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(順不同、以下原文まま)

Johns Hopkins Hospital留学を終えて

岡本 遼太郎

私は、今回アメリカ・ボルチモアにあるJohns Hopkins Hospitalの消化器内科と麻酔科で3月26日から5月26日まで9週間の臨床実習を行わせていただきました。六年生の臨床留学は自分の入学当初からの漠然とした目標でしたが、実際に派遣させていただき、また長いと思っていた9週間が終わってしまって帰国した今となっては一瞬であったと感じます。約二か月の長きにわたり、国際連携室、学務の皆様やひいては今回の留学を支援してくれた両親には感謝しています。以下に今回の留学を踏まえた感想や感じたことを簡単ながら記させていただきます。

留学にあたっての準備はTOEFLの対策から始まりましたが、TOEICなど今まで我々が受けてきたテストと違うのがSpeakingやWritingといったアウトプットタイプの試験が課されている点です。特にSpeakingでは、日本語でも考えて答えることが難しいような質問に対し短時間で対処しなければならず、勉強を始めた当時はまったくしゃべることができませんでした。英語はできる方だと思っていましたが、考えていることを発信できなければ何も伝わらず、そのようなレベルの英語は使えるEnglishであるとは決して言えません。今回の留学でも、発信力の大切さを実感させられる機会はたくさんありましたが、まさにTOEFLの勉強の時点からこのアウトプットトレーニングはもっと行っておくべきだったと思います。Speakingに関しては一年近く、バッティング練習のようにYouTubeなどで公開されている六問のテストセットで練習を行いました。自分の答えるパターンの引き出しを増やすことがSpeakingに関しては一番の攻略法かと思いますので、これはおすすめの勉強法です。それ以外のセクションに関しては特に対策をしませんでしたが、テスト形式に慣れるというのはTOEFL全体を通して言える重要な点だと思いますので、公式問題集でパソコン形式にテストに慣れることや、会場の雰囲気・テストのスピード感など本番のテストを通して慣れることがとても大切だと思います。

留学先決定後、大事なのは書類の作成や現地との交渉ですが、是非国際連携室の先生方や一緒に行く人がいた場合はその人と協力してやるとよいです。慎重に行ってください。実習科の決定が、留学にあたっては大変な障害になる場合が多いですが、自分は今年の一月と比較的初期に決まったため勉強もある程度絞って行うことができました。しかしながら、現地でも例えばHb低下に対し消化管出血疑いと様々な貧血との鑑別が求められたりしたので、科にかかわらず医療単語力をベースに知識を浅くとも広げておくことも留学にあたって重要かもしれませんし、間違いなく自分の将来の役に立つと思いますので、是非トライしてみてほしいと思います。自分は単語帳というものをかつて完全に一冊やりきったことがないほど単語力がありませんが、日常会話はともかく医学会話はツールとしての医学単語を知らなければ代替表現を用意することもできず話が進まないため、多くの単語を身に付けることはとても重要、大事なスタートラインだと感じました。

現地ではまず約一か月間、消化器内科にお世話になりました。消化器内科には、GI consult team、GI inpatient team, Liver service(Hepatology)の三部門があり、肝臓に二週間、コンサルに三週間弱お世話になりました。肝臓は午前中にカンファ、病棟Round、午後は入院患者で肝酵素異常が見られた患者などのコンサルを行いました。肝臓の入院患者は、アルコール性、薬剤性などあらゆる肝障害の患者が入院されており、特にアルコール性の型が多かった印象でした。JHHでは毎週のように肝臓移植のオペが行われており、そのため入院患者も次々と移植リストに登録されていき大変驚いたのを覚えております。誰に移植するかを決める毎週のカンファにも参加させていただきましたが、医学的な背景に加え、生活状況、仕事、家庭環境などありとあらゆる面から、移植治療が果たして生命予後の改善につながるかについて様々な職種の意見から患者評価が行われる様はなかなか興味深く、多職種連携の姿を見る良い機会となりました。コンサルでは、昼に患者の予備診察を行い、午後からAttending roundでプレゼンして治療方針を決めカルテ記載という流れで行われました。もちろん学生だけで処方してということはありませんが、最初の火曜日に初めてプレゼンしたときは果たして自分で色々とやっていいのかわからず、Fellowにカルテのようなまとめを書いて送ったら、翌日Attendingから「昨日の君のカルテは?」と言われ、「これはバンバン書いていいのだ!」と思い、アカウント開設後どんどん書かせてもらいました。JHH全体に言えることですが、たいていの先生方は教えることをいとわない方で、「君が学びたいように学ぶのが一番だから」という方ばかりだったため、大変ありがたかったです。消化器全体のコンサルでは、午前に内視鏡を見ながら午前の予備診察へ移行し、午後からAttending round、カルテ記載という流れでした。Fellowと予備診察結果を話し合い、リコメンド治療を決める過程は大変勉強になり、Fellowからこれが使えるよと様々な教材をいただけたことも印象に残っています。適切なマニュアル、ガイドライン、論文を覚えていて、すぐに出せるというのは驚きでした。消化器全体のコンサルでは、症状が多岐にわたりそれと同時に考えなければいけない臓器も格段に増えましたが、コンサルト診察し翌日にカメラという流れに載せることで、入院患者の治療を素早く行う流れのなかで、一連の治療を見ることができました。その後のフォローをもっと積極的に行えばよかったという反省はありますので、後輩のみなさんには是非担当患者が自分の手を離れてもフォローしてもらえるとよいと思います。

麻酔科は、学生を受け入れる部門がかなりしっかりあり、教育体制も大変に整っていました。麻酔は、一つのオペであっても実に多面的な患者のとらえ方ができるため、国家試験的な一通りの勉強は浅く済んでも、一個一個の要素(薬理、呼吸器など)はとても深い学問であるので、Residentの先生方からの解説、一個一個の処置や投薬の背景を学べるのは、麻酔を漠然としたものとしてとらえていた自分にとって大変良い勉強になり、また自分もそのクライテリアに従って少しでも提案できるようになったことがよい経験だったと思います。技術的な側面も、「君は患者にTouchできるって言われている?じゃあどんどんやっていいよ!」ということで、積極的に行わせていただきました。個人的には、Clinical reasoningだけではなくSkillの部分も麻酔科でやらせていただけたことは大変にいい経験となりました。挿管などの臨床手技はやったことがあるのかないのかでは、心構えからまったく違うと実感させられ、研修医になる前に様々な手技を複数回体験できたことは自分にある程度の自信を与えてくれました。手技の幅としては、実際に名大ポリ2麻酔を回った同級生に聞いたところ大差なく行えたと感じましたが、アメリカの社会問題でもあるObesityを抱えた人は頻繁にいらっしゃったため手技的な難しさもさることながら、麻酔計画においても気を付けるべき点が多くあり、それに関するResidentやAttendingとのディスカッションは学ぶことが多くありました。また夜勤が二回あり、夜勤そのものの経験や刺創患者など日本でなかなか目にする機会の少ない患者を診られたのは、留学で得られた貴重な機会でした。Residentの先生は基本週替わりで、夜勤やカンファがあると別の方に担当していただくため、まったく自分を知らない人に最初の一時間くらいで自分がどれくらい知っていて、どれくらいのスキルはやってきたかを伝えるのに腐心していましたが、相手も相手がどれくらいのレベルか知らないと次の行動をとれないため、是非どの科に行っても自分の売り込みはしないで何事もないより、してちょっと失敗するくらいがいいという気持ちで、後輩の皆さんにはアピールしていってもらえればと思います。失敗してもいいというとよくないかもしれませんが、失敗を恐れずに済むのは学生の特権です。

まとめに入る前に一つブレイクではありますが、アメリカは言ったもの勝ち社会、言い換えれば言わないと負け社会です。例に出せば、カルテのアカウント開設時にトラブルがありアカウントが最初の三日間使えなかったことがありました。ヘルプデスクはあまりヘルプしてくれませんでしたが、電話で聞きまくりメールを送りまくった結果ようやくアカウントを開設してもらいました。ほかにもAmtrakのチケットデスク、NY Hiltonの部屋などでも「いやいや、おかしいでしょ」と騒ぎまくってきた僕ですが、「いやだ」「変だ」「おかしい」と感じたことがあれば、まず騒いでください。そうしないと相手にし始めてもらえません。病院内でも観光先でも、あちらの世界では、すべてにおいて積極性は大事です。どうせいちげんさんなのだから位の気持ちで、自分のしたいことやりたいことに近づけるよう相手を説得しにかかってくださいね。

さて、留学を通して学んだことは数多くありますが、一番は「日本の環境の良さ」だと思います。まず日本の医療は、保険などの関係で進んだ医療ができないことはあっても多くの人に求められるレベルの医療はまったくアメリカと比べて劣っていないし、患者の生活背景がある程度整っているといったいい点があります。アメリカという国は、人間を10段階にわければとてつもない成功を収める10の人を多く生む環境にあるとは思いますが、一方でどうしようもない1の人も多く生んでしまう両極端な環境です。社会的な背景、保険や住環境など日本では考えられないことが普通に起きるため、場合によっては使用薬剤の制限や、コンプライアンスの問題などで医療が社会的要因によって効力をなくしてしまうこともありました。日本で医療を受けられる環境というものの当たり前だと思っていることの素晴らしさに気づけたのも留学ならではだと思います。一方で、日本のいい環境は時にぬるま湯のようなものでもあるとも感じました。JHHでは、各国の言語で書いてある看板に日本語はありませんし、職員でも日本人はとても少ないです。アメリカをはじめ世界での日本のプレゼンスは低下していると感じます。昨今、中韓などのアジア諸国に比べ日本の海外進出が遅れている云々といった話が騒がれていますが、日本という環境は敢えてアメリカに挑戦しなくても済む素晴らしい環境だということが、ある意味甘えを生んでいるかもしれません。中韓、インドからの先生方は本当に自分の国を捨て人生を変える意気込みで来ているため、日本人が劣っているというより彼らのやる気のすごさにどうしても負けてしまっているというのが正しいと思います。なにも海外に行くことがいいことばかりだとは思いませんが、日本という環境の良さを私たちが生かしきれず、またそれを売り込んでいくことをしていないのが現状ではないでしょうか。学生に限った話でいけば、留学に際し「入院患者を持たせてもらえるように努力!」といったことが言われていますが、日本のポリ1でそういう姿勢だったかといえば自分は全くそうではありませんでした。ポリ1でのぬるい講義にかまけ、やたら長い空き時間を無為に過ごしていました。日本において日本語でできることさえやっていなければ、海外において外国語でできるわけもありません。学生の学びに対する意識、この環境をフルに生かそうという意気込み、そういったものを大事にしていくべきということに気づかされた留学でした。日本という環境を積極的に生かし、その日本の良さを海外に売り込んでいくことは自分のこれからの目標とすべきことであろうと感じます。積極性といっては簡単ですが、学びに対してもっと貪欲な姿勢をこれから持ち続けていくことが肝要であり、自分もまた教える立場になったときにそうした姿勢で教育に臨むことが大事であると感じています。

最後になりますが、実習以外でも異国での生活を行うことは文字にはできないいい経験でした。NYに二回も行くことは、この先の人生でなかなかないことでしょう。この経験が単なる経験とならないよう、努力して参る所存です。末筆ながら、後輩の皆さんが、自分にとってためになる実りのある留学をされることを、陰ながら祈念しております。国際連携室の先生方、Frontier会のOB/OGの先生方、学務の皆様、留学に当たってお世話になった研究室、JHUの名大第二外科の先生方、両親、一緒に9週間を乗り切った布施君には本当に感謝しています。ありがとうございました。


実習を終えて

Times Square

Johns Hopkinsへの留学が教えてくれたこと

布施 絢史郎

3月27日より5月26日まで9週間、Johns Hopkins Hospitalの内分泌代謝内科と腫瘍内科にて実習をさせていただきました。いずれも非常にアカデミックであり、密度の濃い実習内容でした。

