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(順不同、以下原文まま)

医師の在り方

金 明

この度、私はアメリカボルチモア市にあるジョンズホプキンス大学の脳神経外科と形成外科で計9 週間、中国北京市にある北京大学の脳神経外科で3 週間実習させていただきました。どの実習も非常に充実した日々、そしてかけがえのない素晴らしい経験でした。

・ジョンズホプキンス大学:脳神経外科

脳神経外科はBrem、Cushing、Dandy、Pediatric の4 つのチームに分かれています。ジョンズホプキンス大学は脳神経外科発祥の地であり、当時のCushing先生とDandy先生が脳神経外科学を立ち上げた功績を称えてこのようなチーム名にしたそうです。私はそれぞれのチームを1週間ずつ回らせていただきました。

朝の集合時間は5 時でした。アメリカの外科系は朝が早いという噂を聞いていましたが、4時に起きることは正直自分との戦いでした。病院に着いたらレジデントはすでに患者さんのカルテを確認しており、私は5時半からのレジデントの回診に付きました。5時半といっても周りは暗闇で、患者さんも大半夢の中でしたが、レジデントは容赦なく叩き起こし、問診と神経診察を始めていました。その後、6時半からはレジデントセミナー、7時からはNCCU(Neurosciences Critical Care Unit)カンファに参加し、7時半から手術見学という過密なスケジュールでした。手術見学は基本的に助手をさせていただき、レジデントによっては顕微鏡を覗きながらの洗浄や糸結びもさせていただきました。当然ながら手技については先生から声をかけてくることはなく、自分から手技をやりたいと声を出さないと実施できませんでした。

アメリカでは脊椎や末梢神経も脳神経外科の担当になるため、2つの病院で年間5000件もの手術を実施しており、Johns Hopkins Hospitalの脳神経外科だけでも朝7時から7つ以上の手術室がフル稼働していました。手術が終わる時間は17~19時で、家に帰ってご飯食べたらすぐ寝ないと十分な睡眠が保証されないものでした。そのため手術がたまに早く終わった時は、明るいうちに家に帰ることで幸せを感じてしまうのもアメリカならではの経験でした。

実習の始めは、レジデントや看護師は多忙なためかあまり対応してくれることがありませんでした。そこで、私は自分から積極的に「How are you?」と挨拶し、小さなことでも手伝う姿勢を見せ、私が彼らにとって役に立つ存在であることを証明するための努力をしました。すると、皆さんの態度もだんだんと変わり、向こうから挨拶してくるようになり、さらに病棟処置や術前の準備も手伝わせていただくようになりました。

手術の種類は多岐に渡り、脳腫瘍の手術も1日5件以上はありました。脳腫瘍の手術や減圧術などは数が膨大であるだけで、手術自体は日本とさほど変わりませんでした。印象に残ったのは、日本では非常に珍しい膠芽腫の開頭術が1日3件もあったことです。それに、日本ではまだ導入されていないロボットを使った最小侵襲脊椎安定術も見ることができました。しかし小脳腫瘍の手術では、日本と比較して傷口が大きいのではないかと思い、隣の中国からの脳神経外科医と話してみたところ、その先生も同じ意見でした。繊細な手の動きはむしろアジア人の方が得意なのかもしれません。

開頭術を受ける患者さんでも手術当日の朝来院し、入院期間は2日のみでした。国民皆保険のないアメリカでは入院期間を短くするのが常識でした。先生からは「長く入院した方がかえって体調が悪くなる」と教えていただきました。また、医師が手術している間の病棟管理や雑務などをしているPhysician Assistや、麻酔医が導入した後の安定期の麻酔を担当するNurse Anesthetistという資格を持った日本では見られないコメディカルも存在し、医療の効率化を図っていました。

時に空き時間を利用しコンサルト担当の先生に頼んで、他科の患者さんの診察に付くこともできました。アメリカでは初期研修がないため、卒業したらすぐに自分の分野を選択しなければなりません。アメリカのインターンは専門科によって異なります。それぞれの科ではコンサルト担当のレジデントを常時設けており、自分の専門科から少しでも逸脱したら直ちにコンサルトするというシステムが整っていました。

小児脳神経外科のチームでは、自分から担当患者を持ちたいと言ったら、脳の一部を摘出した患者さんの問診と神経診察をしてくるように言われました。診察器具も全くない状態で、私は腱反射を中指、温痛覚はつねること、深部覚はiPhone のバイブレーション機能を使って診察してみましたが、思った以上に感覚障害の部位が正確に分かって非常に嬉しかった覚えがあります。

またある日の朝病院に行ってみると、銃弾が脳を貫通してしまった患者さんが私の所属するチームに入っていました。NCCUでの患者さんは意識を失っておりPinpoint Pupilの状態で、人工呼吸器でかろうじて一命を取り留めていました。先生に聞いたところ、体温が回復したら脳死判定をする予定でした。大切な命を一瞬で奪う武器は断じて許すことができないと心から思いました。

・ジョンズホプキンス大学:形成外科

形成外科はアメリカで最も人気のある科のひとつです。医療保険の関係上トップレベルの高収入の上に、美容整形外科へ進むための関門でもあり、研修できる病院が非常に限られているからです。ジョンズホプキンス大学の形成外科はJohns Hopkins HospitalのHoopes、Edgertonチームと、Johns Hopkins Bayview Hospitalのチームで計3つのチームから構成されています。Hoopes チームは主に乳房再建、マイクロ再建手術、一般再建手術を担当し、Edgertonチームは頭蓋顔面、小児と性転換手術、Bayview Hospital では手の外科と熱傷を担当していました。私はHoppesチームで2.5週間、残りのチームを1週間ずつローテーションさせていただきました。

朝の集合時間は5時半、レジデントの容赦ない回診後7時半から手術、毎日13時間以上の実習で(一番遅くまで経験したのが深夜の1 時半)、脳神経外科よりも過密なスケジュールでした。ジョンズホプキンス大学の形成外科は日本で考えられないほど忙しく、1日20件以上もの手術が行われ、乳房関連の手術だけでも週30件近くありました。また、形成外科は学生をチームの戦力として扱っていることが特徴的でした。

手術において私はジョンズホプキンス大学の学生の真似をし、電メスを勝手に手に取って出血部位を焼いたりしても何も言われませんでした。それ以降、自分でどんどん止血、洗浄や吸引などをしました。傷口も大きい場合が多く、「この半分を縫合しなさい」と先生から持針器とピンセットを渡されたときは、嬉しさと不安の半々でした。1 か月の実習の間、脂肪縫合から真皮縫合、皮下縫合まで数多く練習させていただきました。(私が4年生の時から外科や産婦人科の病院見学や実習中、糸結びや縫合を少しずつ練習したことが非常に役立ちました。外科系志望の後輩たちは留学の前に練習しておくことをお勧めします。)また、予定手術以外にも、他の外科の手術で傷口が大きすぎる場合や、皮弁が必要な場合急に呼ばれるため、深夜でも待機の手術が残る日が多くありました。ある日手術に参加し21時を超えたところ、突然胸ポケットの携帯が振動を重ね、しばらくして手術看護師たちが病院と寮の間に銃撃事件があったことで盛り上がっていました。私は思わず背筋が凍り付き、寮にどう帰るかと心配になってしかたがありませんでした。幸いその日もジョンズホプキンス大学の無料配車サービスで無事に家に帰ることができホッとしました。Johns Hopkins Bayview Hospitalで1週間実習する時でも、無料のシャトルバスは朝6時半からしかなかったため、通勤手段はボルチモアの市バスを選びました。薄暗い早朝の時間帯、私は黒人の方ばかりのバスに恐る恐る乗っていました。最終日は隣の方と後ろの方から非常に強烈な大麻臭がして気分が悪くなってしまいました。ボルチモアの治安は非常に悪いです。自分の身を危険な環境にさらしてみると、日本の安全な環境がいかに貴重かを再認識できました。

Bayview Hospitalではチーフの方針で、学生が全患者さんのカルテを確認し、一人で回診に行き、その内容をレジデントに報告することが求められていました。実は5 日目の最終日になっても、どのような処置をすればいいかわからなかったため、私は一人で回診する目標を達成できませんでした。この病院でもっと長い期間実習していれば、ジョンズホプキンス大学の学生のように一人で患者さんの管理ができたのではないか悔しい思いをしました。また、Bayviewにおいて、私は通常の清潔野に入るほか、術前の同意書作成、オペ後PACU(Pre and Post Anesthesia Care Unit)への引継ぎだけでなく、外来の予診などもさせていただき、論文を調べ20分に渡る発表をするチャンスも与えられました。ある日ガンショットの緊急手術が入り、終わったのが深夜だったため、予定にない病院泊りをしました。日本のような24時間営業のコンビニがあるわけでもなく、外に出るのは危険だったため、食料品、水や布団を周りから自力で調達し一晩を凌いだのも面白い経験でした。

最終週はレジデントが足りない日で、私が第一助手で入った足の皮膚移植術がありました。初めての第一助手で、緊張しながら手術に臨み、幸い先生に怒られることはありませんでした。傷口を閉じる途中、アテンディングの先生は「今日は助かったよ、あとは任せた。」とおっしゃって突然オペガウンを脱ぎ、どこかへ行ってしまいました。私はふと周りを見渡しましたが、麻酔もNurse Anesthetistで、部屋中医師が一人もいませんでした。私は自分を落ち着かせ、今までの記憶を辿って縫合を完成した後ガーゼを3 種類巻き、その後病棟まで患者さんを連れていって看護師に引継ぎをしました。後にレジデントにこのことを話したら、あっさり「良くやったよ」と言われただけでした。学生にどれくらい任せるかは科によってまちまちのようでしたが、形成外科は間違いなく最も学生をチームのContributorにしている科だと思います。

形成外科において日本では見られない症例も数多く経験しました。リンパ浮腫最重症でCharles Procedure(下腿の皮を一周剥き、中の線維組織の層をハサミで切り落とし、皮を貼り返す)、Crouzon Syndromeの患者さんでLefort III Osteotomy(顔の皮を頭皮から眼の下まで剥き、頬骨を切り、下方の頬骨を引っ張り出し、皮を戻す)、トランスジェンダーの方のMetoidioplasty(女性から男性への性転換手術)、Penile Inversion Vaginoplasty(男性から女性への性転換手術)などがありました。実際目にする時は衝撃の連続でしたが、これらこそアメリカまで来て実習できて本当に良かったと思った瞬間でもありました。

アメリカでは人気の科は成績上位者のみが選択することができます。この度、私はアメリカで非常に競争率の高い脳神経外科と形成外科で実習することができました。アメリカの実習は暇しようとすればいくらでもでき、積極的に参加すれば日本では考えられないような素晴らしい実習を経験できます。留学をいかに有意義に実らせるかは自分次第です。

・北京大学:脳神経外科

北京大学は実習の前から、事務の返信が早く、面倒見が非常に良い印象でした。派遣留学生ごとに、担当教官と医学部生のメンターもいました(名古屋大学の提携校では唯一だと思います)。メンターには主に、勉強や生活における問題を相談・仲介していただきました。

私は市中病院である北京医院で3週間実習させていただきました。北京医院は中国の病院ランク付けにおいて最高レベルの“三甲病院”に属しています。全国的に有名な脳神経外科医である王主任が率いるチームは中国で最も早くカテーテル技術を導入し、今も脳血管治療において国のトップを走っています。中国では死亡原因の第一位が脳血管疾患であり、全国から紹介してくる患者さんを受け入れていました。私はその血管グループに所属し、難しい症例の内膜剥離術、ステント留置術や動脈瘤コイル塞栓術などを数多く経験しました。設備や技術などは、日本とほぼ変わらない高いレベルでした。内膜剥離術などにおいては、第二助手をさせていただき、皮下縫合や表皮縫合もさせていただきました。

朝の集合時間は7時半で、前日オペした患者さんの状態を自ら確認し、8時から朝の引継ぎに参加しました。全てのやり取りは中国語ですが、アメリカのジョンズホプキンス大学やシカゴ大学などでObservationされた先生も複数人いらっしゃって、医療用語を英語で説明していただきました。修士課程や博士課程の若い先生たちの英語力も非常に高いものでした。先生たちは非常に教育熱心で、処置や救急などがあったら、仮に私がその場にいなくても電話をしてまで呼んでいただきました。

