、「Well done, Dr.○○.」「Danke.」などと、お互いをしっかりと労いあって手術を終えていく姿が印象的でした。

・呼吸器外科:肺移植の件数が世界的にも多く、名古屋大学からも先生がよくご留学されている呼吸器外科での実習は、今回の留学の中でも特に楽しみにしていたものの一つでした。呼吸器外科ではオペ室を2つほど使い、毎日4-6件ほどの手術が行われていました。肺癌の葉切除のみならず、気管支と肺静脈もあわせて切除する拡大切除や気管支食道瘻の閉鎖といった日本では経験できなかった症例を見学することもできました。日本のみならず、イタリア、スペイン、イスラエル、コスタリカ、インドなど各国からフェローの先生が来られていて、フェローの先生方にもご指導いただきました。
肺移植については、毎週手術が行われるほど活発でした。専用機で空港を経由して運んでこられたドナー肺はEVLPという機械に繋がれ、換気や保護液の灌流により、長時間の安定保存と障害の評価をされ、移植できると判断された場合に手術が実施されます。手術は大抵夜に始まって深夜や早朝に終わり、その点が少し大変でした。しかし、気管支、左房、肺動脈を綺麗につなぎ合わせ、血液が抜けて白くなっていたドナー肺がレシピエントの胸腔の中で再びピンク色に染まる手術は、大変感動的でした。

・放射線科:後半の4週間は放射線科にて実習をさせていただきました。まず驚いたのはその規模の大きさです。検査や読影、IVRのために6-8階の3フロアにわたって多数の部屋があり、100人規模の放射線科医が働いていました。部門は細かく分けられており、例えば、CT読影室の中でも、外科系、内科系、救急、神経系などに分かれていました。毎日、違う部屋、違う先生について、胸部X線読影、腹部MRI読影、PET-CT読影、エコー検査、肝臓や腎臓の生検など、他にも様々な症例を見ることができ、病変の所在を先生とともに議論する機会もありました。放射線科の先生方は大変優しくて、教育熱心な先生が多く、4週間を充実して過ごすことができました。また、先生方とゆっくり話す機会も多くあり、日本に関心を持ち、良い印象を抱いている方が予想以上に多く、嬉しく感じました。レジデントの期間をロンドン、パリなど他国で経験されている先生方の話を聞き、ヨーロッパならではの国を超えた働き方を感じました。

ウィーン医科大学における上記の実習以外に、名古屋大学ご出身で、ウィーンの市中病院で働かれている先生にもお会いし、一度市中病院での様子を見学させていただくことができました。先生には大変お世話になり、先生の経歴やお話を大変興味深く聞かせていただきました。さらに、その先生のお知り合いで、ウィーン医科大学を卒業し、現在はオーストリアの別の大学病院で働かれている先生から、エコーの実習をしていただく機会もあり、大変勉強になりました。ありがとうございました。

〈休みの過ごし方〉

ウィーンの街は見どころに溢れた素敵な街でした。街の各地にベートーベンやモーツァルトといった有名音楽家たちの像が立ち並び、オペラ座や学友協会などの立ち見席で素晴らしい音楽を高くない値段で堪能することができたのは自分にとって嬉しい経験でした。モーツアルトが家族とともに過ごした家や、ベートーベンが療養した家などが博物館となっており、音楽家たちがどんな状況で曲を作ったのかに思いを馳せることができました。クリムトやエゴン・シーレといったオーストリア出身芸術家の絵画が飾られた美しい美術館や、美味しいコーヒーと多種多様なワインも魅力的でした。

(留学を終えて)

2ヶ月を通して感じたことですが、医療スタッフの数が多く、留学生も多く出入りするウィーン医科大学では、いつどんな留学生が来るのかを把握することはほとんど難しいと思います。手術室では、手術に関わるあらゆるスタッフに自分が日本からきた留学生であることを自己紹介し、この手術に入らせてほしい、あるいは見学させてほしいという旨を、毎度伝える必要がありました。これは現地の学生も常にそうしていました。そのおかげで円滑な実習ができたと感じましたし、不安でわからないことがたくさんある中でも、積極的に話しかけていく自らの姿勢が、チャンスを切り開いていくということを理解し、実感することができました。

最後となりますが、コロナウイルスの流行で懸念されることも多い中、このような貴重な機会を設けてくださった、粕谷先生、長谷川先生、Itzel先生、Branko先生をはじめとする国際連携室の皆様、事前研修でご指導くださった先生方、受け入れてくださったウィーン医科大学の方々、現地でお世話になったすべての皆様に感謝申し上げます。
この経験を活かしまして、患者や医療に貢献できる医師となれるよう、今後も努力して参りたいと思います。

留学体験記

袴田 樹里

私はポーランドにあるグダンスク医科大学で8週間の実習をさせていただきました。初めてのことが多く慣れない寮生活で不安もありましたが、日本でも現地でも多くの方が支えてくださり大変有意義な時間を送ることができました。一部にはなりますが私が体験してきたことを紹介します。

・生活に関して

グダンスクはバルト海に面するポーランドの主要な港町です。治安も良く物価も安いので非常に住みよい場所でした。自然が豊かな一方で、交通機関も発達しておりショッピングモールなどの施設も充実していたので生活で困ることはありませんでした。
私たちは大学の寮で生活を送りました。病院から徒歩で15分程の場所に位置しています。一人部屋が与えられ、基本的な家具は揃っており、追加で用意するものは特にありませんでした。洗面台は部屋の中にありますが、キッチン、シャワー、トイレ、洗濯機は共同です。私たち以外の留学生もたくさん住んでおり、イタリア人がパスタを振舞ってくれたり、逆に私たちがお好み焼きを作って一緒に食べるなど、寮の中でも他の学生との交流を持つことができました。

・実習内容、学校生活に関して

グダンスク医科大学の最大の特徴は国際色豊かな点です。Polish DivisionとEnglish Division(ED)の二つのコースがあり、EDには様々な国の生徒が在籍しており、またERASMUSというEU間での留学制度で派遣されている留学生も非常に沢山いました。ヨーロッパでありながらインド系やアジア系の学生もおり、様々な文化の違いを体験することができました。私たちはEDの実習に参加させていただき、英語で実習を行うことができました。公用語はポーランド語なので外来での実習では先生が通訳をしてくれる場面もありましたが、若い患者さんは英語が喋れるので直接病歴聴取できる機会もありました。実習の制度は名古屋大学と同じように4、5年生の間は少人数の班に分かれて1週間〜1ヶ月ごとにローテートして全ての診療科で実習を行ったのち、6年生ではいくつかの診療科を選択し、長めの期間でフィックスして実習を行なっているようです。
私は産婦人科、小児科、小児外科、泌尿器科、Family Medicineの5つを回りました。どの科目も最後の日にテストがありました。形式は多選択肢問題または口頭試問で、口頭試問では1問1答の質問ではなく、症例を用いて班員と先生でディスカッションしながら知識を確認していく、といったPBLのような雰囲気で新鮮でした。また、講義もたくさんあり、肥満についての講義が重要視されていて日本との違いを感じました。小児科では保護者に病歴を取り実際に身体診察をしたり、泌尿器科では患者さんに膀胱鏡の検査を行ったりと日本の実習では体験できなかったことができました。