前半は内分泌代謝内科の実習で、午前は外来、そして午後が病棟での実習となっていました。外来ではフェローやインターンの初診に付き添い、アテンディングの指導を受けます。慣れてきた頃からは自分1人でも初診診察をさせていただけるようになりました。そしてMENやMODY、さらにはNIFT-Pといった近年に分類が提唱された疾患も臨床の場で学ぶことができる環境に充実感を覚えました。甲状腺癌の権威でありガイドライン作成の中心ドクターでおられたDr. Cooperには、疾患に関わる知識から診察のコツに至るまで本当に様々なことを教わりました。また、人種や国籍そして生活背景も様々な患者さん方と向き合い、その多様なニーズへの先生方の対応の仕方に直接触れることができる貴重な機会でした。時に問診の最中に症状の辛さから泣き出される患者さんもおられ、“I am really sorry…”としか言えない自分に歯痒く、自分の無力さを感じたこともありました。

病棟においては、他科からのコンサルトへの対応になります。1日に1人ないし2人の患者さんを担当し、回診とアテンディングへのプレゼン・カルテ記載を行います。血糖値や内分泌腫瘍手術後のホルモンをどのようにコントロールするかについてなど、最初はガイドラインを参照しつつの手探り状態ではあったものの、先生方のご指導により理解が深まるとともに筋道を立てて考えることが習慣づけられました。時折担当ではない患者さんのプレゼンを求められたりすることもあり、緊張感がありましたが…。

5週目の途中からは腫瘍内科の実習が始まりました。腫瘍内科においては、固形腫瘍チームに配属され、内分泌内科とは異なり主に病棟での実習でした。様々な癌を患っておられる入院患者さんを常時2から3人担当し、入院から退院まで朝夕の回診とカルテ記載、総回診時のプレゼンを行いました。患者さんの状態は様々であり、化学療法のために入院される比較的状態の安定している方から、末期状態で緊急入院してくる方までおられました。午前に先生方との総回診でのプレゼンを終えてほっとするのも束の間、新規入院患者さんの病歴を調べて問診身体診察をし、治療をガイドラインやUp To Dateと照らし合わせた上で今後の短期から長期にわたる治療方針を立てていると、時間が矢のように過ぎていました。疾患や治療について学ぶ中、先生方ご自身が主導して行っておられる臨床試験についてのディスカッションにも参加させていただいたことは非常に勉強になったと感じています。他に深く印象に残ったこととして、複雑な背景の患者さんへの接し方があります。大変苦しそうな様子で緊急入院されてくる患者さんに最大限負担をかけずに診察をしたり、厳しい状況下の患者さんに病状を説明したりといった難しい状況で何を考えて行動するのかということを教えていただき、この上なく貴重な経験になりました。内分泌内科での経験にも助けられて腫瘍内科での実習が深まるにつれ患者さんも心を開いて下さることが多くなり、実習終わり掛けには“To be honest only with you…”と患者さんが本心を語って下さることもありました。後半になり病棟での実習を最初より手早くこなせるようになってからは、先生方の外来への同席を希望しました。外来枠は1人約1時間かけておられ、先生方は病状・方針説明を非常に丁寧に行い、また患者さんご自身も沢山の質問をしておられたのが印象的でした。

内分泌代謝内科と腫瘍内科での実習に並行してDr. Michael Gogginsの膵臓癌研究室にもお世話になりました。九州大学第一外科よりポスドク研究留学中の田村先生と阿部先生が主にご指導下さり、実験作業にも携わらせていただくことができました。様々な国から来ておられる先生方そして次世代シークエンサーが3台とPCRサーマルサイクラーが10台近く置いてある実験室に圧倒されつつも、PCRや電気泳動など久々の研究作業に面白さが呼び起こされる時間は臨床とは別に充実していました。

この9週間の実習を通して学べた内容は想像していたより遥かに多く、かけがえのないものとなりました。臨床と研究を並行して学び、メジャーな疾患から稀な疾患まで多種多様な治療を目の当たりにした実習期間は一日一日が充実していました。素晴らしい経験をすることができたと確信しています。

留学前の準備期間から留学中、帰国後の長きに渡り多大なるサポートをして下さった、粕谷先生と長谷川先生をはじめとする名古屋大学の先生方、Johns Hopkinsの先生方、九州大学の田村先生、阿部先生、西尾さん、事務の皆様方、その他多大なるご支援を下さった様々な方に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。このような貴重な経験は一生の宝となり今後の人生に活かしていきたいと思います。本当にありがとうございました。


JHH 救急車の前で

甲状腺癌の権威Prof. Cooperと

病院の前で

Pennsylvania留学体験記

加藤 千尋

平成29年度海外派遣留学に参加させていただきました加藤千尋です。まず初めに今回の派遣留学にあたり、幾度も相談に乗っていただきました国際連携室の粕谷先生、長谷川先生、留学生係の西尾さん、Frontier会代表世話人でいらっしゃいます田中先生、推薦文を書いていただきました腫瘍病理学分子病理学教室の三井先生に出発前に多大なご支援をいただきましたことを深く御礼申し上げます。また渡航前の土曜授業では多くのフロンティア会OB・OGの先生方に実りある講義をしていただき、渡航先ではChildren’s hospital of Philadelphiaの西崎先生、Beth Israel medical center の兼井先生ならびにColumbia University の高山先生、Freiburg Universityの吉見先生には大変にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

私は2/28-3/24までアメリカ、ペンシルバニア大学付属のChildren’s hospital of Philadelphia PICU部門で、3/25-3/29のニューヨーク滞在中にBeth Israel cardiologyとColumbia University cardiology、4/4-4/7でドイツ、Freiburg University の小児病院でhematologyの見学をさせていただきました。謝辞を述べるにあたり、今回の留学がいかに多くの人の支えによって実現されたかということを改めて感じる次第でございます。

私が4週間を過ごしたChildren’s hospital of Philadelphia, CHOPは全米の小児病院の中でも最も古い歴史を持ち、アメリカの小児病院ランキングでは常に上位にあげられる名実ともに優れた病院です。私はその中のPediatric Intensive Care Unit, PICUで4週間を過ごしました。毎朝7時過ぎから始まるresident lectureに参加し、9時から12時までの総回診、昼食を食べながらの1時間のNoon conference、4時の帰宅時間までにその日の疑問点の解消、帰宅後はレポート作成という日々でした。おおよそすべてが大変で、その日その日をこなすのに精いっぱいだったという印象でございますが、振り返ってみれば4週間の中で達成できたことというものも幾つかあるかと存じます。実習が開始してすぐに痛感したのは、ICU管理の事前学習が不足でした。言語の壁以上に医学知識の壁が大きく立ちはだかり、一番のfruitであるべき毎日の回診での上級医と研修医のやりとりを聞き取り理解するのは大変困難で、自分はここで何を学んで帰ればよいのかと途方に暮れることはしばしばでした。しかし、当然ながら何の成長もなく1か月を過ごしたわけではなく、CHOPでのobservationを実現させてくださった西崎先生の毎日のレポート添削は今までの英語を用いた学習の中で最もハードで、かつ最も鍛えられていると感じました。毎日レポートを書くために何か新しく学ばなければという日中のモチベーションが生まれ、ただ聞いた知識を書くのではなく、その知識のバックグラウンドとなる論文を検索し、できるだけ自分の言葉で置き換えて文章にする。この一連の作業は医療に限らず何かを学習するにあたって基本的なことではあるけれども、とかくないがしろにしがちなことでした。私たちはアクセス権さえあれば手元のスマートフォンで世界中の論文を読むことができますから、知識の深さ、堅牢さというものは完全に各人の勤勉さにかかっているのだということを身に染みて感じました。日本語で書かれたテクストは英語で書かれたテクストのほんの一部に過ぎないと実感したとき、今までその中でのみ医学の学習をしてきた私には衝撃でした。英語を少なくとも読みの面で「迅速に」かつ「正確に」理解するのは大前提であり、肌で英語のリテラシーの必要性を感じた次第です。

日中のICUでは、家族を交えた回診の様子、緊急時に20人以上のスタッフが混乱なく対応にあたる様、臨終における医師の態度、つづけて臓器移植に対する説明、患者をみとった後のスタッフ全員でのdebriefingなどそれまで経験したことのない場面にも多く立ち会いました。もっと自分に力があればもっと自分の血肉にできるのに、と悔しい場面も多かったのが事実ではございますが、今後慢心を叱咤し奮起させてくれる経験になるであろうと思います。

朝のresident lecture 並びに毎週木曜日に行われるMOCK CODE (小児緊急コール)シミュレーションはなんとか食らいつける、理解できるという達成感を味わえる場面でございました。シミュレーションを用いた学習は西崎先生が長く携わっておられる分野でもあります。得意分野の異なる複数人で治療に当たる際のつまずきや困難さというものを俯瞰的にみるという経験は興味深いものでした。緊急の場においてavailableなスタッフに適切に仕事を割り振り最短距離で患者の救命を行う指示だしをするリーダーとしての責任を負わなければいけないのが医師です。責務の重さにたじろぐ気持ちもありましたが、腹を据えようと思わせてくれる経験でもありました。

フィラデルフィア滞在を終えた翌日ニューヨークへ移動しました。3日半の短い滞在とは思えないほど刺激的でした。派遣前学習会でもご指導いただきました兼井先生が働くBeth Israel Medical Center循環器の見学をさせていただきました。いわゆる市中病院なのでCHOPとは趣が異なり多くの患者が入退院していきました。午後はoutpatient clinic のあるofficeの方についていき先生の外来を見学させていただきました。実はこの日先生は朝4時から緊急カテをこなし、予定カテ2件、回診、外来、夜は専門医試験のための学習というスケジュールの中、時間をとっていただいていたことを招待して頂いたディナーの場で知り、大変驚きました。Beth Israel には、マンハッタンの摩天楼群が視界いっぱいに広がるガラス張りの渡り廊下があります。この街のエネルギーを感じられる好きな場所なのだと教えてくださった兼井先生が、ただただ、かっこよかったです。次の日は兼井先生にご紹介いただいた、マンハッタン島北西部のコロンビア大学の高山先生のご厚意で一日心臓外科を見学させていただきました。コロンビア大学心臓外科の医師スタッフはほとんどが日本人という驚きの環境でした。日本人は他のアジア諸国に押されている…などまことしやかに言われる昨今ですが、世界の中心のニューヨークでしっかりと根を張り、他のスタッフや患者さんから信頼の言葉を投げかけられている諸先輩方の姿を見られたことは、本当に素晴らしい経験でした。

最後に、Frontier会代表世話人の田中先生にご紹介いただいたFreiburg大学小児病院の血液内科の吉見先生を頼ってドイツへ飛びました。フライブルクはスイスにほど近いドイツ南西部に位置する街です。想定以上に医療スタッフの会話がドイツ語で愕然としましたが、このころにはだいぶ頑丈な心を持って過ごすことができました。実習で回っていた学生に英語で相手をしてもらったり、指導医の先生のコメントをいただいたりしながら回診についていき、時間が空いたときに吉見先生に血液像の読み方の指導をしていただきました。フライブルクを発つ前の晩、吉見先生にディナーに招待して頂きお話を伺いました。ここでも日本から遠く離れた地で医師として働く先生のたくましさに触れ、胸が熱くなる思いがいたしました。蛇足ではございますが来年度以降春のフライブルクに行かれる際は、ぜひ白アスパラガスを食べてください。アスパラガスの概念が変わります。