私は中国語が話せるため、回診の際患者さんやその家族と話をする機会が数多くありました。第二週では、日本旅行について楽しく語り合い、少し愛着が湧いた担当患者さんがいました。ところが、その方はある日の深夜急変し、翌朝病院に行った時すでに帰らぬ人となり、悲しい思いをしました。また、救急でクモ膜下出血の患者さんが頻繁に運ばれ、私が病気の重篤さや治療のリスクについて説明したら泣き崩れる家族も数多く目にしました。生と死、これらをすぐ目の前にすると、医師としての責任の重大さ、時に無力さも感じざるを得ませんでした。

ある日、頸動脈ステント留置術を見学していたところ、突然塞栓が飛んで脳底動脈の閉塞が起きてしまいました。カテ室の雰囲気は一気に変わりましたが、先生の迅速かつ落ち着いた操作で塞栓はすぐに吸引されました。主任の先生もこの10年間で初めてだったとおっしゃっていましたが、臨床の現場ではどのようなアクシデントも起こりうるため、その際には瞬時の判断力が医師に求められると思いました。

北京医院を含めた中国のほとんどの病院では、医局が病棟の中にあります。面白いことに、患者さんやその家族が何か疑問があったら看護師に聞くのではなく、直接医局を訪れることでした。医師と患者の距離が近いことで安心できる患者さんも多いとはいえ、医師は通常の業務をしている途中でも、5分置きに入ってくる患者さんの対応を強いられていました。医師が廊下を歩いているときや、他の患者さんの診察をしている時でも、家族は外で凝視しており、医師が病室から出た瞬間様々な質問を投げかけてきました。ただその質問の内容は、なんでMRIの検査がまだ始まらないだの、背中が痒いと言っているから見てほしいだの、看護師に聞けば十分解決できる軽いものばかりでした。さらに、外来受診や入院もしていないにもかかわらず、他院で撮影したCTやMRIでセカンドオピニオンを求め、廊下で必死に待っている方も頻繁に見かけました。加えて、医師の携帯に直接電話かけてくる患者さんも数多くいました。

このような日本ではあまり見かけない行動の根底には、医師はコネやカネを使わないと先に見てくれない、良い医療が受けられないという医師への不信感が未だに残っているからだそうです。確かに遠い地方から北京まで来ている患者さんにとっては、宿泊料金などを考えると、待ち時間を短縮することは金銭的な負担を減らすことにつながります。

なぜ地方からわざわざ北京まで来なければならないのか?その裏には、中国医療資源の不均等という社会問題があります。北京や上海などの“一線都市”ではWHOなどのガイドラインを積極的に取り入れ、海外との交流も盛んなため、先進国と同レベルの医療が受けられます。一方、地方はその発展がまだ行き届かず、良い医療を受けるには大都市まで行かなければなりません。そのため難しい症例は北京に集まり、北京の医師のレベルはさらに高くなり、地域差は広がっている一方です。

実習以外には、ご飯を非常に大切にする文化が窺えました。毎日手術室ごとに無料のお弁当が出ており、カテ室においても昼ご飯の他に果物もいつも用意され、夜遅いときは晩ご飯も奢っていただきました。北京医院での実習の3週間、自分のお金でご飯を買ったことが一度もありません。日本の「お疲れ様」の代わりに「ご飯食べた?」といつも聞かれ、もし「食べてない」と答えると技師や看護師の方たちはご飯と大量のおかずに果物やお菓子を用意していただきました。食事に無頓着なアメリカから帰ってきたばかりのためか、実家にいるような温かさと人情味が身に沁みました。

バスや地下鉄などの交通機関は非常に発達しており、シェア自転車は非常に安価で手軽に乗れるため、交通面においては名古屋よりも便利な印象でした。今回中国に行って驚いたのは、スマホ決済が生活の隅々まで浸透していることでした。中国にいる3週間、現金を使ったことがありません。顔で支払いができる自販機や、病院内あちこちに貼られているバーコードが目立ち、路上ミュージシャンの白髪のお年寄りにさえ、バーコードで金をあげなければなりませんでした。急速な経済成長を成し遂げたこの国の、医療や社会福祉のさらなる発展が期待できます。

医師は、今後どのような分野に進むであれ、最新情報を獲得するためには論文を読んだり学会に参加したりしなければなりません。残念ながら現状、そして近い将来も、医学の公用語は英語で変わりないと思われます。英語での論文抄読や学会発表自体はスマホの辞書やGoogleなどを調べれば簡単にできるはずです。しかし、情報社会において医学は日進月歩で発展しているため、今は全世界の医師たちと英語で議論できる能力が求められています。歴史から見ても、交流を拒む国は世界のラリーで取り残されます。

私は、医師であれば短期間でも臨床や研究で、海外に滞在すべきだと思います。英語圏の国でなくて構いません。日本から離れた瞬間に相手は日本語が話せないため、交流のツールは結局英語になるからです。相手の英語力も高いとは限りません。簡単な言葉と文法でも順調にコミュニケーションが取れることが真の英語力だと思います。交換留学も正直英語力の向上は期待できませんが、自分の持っている限られた単語力を上手く駆使し、海外の方たちとDiscussionやNegotiationする能力は知らぬ間に育っていくと考えています。

もちろん、日本の医学も世界をリードしており、常に最先端の知見と技術を取り入れ、人々のモラルも世界最高です。医師として日本で活躍することは素晴らしい選択です。だからこそ今後日本で働きたい後輩たちでも、海外に滞在し自分を成長させることができる名古屋大学の派遣留学という素晴らしいチャンスを逃してほしくないと思います。最後に私の人生、最高のイベントの一つであった今回の留学をサポートしていただいた長谷川先生、粕谷先生、Itzel先生をはじめとする国際連携室のスタッフの方々、受け入れ先のジョンズホプキンス大学、北京大学の先生方、そして私の両親にこの場を借りて最大の感謝を捧げたいと思います。


JHU 小児脳神経外科の先生たちと

JH Bayview Hospitalの形成外科の先生たちと

JHU形成外科チームとのBreakfast at 6 am

北京大学の担当教官たちと

留学体験記

久野 泰孝

アメリカのジョンズホプキンス大学に2か月間、留学させて頂きました。

最初の1か月は脳神経外科で実習しました。ホプキンスの脳外科はとにかく規模が大きく、1日に7から8件の手術が並列して行われています。朝5時に集合し、回診、研修医の勉強会に参加したのち、7時半から手術が始まります。1日数件の手術を見学し、夕方から夜に帰宅するというのが1日の流れです。留学に応募した当時は将来の志望科として脳神経外科を考えていたため、これほど沢山の症例数に恵まれた環境でどんな実習が行えるのだろうかと非常に楽しみにしていました。実際に手術の内容は多彩で、特に興味のある脳腫瘍に関しては毎日のように髄膜腫、神経鞘腫、下垂体腺腫、頭蓋咽頭腫、小脳腫瘍などの手術を見学でき、血管、機能、小児、脊椎それぞれの領域の手術に関しても手洗いできました。ただ少し残念だったのは、手術中に自分が手をだして参加できる機会はほとんどなかった点です。もちろん安全性の問題もあるので、英語すら拙い学生に最初から何か任せて頂ける可能性は低いだろうと考えていましたが、自分が日本ではなくアメリカでの実習に最も期待したことだったので、なんとか改善できないかと色々考えました。前日に手術予定を確認し、予習したことから先生方に質問攻めしてみたり、待ち時間にこれ見よがしに糸結びの練習をしてみたりしてみました。ただ結局のところ評価されたのは、自分から準備してアピールしたことではなく、外来やERで不意に訪れた議論の機会であったように感じます。その甲斐が あったかわかりませんが、先生によっては閉創や頭蓋骨の加工を手伝わせて下さいました。

2か月目は循環器内科で実習させて頂きました。循環器内科といっても患者の重症度によって病棟は細分化されており、私はその中でも比較的状態の安定している患者が入院する、PCCUというチームに所属しました。教官1人、フェロー1人、研修医が2人で構成されており、15-20人くらいの患者さんの管理をします。朝8時前に病棟に到着し、個人で回診し、患者の状態を評価、今後のプランの案をたて、チーム回診時にプレゼンテーションします。一人一人の患者にかける時間が豊富にあり、チームの人数は少なめであったため、自分の診察技術や治療計画について余裕を持って説明できましたし、フィードバックも細かくいただくことができ、非常に充実した実習になりました。午後はチームとしての予定はなく、研修医がひたすら書類仕事をこなす姿を横目に、カテーテル治療や心臓外科手術の見学など自由に過ごしていました。徐々に研修医の仕事も任せてもらえるようになりました。開業医に電話して患者のカルテを送ってもらうように頼んだり、検査部に電話して患者の検査を早めてもらうように交渉したり、患者の退院サマリを書いたりしました。最も難易度が高かったのは、患者に直接病気の経過や行うであろう検査の内容について説明をすることでした。専門用語を用いずに説明しなければならないため、カンファレンスや回診で発言することよりも難しく、苦労しました。日本の実習ではトラブルを避けるために、患者の質問に対し てはわかりませんと答えるように指導されていましたが、ここでは必ず後で研修医がやってきて修正して下さいます。患者さんも学生に対し理解を示して下さり、守られた環境で実習できました。

週末にはバスや鉄道を駆使してフィラデルフィア、ワシントンDC、ニューヨークといった近隣の都市に足を伸ばしました。特に金君がチケットを手配してくれたNBA観戦はプレーオフということもあり、非常に盛り上がりました。肝心のボルチモア市内は、海沿いの最も栄えた地域がちょうど名古屋港と同じくらいの規模で、予想していたよりも小さな都市という印象を受けました。

率直に言えば、脳外科の実習では数週たっても見学ばかりで思い描いていた通りの実習は行えず、自分の実力不足のせいであると悩む時期もありました。研修医の先生曰く脳外科は最も学生のハンズオンが少ない科であり、現地の学生の権限も自分と同程度であったこと、整形外科の手術に入った際は、初対面にも関わらず満足いく実習をさせて頂いたことなどから、今回は少し運が悪かったと気持ちを切り替えました。冷静に考えれば手技や仕事の内容自体は研修医になれば経験できるだろうもので、そこまでこだわる必要がないのかもしれません。それ以上に、仕事を与えて頂けるように試行錯誤し、少しでも信頼を得ることができたことや反対にしくじって歯がゆい思いをしたことは非常に貴重な経験でした。

中東や南米から留学されている先生方がなんとか成果をあげるために必死に努力されている姿を間近にみると、学生のうちに留学する最大の利点はそうした重圧とは無縁でいられることだと感じます。失敗しても挽回するチャンスは必ず訪れますし色々なことに手を出してみようという気になります。上記の2つの科の先生を通して放射線科、救急科、心臓外科などにもお願いし、実習させて頂きました。どの先生も煙たがらずに歓迎し、時間を割 いて下さいました。興味を示せば受け入れてくれ、新たな興味を引き出してくれる土壌がここにはあります。

アメリカの病院はコネ社会です。研修医の就職に医師の推薦状は大きな位置を占めます。実習中は、教授に気に入られるとその下の先生の対応が様変わりしたり、日本人の先生が勤務されている部署では周りの先生からより熱心に指導を受けられたり、自分の努力ではなく人との繋がりで壁を越える経験を多くしました。さらに自分とは背景の異なる他国や他大の留学生と交流し刺激を受けました。大学6年間、閉じられたコミュニティの中で過ごしてきたことを反省し、将来の進路を考え直す良いきっかけにもなりました。人間関係によって視界が開けることに、社会人になる前に気づく機会を得たことは幸運でした。

今回の留学を通じて、沢山の貴重な経験を頂戴することができました。ご尽力頂きました皆様に感謝申し上げます。


マンハッタンを背に

他大の友人と

留学体験記

佐々木 健

この度2月22日から6月23日にかけて約4ヶ月間アメリカ・イギリスにて臨床留学をさせて頂くことができました。その内初めの4週間は医学教育振興財団のご支援を頂きグラスゴー大学の神経内科にて、次の6週間は名古屋大学と提携のあるデューク大学の呼吸器内科・感染症内科にて、最後の6週間はケンブリッジ大学の産婦人科にて実習させて頂きました。気付けば流れで3箇所にて実習を行うことになり応募に際してもとても大変でしたが、多大なお力添えを頂き無事終了することが出来ました。以下にそれぞれについて述べたいと思います。