・お世話になった方々

現地では特に生化学のWozniak教授とアテンド学生のPawelに多大なサポートをいただきました。教授は私たちを家族のように温かく迎えてくださりました。到着した日には深夜だったにも関わらず空港まで迎えにきてくださり、日用品や食べ物を用意して寮に持ってきてくださりました。休日は一緒に食事をしたり、お花見をしたりして、私たちが元気に過ごせているか常に気にかけてくださりました。Pawelも自宅に招いてパーティーを開いてくれ、現地の学生と交流できる場を作ってくれたり、体調を崩した際には薬を買って寮まで駆けつけてくれたりしました。また、教授が主催Nagoya Dayというイベントで現地学生に向けたお茶についてのプレゼンや、学校生活に関してのディスカッションを行いました。

・3留学を終えて

本プログラムへの参加は大学入学前よりの目標であったので参加できたことを純粋に嬉しく思います。馴染みのない土地での暮らしは不安も多かったですが、沢山の人々が助けの手を差し伸べてくれ、学業だけではなく人として多くのことを学び成長した期間になりました。特に現地で出会った皆さんの新しい人を受け入れる器の広さや、積極的に関わっていく姿勢には大変助けられました。現在帰国して数ヶ月経ちますが、自分自身の行動が留学前に比べて変わっているのを実感できています。
最後になりますが本留学に関わってくださった全ての方々へ感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


be kobeみたいなモニュメントがあります。
4月半ばまで雪が残っていました。

Nagoya dayの様子。ポーランド大使館の方とWozniak教授と

Pawel宅でホームパーティー

実習の休憩中

留学体験記

溝口 敬大

ポーランドのグダンスク医科大学。ポーランドの北西部にある人口約60万人の都市です。おそらく留学をしなければ一生訪れることもなければ、知ることもなかったであろう都市で、私は約2ヶ月の留学を行い、一生忘れることのない貴重な体験をしました。

グダンスク医科大学はPolish division(以後PD)とEnglish division(以下ED)に分かれており、PDはポーランド人がポーランド語で入試を受けてポーランド語で医学を学ぶコースで、EDは帰国子女で英語話者のポーランド人や外国人が英語で入試を行い、英語で医学を学ぶコースです。私はEDの実習に参加し、英語で実習を行なうことができました。これは自分がグダンスク医科大学に留学することを選択した大きな理由の一つです。また、ポーランドだけに限った話ではないですが、欧米では移植が盛んなので、移植手術を見ることができればと思いこの大学を志望しました。

留学は、日本でいうポリクリ1に参加させてもらうような形でEDの20人ほどの実習グループに参加しました。実習としてはまず朝イチに1時間から2時間のレクチャーを受けてから5人ほどの小グループに分かれて実習を行うような形でした。実習の最終日には簡単な筆記試験があり、留学の仕組み上合格する必要はないものの、自分がその科で学んだことを英語でいかに覚えているかを確認する良い機会だと思い、ある程度準備してテストに臨んでいました。私は泌尿器科1週間、整形外科2週間、小児外科1週間、移植外科2週間、消化器乳腺内分泌外科を2週間実習させていただきました。これも他の大学と異なる点で、学生の実習班の予定に合わせて参加するため、たくさんの科で実習を行うことができました。特に印象に残っている科は、泌尿器科、整形外科、移植外科です。

泌尿器科で前立腺がんのロボット手術の見学をしましたが、その時に使われていたロボットは名大でよく見るロボットではなく、さらに小さいロボットでした。執刀していた先生曰く、従来のものと比べて搭載できない器具もあり良し悪しあるそうですが、いわゆる普通の小さなオペ室でロボット手術が行えることは私にとって斬新でした。また、その機械で切除済みの組織を掴んだり切ったりさせてもらいました。日本では訓練用のロボットを触ることはあってもオペ中に操作させてもらうことはなかったため、初めての経験で少し緊張しましたが最高の経験でした。また、医師や看護師は基本的に英語を話せる人が多いので、私達に気を遣ってオペ中の会話をほぼ全て英語で行なってくださる先生もいて、とてもありがたかったです。

整形外科では外来に戦争でウクライナから避難してきた患者さんを診ることができました。これは整形外科に限ったことではないですが、戦争が原因でたくさんのウクライナ人がポーランドに避難してきており、ウクライナ人を診ることは戦争が始まってからは珍しいことではないようでした。ただし、グダンスクはウクライナとの国境からは遠く離れており、戦争で負傷したような患者を診ることはなかったです。日本では対岸の火事のように感じられる戦争が目と鼻の先で起こっているというのは日本では考えられないことでした。ただし、街中の雰囲気は戦争が隣の国で起こっているとは感じさせない明るい雰囲気だったので、普段から緊迫した雰囲気で生活をしていたわけでないということは言っておきたいです。

移植外科では、実際に移植のオペに参加することができました。日本と違ってほとんどの臓器の移植が生体間移植ではないので、せっかくの見学の機会を無駄にしないように、移植外科のインターネットのページで募集がかかって数人の希望者が先着順で参加できるというシステムを採用していました。私は肺移植のオペに参加したのですが、日本全体で2019年までに累計250件ほどしか行われていない肺移植が毎週1、2件、多い時にはもっと行われており、肺移植以外にも腎移植、肝移植などさまざまな移植の手術への参加の機会が学生に与えられていることに驚きました。

グダンスクではMichal Wozniak教授が私達の世話をしてくれました。教授は名古屋大学とも親交があり日本に何度も訪れたことがある方で、日本での経験や名大の教授との思い出をたくさん教えてくださりました。教授は私達の面倒をよく見てくださり、空港に夜中に到着した時にサプライズで迎えに来てくださったり、度々お食事に誘ってくださったりしました。また、私達の現地の学生との交流や、名古屋大学への交換留学の紹介のために「名古屋デー」と称して、緑茶や抹茶を現地の学生に振る舞い、日本の文化や日本茶と長寿との関係を紹介するイベントを開催してくださりました。当日は、二日合計で300人を超える学生やワルシャワの日本大使館の方がやってきてくださりと、現地の学生と交流する貴重な機会となりました。また、教授の研究室に所属しているPawelという学生も病院での実習や実生活の手助けをしてくれました。私は医学部サッカー部に所属しているのですが、彼もグダンスク医科大学のサッカー部に所属しており、彼の計らいで週に2回のトレーニングに参加させていただくこともできました。ポーランド語が飛び交うピッチでのプレーは日本でのそれとは全く異なり、とても貴重で経験でした。

先ほど記したようにグダンスク医科大学には英語で学ぶことが出来るという利点があるため、ヨーロッパ中の医学生がたくさん留学に来ており、イタリア、ドイツをはじめ、スペイン、フランス、スロバキアなど様々な国の留学生とともに実習をしました。私たちが仲良くなった留学生たちはとても社交的で一緒に食事に行ったり、週末はパーティーに誘われて遊びに行ったりなどしました。友人との遊び方一つとっても日本とヨーロッパに違いがあり、そういった違いをお互いに気づくこともあり、非常に有意義な時間を過ごし、ヨーロッパ中に友人ができました。