突然の留学先の前倒し、変更、追加手続に始まり、渡米前日までポリクリⅠ、帰国後はすぐにポリクリⅡに参加するという忙しいスケジュールではございましたが、振り返れば留学の準備の段階から、過去になく最も刺激的な日々でございました。様々な迷いや想定外の事態にたえず、留学する意味を見出すことが難しい時期もありましたが、国内外の方々のご支援を賜り留学を終えた今は行かせていただいたことに非常に感謝しています。私にとっての一番の財産は、日本国内はもちろん世界のどこかで名大の先輩や日本人の先生方が、日々研鑽に励み活躍している様を自分の目で見て、そのお話を直接聞けたことにあります。海外という自分の気持ちが高まった状態で聞く先生方のお話は普段以上に強く心に残り、心の支えとなってくれているのを感じます。一部の国、アメリカもその一例ですが、年々学生の受け入れが困難になっているようであります。諸先生方のご尽力により今回の機会をいただけたことは非常に幸運だったと感じます。私もいつかは後進のために尽力できるような人物になりたいと感じます。末筆となりますが、Frontier会の今後の益々の発展を記念して私の帰国報告の結びとさせていただきます。

留学報告 University of Pennsylvania

関口 真理子

この度、ペンシルバニア大学、フィラデルフィアこども病院(CHOP)で4週間の実習の後、University of Texas at Southwesternで2週間、Mount Sinai Hospitalで1週間の研究室訪問させて頂く機会をいただきました。この留学は提携校以外にも米国の研究室を訪問したいという私の意思を尊重し、出発ぎりぎりまで留学計画を調整してくださった、粕谷先生、長谷川先生を初めとした国際連携室の先生方、西尾さん、研究室をご紹介いただいた貝淵教授、尾崎教授のご尽力なしには実現しなかったものであります。また、CHOPでは西崎彰先生に大変お世話になり、NYCでは兼井由美子先生にもお会いし、名古屋大学ご出身の先生方にも大きく支えられた留学でした。ここに感謝の意を表すると共に留学の報告をさせていただきます。

ペンシルバニア大学医学部(Perelman School of Medicine)はアメリカ最古の医学部であり、フィラデルフィアの街中に幾つもの歴史的な建物で運営する病院を所有しています。また、キャンパスの一角はmedical center districtがあり、研究所や病院が集まっていました。今回私は、そのなかでも小児科に特化した病院であるCHOPの小児ICU(PICU)で実習をする機会をいただきました。CHOPの中にはいくつかICUがありますが、PICUは一番重症の子供が入院する場所です。そのせいか、学生が実習に来ることは稀だそうで実習中はレジデントと行動をともにしていました。

朝は、7時からレジデント向けのレクチャーに参加しその後、午前中は回診、昼はランチを食べながらカンファレンス、午後はカルテ作業(大体16時まで立ちっぱなしの作業!)そして夜はレポート作成(これは学生向けの課題でした)といった、日本のポリクリに慣れていた私にとっては非常に忙しい毎日でした。また、初めは学生がおらず、レジデントばかりの中で気後れすることもありましたが、臨床のやり方は違っても医学は世界共通、病態生理に関しては自分にも理解できることが多く周りの人に質問すると何でも快く答えてくれました。特に苦労したのは略語や薬剤の商品名です。DexといってもDextrose、Dexamethasone、Dexmedetomidineなど状況によって意味が変わっていたり、Atroventと言っているのがatropineに聞こえたり等、慣れると笑ってしまうような勘違いや質問もレジデントに色々教えていただきました。

PICUでの病棟業務は4つのチームに別れており、それぞれのチームにアテンディング1人、フェロー1人、レジデント2~3人が配属されて、チームの患者を管理しています。アテンディングは1週間、フェローは2,3日、レジデントは1ヶ月間同じチームで働きます。2,3日に一回フェローが変わり、一週間でアテンディングも変わっていきます。4週間の実習期間中、私は3つのチームをローテートしました。CHOPは研究機関でもあり、PICUでは研究資金を持っているアテンディングは年間12週間の臨床(病棟)業務をこなす以外は研究活動に従事しているそうです。またフェローにも半年以上の研究の義務があります。日本での主治医制の病棟業務に慣れていた私にはこのような働き方はとても新鮮でしたが、長期的にPICUに入院している患者も多く、患者さんの心情を考えると日本ではなかなか受け入れられない体制だなと感じました。一方で、申し送りやカルテ記載は非常に綿密かつ効率的におこなわれており、医療現場でのコミュニケーション方法や言葉の使い方は非常に勉強になりました。

実習中の4週間は、平日は夜中までレポート作成に追われている毎日でしたが週末は、Amishというヨーロッパ人が入植した当時の生活を続けている人が住んでいる地域を訪れたり、Kissチョコで有名なHershey’sの発祥の地を訪れたりとオン・オフがはっきりとしたある意味アメリカらしい生活を送ったことも良い思い出です。

CHOPでの実習後はMount Sinai HospitalのSeaver Austim Centerで臨床研究の現場を見せていただき、ここでは精神科臨床研究に関わる多くの研究者の方とお話することができ、精神科領域の研究に興味ある私にとって将来を考えるとても良い機会になりました。研究者もヨーロッパやアジアや南米と世界中から集ってきており多国籍な人々が集まる環境はとても刺激でした。また自分が大学で取り組んでいる研究プロジェクトを発表して、同じ領域の研究者とディスカッションできたことは私にとって非常に貴重な経験となりました。NYCは何回行ってもとても刺激的な街で、いつかアメリカに住むことがあれば絶対にNYCに住むと強く胸に刻んでNYCを後にしました。

最後はテキサスに移動して、University of Texas at SouthwesternでDr.Liuの基礎研究室に2週間お世話になりました。私が訪問したDr.Liuは筑波大学にも研究室があり、日本とアメリカ、双方のラボを主宰し、情動の分子メカニズムを解明する研究をされています。2週間という短い期間でしたが、実験もさせて頂き、実際に双方をご存知の方から日本とアメリカの基礎研究のシステムの違いを教えていただき、この経験もまた将来を考えさせる機会となりました。

今回の留学前には様々な事情から、当初の予定が大幅に変更になりギリギリまで準備に追われ、出発の飛行機に乗ったときには疲れきっていました。現地の空気を感じ場に馴染み生活している中で、いろいろな人と実際に知り合って意見を交換して得られる理解には、言葉で説明できるものと、言葉では説明できない「感覚」があるのだと再認識しました。この言葉で説明できない自分の五感で感じた「感覚」私が留学で得たものだと感じると同時に、将来への糧となると信じています。

デューク大学・ルンド大学留学体験記

松下 愛佳

私は2017年4月にアメリカのデューク大学、5月にスウェーデンのルンド大学にて、4週間ずつ実習を行う機会を頂きました。以下に経験したことや感じたことを報告します。

【デューク大学循環器内科での実習】
循環器内科の中でも、他科からのコンサルタントを受けるチームに配属された。学期末だったため現地の学生はおらず、レバノンからの留学生2人、レジデント1人、アテンディング、私の5人で1チームだった。実習の内容としては、他科で入院中、もしくは救急外来に来た中で、循環器内科の対応が必要と判断された患者さんがいると、まずレジデントに連絡が入る。学生はレジデントから症例をもらい、カルテで簡単に情報収集したら、病室へ向かい問診・身体診察を行う。その後レジデントに一度簡単に報告し、1日2回現れるアテンディングとともに再び病室へ向かい部屋の前でプレゼン、そしてアテンディングによる本回診の後治療方針が決定される。このときのフィードバックをもとにカルテを清書し、担当患者は退院するか循環器内科のフォローが不要になるまで、毎日回診する。忙しさは日によってまちまちだったが、4週間で20余人の患者を担当させてもらった。疾患としては心房細動、心不全、心筋梗塞、弁膜症などがあったが、たこつぼ心筋症の症例をもらった際は日本語の病名だからということでプレゼンするよう言われた。症状から考えられる鑑別や必要な検査、薬の用量など日本での実習よりも求められるレベルが高く苦労した。
アメリカらしいと感じたことが4つあった。1つ目は、必ず患者さんに保険に入っているかどうか聞くこと。高額な薬や保険でカバーされない薬は処方する前に患者さんに考えを聞いてから処方するか否かを決定していた。2つ目は患者さんの意思を尊重するということ。例え診断に重要な検査であっても、患者が拒否すれば行わない、という場面を見て驚いた。しかしその分、病状や治療法の説明は丁寧で非常にわかりやすく、患者や家族も積極的に質問していた。3つ目はEBMを重視していること。その薬を使う根拠は何か、最新の論文には何と書かれているのか、もともとこの患者さんには何パーセントのリスクがあって、治療すると何パーセント減らすことができるのか、もっと効果が高いとされている方法はないのか。こういった具体的な根拠、数値を重要視していた。そして4つ目に、看護師や技師など、コメディカルの権限が非常に強く業務の分担がはっきりしていること。心電図をとったりエコー検査を行ったりするのは彼らの仕事、それを解釈するのが医師の仕事、といった具合で、医師はベッドサイドにいるというよりも、必要な情報を各所から収集して、パソコンの前に座り治療方針について議論している印象だった。

【ダーラムでの生活】
上記のように平日は病院で緊張感を持って実習していたが、帰宅後や週末はリフレッシュに専念した。ホストファミリーのフレッドとジェニーは優しく穏やかな人達で、ノースカロライナ名物のバーベキューのお店や、飼い犬2匹の散歩がてら車で森に連れて行ってくれた。ダーラムは緑豊かな田舎町で散策にはもってこいだったが、意外に蒸し暑かったのと車がないと不便なのが玉に瑕であった。ただ空港が近いため旅行しやすく、研究留学で一緒に滞在していた同級生とボストンに飛んだり、ジョンズホプキンスの2人と合流してニューヨークを観光したり、以前名大の研究室にいた日本人の先生のお宅で久しぶりの日本食をご馳走になったり、野球のマイナーリーグの試合を観戦したり、平日以上に忙しく過ごしていたかもしれない。

【出会った人々】
病院内では他国からの学生・レジデントに多く出会ったが、彼らの向上心・野心に圧倒された。一緒に実習していたレバノンの学生は、将来アメリカのレジデンシーに応募するための推薦状をもらう目的で来ており、英語運用能力・知識・プレゼン能力・アピールの仕方、すべてにおいて非常に優れていた。私はひたすら穴があったら入りたい気持ちであったが、自分なりに成長できるよう努力しようと思い、空き時間に論文検索をしたり、朝早く行ってカルテを読み込んだりしていた。実習中に痛感したのは、わからないことは何でも聞いて良いとわかっていても、前提として英語が聞き取れ、ある程度知識がないとそれすらできないということ。逆に言えば知識があればもっと深く学べるということであり、帰国後の勉強のモチベーションアップにつながっている。
また患者さんやその家族が、学生にも嫌な顔をせず接してくれた。診察中緊張のために表情が硬くなっている私に、冗談を交えて話してくれたり「あなたは笑顔のほうが似合うわよ!」と言ってくれたりと、何もできないどころか逆に患者さんから励ましてもらったように思う。
そして実習の最終週には、脳神経外科医の福島孝則先生の手術見学に伺った。手術の麻酔管理は看護師が行っていること、またバイパス用の大伏在静脈を内視鏡で採取する内視鏡ナースがいることなど、驚くような話をたくさん聞けた。何より印象的だったのは福島先生の人柄で、どの言語でもどんどん相手に話しかけ主張をしていく姿勢や、さまざまな国の医学教育や医療体制に関する知識、患者さんの家族や学生を招いて食事会を行う気さくさ、そして常にミニサイズの折り紙を持ち歩き手先の鍛錬を怠らない謙虚さ、どれもが福島先生を世界トップレベルの外科医にしてきた要因なのだろうと感じた。私も広い視野で世界を見られるようになりたいと感じた。