まず最初に向かった先はイギリス北部スコットランドにある都市であるグラスゴーでした。ここにあるグラスゴー大学の附属病院であるQueen Elizabeth University Hospitalの神経内科にて勉強させて頂きました。グラスゴー大学は過去に経済学者のアダム・スミス、蒸気機関を発明したワットを輩出し、またNHK朝ドラのマッサンでお馴染みニッカウイスキー創業者の竹鶴政孝が留学していた場所でもあります。医学に関してはこちらの神経分野はGCS (Glasgow Coma Scale) が考案された場所として有名です。自分以外にも群馬大学・順天堂大学・浜松医科大学の子が財団から派遣されていたため、それぞれの実習内容について情報交換をしながら励んでいました。特に印象的だったのは、日本では珍しい多発性硬化症の患者さんが多かったことです。さらには多発性硬化症の専門外来まであり驚きました。また休日には過去にグラスゴー大学やエジンバラ大学から名大に臨床実習に来てくれた子 などと再会することができ本当に良かったです。

次に向かった先はアメリカのノースカロライナ州ダーラムでした。1週間の北東部への旅行を挟んで、こちらにあるデューク大学の呼吸器内科にて4週間、感染症内科にて2週間実習させて頂きました。最初の呼吸器内科ではこれまた日本では珍しい嚢胞性線維症の患者さんを見せて頂くことができました。感染症内科については本来行けない予定だったのですが、今年もお世話になったホストマザーのJennyのコネクションを通じてobservershipとして実習させて頂くことができました。感染症に興味のある自分としてはアメリカの感染症内科について大まかにイメージを持つことが出来たのはとても貴重な経験でした。また途中ダーラムから少し離れたグリーンスボロにて、フロンティア会のOGでいらっしゃるKaori Longphre先生の元で麻酔科を見学させて頂きました。休日にもアメリカならではのことをたくさん経験させて頂き思いっきり楽しむことができました。

最後の目的地はイングランドにあるケンブリッジでした。こちらは財団や大学と提携はありませんが、2年生の時に2週間だけでしたが全学の交換留学でケンブリッジのセントジョンズカレッジに行かせて頂いたことをきっかけに、もう一度ハリーポッターさながらのカレッジのフォーマルディナーに参加したいというほぼその思いだけで応募しました。実習科としては産婦人科だったのですが、担当の先生が婦人腫瘍専門でいらっしゃったことや実習内容がより充実していたこともあり婦人科の方がメインになりました。実習以外としては、去年同じプログラムで名大に来てくれたジョンズ所属の医学部の子に例のフォーマルディナーに連れて行ってもらえたり、ちょうど時期がかぶったこともあり他の留学生の子とMay Ballと呼ばれるカレッジ主催の学年末舞踏会に行ったりしていました。また休日にはケンブリッジの町歩きを楽しんだり、少し足を伸ばしてフランスに行きテニスの全仏オープンを観戦することができました。

残念ながら今回の経験で大いに英語ができるようになったとか知識が増えたという実感はしませんでしたが、アメリカ・イギリスの2カ国における医療・医学教育の違い、さらには医学英語の違いを知ることができ、また世界の中での日本を支えている・支えていく多くの方に出会うことができた点については非常に意義のあるものだったなと思います。総じてアメリカは何もかもが初めてでしたが、イギリスでは色々な人と再会することができてとても嬉しかったです。最後になりますが医学部長の門松先生、国際連携室の粕谷先生、長谷川先生、Itzel先生を始めとする全ての先生方に厚く御礼申し上げます。特に長谷川先生には応募手続きの際に本当にお世話になりました。ありがとうございました。


Kaori Longshore先生と

John’s Formal後の1枚

ホストファミリーのJennyとFred

香港中文大学

蝦名 拓海

私はこの度の派遣留学にて香港中文大学で2か月実習いたしました。香港特別行政区は一国二制度のもとイギリス統治下でのシステムが残っており公用語に英語が含まれているなど、中国語を話すことができない外国人でも暮らしやすい都市です。物価はやや高かったですが、治安は日本と同じかそれ以上で、不安なく一人で夜遅くまで出歩くことができました。

香港には日本が好きな人が大変多くいました。私が話した医師や現地の学生で日本に来たことが無かった人はおらず、実習中に「おはようございます」などと日本語で挨拶されることもしばしばありました。彼らの日本語に負けないよう広東語の勉強をしていたのもいい思い出です。香港の人口は約750万人なのですが、2017年・2018年は一年間で200万人以上の香港人が来日したそうで、日本への関心の高さを強く感じました。病院の外でも日本人というだけで歓待されることがよくあり、全く知らない方にチャーシューをご馳走になるということもありました。外国人として一人で生活していたため、このことは本当に心強かったです。

実習は香港中文大学のteaching hospitalであるPrince of Wales hospitalの消化器内科で行いました。主に内視鏡、外来、回診を見学して、学会にも何度か参加させていただきました。カルテは英語で書かれ、回診やカンファレンスも英語で行われるため言葉で困る事はありませんでした。

内視鏡の見学では日本で見ることができなかった手技を含め一通り見ることができました。内科医だけではなく、外科医も種類を問わず内視鏡検査・ERCP・EUS・内視鏡的切除術などを沢山されていたのが特徴的でした。今でも外科医がここまで内視鏡をしているのはおそらく他の国ではあまりないそうです。たくさんの種類がある内視鏡の手技のなかで、香港と日本で一番違いがあったのは意外にも上部消化管内視鏡検査でした。日本では病変の有無にかかわらず何十枚も写真を撮りNBIを使うことも多いと思いますが、香港では病変がない部分の写真は撮らずNBIを使うことも少なかったです。特に異常が無かった場合には検査が本当にすぐに終わることには衝撃を受けました。

外来見学では大事なことは先生がすぐに翻訳してくれたり現地の学生が一緒のときは同時通訳をしてくれたりと問題なく実習できました。患者数が多いということもあり、IgG4関連疾患などの珍しい病気やIBDの重症例などもたくさん勉強することができました。外来の空き時間には現地の学生向けの講義をしてくださったり、香港と日本での使う薬や治療法の違いについても話し合ったりもしました。患者さんは広東語を話すことは香港に行く前から知っていたので正直外来見学についてはあまり期待していなかったのですが、行ってみると先生方と落ち着いて話すことができるので実習で一番好きな時間でした。

消化器内科の先生方には大変親しくしていただき、火鍋やローカルなレストランなどに何度も昼食や夕食に連れていていってもらいました。さらに、私が日本に帰ってきた後、消化器内科のAssistant Professor の先生が友達と名古屋に来てくださり一緒に観光し鉄板焼きを食べました。

ヨーロッパやアジアからの外国の消化器内科医が内視鏡のトレーニングや勉強にたくさん来ていたことも印象的でした。Prince of Wales hospital で外国の医師が内視鏡を実践するのはそこまで難しくないそうで、彼らには日本で同じように内視鏡をトレーニングすることができるのかとよく聞かれました。一緒に内視鏡を見学したり病院で昼食を食べたりすることも多かったので、様々な国の医師とお話しすることができ大変有意義でした。

香港や他の国の先生と話していて、日本の内視鏡や手術は世界から注目されていると感じました。まだ学生である私に「日本でもこうやっているよね」と聞かれたり、消化器領域は日本が一番進んでいると言われたりしました。また外科の先生が学会で日本人の手術をみると驚かされるとおっしゃっていたことも印象に残っています。名古屋大学の先生を含め、日本の有名な先生の名前を挙げられることも頻繁にあり、日本人であることを誇りに感じました。

香港の医療制度は日本とは大きく異なっています。香港の住民であればpublic hospitalには日本より安く病院に通院・入院できますが、その分病棟は混みあっていて、予約は何ヶ月も取れず、また外来の待ち時間もかなり長かったです。病室の外の廊下にも並べられているベッドも満床であった光景は忘れられません。しかしながら入院患者や外来患者が医師に不満を言っている場面は一度も見ませんでした。

また現地の学生と話したり、他の国からの留学生とフェリーで離島に行くなどの観光をしたりすることも多くありました。留学生はヨーロッパから来た学生ばかりで日本人は私一人でした。いろいろな国の人と話す機会があり、日本人との考え方や嗜好の違いを感じることができ視野が広がったように感じます。

私はこの派遣留学までは、一人暮らしも一人での海外旅行も留学もした経験も無く、出発前は一人で生活できるかとても不安でした。しかし香港の先生方、現地の学生、他の留学生、そして病院の外の現地の方々も私に親切にしてくださり快適に過ごすことができました。臨床実習での留学なので、その趣旨とは外れてしまうかもしれませんが、これから日本で外国から来た方と会ったら、できるだけ話しかけたり気を配ったりしようと思うようになったことが留学に行って一番変わったことです。

最後になりますが、留学の準備から留学後までサポートしていただいた粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室の先生方、香港中文大学の先生方には心から感謝しております。本当にありがとうございました。


先生方と火鍋

留学体験記

平野 拓真

【はじめに】

私は英国のGlasgow 大学で約2か月実習させて頂きました。6年次での海外派遣留学は入学当初からの私の目標であり、昨年英国への派遣が決定した際は本当に嬉しかったのを覚えています。海外での実習は慣れないことが多く大変でしたが、その分印象に残る貴重な経験をすることができました。留学を終えた今、実習内容や現地生活の様子などを紹介させていただきます。

【Glasgow について】

Glasgow は英国北部スコットランド最大の都市で、古くから貿易と重工業の中心地として大英帝国の発展を支えた街です。現在は工業都市の側面を持ちつつ、文化・芸術の街としても知られています。市内には工業・芸術・建築など専門に特化した大学が多くあるため、世界中から多くの留学生が集まります。アジア人の私が街を歩いていても浮くことはなかったので非常に居心地はよかったです(日本人は全然いませんでしたが)。

【大学病院実習について】

私は3/25-5/3の6週間をQueen Elizabeth University Hospital(QEUH)で実習しました。QEUHはScotland最大規模の病院でGlasgow大学医学部の教育機関でもあります。2015年に改修されたばかりの病棟は設備・内装・外観すべて洗練されており、およそ病院とは思えない建築デザインにも驚かされました。私はNeurologyを中心にNeurosurgery,Paediatricsの3つの診療科で実習をさせていただきました。

Neurologyでは日本でのポリクリと同様に現地学生とグループを組んで実習をしました。朝8時にまずOSCEのレクチャーを受けて、グループで病棟へ向かい担当患者の回診をします。その後は、外来見学をしたり、Bedside teachingやConferenceに出席したりしました。医療現場での英会話は予想以上に難しく、スムーズに英語が出てこなくて悔しい思いを何度もしましたが、同じポリ班の学生たちが診察で使える言い回しや医学生向けのwebsiteを教えてくれたおかげで実習を乗り切ることができました。他にもレポートの添削をしてくれたり、カルテの悪筆(英国では一部で紙カルテを使用しています)を解読してくれたりと本当に至れり尽くせりで、同ポリ班の仲間には頭があがりませんでした。

Neurosurgery, Paediatricsは当初予定されていなかった診療科でしたが、これらの科に興味があることを私の指導医に伝えると快く他の科での実習を許可してくれました。慣れない電話でのアポ取りには苦労しましたが、拙い英語ながらもきちんと説明すればどの科の先生も実習受け入れを快諾してくださいました。Neurosurgeryでは現地の学生同様に術野に入らせてもらえました。PaediatricsではQEUH以外にもいくつかの外病院にも行かせてもらい、学会にも誘っていただくなど(残念ながら日程的に参加できませんでしたが)とても親切にして頂きました。

このようにQEUHは医師・スタッフ・学生を含めて全体的に非常にwelcomeな雰囲気でこちらが意欲を見せれば全力でサポートして貰えました。QEUHでの実習は基本的なスケジュールは決まっていますが、自分の希望次第でいかようにもアレンジできるとてもflexibleな実習で本当に有意義な時間を過ごすことができました。