生活面では、大学の寮にすまわせてもらって通学していました。寮母さんの中にはポーランド語しか話せない人もいたので翻訳アプリを使いながら意思疎通をするのに苦労したのも良い思い出です。寮から大学までは徒歩10分ほどで、寮から歩いて20分ほどのところに大きなショッピグモールがあり生活必需品は全てそこで揃いました。また、物価も日本より安く、事前に洗剤やシャンプーなどを事前に送っておきましが、全て日本より安価で買い揃えることができたので、完全にお金の無駄でした。また、日本よりもヨーロッパ全体の人口密度が低いので、日本でいう人口60万人の都市よりもかなり発達している印象で、生活面で苦労することはほとんどなかったです。何より驚いたのは英語教育の浸透度で、現地の学生はもちろんのこと、スーパーやコンビニの少しお年を召した店員さんを除けばほとんどの人が自分よりも流暢な英語を話していました。なので、買い物で意思疎通ができなくて困ることはほとんどありませんでした。

初めてグダンスクについた日には、今まで住んでいた日本と街の様子も文化も言葉も何もかもが異なる知らない世界で本当に生活できるのだろうかと不安にもなりましたが、Wozniak教授やPawel、実習で知り合ったEDの学生や他の留学生のみんなのおかげで本当に有意義な2ヶ月を過ごしました。初めて見た時には息を呑んだ美しい街の景色も、自分たちが去る頃には見慣れた景色になり、寮を出る片付けをするときには本当に寂しい気持ちになるくらい、この街に私は恋をしました。

起承転結のない稚拙な文章となってしまいましが、言葉の分からないポーランドで実習した約2ヶ月は一生忘れられないかけがえのない思い出になったことはとにかく伝えたいです。このような機会を与えてくれた大学、粕谷教授、長谷川先生をはじめとする国際連携室の皆様、Wozniak教授をはじめとするグダンスク医科大学の皆様に深く感謝を申し上げます。


ギプス固定実習にて友人と

交流会にて教授と日本大使館の方と

交流会にて抹茶を振る舞いました

病院のカフェにて留学生の友人と

ルンド大学への派遣留学を終えて

中川 考一郎

私は3月から4月にかけてスウェーデンのルンド大学に留学し、現地の病院にて臨床実習をさせていただきました。海外での生活は初めてでしたが、多くのことを学び、今までにない経験をする素晴らしい機会となりました。ここに2ヶ月間の留学体験を報告いたします。

ルンド大学はスウェーデン南部の町ルンドに本部を置く総合大学で、創立は1666年と300年以上の歴史を持ちます。附属病院であるスコーネ大学病院はルンドに加えて隣の都市マルメにも施設を有しており、私は2カ月間を通してマルメの病院にて実習を行いました。

最初の4週間は感染症科を回らせていただきました。スウェーデンでは20世紀初頭に感染症が大流行した歴史から、感染症科が一つの専門科として設置されています。ただ、大部分の感染症は内科で治療されており、実習先の感染症科では併存疾患のある複雑なケースや結核など特定の疾患に対する診療を行っていました。
実習はレジデントの先生お一人に週替わりで付く形で行い、朝の8時から検討会に参加した後、回診に同行させていただきました。先生一人あたりの受け持ち患者さんの数は6~7人程度で、一人一人に10分以上かけて丁寧に回診をされていたのが印象的でした。検討会や回診ではスウェーデン語で会話されていたためその場で話している内容は分かりませんでしたが、カルテを記載する際などに先生に英語で説明していただき、患者さんの抱える疾患や治療方針について理解できました。また、1週間に一度、担当教員の先生が一対一で指導する場を設けてくださり、感染症についての基本的な知識も身につけることができました。その際、簡単ながら日本とスウェーデンの感染症の発生頻度の違いや、それに伴う予防策や治療の相違点についても話し合うことができ、有意義な時間となりました。その他、外来での診療も見学させていただきました。外来では結核の退院後フォローアップやウイルス性肝炎の治療等を行っており、肝臓の線維化を評価するエラストグラフィを実際に患者さんに対して行わせていただいたこともありました。

続いて、血管ユニットでさらに4週間実習をさせていただきました。血管ユニットは血管外科医と数名の内科医、放射線科医で構成される部門で、実習では血管外科の先生による手術や血管内治療を見学させていただきました。特に血管内治療は欧州でも有数の件数を誇るそうで、大動脈瘤に対するステントグラフト内挿術(endovascular aneurysm repair: EVAR)や末梢動脈閉塞・狭窄に対する経皮的血管形成術などさまざまな手技を見学することができました。EVARについては腎動脈分岐部以下の大動脈瘤に対して行われるstandard EVARに加えて、それより中枢側に病変が位置している傍腎動脈腹部大動脈瘤を対象とした開窓型ステントグラフト内挿術(fenestrated endovascular aneurysm repair: FEVAR)も行われていました。日本では傍腎動脈腹部大動脈瘤に対しては手術が選択されることが多いため、見たことのない治療を見学する貴重な機会となりました。FEVARは手技としては難しい印象を受けましたが、経験を積まれた先生の場合は短時間で手技を終えておられ、多くの治療を通じて培われた熟練の技術を感じました。
その他の手技・手術としては胸郭出口症候群に対する治療が印象的でした。胸郭出口症候群では鎖骨下静脈に血栓を生じることがあり、カテーテル血栓溶解療法を行った後、血管造影でその効果を評価し、数日後に第一肋骨の切除と鎖骨下静脈のバルーン拡張・ステント留置を行うという数段階からなる治療がなされていました。手技を見学するまでは血管外科の対象疾患であるというイメージがなく、血栓溶解だけでなく肋骨の除去も血管外科の先生が行うという点は意外に思いました。しかし、実際に治療を見させていただいたことでそれぞれの過程に関連があり、血管外科医が全体を一貫して治療することの重要性を理解することができました。

今回の留学では実臨床の場で診療について学べただけでなく、制度面での日本との相違点も発見することができました。例えば医師の勤務形態について、私が実習を行った部門では日勤と宿直のシフトを分けるなど長時間労働を避ける仕組みが整っており、留学前からのスウェーデンに対する印象通り働き方改革が進んでいると感じました。一方で患者さんの立場からすると医療へのアクセスは日本の方が良く、容易に検査や治療を受けられる環境にあると思います。どちらが良いということではありませんが、少なくとも他国の制度について知り、自らと比較することは重要だと感じました。このような社会的な視点を少しながらでも持てるようになったことも今回の留学における収穫の一つです。

また、留学前と比べた変化として、主体的に学ぶことの重要性を感じるようになりました。感染症科で1週間ほど現地の医学生と一緒に実習をする機会があったのですが、その際に彼らが積極的に先生方とコミュニケーションを取り、分からない点を質問する姿を見て強い刺激を受けました。定められたカリキュラムに沿って学習していたこれまでとは異なり、医学部卒業後は自ら進んで知識や技術を獲得しようとする姿勢が求められると思います。今までの実習では受け身の傾向が強かった私ですが、留学で感じたことを忘れず今後の実習や卒後の初期研修に励んでいきたいです。