【ルンド大学放射線科での実習】
4月末にアメリカを発ち、5月はスウェーデン南部のルンド大学に移動して実習を行った。ルンド大学は比較的新しい協定校であり、非英語圏ということもあって不安はあったが、非常に楽しく充実した滞在となった。
放射線科は医師だけでも50人が所属している大きな部署であり、それぞれのセクションに細分化されていた。その中から私は胸部、腹部、小児・筋骨格、神経を1週間ずつ回った。
朝は他科との合同カンファレンスから始まり、終了後は上級医について読影のポイントを教わったり、面白そうな検査・治療を見学したりしていた。腹部や神経の部門では、TACEや脳血栓除去などのIVRも多数行われていたため、造影室に何時間もいることもしばしばだった。カルテやカンファレンスはスウェーデン語で、カンファレンスの聞き取りはなかなか難しかったが、英語に似ている医学用語を頼りに意味を推測したり、カンファレンスの前後に症例についての説明をお願いしたりしてなんとか乗り切った。何よりスタッフの方々が親切で、英語で説明や会話をしてくれたため、スウェーデン語ができなくて困ることはほとんどなかったように思う。
スウェーデンらしいと感じたことは、まずコーヒーブレイク(スウェーデン語でfika)の時間を必ずとること。放射線科専用の広いラウンジで、お菓子とコーヒーをお供に色々な先生方と話すことができた。そして夕方4時を過ぎると日勤の医師はさっさと帰っていくこと。中には金曜日の午後を休みにしたり、週単位でまとまった休みを取ってバカンスに出かけたりする先生もいて、日本とはかなり違うなあと感じた。驚いたのはスウェーデンでは医師の半数以上を女性が占めているという話で、保育サービスが充実している、主夫が多い、育児休暇は夫婦どちらも必ず取得しなければならないなど、意識ももちろんだが根本的なシステムの違いを実感した。反対に向こうの研修医(2人の子育て中)から、日本はなぜ女性の医師が少ないの?どうやって両立しているの?と不思議そうに聞かれてしまった。

【ルンドでの生活】
5月頭に到着してからは日ごとに日照時間が長くなり、6月に入ると4時半に日の出、22時日の入りという時間感覚がなくなってしまうような明るさだった。緑豊かで綺麗な町並みに加え食事や買い物にも困らず、電車に乗れば他の都市にすぐ遊びに行けてしまうという便利な土地で、物価は少し高めだったが、とても過ごしやすい環境だった。ただ留学生が多いと言っても、アメリカに比べるとやはり欧米人がほとんどで、アジア系は珍しいように思う。
実習中は留学生用の寮に滞在しており、共用のキッチンで晩御飯の準備をしながら情報交換をしたり、ご飯を持ち寄ってパーティーをしたりした。ほとんどの人が各専攻のマスターを取りに訪れていて、そのままスウェーデンで職探しをするという人もいた。私がまだ日本にいたときにルンドから名大に留学していた学生とも再会し、病院内を案内してもらったり、おいしいお店を教えてもらったりとお世話になった。日本にいる外国人や留学生に親切に接しようと思った。

【出会った人々】
ヨーロッパの他の国からスウェーデンの医学部に入ったり、自国で医学部を卒業してからスウェーデンで働いたりしている医師が何人もいた。彼らは言語の壁に悩みつつも、スウェーデンの充実した福祉や職場環境の良さに惹かれて移住してきたのだと話していた。
また日本について興味を持ってくれる人が多く、例えば寿司やラーメンなどの日本食、ストックホルムオリンピックのマラソンで面白い日本人選手がいたこと(全く知らなかったのだが調べたらウィキペディアにも載っていた)、次の休暇は日本に行こうと思うがどこがお薦めか、などいろいろな話題で会話を楽しむことができた。

【総括】
1か月ずつという短い期間であったものの、2か国で臨床実習を行うことができて非常に良い経験になった。それぞれの国に滞在するうちに垣間見えた文化や考え方、働き方の違いが非常に興味深かった。
今回留学に応募した動機のひとつは、海外の名門大学での実習という障壁の多い環境でどれだけ自分がやれるか挑戦してみたいというものだった。結果、これまで見えていなかった自分の欠点、足りないものがよくわかった2ヶ月間だった。できる限りの準備をすること、積極的に人と関わること、恥を捨てて何でも質問し吸収すること。これらは今後働き出してからも必要なことだと思う。
こんな風に言うと辛い経験だったように聞こえるかもしれないが、もちろん留学しなければできなかった楽しい・嬉しい経験もたくさんあった。貴重な機会を下さった国際連携室の先生方、学務課の皆さん、アドバイスを下さった先輩方、励ましあった同級生、応援してくれた友人や家族に、この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。


デューク大学にてレジデント・レバノン人留学生と

寮でタイ料理パーティー

Tulane University (Tulane Lakeside Hospital for Women and Children)

井上 弘貴

・はじめに
University of California Davis (2017/03/20 - 2017/03/30)、Tulane University (2017/04/03 - 2017/04/28)、University of Western Australia (2017/05/01 - 2017/06/23)。これが、国際連携室、学務課、フロンティア会、この留学制度を築きこのようなものにしてくださった先生、先輩方などによって私が頂戴した大変貴重な機会です。心より感謝致します。本当にありがとうございました。

・準備から出発まで
自分で望んで、多くの準備をしてやっと得られた機会でしたが、「初めての海外長期滞在、しかも医療現場に入って何かをする。」、これだけで初めは不安でいっぱいでした。TOEFLの勉強から始まり、医学単語を英語で学び、それをoutputする。どれだけやっても現地でどの程度要求され、どの程度使えるのか確信は得られませんでした。それ以外でも、携帯の電波や移動手段、治安はどうだろうか、多くの不安がありましたが、その分準備もしっかりできたのではないかとも感じます。たくさん考えてたくさん準備をする。この作業がすでに不安でもあり、わくわくがとまらない良い時間でした。

・Tulane Lakeside Hospital for women and childrenでの実習
希望科として小児科と消化器内科を出していた私としては、ped GI(小児消化器)で受け入れをして頂けるとは思ってもいませんでした。しかし、実際に行ってみると、私のスケジュールの半分以上は空きコマでした。せっかく色々な準備をし、手続きを経て、はるばる日本からきて、半分以上を暇して過ごすわけにはいかない、なんとかしなければならない。私の最初の課題はスケジュールを変更してもらうことでした。なんとか頼み込み、general ped(一般小児科)、well-baby nurseryという特に問題なく産まれた子の管理をする場所、preceptorと呼ばれる少人数参加型の授業などで、なんとか1週間のスケジュールが完成しました。そのおかげで、先生に恵まれ、小児の検診、問診、身体診察、そしてそれを伝えるといった役割を与えてもらえました。英語が第二言語である学生に、しかも親の前での問診、身体診察のチャンスを与えてもらえることは大変ありがたかったです。その分、ドアをノックして部屋に入る時の、あの緊張は忘れられません。
preceptorでは、現地の学生たちが意見をどんどん出し、発言するので圧倒されました。なんとか爪痕を残そうと発言をしたりしましたが、日本語では説明できるが英語だとうまく表現できない病態など、もどかしさを感じました。一方で、第二言語で医学を学んでいることを非常に感心され、そのような見方もあるのだな。と新鮮でした。

・提携校ではありませんが、、
University of California Davis Dermatologyにも10日間だけ行かせていただきました。アメリカの皮膚科と言えば、競争率がとても高く、なるのはとても難しい科です。observerとしてですが、そのような雰囲気を体感できたのは非常に嬉しいです。驚いたのは、乾癬や日光角化症の患者さんが多いことです。患者さんの日光角化症や扁平上皮癌の予防に対する気持ちの違いにも驚かされました。医学的なことではありませんが、私が1番お世話になった先生は人当たりがよく、穏やかで、大変親身になって接してくれる方でした。レジデントや学生からとても慕われていて、この人の雰囲気や話し方、人との接し方は学ぶべきもので、将来の医師像に少なからず影響を与えたと思います。


一番お世話になった学生と共に

University of Western Australia (Fiona Stanley Hospital and Sir Charles Gairdner Hospital)

・Fiona Stanley Hospital acute surgery unit(ASU)
Tulane Universityの実習を終えた次の週からFiona Stanley Hospital ASUでの実習が始まりました。ASUは急性期に手術が必要な方、もしくは必要になる可能性がある方がいるところで、cholecystitis, appendicitis, small bowel obstruction, acute pancreatitis, diverticulitisの方がたくさんいました。病棟回診とオペの助手が学生の主な役割でした。まれに講義をしてもらったり、問診をしたり、身体診察をしますが、学生はほとんど好きに動いて良いといった感じです。オペ以外では、現地の学生と授業に参加したりもしていました。基本的には'It's up to you.'なので、今は何ができるのか、何が学べるのか、どんな動きをするべきなのか、こちらから能動的に働きかけないことには始まりません。もちろん、能動的に働きかけてうまくいくことばかりでもありませんが、海外から来た留学生として、良い意味で恥を捨て、果敢に挑戦することにしました。この経験は私の今の日本での立ち振る舞い方に大きく影響を与えているような気がします。

・Sir Charles Gairdner Hospital Vascular Surgery
こちらでの実習は、レジストラ、フェローと共に一日中過ごすものでした。毎日回診から始まり、オペ、カテーテル、緊急で来た人の対応をします。(外来のある日は二手に分かれて同時にやります。) オペはamputation (toe, below knee, above knee), endarterectomy, bypass, abscess drainage、カテーテルはangioplasty, atherectomy, EVAR, TEVAR, angiogramなどです。レジストラとフェローはオーストラリアではとても忙しく働く立場の人で、その先生たちにずっと付いていたおかげで、入院から退院までの全てを見ることができた症例もあります。救急車で来院、緊急bypass施行、翌日bypass血管による盗血症候群が生じたため、カテーテルによる原因血管の遮断、翌日コンパートメント症候群が生じたため、筋膜切開、数日して下肢の循環改善といったケースでした。ずっと共に過ごしていたからこそ、この全ての処置が見られたのだと思います。カテーテルでは放射線技師の方の横で手厚く説明を受けたりもしました。個人的に1番のイベントはコンサルタントまで出席するカンファでもやもや病の発表をしたことです。あたたかく見守ってはいただきましたが、異国の地で発表する緊張は大きなものでした。

・留学の意義とは
出発前も途中もずっと考えてきましたが、一言でしっくりくる言葉が浮かびません。
海外と日本との医療の違いを学ぶため?語学力?自分の視野を広げる?どれもそれのみをメインの理由にしていたら物足りないような気がします。時間とお金と労力をかけて、多大なるサポートの上に成り立つこの機会。得られる限りのものを目一杯模索することに意義があるにではないのでしょうか。そして、その模索した上で得られたものを将来のふるまいのために消化、吸収、利用していく。それが大切なことだと思います。
楽しいことばかりでもないけれど、もう一度行きたいかと言われたら、100%もう一度行くと答えます。
最後に、このような機会を賜ったこと、自分がとてつもなく恵まれた人間であることを忘れずに精進していきたいと思います。ありがとうございました。


Registrar その1

Registrar その2

Tulane 大学 UWA大学 体験記

中村 健人

名古屋大学医学部医学科6年の中村健人と申します。海外提携校での臨床実習プログラムを利用して、アメリカ・ニューオーリンズのTulane大学医学部に留学する機会をいただきましたので報告いたします。留学することを決意したときから留学を終えた現在までを振り返ってみると感慨深いものがあります。

一度派遣が中止となりましたが、国際連携室の先生方が再交渉をして下さり、1ヶ月間派遣していただけることになりました。短い期間でしたがとても充実した日々を送ることができました。

実習では志望科である小児科を回らせていただきました。アメリカの小児科は専門が細かく分かれており、一般小児科に加えて小児腎臓、小児循環器、小児遺伝科などがあり私は小児血液腫瘍科への配属となりました。名古屋大学の小児血液腫瘍グループはALL、神経芽腫などの固形腫瘍の患者さんが多いのに対して、Tulane大学はAfrican Americanが多いという土地柄、鎌状赤血球症の患者さんが多くを占めました。またルイジアナ州の血友病の拠点病院であり、指導医の先生がinhibitorの出現した血友病に対するバイパス製剤を専門にしているため、血友病の患者さんも経験することができました。