【GP(General Practitioner)実習】

5/6-5/24までの3週間はGPとよばれるイギリスの家庭医のもとで実習を行いました。イギリスではプライマリケア制度がとても発達していて、Health Borderと呼ばれる各医療圏に医師の偏在がないようにGPが配置されるような仕組みになっています。またGP同士のつながりも強く、Scotland全体でGP同士のコミュニティを形成しています。

今回私はGPのリーダー的存在のLogan先生の協力を得て、GPコミュニティに日本からの留学生の受け入れを呼び掛けていただきました。私の予想に反して多くのGPの先生方から受け入れの返答をいただき、6つの診療所で実習をさせてもらいました。

GP実習では主に外来見学や往診への同行をしました。外来では見学だけでなく、私専用の部屋を用意してもらい患者さんの問診や診察をさせて頂きました。USMLEの参考書などで英語での問診の練習はしていましたが、すでに診断のついた慢性期の患者に対してどう問診を進めればいいのか分からず、気まずい沈黙の時間が流れたのをよく覚えています。そんな時GPの先生に教えていただいたのは、「病気を診るのではなく、患者を全人的に診る」ということでした。GPによる実際の診察を見せてもらうと、問診や身体診察は必要最低限に留め、患者の就業状況や家族関係など社会的側面の話題にほとんどの時間を割いていることがわかりました。GPからは何か特別な質問がされるわけではなく、「最近どう?」とフランクな感じで雑談をするなかで患者の方から自然と介護問題や家族関係の悩みを打ち明けている様子でした。これも長い時間をかけてGPが作り上げてきた患者との信頼関係がなせる業なのでしょう。私が迫ることのできなかった患者の隠れた問題にいとも簡単にたどり着くことのできるGPの姿に私はただ感動していました。

ほかにも今回のGP実習では、離島で働くGPや子育て世代のGPのところでも実習させてもらいました。同じGPでも人それぞれ働き方が大きく違っていてとても興味深かったです。

【最後に】

本学からGlasgow大学への派遣は今年が初めてということでもあり幾分の緊張と不安はありましたが、多くの人の支えのおかげで大変充実した留学生活を送ることができました。学生生活最後の年に最高の経験をさせて頂きました。国際連携室の先生方、QEUHのスタッフ、総合診療科の伴信太郎先生そしてGPの先生方にこの場をお借りして感謝を申し上げます。


現地学生と

フライブルク大学 留学体験

近藤 光

フライブルク大学で3ヶ月実習させていただきました名古屋大学6年生の近藤光です。現在は実習を終え、乗り継ぎ先である香港へ向かう飛行機の中です。本当は日本時間に合わせて寝る予定でしたが、機内で提供されるカップラーメンがあまりにも美味しく、何杯もおかわりをしていたら、満腹で目が覚めてしまったので香港に到着するまでの6時間、留学中に体験したことを思い出しながら自分の体験談を綴ろうと思います。

僕がこのプログラムに参加するきっかけは、4年生の頃に受けた講義での先生の雑談でした。どのような授業だったか詳しいことは忘れてしまいましたが、余った時間にポスドク時代に行った留学の話を聞き、とても興味を持ったことを覚えています。しかし、海外で暮らすことや日本語が通じない現場で仕事をしなくてはいけないということに漠然と不安を感じた僕は、“失敗が許される学生のうちに留学がどういうものであるか実際に体験してやろう”と思い立ち、このプログラムに応募しました。ちょうどその頃に名古屋大学のJointDegree Programにも興味を持っていたので、そちらでも提携しているフライブルク大学への実習が決まった時はとても嬉しかったです。

実習ですが、最初の4週間は脳神経外科を回りました。神経学に興味を持っていた僕は先生方から神経解剖の知識をたくさん吸収してやろうと意気込んで実習に臨みましたが、記念すべき実習第1日目は何も教わることなく、何もわからない手術の見学だけで終わってしまいました。こんなはずではとショックを受け、翌日の実習に行くことすら憂鬱になっていた僕でしたが、たまたま最初の科が脳神経外科に決まって一緒に実習をしていた吉川さ んが積極的に実習に参加する姿に勇気づけられ、とりあえず分からないことがあったら積極的に質問をするようにしました。また、質問のレベルを上げるため、2年生の時に勉強した神経解剖の復習をしたり、翌日のオペの内容を事前に聞いて予習したりしました。そんな毎日を過ごしていくうちに手術の内容も理解できるようになり、Focal Cortical Dysplasiaや、三叉神経痛、海綿状血管腫などの珍しい症例の手術について勉強することができました。また、自然と担当教官とのコミュニケーションも増え、最後の週には先生から日本語論文の英訳とプレゼンを任されるようになりました。今思い返してみれば大した課題ではなかったのですが、1人の実習生として認めていただいた気がして、頑張ってよかったなと思える4週間になりました。

脳神経外科の実習に終わりが見えてきた4月半ば、自分が今まで勉強してきた神経の知識を思う存分発揮したかった僕は、3ヶ月の留学を全て神経に捧げたいと思うようになりました。留学前から次に眼科と放射線科を回ることは決まっていましたが、去年の先輩からアドバイスをいただきながら、自分でNeurozentrum中を歩き回り、実習に参加させてくれる科を探し、その科の秘書さんたちや、眼科と放射線科の秘書さん及びForeign Officeの事務と交渉しました。その結果、脳神経内科での実習は断られてしまいましたが、2つ目の科を脳神経放射線科に、3つ目の科をてんかんセンターに変えることに成功しました。脳神経放射線科での実習は3ヶ月の留学の中で最も楽しく、2週間実習を伸ばしたくらいでした。特にこれといって決められたスケジュールはなく、血管内治療やMRI室やCT室での診断に自由に参加できるというシステムだったので、自分の興味のある分野を好きな時に勉強でき る事ができました。血管内治療では脳梗塞に対するステント留置やクモ膜下出血に対するコイル塞栓術など、緊急で運ばれてきた患者さんへの治療が中心で、先生の方から助手をするように頼まれ、週に約6件のペースで治療に参加させていただきました。診断ではMSやvon Hippel Lindau病の患者さんのフォローから超急性期Strokeの診断まで行なっており、こちらも画像所見を自分でまとめ、先生の前で軽くプレゼンを行いました。正しく報告できた時に自分の所見をレポートに記載してくれる時もあったので、とてもやりがいがありました。時には早朝にStrokeで搬送された患者の画像所見や神経症状を脳神経内科の先生とともに検討し、そのまま患者さんに付き添いながら血管内治療に参加する日もありました。

てんかんセンターでは脳神経外科や精神科、脳神経放射線科と連携しながら、てんかん以外にも痙攣や振戦を主訴とする患者さんたちの診察、治療を行っていました。こちらは2週間と短い期間での実習だったので、最初の2つの科と比べて多くは学びきれませんでしたが、実際に痙攣の様子を見て、脳のどの領域まで興奮が伝わっているのかを予測する技術や脳波の読み方、Epilepticな痙攣とPsychogenicな痙攣の鑑別、てんかんの分類などを勉強することができました。担当教官が2人ともポスドク時代に留学経験があり、そちらの話を伺うこともできるいい機会にもなりました。

実習以外のこと(休暇の過ごし方)についても触れたいなと思います。留学といえば、やはり息抜きも大事です。後輩のみなさんも気になるところなのではないでしょうか。結論から言いますと、フライブルクは旅行の拠点として向いていると思います。4月にはイースター休暇、5月、6月には2日ずつ祝日があり、土日と合わせて休みを取れば、国外に旅行することもできます。僕自身も休暇を利用してルンドに行った2人とグラスゴーに行った平野くんと一緒にオランダとベルギーに行ったり、ウィーンに行った友達に会いに行ったりしました。DBの早割やFlixbus、格安航空をうまく使えば、かなり安く国外に行けてしまうのがヨーロッパ留学の長所なのではないでしょうか。国外に出てみるのも楽しいですが、個人的に後輩の皆さんにオススメしたいのが、Rock Am Ringというドイツのニュルブルクリンクで開催されるヨーロッパ大陸最大のロックフェスです。3日間通して10万人近い動員数を誇り、ヘッドライナーにSlipknot, Tool, Slayer, Foo Fighters, Gorillazなど世界的に有名なバンドが名を連ねています。6月の土日祝日に合わせて開催され、ヨーロッパで実習している人たちにとても参加しやすい日程となっているので、ぜひ後輩のみなさんに参加していただきたいです。

まとめになりますが、フライブルク大学の実習は他の大学の実習と違い、現地のポリクリ班に参加して一緒に実習をすることはありませんし、担当教官からあらかじめ決められたスケジュールに従うこともありません。自由な環境で自分の理想とする実習を作り上げたい方にはぜひフライブルク大学の留学をおすすめしたいです。最後に、留学の準備から帰国後まで多大なサポートをしてくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室の先生方、フライブルクの先生方にこの場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


脳神経放射線科の先生方と

国立台湾大学/フライブルク大学 留学体験記

吉川 麻里奈

私は3/11-3/22の2週間及び4/1-6/21の12週間をそれぞれ国立台湾大学とフライブルク大学で過ごしました。国立台湾大学では産婦人科、フライブルク大学では脳神経外科、麻酔科、産婦人科で実習しました。

国立台湾大学

国立台湾大学産婦人科は7:30に始まります。産科と婦人科はそれぞれ別の会議室に集まり、ミーティングをします。ミーティングはレジデントを始め、インターン、医学科の学生が出席しており、かなり大規模でした。入院患者や手術予定患者の情報共有がまずあり、その後インターンによるミニレクチャーが行われます。レクチャーの説明は中国語でしたが、スライドは全て英語だったので内容はある程度理解できました。台湾では医学は基本的に英語で学ぶらしく、カルテや手術予定表も英語で書かれ、とても助かりました。朝のミニレクチャーに限らず、昼にもレジデントによる珍しい症例や論文の紹介があり、発表を行う機会が数多く設けられ、台湾大学は教育に熱心であることが感じ取れました。ミーティング後、手術などの通常業務が始まります。手術や個々の手技の前にはレジデントの先生が必ず丁寧に患者や内容について説明してくださり、とても勉強になりました。日本ではなかなか見られない単孔式腹腔鏡下手術やレベルII超音波検査による出生前診断、不妊治療、婦人泌尿器科での尿流動態検査などを見学させていただき、非常に貴重な体験となりました。

フライブルク大学

フライブルク大学では脳神経外科は大学病院、麻酔科はLoretto病院、産婦人科はSt. Josef病院で実習を行いました。後の2つの病院はいわゆる外病院です。フライブルク大学の脳神経外科はドイツ国内でも一、二を争うほど有名で、毎日15本前後の手術があり、医師もヨーロッパ中から集まり、活気に満ちていました。実習は主に手術見学でしたが、先生方はどのような質問にも快く答えてくださり、勉強になりました。次に訪れたLoretto病院は大学病院とは打って変わって病床数300床程度の小さな病院です。外科系の科は泌尿器科と整形外科のみで、麻酔もこの2科の手術に対して行っていました。ドイツでは卒業後すぐに専門研修が始まるため、卒業前の実習である程度の手技を習得することが期待されます。そのため私も今回の実習でルート確保やマスク換気、挿管、麻酔器の設定、脊椎麻酔、Aライン確保など非常に多くの手技を経験させていただきました。日本ではルートすら取ったことがないと先生に言ったらとても驚かれましたが、「いつかはやるのだからとりあえずやってみなさい」と、どの手技も非常に丁寧に教えてくださいました。また、ここでは救急救命士や麻酔科専門看護師の学生も受け入れており、皆積極的に手技に取り組んでいて、良い刺激となりました。麻酔や使用する薬剤に関しても、先生方はどのような質問にも詳しく答えてくださり、日本では使われない薬剤についても勉強できて興味深かったです。最後に実習したSt. Josef病院は病床数500床の中規模病院で、はじめの2週間を婦人科、後の2週間を産科で過ごしました。毎朝7:40に産科と婦人科の合同カンファがあり、その後それぞれ別れて業務を行います。先生の人数自体は20人ほどいるのですが、ほとんどが子持ちの女性で、分担して働いているため1日にいるのは産科婦人科それぞれ3~4人ずつでした。ここでの実習生の業務は、術後や産後の患者の採血、術前患者のルート確保、手術助手などで、手術のない時には分娩や外来見学をさせていただきました。日本の産婦人科と比較し、異なる点がいくつもあったので非常に興味深かったです。自然産では生まれたら臍の緒を切る前に母の胸元へ赤ちゃんを持っていき抱かせてあげる、帝王切開でも父親が立ち会いし新生児の初期診察に同席してもらう、など初めて見る状況に驚きを隠せませんでした。他にも日本とは異なる治療や日本で認可されていない薬剤の投与など、日本では経験し得ない多くのことを学ぶことができ、大変有意義な実習となりました。最後に、今回の留学を実現するにあたり多大なるサポートをしてくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめ国際連携室の皆様、学務の皆様、フライブルク大学の先生方へ心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