今回の派遣留学は2ヶ月間と短期間ではありましたが、本当に充実したものになりました。多大なご支援・ご指導を賜りましたルンド大学およびスコーネ大学病院の皆様に深謝の意を表します。また、留学にあたって粕谷先生、長谷川先生をはじめ国際連携室の皆様には手厚いサポートとご助言を頂きました。深く感謝申し上げます。事前研修の際には多くの先生方にご指導を賜りました。厚く御礼申し上げます。最後に、同じくルンド大学に留学した吉田さんを含め、留学に向けてともに勉強に励んだ他の12名のメンバーに感謝いたします。ありがとうございました。


名古屋と名大についてプレゼン

ルンド大学における8週間の臨床実習

吉田 奈央

初めまして。名古屋大学医学部医学科6年の吉田奈央と申します。この度は国際連携室の先生方のおかげで、ルンド大学での2か月の実習を終えることができました。コロナ禍以来初の海外派遣実習ということで、様々ご尽力して頂いた皆様には心より感謝申し上げます。

ルンド大学での実習では、手の外科と腫瘍内科、また一週間のみ救急科に参加させていただきました。実習させて頂いた病院はスウェーデン南部スコーネ地方の公立病院でした。スウェーデンは人口密度が低く、比較的人の多いスコーネ地方全体でも人口は名古屋市よりも小さいです。そして病院システムは中央集中化が進み、手の外科はスコーネ地方の中でただ一つマルメにあるのみで、腫瘍内科はルンドとマルメにある病院がメインで、消化器腫瘍など患者数の多いグループは他に2か所診療科を持っていました。また、スウェーデンでは公立病院がほとんどを占め、そこでは国民は非常に手厚い保険で医療を受けられます。一方で少数の個人病院では例外を除いては自費での診療となりますが、その分公立病院とは違い、手術までの待機時間が短いことや、週末での診療を行っていることなど公立施設の弱点を補っています。

まずは手の外科での実習について書かせていただきます。手の外科で扱う疾患は日常で非常に頻度の高い外傷や変形性疾患から、希少な奇形までとても幅広いです。手の外科には医師が15人いらっしゃり、手術は一日10件ほど、外来は8時半から4時まででした。その中で実習は朝7時45分からカンファレンスが始まり、外来見学の日は4時まで、手術に参加する日は6時半ごろまでいました。カンファレンスは他科や他職種との会話はスウェーデン語でしたが、医師同士の話しはお願いして英語で行っていただきました。病院機能が一か所に集中している分マルメの手の外科はとても大きく、専用の手術室が4つと、専属手術看護師がいらっしゃいました。また医局では1~3人で一つの部屋を持ち、キッチンやダイニングスペースもある非常にゆったりとした構造でした。さらにカルテを書くための秘書さんも雇われており、医師が録音した内容をカルテに入力して下さるそうです。さらに最近は音声認識での記述も普及し始めているそうです。このように病院機能を一極集中させ、その施設での設備を整えることで、高度な治療と医師の教育が可能になると現地の医師はおっしゃっていました。もちろんそのため患者にとっての利便性や、医師の住む場所に制限を生じさせ、外来でも片道3時間ほどかけて来院される患者さんも決して稀ではありませんでした。実習では手術や外来に参加させていただきました。手術室では麻酔導入中は執刀医であっても手術室にいる必要はなく、空いた時間に医師たちはカルテを書いたり、コーヒーと共に休憩したりもしていました。また麻酔導入後、患者状態が安定した後では麻酔維持は麻酔看護師が担当していました。麻酔科医は別室で複数の手術をモニタリングしており、何か起きたら駆けつけるというシステムでした。またスウェーデンの手術看護師は機械出しだけでなく、鉗子で術野を広げたり、皮下縫合も行っていました。このように看護師が行う業務が日本よりも広く、日常のコミュニケーションにおいても院内で医師とのヒエラルキーは全く感じませんでした。一方で看護師不足のために手術件数が制限され、癌の手術は診断から平均3か月後、リウマチでダメージを受けた腱の手術は1年待ちとなっており、その間に病状が進行してしまうといった問題があるそうです。外来では総合診療医や他院の整形外科からの紹介のみで、初診患者をとることはありませんでした。これは後でも述べますが、専門性の高い少数の施設へのアクセスを制限することで、必要な人のみが受診することができるようにする為です。また他に印象的だったのは血管・リンパ管奇形患者の集まる診療棟での血管外科、腫瘍内科、整形外科、手の外科が集まる合同回診、カンファレンスでした。非常に専門的かつ科横断的で大病院ならではだと感じ、とても勉強になりました。実際に見た症例としては、街に大型犬が多いことから、犬にかまれた患者や、時にはナイフによる外傷患者もいらっしゃり、日本ではなかなか経験できない症例も見させていただきました。もちろんよくある転んだ時の怪我や変性疾患の診察方法を学べたのは今後すぐに役立てられると感じました。夜間は必ず若手の先生とベテランの先生が一人ずつ待機をし、救急科や他院からのコンサルトに対応し、必要であればその晩のうちに手術をされていました。私も一度それに参加しましたが、真夜中に別の建物にある夜間用手術室へ向かい、刺された傷を縫うのは記憶に残る経験でした。水曜日の朝は医局で朝ごはんをたべる習慣となっており、その後パンを片手に論文抄読会を聴くのが恒例でした。最終週には私も一つ発表をさせて頂きましたが、和やかな雰囲気だったのがありがたかったです。

次に腫瘍内科では、臓器ごとに様々なグループの外来や、病棟の見学、また乳がんの手術にも参加いたしました。外来は一日10人前後で、患者一人当たりの予約枠は30~45分とゆとりがあり、また予定を押すことはあまりありませんでした。医師数は決して多くはないのですが、なぜこのように時間をとれるのかを尋ねたところ、腫瘍の種類や予後ごとに決まった期間は腫瘍内科で定期的にフォローをするものの、それを過ぎたら患者は担当の総合診療医に送られるからだと医師の方に教えて頂きました。それでも人手不足はあり、また総合診療医の仕事量は他よりも多くなってしまっているそうです。行われている治療については、もちろん基本的ながん治療のレジメンは日本のガイドラインと比較しても大きな差はありませんでしたが、ルンド大学が取り組んでいる最新のエビデンスや治験を学ぶなど、とても興味深かったです。また乳がんの手術では、手順が日本で行われているものとは若干の違いがあり、各国における体格の違いや術式の好みの違い、病理診断に掛かる時間などによるものかと考えるのも楽しかったです。外来中は患者さんと医師は基本的にスウェーデン語で話しますが、先ほど書いたとおり外来の時間にゆとりがあるため、合間に十分な説明をうけ、いろいろと質問するをすることもできました。またほぼすべての患者さんに対し、リンパ節や腹部診察、乳房の触診などを行っていたため、医師の後に私も毎回やらせていただけました。また若い患者さんであれば英語で外来を行ってくださることもあり、非常にありがたかったです。最終日には一件症例発表をさせて頂きましたが、腫瘍の中でも最も関心のある乳がんの症例をもらい、カルテはグーグル翻訳で英訳しつつ行いました。

日本では腫瘍内科はあまり多くの施設にはありませんが、抗癌剤の種類や組み合わせ、投与スケジュールの多様さや副作用への対応など、その専門性の高さを学びました。実習を終えた後では、今後は日本でも腫瘍を摘出する外科と、手術前後の薬物治療を行う腫瘍内科を分離させる動きが進んでくるのではないかとますます考えるようになりました。