実習のはじめで言葉の壁に苦しんだ上に、実習期間の関係上カルテの閲覧権を与えてもらえなかったこともあり、シャドーイングのみで患者さんに接する機会がありませんでした。私の英語が流暢でないことに先生方が気づくと、まるで空気のような存在となりタスクを与えられることなくどんどん日数が過ぎてしまいました。このままでは来た意味がないと思い、自分から指導医の先生にアピールをすることにしました。また、現地で働いていらっしゃる日本人の先生からも「日本とは違うからほとんどのことはうまくいかない。しかし自分がしたいことをしっかりと主張することが大切だ。主張してもうまくいかない場合のほうが多いがたまに上手くいく。それを信じてとにかく行動することだ。」というお言葉をいただきました。日本での実習での勉強に対する姿勢を反省しつつ、残りの期間はとにかく自分から積極的、主体的に行動すると心に誓いました。

前日に外来患者のカルテを印刷してもらい予習をしたこと、課題を要求したこと、病棟回診の際に質問をしたこと、問診と身体診察をさせてほしいと何度も頼んだことなど、様々な方法でアピールをしたことで少しずつ任せてもらえることが増えました。先生方からすると言葉すら満足に話せない変な日本人に映ったと思いますが、なんとかアピールはできていたようです。はじめは現地の学生と一緒でないと患者さんに会わせてもらえませんでしたが、最終的には1人で患者さんに問診、身体診察をしてAssessment、Planを考え上級医にプレゼンをさせていただけるようになりました。

事前に国際連携室の先生から聞いていた通り、できない人間に対してアメリカは厳しく劣等感に苛まれました。しかし、もがき苦しんで自分から行動することができるようになったことが、実習で得たどんな医学知識よりも今回の留学で得た1番の成果であったと思います。

アメリカでは自分から発信しなければ誰も何もしてくれませんが、積極的に動けば想像以上のリプライがあると感じました。できないなりに一生懸命やったことで少しずつ先生方の私に対する見方が変わったのだと思います。日本での実習での自分の学ぶ姿勢はあまりにも受動的、消極的なものであったと感じます。今回こうした機会をいただき主体的に学ぶ必要性を痛感しました。帰国してからもこの姿勢で勉強を続けることができたらと思います。

最後になりますが、このような貴重な機会をくださいました国際連携室の粕谷先生、長谷川先生、留学生係の西尾さん、Tulane大学の小児血液科のチームの方々、支えてくれた家族に対してこの場をお借りしてお礼を申し上げます。


お世話になった先生方と(Tulane)

お世話になった心臓外科の先生方と(UWA)

次に、海外提携校での臨床実習プログラムを利用してオーストラリア・パースのUniversity of Western Australia(以下UWA)に2ヶ月間留学する機会をいただきましたので、この場をお借りして報告させていただきます。アメリカのTulane大学での臨床実習に続いてオーストラリアに移動しましたので、日本とは異なる2カ国の医療を体験するというたいへん貴重な経験ができました。

UWAの大学病院での実習ではなく、関連病院であるFiona Stanley Hospital、Sir Charles Gairdner Hospitalにそれぞれ1か月ずつお世話になりました。

1月目はFiona Stanley Hospitalの胸部外科を回りました。実習は朝7時の回診、カンファから始まり、その後は手術見学という流れでした。手術は2つのオペ室で1日に2件ずつあり、CABGの患者さんが多くを占めましたが、弁置換術、肺葉切除術、気胸に対する胸膜癒着術など幅広く見学をさせていただくことができました。術野にもたびたびいれていただきました。術野に入ると先生方から質問が飛んできます。マスク越しの高速の英語を聞き取ることは困難を極めましたが、何回聞き直しても先生方は呆れることなく説明してくださいました。心臓外科の手術が始まる前は麻酔科の先生から指導をいただき、気管挿管、尿道カテーテルなどの手技をやらせていただいたり、経食道心エコーや麻酔薬のショートレクチャーも受けたりすることができました。英語が下手で医学知識も乏しい自分に対して先生方は優しく、実習最終日のカンファのとき「First, an important thing, this is Kento’s last day!」とおっしゃり、挨拶をする時間を取って下さいました。先生方の会話(特に雑談)にあまり入れず、ほとんど空気のような存在であった私のことを覚えてくれていて感動しました。

2月目はSir Charles Gairdner Hospitalの脳神経外科を回りました。こちらも朝7時の回診に始まり、手術見学が中心でした。手術は2,3件毎日ありほとんど全てを術野にいれていただくことができました。体力的にはかなり辛かったですが、この期間が留学生活を通して1番充実していたと思います。小さな手術は医師1人でするため助手として糸結び、縫合などをさせていただくことができました。こちらではチームの一員として見ていただいていたようで私のサイズのガウンや手袋を用意して下さったり、手術記録に名前をいれていただいたり、手術で何度もご一緒させていただいた先生よりいただいた「No one is serious as much as you are.」というお言葉などは些細なことですが嬉しかったです。※文法的には違いますが思い出の一言なのでそのまま載せています。

実習全体を通して言葉の壁に苦しみました。回診の際に先生が患者さんに説明するときや、学生にミニ講義をするときは、はっきりした英語であり留学前に練習してきたものに近いため聞き取ることができますが、先生通しの会話はスラングや略語混じりの早い英語であり、言っていることを理解するのは非常に骨を折りました。また医学関連の会話よりも雑談で話についていけないことが多く、周りが笑っているのに自分だけ理解ができなかったときは辛かったです。後輩のみなさんには、留学前にTOEFLのような綺麗な英語だけではなく、実際の会話に使われるくだけた英語を練習しておくことをお勧めします。実習だけではなく、休日には現地の学生や先生などと一緒に遊ぶ機会は何度もあると思います。そうしたときに相手の言っていることが完璧に分かり、自分の言いたいことを自由に言えるくらい英語が上手であれば、さらに充実した生活が送れたと思います。

最後になりますがこのような貴重な機会をくださいました国際連携室の粕谷先生、長谷川先生、留学生係の西尾さん、実習でお世話になった診療科の方々、支えてくれた家族に対してこの場をお借りしてお礼を申し上げます。

アメリカ、オーストラリアに留学して

光松 佑時

始めに
私はアメリカのTulane大学とオーストラリアのUniversity of the Western Australiaに留学させて頂きました。3か月間という短い期間でしたが2ヵ国の医療に触れることができ、とても充実した実習となりました。

Tulane大学での実習
振り返ってみた際の正直な心境と致しましては無事4週間実習が出来てよかったというものです。Tulane大学への留学は準備段階から実習が始まるまでトラブルの連続でした。当初3か月間の実習予定でしたが、受け入れが難しいという連絡があり一度は実習がなくなりかけたり、渡米後にTulane大学の事務と実習科の先生との連絡がきちんと行われておらず、実習科に受け入れを拒否されてしまったりしました。しかしながら、そういった経験も含めて留学であり、人間としての成長に繋がったのかなと考えております。

MICUでの実習
さて、実習予定の科に受け入れを拒否されてしまった私は途方に暮れながら事務に連絡をとり、何とか呼吸器内科での実習許可を得ることが出来ました。そして、実習初日に緊張しながら呼吸器内科を訪れるとアテンディングの先生から、患者があまりいないからMICUでの実習の方が勉強になると言われ呼吸器内科での実習を半日で終え、最終的にMICUでの実習となりました。
漸く決まったMICUでの実習1週目、カルテの権限がないことも有り、数日間はresidentに付いて回る日々となってしまいました。何度も交渉をしたのですが、カルテの権限に関しては結局得ることは出来ませんでした。しかし、フェローに相談をした結果、患者さんを受け持たせて貰えることになりました。この経験は自分の意見をしっかりと相手に伝えて交渉することが留学においては大切だという先輩方からの言葉を身をもって感じるものとなりました。MICUでの実習は基本的に毎朝と夕、担当患者の回診をし、看護師に夜間の患者の状態やバイタルについて聞き、現地の学生やresidentに頼んで毎日検査データやカルテを見せてもらいアテンディングラウンドの際にプレゼンをするというものでした。ラウンドは8:30から12:00,13:00まであり、その際にmassive PEとsub massive PEの違いやARDSのBerlin定義などを課題として出されたりしました。実習では基本的に現地の学生と同じように扱われました。対等に扱われることで現地の学生との差や言語の壁をより一層突き付けられ、何度も悔しい思いをしました。例えば、現地の学生が回診におけるプレゼンで自分より多くのことを患者さんから聞きだせていたり、雑談などを通して患者さんや先生との良好な関係の構築をしたりしている中、自分は相手の言っていることが完全には聞き取れないということがありました。その中で自分が出来ることは何かということを考え、現地の学生よりも多く患者さんのもとを訪れたり、日本人なんだから仕方がないと開き直って分からないことが有ったら質問したり、論文を調べて発表したりしました。ある日のプレゼンでアテンディングからWell done!と言ってもらえたのはとても嬉しかったです。またMICUでは日本ではあまり経験できないような症例を数多く経験することが出来ました。アメリカの南部に位置し、全米で最もHIVと結核患者がいる地域ということで、Sickle Cell DiseaseやHIVによるニューモシスチス肺炎やMAC症の患者さん、Good症候群という珍しい免疫不全症の患者さんもいました。ラウンドの後はGround Roundに参加したり、UMCという州立病院で現地の学生とクリニックで問診を取ったりしました。Ground Roundではピザとコーラというアメリカンな昼食を楽しみながらIBDの治療やエコーによる診断などを学ぶことが出来ました。クリニックではMedicaidの患者が多いこともあり、治療の際に薬に制限がかかるなど色々考えさせられることもありました。
そのような4週間の実習で一番印象に残っているのは実習1週目に入院し、最後の週に退院されたGuillain Barre syndromeの患者さんです。入院時は挿管されていてアルファベットの文字盤と首の上下でコミュニケーションを取っていったのですが、抜管後も麻痺がすぐには良くならず、機嫌が悪い日は質問をしても、あまり答えてくれない時もありました。しかしながら状態が良くなるにつれて会話も増え、退院する際には「病気のせいで身体が動かせなくて機嫌が悪い時もあったけど本当にありがとう。日本に帰っても頑張ってね。」と言われたのは自分でも患者さんに何かしてあげられたのかなと思えました。

The University of Western Australiaでの実習
アメリカでの実習を終えた私はNew OrleansからPerthへの35時間の旅に出ました。香港での乗り換えの際には1か月ぶりに見るアジア人と漢字に少し日本が恋しくなったのを覚えています。
UWAへの派遣は来年度から始まる予定でしたが、Tulane大学の実習期間の短縮をうけ、急遽、今年度から派遣させて頂くことになりました。UWAはThe Group of Eightという日本の旧帝国大学と同じような位置付けの大学でH. pyloriを発見してノーベル賞を受賞したBarry Marshall先生などが在籍しています。UWAではパースに存在する基幹病院で実習をしました。Fiona Stanley HospitalではAcute Surgical Unitを Sir Charles Gairdner HospitalではTransplant Unitをローテートしました。

Acute Surgical Unitでの実習
Fiona Stanley Hospitalはパースの中心からは公共交通機関で南に1時間ほど離れた場所にある新しくて、とても綺麗な病院です。ASUの実習は朝7:00にpaper roundが始まり、その後、病棟回診がありました。病棟回診の後はオペの見学か助手をしました。オペの内容としてはCholecystitis, Appendicitis, Small Bowel Obstruction, Herniaなどの一般的なものがメインで、5連続でappendicectomyの助手をするという日もあったりして4週間で本当に沢山のオペに入らせてもらいました。回診に参加した後は基本的にIt’s up to you.という感じなのでオペに入ったり、休憩を取ったりしても大丈夫という実習だったのですが、せっかくの機会がもったいないと思ったのでUWAとUniversity of Notre Dameの医学生と仲良くなって、ゼミに参加させて貰ったり、他の科のオペを見学させて貰ったりしました。 