アデレード大学派遣留学報告

安藤 健樹

私は12週間、サウスオーストラリア州のアデレード大学へ留学する機会を頂きました。一部ではありますが、私が留学を通して感じたこと、学んだことを報告させて頂きます。

アデレードはオーストラリアの南、南極海に面した都市です。もともと移民のために計画された植民地都市のためか、移民やその子孫の人々が多く暮らしており、町を歩けば様々な出身の人々に会います。聞こえてくる英語も発音・アクセントが人それぞれで、留学生にとっても過ごしやすい都市でした。また、自然がとても豊かで、町中でもカラフルなインコやペリカンが飛んでおり、休日に郊外の野山へ行くと野生のコアラやカンガルーを見ることができます。

アデレード大学には名大病院のような附属病院はなく、医学生は周囲の関連病院で実習を行います。私は、医学部本部の隣にあるRoyal Adelaide Hospital (RAH)で全12週間、実習を行いました。サウスオーストラリア州では最大の病院で、2年前に移転したばかりの新しい建物でした。

最初の6週間は腫瘍内科、後半の6週間は消化器内科での実習でした。指導教員が割り当てられますが、基本的には朝8時に病棟へ行き、他の学生や研修医と病棟業務(問診、カルテ記載、採血など)を行う毎日でした。週に数回ほど外来や検査の見学もしました。化学療法薬の適応やレジメンは、おおよそ日本の臨床現場と共通していた一方で、抗菌薬や抗凝固薬など日常的に使われる薬剤は日本と異なる薬を使う場面が多く、「なぜこの薬を使うのか」を改めて考える良い機会となりました。

実習当初は慣れないこと、知らないことばかりでしたが現地の学生や先生方、病院のスタッフにはとても親切にしていただき、大変お世話になりました。例えば、採血の方法や紙カルテの書き方が分からず困ったときには、学生や研修医の先生が手取り足取り教えてくれました。英語が聞き取りづらい患者さんやその家族から問診する時には、その都度学生が一緒に来てくれたりもしました。最初の一ヶ月ほどは見学ばかりでしたが、慣れていくにしたがって、問診や採血、簡単な検査をさせてもらえるようになり、ストレスに感じる反面、勉強を続ける励みになりました。

実習中、ほぼ毎日コーヒー休憩があり、とても印象に残っています。忙しくても休憩することを大事にしており、回診をわざわざ中断して、病院内ではなく隣の研究棟のカフェまで行くこともありました。休憩中は皆お気に入りの飲み物を片手にリラックスしており、普段忙しそうな先生からも様々な話を聞くことができました。毎日、ゆっくり時間をかけて質問や雑談する場があったことは今から思えばとても贅沢だったと思います。私の予想とは反対に、日本の文化について皆よく知っており、休暇に日本へ行った話や日本食の話をしてくれた時は、なぜか無性にうれしく感じました。

帰国後にアデレードでの臨床実習を振り返ると、改めてオーストラリアと日本との臨床現場や医療教育、価値観の違いに気づかされます。RAHでは患者の平均年齢が若い(65歳以上が3割しかいない)こともあり、患者さんはすぐに退院することが多いです。カンファレンスでは、患者さんの人種・出身地・生活様式が非常に多様なため、鑑別疾患や治療を決める際に出身地や生活歴を重視しており、それまでポリクリではあまり考えていなかったため新鮮でした。医療教育も、日本のポリクリのような知識の習得を優先する教育というよりは、医師になった後に即戦力となれるような教育であると思います。留学を通して、日本で学ぶ医学知識・臨床現場を別の視点から考えられるようになったと感じています。

末筆ながら、留学するにあたり、事前交渉や準備を支援して下さった国際連携室の方々、臨床実習を受け入れて下さったアデレード大学・RAHの方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。


お世話になった先生方と

留学体験記

間瀬 暁代

私は3ヶ月間、オーストラリアのアデレード大学に留学し、アデレード市内にあるWomen’s and Children’s Hospital(WCH)で実習を行いました。アデレードはそれほど大きな街ではありませんが、豊かな自然に囲まれ、とても住み心地のよい街でした。

3か月実習で過ごしたWCHは小児科、産科の専門病院で、南オーストラリア全域から患者さんが来ます。2週間ごとに1つの科をまわり、Allergy/Immunology, Genetics, InfectiousDisease, Respiratory, Neurologyにて実習を行いました。実習初日、担当の方は私が来ることをすっかり忘れており、病院内を探し回ったあとにその場でなんとなく決めて頂いた実習科でしたが、結果としてどの科でもとてもいい経験をすることができました。

最初の2週と最後の2週に回ったAllergy/Immunologyでは、Medical Day Unitで患者さんの問診、身体診察を行いRegisterに報告することが学生の仕事でした。「処方書いといて、あとでサインするから」とさらっと指示されることもあり、日本の実習に慣れていた私にとっては驚きでした。最初の2週では問診やプレゼンテーションが思うようにいかず、かなり落ち込みましたが、最後の2週で実習した際、前よりもうまく問診、プレゼンテーションができるようになり、ちょっとした成長をうれしく感じました。Geneticsでは、珍しい遺伝病の患者さんを診察させていただいたり、カウンセリングに同席させてもらったりしました。途中3日ほどインフルエンザで休んでしまい残念でしたが、先生方も優しく、とても勉強になりました。Infectious Disease部門での実習では、日本であまり接したことがなかった骨髄炎、脳室腹腔シャント感染など珍しい症例をみることができました。また問診や身体診察、プレゼンを学生と一緒に行い、学生との実力の差に愕然としました。Respiratoryでは、日本では珍しいCystic Fibrosisの症例を多数見ることができました。回診につき、身体診察をさせていただいたり、外来を見学したりとかなり充実していました。Neurologyでは、脳性麻痺、てんかん、MELASの症例など幅広い症例を見ることができました。驚いたことにこの科の外来予約は最長2年待ちになっており、日本の医療制度との違いを実感しました。

それぞれの科での実習に加えアデレード大学の5年生と一緒に様々なTeaching sessionに参加しました。Teaching sessionでは、数人の学生グループに指導の先生がつき、問診、身体診察、プレゼンテーションを行い、フィードバックが頂けます。加えて、授業や、救急講習など、学生さんと接する機会が多く、医学教育の違いなどを知ることができました。アジアからの留学生も多く、彼らの出身国との違いも興味深く感じました。また、仲良くなった学生さんがご飯に誘ってくれたり、一緒に麻雀したりと楽しく過ごせたのは良い思い出です。

正直なところ出発前は不安が大きく、実習を終えられるか自信がありませんでした。しかし、アデレード大学の学生、医師、大学の事務担当の方、国際連携室の先生方に支えていただき、無事実習を終えることができました。医療システム、文化背景、人種の多様さなど日本とは大きく異なる環境に滞在し、実習できたことは私にとってかけがえのない経験です。

ご尽力いただいた皆様にこころより感謝いたします。

西オーストラリア大学での海外臨床実習について

足立 奈央

私は、西オーストラリア州のパースのSir Charles Gardner Hospitalで1か月、カラサのKarratha Health Campusで1か月、臨床実習を行いました。

この体験記を書くにあたって去年の自分の留学の目標を見返したところ、「様々な価値観を知る、自分の知らない世界を経験する」ことを掲げていました。また、私は高校生の頃にも1年間カナダに交換留学をしており、今回の派遣留学はあくまでも実習の一環であるという点で、そのときとは違いを明確にしたいという思いもありました。結果的に、とても満足のいく2か月になったと思います。

パースでは自分の志望科でもある老年科を4週間回りました。老年科には病棟が2つあり、私が回ったのは退院や転院前の投薬やリハビリの調整をメインに行うGEM(GeriatricEvaluation and Management) Unitというところでした。家で転倒してしまい救急に運ばれた患者さんや、他科でのオペ後の方などが入院しており、患者さんの入れ替わりも激しかったです。実習内容としては、毎日の回診・カンファレンスに参加し、外来を見学したり、先生から割り振られた患者さんの問診を自分でして、先生に症例提示・プレゼンをし、ディスカッションを行ったりしました。合併症の多い高齢の患者さんの病態を把握するのは難しかったですが、そこまで忙しくない科だったのもあって先生は丁寧に指導して下さり、フィードバックを毎回頂けたので、非常に勉強になりました。最初に患者さんに問診をしに行ったときは伝わるか不安でしたが、高齢者の方はゆっくり話してくださるので聞き取りやすく、最初の1か月でだいぶ英会話の練習ができて、その後の実習においても自信につながったと思います。また、老年科では多職種連携が特に重要になるので、多職種連携カンファも週2で毎回2から3時間程度行っていました。4週間もいると様々なやり取りを見ることができ、面白かったです。PTさんの外来見学や家庭訪問にも連れて行って頂き、新鮮でした。担当医の先生はもちろん、そういった他職種の方々から、老年科を選んだ理由や魅力を聞くことができたのも印象に残っています。

パースではホステルに滞在し、そこでも沢山の人に出会い、毎日いろいろな話をしました。オーストラリアの人々は諸外国の中でも特に親切だと思います。家に帰ったら皆がいたおかげで、初日から寂しい思いをすることはありませんでした。平日は実習や勉強優先に、週末は観光や遊びに勤しみ、とても充実した毎日だったと今振り返って改めて感じます。住みやすく美しい街で、観光する場所も沢山あり、1か月いても飽きませんでした。

後半1か月実習をさせて頂いたカラサという町は、鉱山業が盛んなため田舎なのに出稼ぎの若者が多く活気のある町で、自分の想像していた地域医療とはまた違った地域医療の形を見ることが出来ました。病床数は約40床の小さい病院で、一般病棟、救急科、産科、外科、外来に大まかに分かれており、私は一般病棟と産科を計2週間ずつ回りました。先生は他の都市から来る非常勤の方が大半でした。MRIはなく、CT・エコーのみで、KHCで対処できない重症の患者さんはパースの病院に飛行機で送られ、逆に、近隣のより小さな病院からはそこで対処できない患者さんが送られてくる、地域の中核病院的役割を果たしていました。

私は、カラサで初めて先住民族のアボリジニ人の患者さんに遭遇しました。オーストラリアでは、全国的にアボリジニ人の生活水準の低さ、アルコール中毒・薬物中毒、遺伝的体質などが問題になっています。寿命も他の国民に比べて10歳以上も短く、老人ホームの入居可能年齢はアボリジニ人のみ他より5歳低く設定されている程です。恥ずかしながら、カラサに来るまでそういったことに対して全くの無知だったので、私と同い年で糖尿病・高脂質血症・腎機能障害を既に患っている青年や、薬物依存状態でお産に臨むお母さんなどを目の当たりにしたときは衝撃を受けました。実際に話をしてみると気さくな方も多く、単に自分たちの健康に関心がない、適切な教育を受けてきていないだけだと感じました。医療教育の重要性を痛感したのと同時に、アドヒアランスの悪い患者さんへのアプローチの仕方が人によって様々で、勉強になりました。医療教育の一環でアボリジニ民族の方と公園で理学療法を行ったり、隣町の小学校で毛じらみ退治をする機会も頂き、貴重な体験をさせて頂きました。問題はあるものの、どの先生もアボリジニ民族の文化や伝統に対して尊敬の念を口にしておられていたのが印象的で、私も実際にカラサにあるアボリジニアートを見に行きました。

交通手段もなく、住むには正直不便な点もありましたが、深くオーストラリアのことを知ることができたので、地域医療でカラサに来られて心から良かったと思います。パースとカラサで、それぞれ全く違うオーストラリアの一面を見ることが出来て、興味深かったです。