最後に救急科についてです。救急は8時から15時、15時から22時、22時から翌8時の3交代制で、実習生はそのうち一つの枠+αの時間実習をしていました。私は主に8時から5時ごろまでの時間に実習をし、一度2時から9時までの実習もしました。最も印象に残ったこととしては、ルンド大学の学生が積極的に患者に話しかけ、医師が患者さんの下へ向かい、対応するまでの待ち時間の間に自分で問診や身体診察を行い、鑑別疾患や次に行うべきことを考えながらカルテ記載までしていたことでした。私も英語が話せる若い患者さんに対してや、ルンド大学の学生に通訳をお願いしつつやらせていただきましたが、実際の患者さんは非定型的な症状を持っている場合が多く、医師に上申してからこの疾患だったのかと学ぶことばかりでした。また不要不急の救急への来院を防ぐため、受付の看護師が患者の体調をみて後日来院を勧めたり、救急隊員が現地から医師に意見を訊き、救急車での搬送を断ることもできるシステムも興味深かったです。救急外来での待ち時間は基本的にとても長く、患者さんが来院してから医師に話をできるまでの時間は3時間以内が目標ではあるものの、それも必ずしも達成するのは難しいと聞いたときは、今まで日本で病院見学をしていた時の経験と比較して非常に驚きました。しかしそう卒中や急性冠症候群などが疑われる緊急疾患については流れるような対応が確立されており、必要な患者に専門科の医師や人員を割くシステムや連絡網が作られていたのが興味深かったです。

全体を通し、スウェーデンでの実習をして感じたのは仕事と私生活のバランスが非常に良いということです。外来や予定手術は午後4時までで、金曜日は昼の12時までとなっています。もちろんその後も緊急手術や書類仕事、研究などがありますが、それらを含めても医療スタッフの皆さんは仕事だけでなくプライベートの時間や家庭を重視しておられるという印象を受けました。とくに外来に関しては、今回実習させていただいたような専門性の高い医療施設を受診するためには、近所の総合診療医などを通して紹介をうけ、必要と判断されなければならないため、不要な受診人数を減らすことができるからこそ外来枠を時間内に納めることができるそうです。半ば衝撃的だったのは、フルタイムで働く医師同士のご夫婦でも子供が2、3人いらっしゃるのが普通だということです。こういった状況を支えるのは、夫婦ともに育児休暇をとれる環境や、公立サービスのベビーシッターや保育園が充実していること、また大学まで教育費が無料といった医療以外の制度もあります。こういったシステムや考え方をぜひ日本でも取り入れていきたいと考えました。さらに、日本からいらして、ルンド大学の大学院生として働いておられる先生方とも交流させて頂いたのですが、研究分野でも日本と比べ、働きやすさを感じておられました。またスウェーデンでは個人番号制度が長年にわたって確立されており、医療情報などもすべてこの番号に従って管理されています。これにより、同じカルテシステムを持つスコーネ地方内部ならば、どの病院のカルテもほぼ閲覧することができ、スムーズに転院・紹介を行うことができるそうです。また番号を利用して、臨床研究に必要な患者データを匿名で集めることができるなど、魅力的なシステムが構築されていました。

もちろんその一方で、迅速な救急外来での対応や、疾患の診断後手術を受けるまでの期間の短さなど、日本の医療の良さも再認識しました。もちろん以上で述べたことは学生の限られた視点での意見ですので、今後日本や名古屋大学医局のシステム、また海外での状況もより深く学んでいきたいです。今回の留学を通して、どの医療システム、福祉システムにも長所と短所があり、それらを比較し、組み合わせていくことでより良いものを作っていけるのだと感じましたので、卒後医師として働く上で医療知識・技術以外にも視野を広げ、日本の医療のさらなる改善に貢献していきたいと決意しました。


朝ごはんを食べつつの抄読会

救急科の先生と

乳がんチームの先生方と

外科の先生のご自宅で

留学体験記

金澤 元泰

ノルウェーはなにもない。厳しい地形と気候と、北海油田以外ほとんどない。人もいない。ユニクロも無印良品もない。特にトロンハイム市は国内第三位の街なのに、大学以外何もない。でも魅力はある。ノルウェー人は独立心が高く自国を愛している。世界中から観光や移住のために人々が訪れる。そのギャップを理解することが、ノルウェーそのものと、その医療を理解することにつながるのではないか。そう考えて日本を発った。

大学病院は地元の歴史上の聖人にちなみ、St. Olav’s Hospitalと呼ばれている。この病院が担当する範囲はトロンデラーグ県と呼ばれる地域だ。県といっても侮るなかれ、ノルウェー中部の、面積にして国のおよそ4分の1を担っている。
今回の留学には、名大から一人で伺うことになった。実習は、神経内科と整形外科に各1ヶ月ずつお世話になった。

神経内科では病棟・外来での業務を学んだ。まず驚かされたことは、患者の在院日数の短さだ。ノルウェーの入院期間はとにかく短いほとんどの患者は1周間以内だった。医療費の全額を国が負担する医療とはこういうことかと、洗礼を受けた気分だった。
病棟で特に印象的だったのは、多発性硬化症(MS)疑いの患者さんに対する告知のシーンだった。生物学者であるその患者さんは、その重大性をご存知なのだろう。涙されていた。医師は“I understand…”と繰り返していた。理解や共感の姿勢が重要なのは万国共通だった。その後腰椎穿刺を行うことになったが、麻酔なしで実施された。ノルウェーではこれが普通で、局所麻酔はしたことがない、なぜする必要があるかもわからない、と、あとで担当医が教えてくれた。日本では「患者はお客さまだから」と言われることがあるが、それを大学病院での実習中に感じることはほぼなかった。しかしここで、その言葉の意味を痛感した。
外来では、欧米に多いハンチントン病、特に北欧に多い多発性硬化症の見学をした。ハンチントン病といえば舞踏様運動だが、初期は易怒性や構成失行が目立つらしい。ノルウェーで猟銃を持つことは割とポピュラーだが、易怒性などが認められる場合、猟銃所持の資格を医師が停止しなければならないとのことだった。構成失行の試験は、描画のほか、ルリアのテストと呼ばれる日本では見たことがない試験を実施していた。多発性硬化症については、北欧全体で抗CD20抗体を用いる治験が進んでいるとのことだ。薬剤説明会にも参加させていただいた。腰椎穿刺やルリアのテストを通じて、患者さんについてどんな検査項目を調べるか、どんな治療をするか、という「治療の概要」は、日本とノルウェーで変わらないと実感したが、それをどう行うかという点に、国ごとの差が出ることを学んだ。
男女平等が進んでいるのも気づきの一つだ。たとえば救急隊。知識はもちろん、体力も精神力も必要なタフな仕事という認識がある。日本では男性が多い印象だが、女性ではむしろ女性の方が多いほどだ。神経内科医局も若干女性が多いくらいで、日によっては朝のカンファレンスにて私以外9人全員が女性という日もあった。