Transplant Unitでの実習
実習をしたSir Charles Gairdner Hospitalはパースの中心部に近く、歴史がある(古いともいう)とても大きな病院でした。移植外科はオーストラリアの多様性を象徴するように国際色が豊かな部門で中国、マレーシア、ドイツなど様々な国の先生がいました。先生方にとても恵まれたことも有り、とても充実した実習となりました。
毎朝7:30に病棟回診があり、放射線や移植のミーティングがある日もありますが、基本的にはオペがある日はオペに参加して助手もしくは見学をしました。オペの内容としては腎移植、肝臓移植だけでなく、一般外科としてAV fistula creationやPD catheter insertion, Lap- Chole, Hernia repairなどがありました。オペが無い日はInternのレクチャーに参加したり、採血をしたり、Discharging summaryを書かせてもらったりすることも有れば、Consultantに付いてクリニックを見学することも有りました。移植手術に私は4週間で5,6件くらい入らせて頂いたのですが、移植に関してはいつ、どこで起きるかはわからないため休日にビーチにいる時に電話が掛かってきたこともありました。印象に残っているのは脳死した大人の腎臓を二人の子供に同時に移植する手術です。この手術は移植外科のチーム全員でPrincess Margaret Hospitalという小児病院に出張して行ったのですが、移植前は白かった大人の腎臓が移植後に子供の小さな体の中で赤くなる様子はとても感動しました。

最後に
本当に留学をして良かったというのが率直な感想です。数多くの人に出会い、人のやさしさに触れ、自分自身もそうなりたいと尊敬できるような素敵な人たちと出会うことが出来ました。3か月間の留学を通して医療制度や医師の働き方などの医療の違いのみならず、宗教や文化の違いなど数多くのことを経験することが出来ました。英語が話せるだけで、これだけ自分の世界が広がるのだということを改めて強く感じ、将来留学する機会が有ればまた是非挑戦したいなと思いました。
留学を支えてくれた両親、留学をともにした同級生とりわけ狭い部屋にベッドを並べ、生活を共にした井上君と中村君には感謝しています。そして今回このような貴重な経験をさせて頂いたのは粕谷先生、長谷川先生を始めとする国際連携室の方々、西尾さん、そして留学の礎を築いて下さったフロンティア会の諸先輩方のおかげです。心より感謝致しております。本当にありがとうございました。


お世話になった先生方と

移植外科の教授と

麻酔科の先生の自宅にて

Tulane University School of Medicineと香港中文大学での臨床実習を終えて

岡田 優理奈

この度私は、アメリカのルイジアナ州にあるTulane大学にて4週間、また香港の香港中文大学にて4週間の病院実習に参加させて頂きました。もともとTulane大学での実習は3か月の予定でしたが先方の都合により1か月となってしまいましたが、国際連携室の先生方の尽力により急遽香港でも実習をさせて頂く運びとなりました。初めは不安だらけでしたが、結果的にアジアとアメリカの医療を両方体感することができ、とても濃厚でかけがえのない経験となりました。

【Tulane大学での生活】
Tulane大学はジャズ発祥の地であるニューオリンズに位置するアメリカ南部の拠点病院です。(地球の歩き方によると南部のハーバード大学、とも言われるそうです?)ニューオリンズは黒人文化とフランス文化が混在した独自の文化を持ち、クレオール料理も美味しく、街並みもテーマパークのようにオシャレで、本当に素敵な街でした。
実習では循環器内科と内分泌内科を2週間ずつローテートさせて頂きました。循環器内科ではCCUチームに配属されました。カルテの閲覧権がなく、学生もおらず、先生方は皆各自の仕事に忙しかったため、最初は回診に参加しながら患者の状況を把握するのがやっとでした。が、患者について積極的に質問したり、日本での治療について話したりすることで先生との距離が段々縮まったように思います。ところでこのローテ中私は帯状疱疹にかかったのですが、仲良くなったレジデントの紹介で特別に待つことなく皮膚科のアテンディングに診察してもらいバラシクロビルを処方され事なきを得ました。(それでも初診料は2万円、薬代3万円でした。)身を以てアメリカの医療費の高さ、医療アクセスの悪さを体感し、保険制度について考えるきっかけとなりました。
内分泌内科は外来中心の実習でした。CCUよりも疾患の幅が広く、10年来の男性化徴候があったのに診断がつかなかった女の子や、BMI60越えのDM患者、副甲状腺摘出後内服量の勘違いにより低Ca血症となりテタニーが出ている患者など、あまり日本で見ないケースも多くとても興味深かったです。積極的にアプローチした結果もあってか、UMC(publicの病院)ではファーストタッチをさせてもらったり、検査オーダーや診断・治療法を先生と考えたりと充実した実習を過ごせました。内分泌内科は皆のんびりしていて仲が良く、アテンディングの先生も空き時間に読影や興味深い症例について教えてくれるなど教育的で、毎日がとても楽しかったです。また最終日に担当のフェローの先生がケーキを買ってお祝いしてくれ、一緒に仕事できて楽しかったと言ってくれたのは努力を認めてもらえた気がして本当に嬉しかったです。

【香港中文大学での生活】
香港中文大学では心臓胸部外科を4週間ローテートさせて頂きました。アメリカとは打って変わって、初日から留学生に対しとても好意的かつ教育的で、最初は逆に戸惑いを覚える程でした。患者の公用語は広東語なのですが、外来や病棟では学生が患者の話を英訳して一緒に身体診察をさせてくれたり、手術中先生が解説してくれたり、毎日手術後ミニレクチャーをしてくれたりと朝から夜までとても充実していました。心臓外科と呼吸器外科を合わせて年間700件を超える手術が行われており、CABG、弁置換・形成術、胸部大動脈置換術、肺癌の手術、ブラ切除、胸腺腫摘出から胸膜癒着術まで1ヶ月間でほぼ一通りの手術を見学する事ができました。
実習中印象的だったのは学生がとても勤勉だったことです。香港は愛知県と同じ位の人口にも関わらず医学部はたった二つしかないため本当に優秀な学生ばかりです。医学生は部活もアルバイトもしないのが一般的で、私は一緒に実習に参加していた5年生に知識が劣る事もあり、切磋琢磨しつつ必死で勉強しました。また香港は高等教育が全て英語で行われており、医療スタッフや学生は英語がとても堪能です。が、広東語訛りが強い事が多く広東語なのか英語なのか分からなかったり、聞き取れなかったり、イギリス英語なので血糖値やクレアチニンの慣用単位が違う等苦労する事も多々ありました。しかし皆親日で、オペ室で「こんにちは」と日本語で挨拶してくれたり、日本での旅行の思い出を話してくれたりと話題が尽きず、毎日とても居心地よく過ごす事ができました。
生活面では観光・課外活動もさることながら、小山さんと5畳ほどの激狭2人部屋で寝食を共にしたことがとてもいい思い出です。楽しい事は2人で分かち合い、落ち込んでいるとき励ましあえる友達ができたのはとても幸せであり、小山さんには本当に感謝しています。

【2カ国での実習を終えて】
今回アメリカと香港の二カ国での実習を経て、双方の様々な違い、良し悪しを、身を以て感じ、とても視野が広がりました。アメリカでは、とにかく諦めず積極的に実習に取り組むことの大切さを知り、また多くの人種が混在し保険適用の範囲が限られる中で最善の治療を選択する難しさを感じました。香港では言語の通じない患者との信頼関係の築き方を学び、同じアジア人として、学生の意識・英語能力の高さをぜひ見習っていきたいと思いました。また留学全体を通して改めて日本の医療水準の高さを知り、自国の医療制度ひいては文化・国民性を見直すとてもいい機会となりましたし、色々な困難を乗り越えた事で少なからず成長できたのではないかと思います。
このような貴重な機会を与えて下さった粕谷先生・長谷川先生をはじめとする国際連携室の皆様、西尾さん、フロンティア会の先生方ならびにTulane大学・香港中文大学の先生方、また支えて下さった家族、友人、全ての方々に心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。


オペ室にて

香港中文大学キャンパス

内分泌内科の先生と

心臓胸部外科の先生と

Tulane 大学(2017/4/3-4/28)

小山 友海

私は今年4月、アメリカの南端のニューオリンズにある、Tulane大学で実習をしてきました。今思い返してみて街角にはいつもジャズが流れていて、観光客で賑わうニューオリンズの街並みが懐かしく感じられます。

実習先にアメリカを選んだ理由として、英語を勉強する為であるということは言うまでもありませんが、第1には、求められるスキルや知識が高く厳しい、と言われているアメリカでの実習に挑戦することで、自分を成長させたかったからです。実習を終えて日本に帰って来て、正直なところ一難すぎてホッとしたという感じでしょうか。心の中ではやりきった気持ちと、悔しい気持ちが入り混じって整理されていませんが、言えることは出かける前に想像していたよりもずっと、実りある経験であったということです。

わたしは4週間に渡り、産婦人科での実習をさせてもらいました。初めの2週間はUMC New Orleans という2014年にできたばかりの新しい大きな公立病院で主に外来実習をしました。ニューオリンズはアメリカの中でも特に人種の入り混じった地域であるためアフリカ系、アジア系、ラテン系様々な人種の方々がいて、体格から言葉までみな違うため初めはなかなか慣れませんでした。多くは貧困層の方で、中には受刑者も看守付きで来ました。またHIVなどのSTDの蔓延地帯なのでそういった患者はとても多かったことには衝撃を受けました。

産婦人科は3年生の必須科目の一つであるため、たくさんの学生と一緒にローテートさせていただきました。UMCでの実習は学生が初めに外来患者への問診や身体診察をした後、レジデントにプレゼンし、それを踏まえてレジデントが患者の診察、検査をします。その後、学生はレジデントとアテンディングが治療方針などディスカッションするのに混ざって、最後にレジデントと共に患者に伝えるといった流れで行います。初めは現地の学生に比べて何も満足に出来ませんでしたので、どういうプレゼンをすればいいか、問診の項目などを学生に聞いて教えてもらっていました。言語の壁があることはもちろん、知識に関しても、彼らは非常によく勉強していて優秀なので、彼らと同程度の業務をするのはとても大変でした。先生は出来ないなら、やらなくていいというスタンスでしたので、できることをアピールしなければなりませんでした。心が砕けそうになりましたがなんとか追いつけるようできるだけの努力をしようと心に決め、積極的に質問し、実習が終わっても必死に勉強に励むといった日々を過ごしました。その甲斐あって2週間目の最後の方には一人で一通りの問診、身体診察ができるようになり、時には簡単な処置を任せてくれるようになりました。自分の進歩を実感し嬉しかったです。この環境だったからこそ、いつも以上に頑張れたのではないかと思います。また、先生方も学生もこちらが積極的に求めれば、助けてくれたのでありがたかったです。3、4週目はTulane Lake Side Hospitalという寮から車で20~30分程離れた病院で実習をしました。公共交通機関はないので送り迎えしてくれる友達を自分でみつけなければなりませんでした。最悪、タクシーです。わたしは毎日違う学生にお願いをして、なんとか行くことができました。ここでの実習の流れはまず朝5時前に自分の受け持ち患者の回診を行い、カルテをみたり看護師に聞いたりして情報を集めプレゼンする用意をします。そして6時からのカンファで必要があればプレゼンします。その後は、9時までアテンディングによるレクチャーがありました。面白いのは、ただスライドを説明するだけの形式がほとんどなかったことです。チーム分けをしてQuiz形式で点数を競ったり(勝ったらおごりでジュースとか)、Google画像で検索し分かりやすく説明してくれたりと、工夫されていました。学生の質問に対して時には最新の文献Up To Dateをすっと引っ張ってきて説明しているのを必死でついていきながら、英語を母国語とする彼らにとっては英語の論文を読むなんて、全然大したことではないのだなと、最新の情報になんの障壁もなくアクセスできる彼らが羨ましく感じられました。レクチャーの後は分娩やオペなどそれぞれの持ち場に分かれて実習しました。