たった2か月でしたが、自分の想像以上に多くの方と深く関わることが出来ました。毎日新しい人に出会い、その人の考え方を教えてもらい、意見交換をし合える環境はとても刺激的でした。海外では自分で意思表示をしないと相手に伝わらないことも多いので、自分がどこまで理解していてどこから分かっていないのかを相手にちゃんと伝えるようにしていました。オーストラリア人は、日本に来たことがある方も多く親日的で、何かに困っているときは必ず誰かが助けてくれました。私もいつかこの恩が返せるように、これからも精進します。

最後に、本派遣留学を無事終えることができたのは、最初から最後まで私たちを見守って下さり陰で支えてくださった国際連携室の先生方のおかげです。深謝いたします。他にもご尽力いただいた名古屋大学・西オーストラリア両大学の先生方、フロンティア会の皆様方にも厚く御礼を申し上げ、感謝の意を表します。

留学体験記

岩城 善伸

西オーストラリア大学 (UWA) にて2 ヶ月間実習させていただきました。

1ヶ月目はパースの Sir Charles Gairdner Hospital (SCGH) 脳神経外科にて実習しました。パースはWA州の一大都市で、約600床のSCGHは州全体から患者が紹介されます。脳神経外科は専門医21人を擁し活気に満ちていました。

平日のスケジュールは、朝7時回診→手術3件ほど見学→18時頃終了です (最長6~23時) 。加えて毎日の外来、週1のカンファと研修医向けのレクチャー、土曜朝に専門医向けの勉強会、夜間休日に緊急手術があります。何に参加するかは全て自由です。生活リズムは守りたいと思い緊急手術は行きませんでした。

手術は51件見学し、脳6割、脊椎4割でした。術野にはその内31件入り、学生レベルではありますが手技は少しずつマシになりました。閉創した患者の創部を翌日以降の回診で確認するのは緊張したものです。手術が早く終わった日や見学が非生産的だと思ったときは、外来見学をしたり、病棟でカルテや専攻医向けのマニュアルを読んだりして、過ごし方には困りませんでした。心残りは病棟管理に携われなかったことです。しかし、visitingstudentの電カルアカウントはlabデータが見られないこと、紙カルテ解読が大変であること、現地の学生もノータッチであることを考えると、病棟管理を学ぶのは非現実的とも思います。

母国を離れて競争に飛び込み、多忙をものともせず向上心に溢れる先生方は、私のロールモデルとなっています。仕事に人生を捧げることは揶揄されるようなことではなく、その覚悟なくして脳外科医にはなれないと思いました。

先生方は学生を手取り足取り教える時間はなく、時折の難しい質問に素早く答えてimpressionを残すのは大変でした。同時にローテしていたUWAの学生が非常に親切で、時機に恵まれました。彼女らのおかげで実習が充実しました。

2ヶ月目は原野と鉱山に囲まれた海沿いの町カラサのKarratha Health Campus (KHC) にて実習しました。派遣留学でrural medicineを希望すると、広大なWA州に散在する田舎町のどこかに配属されます。KHCは開院から半年しか経っていない非常に綺麗な病院です。救外、産科、病棟、allied medicine、psychiatryから1週ごとに選べるのですが、わざわざ来たからには忙しい科にしたいと思い4週とも救外にしました。

パースではほぼ見かけなかった先住民、一時寄港中の船員、鉱山労働者が多いのが特徴的で、患者の年齢層は日本の救外よりも若いです。田舎は患者が少ないのではないかと到着前は危惧していましたが、周辺地域から患者を紹介されているため心配無用でした。

7時半~18時まで軽症~中等症の患者を問診・診察し上級医にプレゼン後、検査オーダー、処置、処方、カルテ記載を手伝うのが仕事です。基本的な手技は全て任され、ときには手術室で麻酔下に処置をすることもあります。初期研修の先取りをするあまりに申し分のない環境であったため、休日も半分返上して勉強させていただきました。たくさんの失敗を経つつも徐々に自分のできることが増えていき、教科書でのみ知っていた疾患をこの目この手で実感したことは何物にも代えがたいです。

KHCは地域の拠点病院ではあるものの設備は万全ではなく、先生の専門分野も限られています。対応困難な症例を隣町やパースの病院にコンサルトし必要に応じて搬送するスタイルはまさに豪州へき地医療の醍醐味でした。

豪州最高峰の医療、へき地を支える医療の両面に参加する非常に価値ある経験をさせていただき、関係者の皆様に深く感謝申し上げます。


先生の誕生日

留学体験記

仲 崇天

【はじめに】

ウィーン医科大学に三か月間留学させていただきました。ウィーンは長くヨーロッパの中心地であったことをうかがわせる、文化的、歴史的雰囲気にあふれた素晴らしい町でした。地下鉄6号線に乗って地上に出るとすぐ目に付くふたつの巨大な立方体が、実習したウィーン総合病院(Allgemeines Krankenhaus, AKH)の建物です。2000症を超えるヨーロッパ最大規模の大病院で、様々なことを学ぶことができました。

【診療科について】

放射線科、移植外科、眼科の三科をそれぞれ一か月ずつ回りました。

放射線科は撮影から読影、放射線治療まで一手に行う巨大診療科で、非常に細かな部門分けが印象的でした。胸部X線、一般CT、外科系CT、部位別MRI部門、神経放射線部門など、きわめてたくさんの部門があり、一つの部門は一つのことを集中して行います。徹底した分業と放科読影の件数の膨大さに日本との違いを強く感じました。一日は、まず朝にカンファレンスがあり、その後に各部門の先生をフォローするという流れです。英語で所見を述べたり議論をしたりする機会にも恵まれました。

移植外科はほぼ全例が死体移植でドナーの現れる(亡くなる)タイミングに大きく左右されるため、深夜や早朝の手術となり参加できないことが多々ありました。そのため病棟と手術室を共有している一般外科の手術も見学させていただきました。ここでも朝のカンファレンスのあと、興味のある手術の手術室に出向き、先生に伺って参加させていただく流れです。手術室ではドイツ語ですが、英語で質問すれば気さくに答えて下さり、術野にも入れていただけるため、有意義な実習となりました。

眼科も放射線科と同様様々な部門があったのですがその中で最もお世話になったのが黄斑部門だったと思います。加齢黄斑変性症を中心に黄斑、網膜の疾患を扱う部署なのですが、患者数は多いものの極めて忙しいわけではない部門でした。そのため基礎から丁寧に疾患や治療についてお教えいただいたり、患者さんに医療面接をしたり、最後には私自身の眼底所見を詳しく診て解説していただいたりでき、多くの経験を積むことができました。

【まとめ】

実習・現地生活・交流・余暇すべてが新しく、刺激的で、充実した三か月間でした。行ってよかった、と心から思っています。

最後になりますが、長きにわたり多大なサポートをしてくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめ国際連携室の方々、Frontier会ご出身の先生方、ウィーン医科大学の先生方、ご支援下さった皆様に深く感謝しております。ありがとうございました。

留学体験記

中山 佳奈

ウィーンについて

私は、ウィーン医科大学という一学年600人のとても大きな大学の附属病院で三カ月留学させていただきました。オーストリア国内だけでなく、ヨーロッパの他の国からもたくさんの学生が在籍するとても国際色豊かな大学です。ウィーンは世界一住みたい街ランキング1位に選ばれているだけあって、とても綺麗で治安のいい街でした。公共交通機関が発達しており、どこへ行くにも困ることはありませんでした。スーパーマーケットが日曜日は全店休業で平日も19時半には閉まってしまい、少し苦労しました。物価に関しては日本と同じぐらいですが、外食は日本より高いです。

ウィーンに留学が決まってから一番不安だったのはオーストリアの第一言語がドイツ語だという点でした。実際に行くと、医療関係者は英語が話せると聞いていた通り、ほとんど全員が流暢に英語を話していました。ヨーロッパの他の国も含め、英語教育にとても力が注がれており小さい子供も英語が流暢で日本との差をひしひしと実感しました。

また自己紹介の際に日本から来たというと、「日本のどこなの?」「名古屋知ってるよ!」「今度日本に旅行したいと思ってる!」など興味津々でみなさん日本にいいイメージを持っているなと感じました。日本の医療制度や医療事情についても何度も聞かれ、それについて意見を交わしたりとても充実した日々を過ごすことができました。

実習について

私は産婦人科、小児循環器科、放射線科をそれぞれ一カ月回りました。どの科も英語で教えてくださり熱心な先生に恵まれて充実した三カ月を送ることができました。6年生の中には実際に附属病院で給料をもらって働いている生徒もおり、彼らが同じ科にいる際には一緒に回診したり、初診の見学をしたりと、彼らの優秀さに毎日刺激を受けていました。

産婦人科では朝のカンファレンスに参加した後、手術か外来の見学をするという形でした。決まったスケジュールが無く自由度が高かったですが、その分自分でやりたいことや興味のあることを伝えなければならないので日本とは違った苦労がありました。何も主張しないと、ただ一日が何もなく過ぎてしまいます。毎日どのオペを見るか、どの外来に行くか考え、能動的に動く大切さを学ぶことができかけがえのない経験をすることができました。手術見学の際には術野にいれてもらい、簡単な手技をやらせていただくことができとても勉強になりました。日本人と欧米人では体格が全然違うため、日本人ほど妊婦さんのお腹が目立たなかったりと、それだけでも新鮮でした。

小児循環器科は小児科の中で細分化された小さい部門のため、5人ほどの医師とアットホームに一カ月過ごすことができました。人数が少ない分実習面ではすごく面倒見が良く、心電図を一緒に読み議論し、診察をさせていただくこともあり、すごく勉強になりました。この小児循環器科では現地学生が実習していたので、現地学生との交流もでき、気さくに話しかけてくれて仲良くしてくれました。留学ならではの経験でとても楽しかったです。毎日同じ病棟で学生と回診を行っていたため、入院していた子どもとの別れが寂しいぐらいでした。

放射線科は20人ほどのドクターでMRIやCT、X線などそれぞれ担当の検査を読影するものでした。毎日見たいものを選び、先生について読影を見学させていただきながら英語で解説をしてもらいました。中でも印象的だったのが胎児MRIで、とても力を入れていて毎日何件もの胎児MRIを見ることができました。日本であまり見られないものを見られるのが海外実習の魅力だと思うので、とてもいい経験になりました。

最後に

このような大変貴重な機会を与えてくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室の皆様、学務課の方々、先輩方、家族やウィーン医科大学の方々など、この留学を支えてくださった全ての方々に心から感謝しています。本当にありがとうございました。


ホストファミリーとホームパーティー

現地学生とのパーティー

Medical University of Gdańsk留学体験記

鷲見 英里子

私は、ポーランドにあるMedical University of Gdańsk で3ヶ月間実習をさせて頂きました。大使館でのVISA申請からスタートし、海外での寮生活など初めてのことばかりでしたが、多くの皆様に支えられとても充実した留学生活を送ることができました。私がグダンスク医科大学を留学先に選んだ大きな理由は、以前留学されていた部活の先輩からお聞きした、日本では決してできない様々な素晴らしい経験にとても魅力を感じたからです。

公用語はポーランド語ですが、大学にEnglish Divisionというコースがあり、そこでは会話、授業全てが英語で行われます。学生は1学年に300人程在籍しており、驚くことに女性が約7割を占めています。学生はインド、イラク、イタリア、カナダ、スウェーデン、スペイン、サウジアラビア、ドイツ、ノルウェーなど全世界から集まっていました。それぞれ全く違うバックグラウンドを持った学生と接することで、彼らの医学に向き合う姿勢、将来に対する明確なVisionなどに刺激を受けました。また、自分自身が本当に恵まれた環境で学ばせて頂いていることを再確認でき、大変学びのある3ヶ月間となりました。

実習は1、2週間毎に違う4、5年生のポリ班に加わり、外科、腫瘍内科、小児科、心臓外科、整形外科、麻酔科を回りました。学務の方が、事前にスケジュールを送ってくださったので、内容を確認しながら自分の興味のある科を自由に選ぶことができました。日本でのポリクリと同じように、講義や病棟実習、外来見学、手術見学、ICU見学などをさせて頂きました。グダンスク医科大学では、学生は1年生から医学を勉強していて、毎年約3割が留年するほど進級も難しいため、その分、学生の知識量も驚く程でした。また、日本と異なり、外科や整形外科でも半数以上が女医さんで、子育て中の方は勿論、お孫さんもいらっしゃるような年代の方々が第一線で働かれている姿を見て、同じ女性として尊敬の念を抱きました。