次の月は整形外科にお世話になった。整形外科はどちらかというと職人集団という感じで、はじめは誰を頼っていいものか、困惑したが、なんとか希望を伝えることに成功し、1週目は外傷グループ、2週目は関節置換グループに配属してもらった。3週目はその先生と相談の上、手術の多い手の外科グループに配属してもらった。まずは手術室の待合室に張り込んで、手術室管理の看護師さんやオペ看護師さんと仲良くなることに成功した。医師ではなく看護師とコミュニケーションを取ることになったのにも理由がある。入室から麻酔導入、四肢の固定などが済むまで、執刀医が入室しないからだ。逆に、執刀医は入室するやいなや、麻酔の状況や器具の準備状況、抗生剤などを周囲の医療従事者に確認した後、入室3分後には執刀を開始していた。実に効率的な働きぶりだ。なお執刀医は大抵1人だ。
麻酔は、導入こそ麻酔科医が行うものの、維持と覚醒は麻酔看護師が行う。麻酔看護師制度は北欧に特徴的な制度で、看護師資格取得後1年半の研修を積むことで資格を取得できるとのことだ。麻酔科医は導入の後、別室で複数の手術室を遠隔モニタリングしているそうだ。人件費も100%国費だから、削減が必要だ。麻酔科に関してはこのようにして人件費を削減しているとのことだ。
関節置換の手術については、前室があり、そこで麻酔看護師が脊髄ブロック、セデーション、ルート確保、尿道カテーテルを挿入していた。こうして手術室の回転率を挙げているそうだ。ベッドを移乗して移送するのかと思いきや、よく見ると前室のベッドも移動式の手術台だ。そのまま手術室に移動し、同時に執刀医も入室して3分後には執刀開始。効率化もここまで来ると芸術的だとすら感じた。

私は学んだことを以下の3つにまとめた。
1つ目に、医療の内容は日本とノルウェーでは変わらないが、それをどう行うかが大きく異なるということだ。患者が来院したならば、行う検査項目や治療内容は国が違ってもだいたい変わらない。これは、世界的なガイドラインの整備や、英語で出版された論文とその出版・検索システムの賜だ。医療知識のアップデートの重要性を痛感した。そして逆に、検査や治療をどう実施するか、という点に大きな差異が生じていた。これは地域性、文化、慣習に大きく依存するところであるし、さらには以下で述べる医療制度、働き方にも依存する。
2つ目に、ノルウェー人は労働環境を大切にするが、これはこの国の国民の根本的かつ潜在的な戦略によるということだ。というのも、ノルウェーは日本とほぼ同じ面積に日本の25分の1の人口しかいない。さらに、極夜や寒さなど、人間を鬱に向かわせる要素が満載だ。したがって、労働力として、国民の中でお互いに大切にしようという意識が働く。それが、労働時間はほどほどにして生活を充実させることで、お互い健康に生活し、社会に貢献しようということだ。ゆえに人々は効率を求める。
3つ目に、医療制度によって医師の仕事の目的が大きく変わることだ。ノルウェーの大病院の専門医は、専門医として、診断と治療の方針の建て方、あるいは手術に全力を注ぎ、慢性期の治療や維持はGPやリハビリ病院、高齢者施設などにすぐ転院やフォローアップを依頼する。ノルウェーの医師は、これは国庫を圧迫する治療だと言いながらも、収支などは気にせず必要な患者にはためらわずに最善の医療を実施していく。また、治療が必要ない患者はすぐに家に返す。急性期医療の本来の姿に近いような感覚を得た。

一般的に歴史・文化・実績の積み重ねが権威につながると考えるのではないか、と考えた。どれも素晴らしいものだが、権威は行き過ぎるとヒエラルキーの固定化やコミュニケーションの鬱滞を招く。NTNUは大学そのものに関しては数百年の歴史を誇る大学だが、ノルウェーでは、人々が権威のようなものにこだわることなく、それぞれが自分に自信と誇りを持って仕事をしているように感じた。そこに私も好感をもった。

現地では日本人PhDのM先生にお世話になった。M先生は名大病院で初期研修を終えた後、NTNUの疫学部門でPhDとして勤務している。渡航前から電話でノルウェーでの生活について助言を頂いたほか、トロンハイム到着後もご職場やご自宅、さらにはボルダリング場に誘っていただいた。脳神経外科の日本人医師、H先生にもお世話になった。機能的脳外科の分野の先生で、具体的には、慢性疼痛に対する脊髄刺激療法(SCS)や、パーキンソン病などの振戦に対する脳の深部刺激治療(DBS)など、電極の刺入による治療を専門にされている。その手術にご招待いただいた。

今回の留学で、このようなチャンスを頂いた、NTNUとSt. Olav’s Hospitalの皆様と、トロンハイムのH先生とM先生、そして名大国際連携室の粕谷先生、長谷川先生はじめ多くの先生方に心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。


手の外科の皆さんと

寮の皆さんと

留学体験記

橋本 幸之助

2023年3月18日から4月16日にかけて約1ヶ月間、韓国ソウルの高麗大学にて臨床留学をさせていただきました。初めの2週間は救急科で、次の2週間は神経内科で実習しました。今日、世界中で絶大な人気を誇る韓国という国で、多大なお力添えを頂きとても貴重な経験を得られました。以下で今回の留学から得た学びを述べます。

まず、ソウルでの生活について述べます。物価は安く、治安も日本と同じくらい良く、不安なく1人で出歩くことができました。私は、大学から地下鉄で15分ほどの場所にある「鍾路3街」という街のホテルに泊まっていました。1人暮らし自体が初めての挑戦でしたが、洗濯以外はホテルの方々にしていただけたため、とても快適に過ごせました。大学までのアクセスも非常に良く、通学で困ることもありませんでした。さらに、明洞や梨泰院といった、韓国での人気スポットからも近く、観光を楽しむにもうってつけの場所だったと思います。また、日本に韓国が好きな人がたくさんいるように、韓国にも日本が好きな人は大勢いました。私が話した人達は日本に来たことがある方がほとんどで、日本での思い出を楽しそうに語ってくれました。ちなみに、特に福岡と沖縄が人気でした。「おはようございます」や「ありがとうございます」などと日本語で挨拶されることもよくあり、なんだか嬉しかったです。私自身はほとんど韓国語を話せませんでしたが、google翻訳のアプリを駆使したため、コミュニケーションに困ることは全くありませんでした。ただ、より韓国の文化を楽しむために韓国語を学んでおくのも良かったかなと思います。韓国の人々は、国民性のためか気前がよく、道を尋ねると非常に丁寧に教えてくださったことが印象的でした。行きつけのレストランでは、店員さんが明るく話しかけてくださり、毎回キムチのおかわりをサービスしてくださったことも良い思い出です。