アメリカの医療は日本とは違うのか、いつも考えて探していましたが、概ねレベルとしては変わらない気がします。しかし全然違うのは、医療保険制度です。アメリカではmedicateと言われる、貧困層や障害を持つ人々だけが入ることのできる保険以外は全てプライベートの民間保険です。日本の様な国民皆保険制度ではありません。そして、入っている保険によって受けることのできること手術や、処方される薬が違ってきます。つまり、お金がないなら受けたい治療を受けることができないのです。日本の医療制度にも欠陥は沢山あると思いますし、アメリカの医療制度が劣っているといっているわけではありませんが、誰もがある程度の水準の医療を受けることのできる日本に住んでいて良かったなあと海外の実情を見て思いました。

実習ではアメリカらしくBMIが50を超える女性でも平気に出産していたこと、またほとんどの人が無痛分娩なので、日本の様に痛みのあまり母親が分娩中に叫ぶなんてことはないこと(日本では麻酔をかけないといったらみんな目を丸くしていました。)、治療方針についても日本とはガイドラインが違うこと、例えば基準を満たせばHIVの患者でも経膣分娩ができるのなど、臨床現場も日本と違っている点が多く毎日が新鮮で楽しかったです。

わたしが出会った先生方、学生達は人好きな性格の方々が多く、人懐こい南部の人のことを自分たちで”Aggressively welcome”な人種と言っていました。ホームパーティを開いてくれたり、BBQしたりと最高の思い出ができました。

カルテのアクセス権がない(学生にIDを借りるしかない)ことや、会話のスピードが速くてついていけないときがある、町も治安が悪いなど不便なことは多々ありましたが、そんなことは今思うと得た経験の大きさから比べると、とても取るに足りないことです。むしろ、苦労の分だけ成長する機会が与えられたと考えています。

最後に、チュレーン大学へは一度派遣自体が中止となり、国際連携室の先生方が尽力してくださり何とか1か月派遣していただけることになったという経緯があって叶ったものです。貴重な経験を与えてくださった粕谷先生をはじめ、名古屋大学医学部国際交流室の皆様、留学先のスタッフの皆様、心より感謝致します。


UMCのガーデンで

産婦人科ローテの学生と Tulaneにて

産婦人科ローテの学生と Tulaneにて

香港中文大学(2017/5/8~6/2)

わたしは4月のアメリカのチュレーン大学での実習に引き続き、5月は香港中文大学で実習する機会を頂きました。香港を実習先として選んだのは、アメリカでの実習期間が当初予定していたよりも短くなってしまい、限られた協定校から次の留学先を探すうちに、香港では英語教育が進んでいで英語を勉強できる環境にあると聞いたからです。日本と違い若年人口が多く、活気あるアジアでの医療はどんなものか、期待を胸に向かいました。

香港は中国の特別行政区であり、過去にはイギリスの植民地であったために、アジアでありながらどこか欧米色のある独自の文化を発展させて来たところです。街のインフラ整備が整い、交通網も日本の都市部並みに発達しています。また国を挙げて英語教育に取り組んでいるため、若い世代は英語に堪能です。病院にはヨーロッパやアジアから留学しに来ている医師が数多くいて、実際病院内のカンファレンスやオペでは英語を使っていました。

わたしはPrince of Wales Hospitalという香港中文大学の敷地内にある巨大な病院で、4週間整形外科をローテートさせてもらいました。 1、2週目はスポーツ整形でした。香港大学、カナダからの留学生をとともに実習に参加しました。教授のProf. Yungはスポーツドクターとして15年間従事してきたとても有名なスポーツ整形外科医で教授の外来にはプロのアスリートが大勢やって来ました。患者は海外のアスリートを除き、広東語しか話せないため問診はできませんが、簡単な身体診察をさせてくれました。また途中でも手を止めて学生に英語で熱心に指導をしてくれました。週末のサッカーのゲームのチケットをくれて一緒に回っていた学生と観戦にも行きました。

3週目は手の外科のチームで実習しました。香港では手の外科を持っている病院があまりなく貴重なようで、先生方はあちこちの病院を飛び回ってオペをしていました。わたしも先生方について行って術野にも何度も入らせてもらいました。回診では患者の手のレントゲンをみて、所見を言ったり、実際に診察する機会もありました。所見を言えるように寮ではX線読解の本を手に勉強しました。手の外科の先生方は整形外科の他の分野と比べとても丁寧で細かい診察をしていて、回診に1人30分程かけているのを見て驚きました。女性の先生も数人いらっしゃってバリバリと仕事をこなしていましたが、話してみるととても気さくで温かい人達でした。香港では共働きが普通で、ベビーシッターを雇うそうです。そのため女性だからといって仕事を辞めたりせず、多くの人はそのままキャリアを積むそうです。香港では女性が働くのが社会の中で当たり前のこととなっているので、その点では香港の方が日本よりずっと進んでいるのではと思いました。

4週目は外傷チームでほとんどオペ室に1日中こもっていました。どの先生もオペを見ていると英語で親切に説明してくださりました。交通事故で5ヶ所複雑骨折している患者や化学物質による火傷など、見応えのある症例ばかりでした。

実習中、どの科を回っても海外から来ているドクターや学生がいて、構ってくれるので寂しくなることは一度もありませんでした。学生はほとんど毎日、学外にランチに連れて行ってくれたり、休日には遊びに連れていってくれたりしました。香港にも綺麗な山々があって、ドラゴンバックと呼ばれる山の尾根を歩きながら、香港の街並みを眺めた景色は忘れられない思い出です。海外から研修をしに来ているドクターと話すのもとても楽しかったです。イタリア、タイ、インド、カナダから来たドクター達と仲良くなってオペ中や外来で暇をみては彼らと雑談していました。彼らの国での医療のあり方や医者としての生き方を聞くことは自分の価値観の枠を広げたように思います。海外からみると日本人は仕事の為に生きている人種だとよく言われました。人に尽くし自分の時間は犠牲にしてなんぼだという型に囚われていると。わたしもそれが美徳だと考えていたので、たっぷりお金を稼いで、そのお金で旅をして美味しいもの食べて人生を楽しく過ごすと本気で言う海外のドクターを見て、少なからず衝撃を受けました。

わたしはアメリカへの留学を一番に希望していたので香港への留学は正直、それと比べると大きな期待を抱いていませんでした。しかし実際に行ってみて、アメリカとはまた違った素晴らしい経験が得られたことに心から満足しています。当初、香港の医療水準は日本より遅れているのではと先入観を持っていましたが、概ね先進国並みで、むしろ日本より進んでいる分野もある程でした。

実習もさることながら香港にいって一番よかったのは素晴らしい人々との出会いでした。日本人と言えば誰もが興味を持ってくれ、ここまでしてくれるのかというくらいお世話をして頂きました。アメリカでは、自分から積極的に関わって行かないと相手にされなかったので、ものすごいギャップを感じました。また、香港の先生方はとても勤勉で、臨床だけでなく研究にも打ち込んでいる人も多かったです。まだまだこれからだという向上心の塊のような人が多く私までパワーを頂きました。

最後になりましたが、このような貴重な経験を与えてくださった粕谷先生をはじめ、名古屋大学医学部国際交流室の皆様、留学先のスタッフの皆様、心より感謝致します。
またこの場を借りてお世話になったPrince of Wales Hospitalの心臓外科として活躍している藤川先生にエールを送り、感謝の言葉とさせて頂きます。


Sport整形メンバーで

Fat men programのみんなと競技場にて

Dragon back~香港での登山 学生と

アデレード大学交換留学体験記

江畑 葵

ナース「あなた,あそこのベッドの患者さん担当している子?」
わたし「は,はい…何ですか?」
ナース「薬処方してくれない?痛み止めがいると思うのだけど.」
わたし「ええっ,そんな…わかりません.先生に訊きますね(汗)」

この会話は,オーストラリアの病院で実習中,毎日のように発生しました.看護師さん達は薬の処方に点滴,治療計画から退院予定まで,担当と知るや否やなんでもかんでも私に聞いてきます.なぜなら,オーストラリアでは医学部6年生は,ほとんど医師と同じ能力を持っていると考えられているからです.オーストラリアの医学部には一般教養は無く,1年次から医学を学びはじめ,3年生から病院実習が始まり,5年生の終わりに国試を受けます.そのため現地の医学生は6年生になる頃には知識も技術もほぼ医師に並ぶというわけです.特に,今回お世話になった協定校であるアデレード大学(SA州の州都アデレード市内に存在,雰囲気は名古屋市)は“患者さんとの会話無しでは医学は上達しない”という理念があるらしく,患者さんの問診と診察を完全に医学生に任せている科が多く,どこの科も非常に勉強になりました.その中でも,ここでは最も印象に残った“地域医療”実習について書きたいと思います.アデレード大学では,5年生の一年間のポリクリを,市内の大きな病院で行うか,僻地の小さなクリニックで行うか選ぶことができます.僻地を選んだ学生たちは,約4人ずつのグループに分けられ,約15か所の僻地に振り分けられます.そこで1年間,シェアハウスで共同生活を送りながら実習を行います.リアルテラスハウスです.今回,私は5年生たちが滞在している15か所の僻地の内の1つ,カディーナという,アデレードから車で3時間,人口6000人の小さな町で1か月実習させていただきました.

カディーナには小さなクリニックが一つと,小さな病院(約30床)が一つあります.カディーナクリニックでの実習初日,私は気づくと外来の部屋に座らされており,目の前には腰痛を訴える患者さんがいました.みなさんお気づきの通り,地域医療実習では医学生も外来を回さなければいけないのです.もちろん,外来経験など一切無い私は,教科書やインターネットで調べたり,診察の合間の先生に相談したりしながら,問診診察,検査のオーダーや薬の処方をアワアワしながらやっているうちにあっという間に18時半,終診の時間が訪れます.しかしこれで終わりではありません.クリニックでの外来が終わった後は,病院のERで救急患者の診察が待っています.深夜帯の始まる午後8時に病院へ向かい,患者がいなくなるまで診察です.しんどい中頑張っているつもりでも,オーストラリアの学生に比べて知識も技術も劣るため,怒られることもしばしばありました.1週目は体力的にも精神的にも本当に辛くて,自分はこんなユーカリだらけの,ヒトより羊の方が多いようなクソ田舎で何をやっているのだろう,早く日本に帰りたい,というかアデレード市に帰りたいと毎日泣いていました.しかし,その最初の1週間で,そこまでの2か月のアデレード市での実習と同じか,むしろそれ以上の経験ができていることに気づきました.外来では糖尿病や高血圧のコントロールに始まり,子どもの靭帯損傷からがんの告知まで幅広い対応を学び,ERでは大動脈解離や急性心筋梗塞など超緊急疾患の治療だけでなく,清潔手袋無しでサクッと行う縫合や指から取れなくなった釣り針の取り方を習得したり,またプライベートではイギリスからの移民を祝う祭で5年生と謎のペアダンスをしたり….これだけの経験をさせてもらっているのだから文句なんて言っちゃだめだ,むしろ先生方を助けられるよう早く成長しなければ,と残り3週間走り続けることができました.

これも全て,私にたくさんの仕事を任せてくれ,何でも手とり足とり教えてくれる先生方,こんな英語もロクに話せないポンコツ医学生を信頼してくれる患者さん達,その危うい診療を横から修正してくれる看護師さん達,そんな私の様子を気にかけて遊びに勉強に誘ってくれる学生たち,実習の疲れも吹き飛ぶようなおいしいご飯を作ってくれたホストファミリー,怪しい東洋人のヒッチハイク(病院まで20㎞,電車なし)に笑顔で応じてくれたカディーナの住民たち,皆様のお陰です.本当にカディーナの皆様には感謝が大きすぎて,どう表現したらいいかわからず最終日に号泣してしまう程でした.

地域医療なしでは留学を語れないほど,私の中では大きな経験です.本当に選んでよかったと感じています.もう一度戻りたいかと聞かれればそれはNoですが(笑).オーストラリアの僻地は,体力,精神力,コミュニケーション能力の試される場所です.後輩の皆様はぜひ,挑戦を!