私は外科系の科を多く回ったので、たくさんのオペ見学をすることができ、とても有意義な実習となりました。新しい手術棟も昨年完成したばかりで手術室は30あり、使われている器具などはほとんど日本と変わらないと感じました。こちらの大学では学生が実際に手技を学ぶ機会が大変多く、手術見学中には、麻酔科の先生と一緒に尿カテーテル、気管挿管、ラリンジアルマスク挿入を行いました。私も、膵臓がんの手術で初めて気管挿管をさせて頂きました。最初は、チューブの挿入がなかなか上手くいかず、悪戦苦闘しましたが、先生から丁寧にコツを教えてもらいやり遂げることができました。このように、平日は常に緊張した学びの日々でしたが、週末には一緒に留学した中村さんとポーランド国内やヨーロッパ諸国に出かけ、心身ともにメリハリのある留学生活となりました。

そして何より、生化学の教授であるWozniak教授と秘書のAdamには大変お世話になりました。グダンスクに着いた初日から、事務手続き等は勿論、週末には一緒にサイクリングやショッピングをして、Adamにはメンタル面でも支えて頂きました。イースター休暇中には、Wozniak教授のご自宅で奥様お手製のポーランドの郷土料理をご馳走になり、教授の息子さん夫婦とお孫さんと一緒にお寿司を食べる機会も作ってくださいました。Wozniak教授ご夫妻は私たちを実の娘のように温かく迎えてくださり、常に細やかに気遣ってくださったおかげで、一度もホームシックになることもなく無事に3ヶ月間を過ごすことができました。また、教授の企画でポーランドの高校生に向けて、緑茶と長寿の関係について英語でプレゼンをする機会にも恵まれ、とても貴重な経験となりました。

グダンスクの街に着いた直後は、異国の地での初めての独り暮らしで、この先ちゃんと生活していけるのかと不安になり、気分が落ち込むこともありましたが、中村さんと励まし合い、何とか二人で乗り越えることができました。留学中、多くの人の優しさに触れ、医学だけでなく人として大事なことをたくさん学び、心身ともに成長することができたと実感しています。留学を通じて学んだことをこれからの人生にしっかりと生かし、そして必ず良き医師となり皆様に恩返しができるよう、努力を続けたいと思います。

最後になりましたが、このような貴重な機会を与えてくださった粕谷先生、長谷川先生を はじめとする国際連携室とフロンティア会の皆様、グダンスク医科大学の皆様、先輩方、そ して中村さんにこの場を借りて心からの感謝の意を伝えたいと思います。本当にありがと うございました。


外科のHać教授と

実習終了

グダンスク大学留学体験

中村 里香

私は2019年3月から約2か月半の間、ポーランドにあるグダニスク医科大学に留学させて頂きました、中村里香です。今までの人生ではできなかった貴重な経験をすることができ、自分の視野が大きくなったことを実感しております。また同時に入学した時からの夢を叶えることができ、この上ない達成感を感じることができました。
今回の留学を踏まえ、グダニスク医科大学での実習や日々の生活について記させて頂きます。

*この大学を選んだ理由

グダニスク医科大学にはPolish Divisionと English Divisionという2つのコースがあります。公用語はポーランド語であるものの、私たちは後者で実習をさせて頂けるため、英語で医学を学ぶことができます。
また様々な国からの留学生を対象にしているため、今まで会ったことのないような国の学生と友達になることができます。具体的にはスウェーデン、サウジアラビア、イラク、インド、スペイン、イタリアなどです。こういった学生が集まったポリクリ班に混ぜてもらうため、毎日さまざまなことについて話すことができ、非常に貴重な体験をすることができました。特に、ラマダーンのため体調が悪そうな子がクラスにたくさんいたのを見て、イスラム教を今までより身近に感じることができました。また、どの学生も自国の文化や歴史について詳しく知っている上に、私よりも日本について深く理解している子もいたことが驚きでした。

*実習について

1、2週間ずつ呼吸器内科、眼科、熱帯医学・感染症、腫瘍内科を回りました。どの科にも最後にテストがあり大変ではありましたが、電子辞書を片手に授業に参加し、その内容について学生に質問するなどして、より真剣に実習に取り組むことができました。特に呼吸器内科の読影をして一人ずつ口頭で解答してくものは、緊張しましたが大変良い思い出となりました。
熱帯医学・感染症では日本で見たことのなかったマラリアやエキノコックスの患者さんと接することができ、多様な症例を見ることができました。

*グダニスクでの生活

・気候

3 月頭に到着したときはもちろん、私が発った5月中旬でもヒートテック必須なほど寒かったです。ただ、後半は満開に咲く桜を見ることができて、春の訪れを感じることができました。

・治安・物価

私たちでも夜中に出歩くことができるほど、非常に治安が良いです。そして物価が3分の1ほどで大変安く、スーパーやレストランなどで毎回目を輝かせていました。学生にとって住みやすい場所でした。

・Wozniak教授からのサポート

日本のことが大好きな生化学のWozniak教授が事あるごとに私たちをサポートして下さいました。私たちが到着したときから、“自分はポーランドでの父のような存在だから、何か困ったことがあったら何でも連絡してね”と歓迎して下さり、これからの新生活に対して抱いていた不安を解消することができたのを今でも覚えています。教授に誘って頂き、貸して頂いた着物を着て、高校生の前で緑茶について英語でプレゼンをするという貴重な経験をすることもできました。また、奥様のマリアやお孫さんたちとも頻繁に会わせて頂き、手作りの料理によるイースターパーティーや、美味しい寿司レストランにも連れて行って頂きました。短期間の滞在である私たちに、ここまで温かいおもてなしをして頂き、教授の座右の銘である一期一会の意味を深く理解することができました。
また教授について勉強を積むアダムにも、日常生活のこまごましたことだけでなく、楽しいお話し相手としてメンタル面でも私たちを支えてくれました。学食を一緒に食べたり、サイクリングして公園でのんびりしたりと、思い出が数え切れないほどあります。

・幅広い留学生との交流

留学生同士でお互いの言語を学びつつ、仲間の輪を広げることが目的のeach1 teach1という会が毎週開かれていて、日本語を友達に教える機会がありました。ここには他大学で勉強する他学部の生徒も来ます。ひらがな、カタカナ、漢字の使い分けや、同じ音でも無限に漢字が存在していること、敬語も普段から使っているということを説明したところ、あまりの難しさに頭を抱えていて、自分が使う言語は想像以上に難易度が高いということを実感することができました。

*留学を終えて

今までの人生の中で最も充実した二か月半でした。一人暮らしをすることも、海外で長く滞在することも初めてだった私にとって、非常に刺激のある毎日でした。そして今回の留学を通して最も強く感じたことは、たとえ短期間の滞在の見知らぬ人であっても、受け入れておもてなししようとしてくれた皆の器の大きさです。私は今まで大学に来てくれていた留学生に同じようなことはできていなかったので、深く反省しました。自分が初めてマイノリティーになり、皆の温かい心に触れるという経験をすることで、今までの自分のあり方を改め、今後に生かしたいと思えた大事な期間でした。

*最後に

留学前の準備期間から帰国後まで長きにわたり多大なご支援をして下さった、国際連携室の先生方、グダニスク医科大学の先生方、Frontier会のOB、OGの先生方、学務の皆様、一緒に留学してくれた鷲見さん、家族、その他様々な方に感謝申し上げます。ありがとうございました。


ポリクリ班と

Greenteaプレゼンテーション

留学体験記 ルンド大学

大見 貴尚

私は、スウェーデンのルンド大学に2ヶ月間留学させていただきました。ルンド大学はスウェーデンで2番目に古い歴史を持つ大学で、スウェーデン最南端のスコーネ県、ルンドにメインキャンパスを構えています。ルンドは北欧の洗練された街並みと治安の良さが特徴的であり、ここでの寮生活は非常に楽しいものとなりましたが、実習先は隣市のマルメ病院となりました。マルメはスウェーデンの中では移民の割合が高く、治安に関しては前評判通り、北欧のイメージに比して悪かったようにも感じましたが、それはそれで貴重な体験でした。

マルメ病院では最初の1ヶ月は神経内科にお世話になりました。毎日朝8時よりカンファレンスを行なっていましたが、年次に関わらず積極的に議論に参加しているのが印象的でした。その後は外来、他科からのコンサルト、準緊急病棟での待機の3つのうち自分の興味のあるところでの実習を選択して参加していました。外来は患者一人当たり1時間が割り当てられており、非常に時間のゆとりがあるためか、問診に40分以上かけている点が印象的でした。しかし、この問診は基本的にはスウェーデン語で行われていました。非常に流暢な英語を話せるとはいえ、何ヶ月も待たされて病院に来た患者が、母語であるスウェーデン語でより正確に病状を伝えようとするのは当然のことなのですが、英語でも構わないと言ってもらえると、その後の1時間を非常に有意義に過ごす事ができ、とても有り難みを感じていました。また、神経学的診察に関しては、英語を話せない患者に対しても身振り手振りで指示をある程度伝えられたので、多少なりとも診察に参加できた感覚がありました。他科からのコンサルトや準緊急病棟での待機は日によって件数が大きく異なり、場合によっては午前中で1件のみということもありました。その場合は指導医の先生方に多くの質問をさせていただきました。昼休憩は1時間半で、実習は遅くとも16時には終了したため、空いた時間で翌日の準備や自習をする事ができ、バランスの良い実習となりました。

次の1ヶ月はVascular Unitにて実習させていただきました。Vascular Unitは血管に関する外科、内科の合わさった科でした。始業、終業時刻は神経内科とほぼ同じでしたが、実習内容は神経内科が診察メインだったのに対して、Vascular Unitは治療メインである点が大きな違いでした。毎日9時ごろより始まる手術、内科的処置の内、好きなものを選びなさいとのことだったので、なるべく多くの種類の症例を経験できるように心がけていました。治療中は多くの先生が見学しておられたため、積極的に質問させていただきました。

今回の実習を通して強く感じたのは、全ての先生が流暢に英語を話し、教育熱心であるという点と、医師の職場環境が日本とは大きく異なるという点です。スウェーデンの医師が医学英語を流暢に話すのは、より入学しやすい他国の大学で勉強する医師が一定数いる事、国内でも英語の医学書を用いているという事が大きな要因であるようです。そのような環境なので、英語を母語としない私も同じレベルの医学英語を求められており、非常にプレッシャーを感じた覚えがあります。また、医師の職場環境という点では、神経内科とVascularUnitどちらも1日8時間以上働く人はおらず、長期休暇も1ヶ月以上と非常に優れていると感じました。しかし、その状況では日本のようにスクリーニング検査を行うことは難しいと先生方が嘆いておられたように、医療の質との両立はやはり難しいという点が印象的でした。

かねてより名古屋大学の留学プログラムに漠然とした憧れを抱いていた私でしたが、今回の留学は想像していた以上に充実したものとなりました。実習の形式としては見学が多かったのですが、ルンド大学の先生方の優しさと教育熱心さによって得られるものは非常に多かったように感じています。このような貴重な経験をさせていただいた事は一生の宝となると思っています。国際連携室の先生方、Frontier会の先生方、その他多大なご支援を下さった多くの方々に感謝しております。ありがとうございました。


病棟

Vascular Unitの先生方と

Neurologyの先生方と

留学体験記

藤田 絢帆

私は2019年4月から約8週間、スウェーデンにありますルンド大学に留学させていただきました、藤田絢帆です。行く前は自分の語学力や医学知識のなさに不安を覚えつつ出発しましたが、周りの方々に支えられ、非常に充実した2か月間を過ごすことができました。出発前からサポートしてくださった粕谷先生・長谷川先生を始めとする国際連携室の先生方、励まし、刺激を与えてくれた友人、現地でご指導してくださった先生方、そして留学に行かせてくれた両親には本当に感謝しています。