次に、実習について述べます。私は、高麗大学安岩病院で実習させていただきました。それぞれの科で先生方が私の担当についてくださり、親切にサポートしてくださいました。回診やカンファレンスは全て韓国語で行われたため、理解できなかった部分もありましたが、先生に後から英語で分かりやすく説明していただけたため、心強かったです。また、疾患名や症状が英語で表現されていた点が、日本の病院とは大きく違いました。カルテでも口頭でもこれらには英語が用いられていて、日本より医療に英語が馴染んでいる印象を受けました。救急科では、先生方の仕事の流れを間近で見学することができました。来年から初期研修医として働く身であり、救急の仕事のイメージを持っておくことは重要だと考えていたため、とても良い経験になりました。カンファレンスが毎朝8:00から始まり、症例報告や抄読会が行われ、先生方の意欲的な姿勢には刺激を受けました。現場では、特にトリアージの重要性について学びました。トリアージとは、限られた資源の中で効果的な医療を提供するために、緊急度・重症度に応じて傷病者の治療における優先順位をつけることを指します。高麗大学安岩病院は、韓国でも有数の規模を誇る病院であり、毎日非常に多くの患者さんが救急科に運ばれてきます。そのような大規模病院では特に、優先順位をつけることで救急医療の質を保つことが不可欠だと教わりました。これは日本の救急にも当てはまり、私は、自分でトリアージを行う必要があるのだと再認識できました。神経内科では、主に脳梗塞や、もやもや病などの疾患について理解を深めることができました。正直、日本の神経内科と異なる点はあまり見つけられませんでしたが、普段とは別の角度から神経疾患を学べて良かったと思います。脳梗塞は、国を問わずcommon diseaseであり、急性期には迅速な治療・対応が必要となること、少し状態が安定しても症状は変動しうるため持続的なモニタリングが必要であることを教わりました。もやもや病については、実際に病棟の患者さんを診させていただき、症例報告を行いました。本疾患はアジア、特に日本・韓国・中国に多く、私達に関連の深いトピックでした。さらに、先生方からは「もやもや」という日本語の意味を聞かれました。「ごたついたり、心にわだかまりがあったりすることです」と英語で説明したら納得してもらえたことが、個人的に良い思い出です。また、両科で日本と韓国における医師のキャリアの違いについてプレゼンしました。これは、先生方から求められただけでなく、私自身、以前から興味を持っていた分野であり、アウトプットする良い機会になりました。医学科に6年間通う点や、大学入学から専門医取得までには10年強かかる点はどちらでも同じですが、両者には、大きく異なる点が2つあることが分かりました。1つ目は、大学卒業直後のキャリアです。日本では、初期研修として2年間働くのに対し、韓国では、1年間の「インターンシップ」と呼ばれる期間に移ります。意義はほとんど同じで、どちらも、様々な科を回って自分がどの専攻に進むのか決定することが重要ですが、韓国では期間が半分であることに驚きました。2つ目は、韓国には「公衆衛生医師(PHD)」として働く制度があることです。

PHDとは、兵役の代わりに3年間、無医地区や空港検疫などで働く、韓国の男性医師を指します。PHDに就く期間は、各自のキャリアパスに応じて選ぶことができますが、20〜30代が多いそうです。COVID-19のパンデミック下で、PHDは韓国医療の前線に立ってPCR検査の検体採取を行うという大きな役割を果たしました。さらに、実習終わりにサムギョプサルをご馳走していただきました。スープやサラダの取り分けや、肉のカットまで全て任せっきりで、ここでも先生方の「おもてなし」の心を感じることができました。本場のサムギョプサルが最高においしかったことはもちろん、食事と一緒に飲んだチャミスルも格別でした。病院や大学のキャンパスには、モンゴルやドイツなど韓国以外にも色々な国の学生がいて、話す機会もたくさんありました。日本人との価値観の違いを感じることができ、視野が広がりました。日本のアニメ文化が好きな学生も多く、「ONE PIECE」や「スタジオジブリ」などの作品の話で盛り上がれたことが嬉しかったです。

今回の派遣留学まで、私は、1人暮らしも1人での海外旅行もしたことがなく、出発前はきちんと生活できるか不安でした。しかし、大学の先生方、事務の方々、学生、そして大学外の現地の方々に親切にしていただき、快適な環境の中で実りある留学をすることができました。今後、日本で海外から来た方と会った時、相手のためにできることを考え、貢献できるような人間になりたいと強く感じました。また、金銭面で支援してくれた両親にも心から感謝しています。そして最後に、留学に関わる全過程でサポートしてくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室の先生方、高麗大学関係者の方々に感謝を申し上げます。ありがとうございました。


高麗大学メインキャンパス

高麗大学医学部の建物

神経内科の先生方と

大学の友人と明洞へ

留学体験記

増田 綾香

私は、韓国ソウルの高麗大学で1ヶ月間実習しました。今回の留学で、本当にかけがえのない経験をしたと感じています。1日1日が非常に充実しており、日本のことなんて忘れてしまうくらいに、凝縮された毎日を過ごしました。

高麗大学は、韓国の三大大学の一つです。韓国国内に3つの大きな病院を持っていますが、そのうちの1つであるAsan Medical Centerは、世界で30位, 韓国で1位にランクインしています。キャンパスは木々に囲まれた趣のある建物からなり、広大で、ソウル都心にあるとは思えません。病院も非常に規模が大きく、ガラス張りの綺麗な建物でした。現在も新しい病棟の建設が進んでいます。学生のレベルも日本と比べて非常に高く、知識や経験の豊富さを感じ、刺激される日々でした。

まず実習についてですが、最初の2週間は乳腺・内分泌外科、最後の2週間は呼吸器内科で実習しました。初めての登校日には、どんな感じだろう、とドキドキしましたが、先生を待っている時に、たまたま私と同じ科を回る予定のLara(ドイツからの留学生)に会いました。彼女がすごく気さくで、すぐに意気投合してリラックスできました。乳腺・内分泌外科の先生方も、明るくてフレンドリーな先生ばかりでした。中でもKim教授は、世界的に有名な甲状腺外科の先生で、技術・人柄ともに優れていて圧倒されました。以前、Johns Hopkins Univの教授をしていた先生で、私の実習中ずっとTVの撮影が来ていました。世界中から、医師や患者さんが、先生のもとに集まって来ていました。特に、教授が開発したオペの見学が一番印象に残っています。Transoral Robotic Thyroidectomy(TORT)なのですが、腫瘍へのアプローチが画期的で、しかも術後に傷が残りにくい方法でした。韓国では保険の関係でロボット手術が多く行われていて、TORTの件数も多く、とても刺激的でした。このユニットでは、何度も術野に入ってオペの助手をしました。「やっていいよ」と言って頂くことが多く、縫合や結紮などたくさん経験しました。また、ダヴィンチの練習ができる施設に連れて行って頂き、設置や起動から模擬手術まで体験できました。Kim教授のような、素晴らしい医師に出会い、指導して頂けたのは、本当に運が良かったと感じています。
呼吸器内科の先生方も非常に面倒見のいい先生ばかりでした。高麗大学病院は韓国有数のとても大きな病院なので、気管支鏡検査の件数が非常に多く、多い日は一日10件ほどありました。呼吸機能検査やプリックテストを自分が実際に体験してみたりして、良い経験になりました。先生方の休憩時間について行って、一緒にカフェでコーヒーを飲んだり、昼ごはんを食べたりして、たくさん雑談したのも良い思い出です。