〈ルンド市、ルンド大学について〉

ルンド市はスウェーデンの南部に位置し、スウェーデンの首都であるストックホルムよりコペンハーゲンに近く、電車で40分ほどのところにあります。人口の半分が学生である学園都市で、近くに森や海がある自然豊かな都市でした。スウェーデン自体が非英語圏ではもっとも英語が話せる国であり、ルンド市には留学生が多く住むため、日常生活でも語学で困ることはありませんでした。ルンド大学は医学部だけでなく、法学部などの文系の学部や理学部などの理系の学部に加えて、アートを専攻する学生もいる総合大学です。

(実習について)

実習では医学的なことはもちろんですが、世界でも平等を重んじるスウェーデンを感じることができました。
初めの4週間は腫瘍内科を後半の4週間はNICUを回り、腫瘍内科では自分の志望科である婦人科を回らさせていただきました。内診をたくさん経験させていただき、また腫瘍内科の中の婦人科だったため、放射線治療をメインに扱っており、膣内照射を見学させていただきました。日本の実習では小線源治療は泌尿器科の前立腺がんに対するものしか見たことがなかったので非常に興味深かったです。また抄読会でも発表させていただく機会があり、卵巣がんのリンパ節郭清について発表し、プレゼン自体よりも質疑応答に苦労しました。NICUでは治療の手技はほとんどやりませんでしたが、診察はほとんど一人でやらせていただくことができました。また看護師さんや看護助手さんについて回る日もあり、NIDCAPというケアについて学びました。GCUなどの集中治療でない病室には両親のベッドがあり、ほとんどの両親が育休をとり、2人ともいるのが印象的でした。医療者ではなく患者さんの家族が子供の面倒を見るという考えでカンガルーケアが発達していると感じ、また母親だけでなく父親も参加しており、男女平等を感じました。

また男女平等だけでなく、上下関係もないのを感じました。教授がいらっしゃったときに席を譲ろうとしたら先生方に自分の席を譲る必要はないといわれ、ディスカッションでも年齢・役職関係なく発言しているのが印象的でした。

〈留学を終えて〉

この2か月で私の英語力が格段に向上したか、医学の知識が日本にいるより増えたかと言われるとそうではないと思います。ですが新しい環境で努力することで自信をつけることができ、そして自分自身の将来について考えることができてとても貴重な2か月間でした。今まで日本は先進国と考えていましたが、スウェーデンで日本の男女平等やLGBTについての取り組みや子宮頸がんのワクチンの話をすると必ずしもそうではないのかもしれないと思いました。一方でスウェーデンの民族衣装を体験するときにほとんど誰も持っていなくて、日本の着物や浴衣のように自分たちの文化が身近にある日本の良さを再認識することができました。また休みを大事にし、仕事と私生活のバランスをとるスウェーデンの先生方は、働き方改革が起きている今の日本と比べると見習う点が多かったです。自分が将来どういったワークライフバランスで働いていくのかというのを日本とは全く違う働き方をする国で考えられたのが良かったと思います。

留学中の2か月間は非常に楽しく、毎日が非日常であり、新鮮な日々で働き始める前にこういった経験をさせていただけたことに感謝しかありません。私が現地でつらいこともほとんどなく、楽しめたのは指導教官の先生方や現地の友人たちのおかげでした。これから日本に来る留学生に対して自分も同じように接し、恩返しをしていきたいと思いました。学生中にこのような貴重な経験をさせていただけたことに感謝し、この経験を無駄にしないようこれからも一層精進していきたいと思います。

最後になりましたが、留学を支援してくださったすべての方々に感謝を申し上げます。ありがとうございました。


Oncologyの先生方と

NICUの先生方と

留学体験記

丹下 恵里花

私は、ノルウェー科学技術大学の付属病院St.Olavs Hospitalにて4月から3ヶ月間実習をさせて頂きました。この大学は、今年から名古屋大学と提携校になりました。誰も行ったことのない所に行きたいという好奇心と、トロンハイムの自然豊かな街の写真を見て、迷いなくノルウェー行きを決めました。前情報が無く、また1人での実習に少し不安もありましたが、それ以上に旅行でも行くかわからないノルウェーで3ヶ月も生活ができる期待でいっぱいの中、出発したのが懐かしいです。名大第1 号ノルウェー行きの実習生活について紹介したいと思います。

【ノルウェー科学技術大学について】

ノルウェーの首都オスロから、飛行機で1時間程のトロンハイムという都市に位置しています。ノルウェー最大の公立大学です。この付属病院であるSt.Olavs Hospitalは、1366床あり、人口28万人のトロンデラーグ県の医療を担っています。診療科ごとに、病棟が建てられており、院内の移動にスクーターを利用していた姿が印象的でした。

【実習について】

私は、血管外科、整形外科、消化器外科をそれぞれ1ヶ月ずつ回りました。ノルウェーの公用語はノルウェー語ですが、ほとんどの人が英語が話せます。カンファや問診、カルテなどは全てノルウェー語ですが、どの科でも先生方は本当に優しく、外来で患者さんが来る前や、手術中でも英語でたくさん説明して下さりました。

最初の血管外科は先生が10人ほどと少なく、アットホームな雰囲気でした。毎朝7:45からのカンファは、1時間ほどノルウェー語のお経を聞いている気分で、慣れないうちは正直かなり退屈に感じましたし、終わった後に「You don't understand anything! 」とよく笑われていましたが、海外での実習は自分から話しかけないと構ってもらえないと思っていたので、いつも気に掛けてくださる先生方のおかげで一度も寝坊せずに頑張ることができました。日本での実習と違い、学生の実習の予定などは組まれていないので、毎日"How is yourplan today?"と聞かれ、外来に行くのか手術に入るのか、また他の科の見学に行くのか自分で決めていました。外来は、カルテを見る部屋と、診察する部屋が分かれていて、日本のようにカルテを書きながら問診をするということが無く、また一人当たりの時間も問診だけで20分ほどあり、患者さんとのコミュニケーションをとても大切にしていたのが印象に残っています。また、患者さんが途切れたタイミングで、カルテ用のパソコンでJapanやNagoya University Hospitalを検索してくれる先生が何人かいらっしゃったり、お互いの住んでいる所をGoogleマップで紹介し合ったりと、私の受け入れを歓迎して下さり嬉しかったです。手術は、基本術野に入れて下さり、人工血管置換や、下肢静脈瘤のバイパス、透析シャント形成など、多くの症例を見学することができました。ドクターヘリがあるので、大動脈瘤破裂の緊急手術に入るのを、ヘリポートからオペ室まで全て同行した時は初めての経験で興奮しました。

また、手術に入る際は看護師の方がオペ着を着させてくれますが、「大丈夫?暑くない?ちゃんとご飯食べてきた?何かあったら言ってね」と言って下さったり、ガウンを不潔部に触れてしまい着直しになった時も、名大なら怒られそうな所を、「気にしなくて大丈夫よ!」と笑顔で言って下さったりと、ノルウェーの人たちは皆本当に優しさで溢れていました。2、3ヶ月目の整形外科と消化器外科は、30人くらい先生がいて、朝のカンファも大部屋で、研修医の先生も数人いたので毎日誰かについて教えてもらいました。「外来とかカルテ記載を見てるだけって、正直つまらないよね、私もそうだったからよくわかるよ。」と言って、英語が話せる患者さんを探してアポを取って頂き、実際に問診もさせて頂きました。名大での事前研修での練習を活かすことができました。また、血圧測定や直腸診、内視鏡の簡単な操作といった私でもできそうな手技はどんどんやらせてもらえました。

【ノルウェーでの生活】

①気候

着いた3 月末は雪が降り地面は凍っていて、気温は-2/3℃くらいでした。春に向かっている時期で、12月頃の-10℃くらいの極寒は避けられたので、想像よりは寒くなかったです。気候が安定しないなという感じで、4月半ばに突然20℃を超えて半袖で出掛けた翌週にはまた雪で氷点下、またコートにブーツ生活に逆戻りなんてこともありました。ここから徐々に暖かくなりましたが、6月でも平均気温は12-17℃くらいで湿度が無く過ごしやすかったです。

②白夜

北欧といえば!の1つで、私は渡航前に白夜での生活をかなり楽しみにしていましたが、これが思いの外ストレスになりました。到着したばかりの頃は時間感覚が狂って眠れなくなり、暇な夜の時間の潰し方がわからない時にずっと明るいので1 日が永遠に終わらない気がして、「早く日よ、沈んでくれ。」と念じていたこともありました。6月は一番日が長く、0時を超えても明るく、3時には日が昇っていました。プラスの面としては、遅い時間でも暗くならないので女子1 人でも夜の外出が安心してできること、日が沈む有り難みを感じられることです。この気持ちはノルウェーに住まないと感じられないです。

③物価、食事、治安

消費税率世界第2位、驚異の25%です。最初は、ペットボトルの水がスーパーでも300円くらい、空港なら5~600円、一回のスーパーでの買い出しが1人なのに7000円超え、ハンバーガーが2000円などと、あまりの高さに嫌になりましたが、そのうち慣れて諦めがつきました。寮はキッチンが広く、家電も揃っていたので、毎日お昼ご飯のお弁当も含めて自炊をしていました。ノルウェーは物価の高さの他にも、厳しい寒さで外出をあまり好まず、家族を大切にする国民性らしく、そもそも家でご飯を食べるのが好きで、外食産業が発展していません。その代わりに、冷凍ピザ消費率世界第1位で、スーパーの冷凍コーナーは1レーン全部ピザです。逆に、誰もが「ノルウェー=サーモン」だと思いますが、そもそもの物価の高さのせいで、日本で食べても値段が変わらないので、「ノルウェー=ピザ」が正しいです。
治安はかなり良いです。全体の生活水準の高さから、路上生活者は本当に少なく、また先ほど述べた白夜のおかげもあり、女子1人でも怖い思いをすることはありませんでした。

④休みの過ごし方

平日の実習が終わってからは、図書館で勉強したり、寮のジムに筋トレをしに行ったりしていました。この寮が運営するジムが5個くらいあり、毎日ダンスやヨガなどのグループレッスンが行われていて、全てノルウェー語なので最初は全然付いていけず、1人音楽に遅れて恥ずかしかったですが、最終的には簡単なノルウェー語がわかるようにもなり、良い息抜きになっていました。
また三連休やイースター休みには、ノルウェー内はオスロやベルゲン、またクロアチアやチェコなど他のヨーロッパの国にも出掛け、旅行好きの私には最高のリフレッシュにもなりました。

【留学を終えて】

留学をして思ったのは、「海外で生活するって意外とハードル高くないな」ということです。ただ「行く」だけなら、最初の海外に行ってみよう!という決断力さえあれば誰でもできると思います。難しいのは、自分次第で何でもできるし、やりたくなければやらなくてもIt's up to youの環境で、何を選択してどう行動するかでした。体験記は良かった面や楽しかった面が主なので、嫌だった事や大変だったことは見えづらいですが、私は4月の最初全く理解のできないノルウェー語のカンファに毎日行って果たして意味があるのか、英語で説明してもらっているとはいえ、正直日本語で勉強した方が知識は増えるのではないか、など「自分が何をしに留学に来たのか、体験記で読んだ先輩方のようなキラキラした生活ができていないこと」に悩むことも多くありました。それでも1ヶ月終わった最後には、先生方がカンファで、「言語がわからない中、1人で良く頑張っていた」と仰って下さり、初めて留学に来た価値を感じられました。日本にいる時は毎日言われた時刻にポリクリに行き、国試の勉強をし、時間に追われて日々焦りながら生活をしていましたが、ノルウェーでは何をするでもなくただ綺麗な街並みを散策し、カンファ中でもコーヒーとお菓子片手に、時に談笑もしている先生方と過ごす中で、心に余裕ができました。自然環境も厳しく、飲食店の数やスーパーの品揃え、バスの本数も何でも日本より少なく不便かもしれないですが、世界幸福度トップと言われる所以である、心の豊かさがあらゆる所に当たり前のようにありました。来年から研修医として仕事に追われますが、少しでもこのノルウェーで得た心の余裕を持って、ノルウェーの先生方のような優しく丁寧な問診を心がけられたら、この留学で医学の知識や英語力以上のものを得られたのではないかと思います。
最後になりましたが、このような貴重な機会を与えてくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室とフロンティア会の皆様、ノルウェー科学技術大学の皆様にこの場を借りて感謝の意を示したいと思います。本当にありがとうございました。