実習後は、毎日Laraと夜遅くまで遊びました。思い返すと、初日に意気投合してから彼女が帰国するまでの3週間半、休日も含めて一緒に遊ばなかった日はなかったです。彼女もアクティブだったので、やりたいことや話が合って、国籍は違えど、全く気を使うことなく楽しみました。お別れの日は本当に悲しくて、最後に会ってたくさん話しました。呼吸器の実習中には、ポリクリの学生と出会い、一緒に実習しました。そこでまた友達の輪が広がり、実習後や休日にたくさん遊びました。1人の女の子とは、一緒に韓服を着て遊ぶことができました。実習中に仲良くなったみんなとは、今もまだ連絡をとり続けています。みんなのおかげで毎日多くの予定があって、1人で過ごす時間はほとんどありませんでした。

最後に、滞在場所についてですが、私はホームステイをしました。大学から提供される寮がなく、さらに、今回が初めての高麗大学への派遣だったので、頼れる人もおらず、本当に分からないことだらけでした。試行錯誤して準備を進めていく中で、ひょんなことから高麗大学に通っている女の子と連絡を取り合うようになり、仲良くなりました。現地での生活について相談していたところ、彼女の家でホームステイをするのはどうかとの提案を受けました。私にとって、ホームステイは初めての経験でしたし、彼女の家族にとっても初めてとのことで、どちらも不慣れな状況でしたが、こんないい機会はないと思い、即決しました。これがきっかけとなって、韓国語も勉強しました。事前に、彼女の家族ともZoomして顔合わせできたので、韓国へ行く前に、お互い少しだけイメージできました。初めは不安もありましたが、韓国へ行って実際に会ってみたらものすごく良い家族で、これなら大丈夫、とすぐに思いました。特にお母さんとは、一緒に過ごす時間が一番多くありました。お母さんは、私が実習をする病院の看護師さんで、毎日お互いの見送りをしました。いつも作ってくれる朝ごはんが本当に美味しくて、楽しみにしていました。家では可愛い猫を飼っていて、お母さんが忙しい時には、餌やりやトイレ掃除も私が担当しました。また、私が運動好きなことを知っていて、よく散歩に誘ってもらいました。お母さんの人柄がすごく好きで、休日に一緒にハイキングもしたのですが、それ以上に、平日の夜に2,3時間一緒に話しながら散歩することが多かったです。努力家で、心が綺麗なお母さんの話を聞いて、私も前向きな気持ちになれる時間でした。
家族との一番の思い出は、といえば、ホームステイ最終週の土曜日に、家族みんなと車で遠出して、1100mくらいの山に登山し、山荘で韓国料理を食べたことです。ホームステイ先の家族みんなが、私を本当の家族のように、気を遣わずに接してくれたおかげで、居心地良く、毎日自然体で過ごすことができました。たくさんの思い出がありすぎて、ここには書ききれませんが、韓国で過ごした1日1日が特別で、新しい家族ができたように感じています。

素晴らしい先生方、大学、友人、家族に出会い、留学に行く前の私には想像できなかったくらい、多くのことを得ることができました。うまく言葉に表せませんが、確実に成長しましたし、新しい扉が開けました。

この留学で出会い、支えてくれたすべての方々に心から感謝します。


KUのキャンパス

ポリクリの学生と

乳腺内分泌の先生方と

毎日通った大学病院

留学体験記

山口 翔

私は台湾の国立台湾大学で眼科、内分泌内科、家庭医学(family medicine) の3つの科で計2か月間留学を経験させていただきました。今回、名古屋大学から国立台湾大学への留学生は私一人であり、不安でいっぱいでしたがこの留学を経て、たくさんの貴重な経験をすることができました。一部ではありますが、私が留学を通して体験したことを報告させていただきます。

国立台湾大学は台湾最大の都市である台北にあり、台北駅にも徒歩で行けるような都市部にあります。病院は名古屋大学付属病院より大きく、産婦人科、小児科の建物、外来用の建物、病棟の3つの建物があり、病床数は2300床を超えています。台湾での生活については食事は外食が安くほとんどが外食でした。移動については台北内は地下鉄が発達しており、また、レンタル自転車も普及していてよく利用していました。台北からほかの都市に向かう場合は鉄道や新幹線、バスなどで移動できます。言語は基本中国語です。私自身は全く中国語がわからない状態で留学に向かいましたが、英語を話すことができる人も多く、あまり困ることはありませんでした。ただ、中国語を勉強して少し使うと喜んでもらえました。

私はまず眼科を2週間学ばせていただきました。眼科ではまず一週目に五年生の実習斑に入って一緒に、二週目は6年生と一緒に学び、合間の時間で手術見学を行うといった形でした。実習では外来見学や動画講義視聴、実際の検査装置を用いた検査の体験などを行いました。外来では見学だけでなく、ほかの学生と一緒に実際に患者さんの問診や細隙灯顕微鏡検査を行ったりしました。外来や動画講義は基本的に中国語だったのですが、現地の学生が英語に翻訳してくれたので理解することができました。手術は日本でもcommonな白内障や緑内障、網膜剝離や黄斑前膜に対する硝子体手術、斜視手術、鼻涙管閉塞に対する手術などを見ました。どの手術も日本とほぼ同じで、医療が国際的に標準化されているのだと感じました。

次に私は内分泌内科で4週間学ばせていただきました。内分泌内科では週二回の症例カンファレンスへの参加と回診、甲状腺エコー見学などを行いました。回診は主にほかの学生やレジデントの先生と一緒に行いました。内分泌内科の病棟にはたまたま日本語を少しだけしゃべることができる高齢の女性が入院しており、この患者さんの回診をメインで行っていました。この患者さんは90代で日本の台湾統治時代に日本語を学んだそうで、日本語を使うととても喜んでいただけたのを覚えています。甲状腺エコーは毎日50件程度されており、エコーの使い方や画像の見方などを教わりました。

最後の家庭医学(family medicine)はほかの日本からの留学生とともに二週間学びました。家庭医学では外来、緩和病棟、訪問診療を見させていただきました。家庭医学の外来は様々な種類に分かれており、生活習慣病外来、糖尿病外来、旅行医学外来などがありました。特に日本では旅行医学外来は日本で見たことがなかったので新鮮でした。また、台湾の旅行医学カンファレンスを見学させていただくこともありました。そのカンファレンスは台湾の政府の方などが国の防疫について話し合っており、貴重な経験をさせていただきました。緩和病棟は日本では見たことがなく、とても興味深かったです。病棟には多くのボランティアの方がいらっしゃり、アロマセラピーを行ったり、寝たまま入れるお風呂に入れてあげたりするなどしていました。私も実際にボランティアの方と一緒にアロマセラピーをしたりしました。訪問診療では台湾の住居を実際に見ることができました。台湾では日本よりも多くの処置を家族が行うことができ、在宅医療が発展していると感じました。

実習以外の大きなイベントとしては全学の台湾と日本の言語交流サークルに参加したことが大きかったと思います。そこでは、多くの台湾の学生や日本人留学生が所属しており、月に数回言語交換を行っていました。私もそこで中国語を学び、そして使うことができました。ほかにも様々なイベントを行っており、多くの友達ができ、彼らと様々なところへ行ったり、遊んだりしました。思い切って参加してみて本当に良かったです。

最後になりますが、このような機会を与えてくださった国際連携室の皆様、講義をしてくださった先生方、国立台湾大学の皆様に感謝の意を示したいと思います。本当にありがとうございました。


Family medicine

アロマセラピーの様子

現地の学生と