Cornish Festival at Kadina 現地の医学生たちと

Adelaide University 留学報告

田中 玲子

私はオーストラリアのアデレード大学に留学させて頂きました。アデレードという所はサウスオーストラリア州の州都で、治安もよく、小さくて住み良い素敵な街です。ワインやチーズが美味しく、ひとりあたりのレストランの数は、なんとオーストラリアで一番多いんだそうです(果たしてレストランの数自体が多いのか、それとも住民数の問題なのか)。また音楽の街でもあり、街の中心部のモールではノリの良いラップから中国の伝統音楽まで、様々なジャンルのストリートミュージシャンの曲が絶えることがありません。ここで3ヶ月間、名大からの2人の女の子達と小さなアパートでシェアハウスをして暮らしました。

私が実習でお世話になったのは、順に救急、血液内科、小児科です。はじめの2つの部門はRoyal Adelaide Hospitalにて、最後の小児科はWomen's and Children's Hospitalにての実習です。

まずひと月目にお世話になったのは、Emergency Departmentです。ここはarea A, B, resuscitation, short stayに分かれていて、4つのエリアを自由に行き来します。area A, Bではウォークインで来た患者さんを問診・身体診察して鑑別やプランを含めて先生にプレゼンし、また先生と一緒に身体診察や手技をする、という流れです。日本でも実際にしたことはほとんどない問診を英語でするので、初めはとまどう事だらけだったのですが、そんな時にはあちらの学生達に随分と助けてもらいました。移民の国・オーストラリアらしく、先生も学生もイギリス、韓国、マレーシア、インド、ベトナムと、様々なバックグラウンドを持った人達が多く、とても刺激的でした。

次にお邪魔したのはheamatologyです。こちらではラボ・病棟・外来を行ったり来たりしました。印象的であったのは、学生向けの少人数PBLです。先生1人と私を含めた学生4人で、与えられた血液疾患の症例について話し合います。症状や検査結果をどう解釈し、何を考えて今後どうするのか。同じPBLでも、私が4年生で経験したものとは随分雰囲気が違います。学生達は思ったことをずばずばと発言し、間違っていたらどうしよう、とかいった躊躇いは感じられませんでした。とにかく言ったもん勝ち、という雰囲気です。Emergencyにいた時に、よくこちらの学生のコミュニケーション能力の高さに舌を巻きましたが、Haematologyで教育現場を見て、そうか彼らは長年このような教育を受けてきてあのようになるのだなと納得しました。日本では、自分の考え方を述べる練習の機会はもっと少なかったように思います。また、こちらでは日本に比べより実践的なことまで教育がなされていると感じました。現に学生は卒業までにOSCEのテストが数え切れない程あるそうです。日本とは異なった教育現場を学生という立場で見られたことで、双方の良さや改善点を客観的に見る目を持てたように思い、これはとても貴重な経験でした。

また、僅かな時間ですが、お願いしてburns unitにもお邪魔しました。こちらは日本が4つか5つくらいは入りそうな広大な地域から患者さんを受け入れる、大きな施設です。skin graftの手術を見たのは初めてで大変面白かったです。とても印象的であったのは、局所麻酔での手のskin graftの手術中、恐ろしさのあまり泣き出してしまった患者さんへの対応です。ジョークを飛ばして笑わせる先生や、マスクを取ってしっかり目を合わせて励ます学生(学生が、です!)、陽気な音楽をかけて踊りだすオペ看さんは全員、患者さんの心理的な面までケアする、まさにスペシャリストだと思いました。

最後は小児科にお邪魔しました。小児科の中でもこちらははっきりと部門が分かれており、いくつかあるうち私は一般、呼吸器、アレルギー/免疫部門にお邪魔しました。先生方の回診や外来についてまわり、あれこれ質問したり身体診察をしたりします。慣れてくると、ちょっとあの子髄膜刺激症状ないかチェックしてきてくれない?なんて任せてもらえることもあり、そんな時には信用して任せてもらえた嬉しさと共に、間違えたら大変だと身が引き締まる思いがしました。

留学に行く前には期待よりもむしろ不安でいっぱいだったのですが、始まってしまうと毎日夢中で過ごしているうちにあっという間に帰国日でした。留学準備の段階から帰国後まで、本当に多くの方々に多大なるサポートをして頂きました。このような貴重な機会を頂けたことを心より感謝しております。本当に、ありがとうございました。


Adelaide Universityの学生たちと

アデレード大学への留学

谷口 莉菜

3月末から6月半ばまでオーストラリアのアデレード大学に留学してきました。

アデレードはこぢんまりとした街で、オーストラリアの他の都市と比べてもかなり治安が良いと思います。近くにはビーチやワイナリーが広がり、街の中心部には広い道路と綺麗な広葉樹並木があり、とても綺麗で住みやすい所です。実際、世界で住みたい街ランキングでは5位にランクインしています。オーストラリアを旅行するにはやや交通(航空アクセス)が不便ですが、それを差し引いてもとても良い所です。

私はこの3ヶ月で精神科、小児科、救急科をまわり、それぞれ1ヶ月ずつ実習しました。どのような実習だったのかを説明していきたいと思います。ちなみにオーストラリアでは、基本的に紙カルテを使用していました。

精神科では、主に病棟で患者、家族、そしてソーシャルワーカーとのミーティングに参加し、カルテや議事録の記入をしていました。また回診でプレゼンをしたり、退院サマリを書かせてもらったりもしました。オーストラリアの精神科は、日本と異なりかなりソーシャルワーカーの介入が多く、ミーティングも頻繁に行われていたので、毎日たくさんカルテや記録を書くことができました。なお精神科では生徒1人に対して1人固定の指導医がつき、1ヶ月間その指導医とずっと一緒に行動するので、先生とかなり仲良くなれますし、みっちり指導してもらうことができます。また近くのコミュニティセンターや救急科にもお邪魔して、かかりつけ医が精神疾患に対処する様子や、救急に運ばれてきた精神疾患疑いの患者さんをどのようにトリアージするのかを見させてもらいました。

小児科では分野が細分化されており、私は小児消化器科、小児神経科、そして小児呼吸器科で実習させていただきました。先生と共に回診に行き、カルテの記入や身体診察をさせてもらったり、外来で先生から説明をしてもらったりしていました。日本ではほとんど見ない疾患(Cystic Fibrosis や Coeliac Disease)がオーストラリアではよく見かけられるなど、日本と違う所も多く面白かったです。また現地の学生と共に講義を受けることもできました。講義は英語であるにも関わらずとてもわかりやすく、非常に勉強になりました。

救急科では基本的に毎日数人の患者さんの問診をして上の先生にコンサルする、といったことをしていました。コンサルした後にもう一度先生と一緒に患者さんを見るのですが、その後は基本的に学生に任せてもらえるので、先生達に色々聞きながらではありますが採血や点滴、縫合、かかりつけ医への手紙(退院サマリのようなもの)作成などをしました。手紙(サマリ)に関しては、始めは全て先生が書き直すといった酷い出来だったのですが、何回か書くうちに訂正される箇所が減り、後半は何も直されること無く患者さんに手渡すことができるようになりました。自分の成長を感じられてとても嬉しかったです。また「精神疾患」にカテゴライズされた患者さんも毎日数人は必ず来ていたので、そのような患者さんの問診も積極的にさせてもらいました。日本ではあまり薬物中毒や精神疾患の患者さんを見る機会が無かったので、とても興味深かったです。

また実習全体を通じて感じたことですが、病院で働いている人は皆とても明るく楽しそうに働いていました。病院には上級医、インターン医師、看護師、ソーシャルワーカー、と色々な職種の人がいましたが、彼らは皆下の名前で呼び合い、お互いに何でも言い合える信頼関係がしっかりと築き上げられていました。その雰囲気はとても心地よく、オーストラリアならではなのかなと感じました。

今回留学したことで、自分から話しかけること、そして質問をすることに対しての抵抗がかなり無くなったように思います。特に救急科の実習は、毎朝違う先生に自己紹介をすることから始まり、また初めて見る患者さんにも話しかけなければならなかったので、知らない人に対して自分から話しかけていく練習になりました。さらに先生達は皆とても優しく、何を質問してもとてもしっかり教えてくださったので、私も自然と沢山質問するようになりました。同時に、必ず何か質問ができるように考えながら先生の話を聞くようになり、このような姿勢を身につけられたのはとてもよかったなと思います。また国内の色々なところに旅行もしましたが、日本では見ることの無い雄大な自然に触れたり、日本で経験することの無いようなハプニングに自力で対処したりと、余暇も非常に有意義に過ごすことができました。

オーストラリアで出会った人は皆さんとてもフレンドリーで親切で、またいつでも私に笑顔を向けてくれました。これは私が気に入られたからではなく、この国の人は皆、基本誰にでも笑顔で接してくれます。日本で実習や生活をしていて、こんなに沢山笑いかけてもらったり名前を呼んでもらったりしたことはありませんでした。名前を呼ばれ笑顔で接してもらえることがこんなに嬉しいものだとは思っていませんでした。親切で温かい人々が大勢居るオーストラリアが私はとても好きになり、留学してよかったなと心から思いました。

最後になりましたが、国際連携室とフロンティア会の皆様、留学の機会を作ってくださりありがとうございました。そして何より一緒に3ヶ月間過ごしてくれた2人、お陰様でとても楽しい3ヶ月を過ごすことができました。本当にありがとうございました。

オーストリア ウィーン医科大学

藤倉 舞

私はオーストリアのウィーン医科大学に3カ月間留学させて頂きました。入学してから派遣留学に憧れつつも英語から長らく遠ざかっていたので、まさか自分が留学に行くとは夢にも思っていませんでしたが、今まで派遣留学から帰ってらっしゃった先輩方に刺激を受けて準備を始めました。学年内でも優秀とはとても言えない私ですが、これが自分の人生にとって最後の海外留学のチャンスになるかもしれないという思いと、海外に住み、医師や学生をはじめ様々な人と交流することで自分の視野を広げたいという気持ちから留学を決意しました。

実習はウィーン医科大学附属病院であるAKH(Allgemeines Krankenhaus der Stadt Wien )で行われ、志望科である産婦人科に加えて、小児科、救急科を選択し、それぞれ4週間ずつローテートしました。AKHは病床数が2000床を超える、ヨーロッパでも1,2を争う巨大病院で、最初見たときにその規模に衝撃を受けました。

最初の4週間の小児科の実習では、派遣前は小児循環器科への配属と聞いていたものの、初日に行ってみると、連絡が通っていなかったのか小児救急科に配属されました。小児救急科は医師もナースも忙しく、ドイツ語の紙カルテも全く理解できず、外来で呆然と立っていただけで初日は終わってしまいました。どうしたら実習を有意義にできるのか考え、ドイツ語のできない私にとって、病棟でじっくり時間をかけて患者を診たい、との結論に至りました。その翌日に自分で教授に交渉し、学生の空きがあった新生児科に所属を変更して頂きました。新生児科では、カンファレンスがドイツ語で進められていましたが、教授が英語で逐一私のために説明して下さいました。長期で入院している子も多かったため病棟自体にもゆとりがあり、脳や心臓のエコー、身体診察の説明についても先生方がゆっくり時間をとって下さいました。ここで学び、自分の糧としていくためには積極性、主体性が必要なのだと痛感した最初の二週間でした。

後半の二週間は小児循環器科で実習しました。AKHには小児のハートセンターがあり、オーストリアだけでなく、東欧からも最新の医療を求めて患者さんがいらっしゃっています。今まで教科書でも学んだことのない複雑な症例も多く集まり、日々新しい疾患を勉強する毎日でした。現地の6年生と共に実習したのですが、こちらの学生は5年生の学年末に日本の国試レベルのテストが設けられ、6年生の一年間はclinical yearとしてworkするというカリキュラムです。彼らは病棟でもスタッフとして扱われ、CVカテーテルからの採血や、入院患者のファーストタッチもすべて任されており、レベルの違いに圧倒されました。治療や術式についても詳しく、同じ6年生とは思えないほど多くの知識も持っていましたが、恥を捨てて何でも学生や医師に質問し学びを深めました。先天性心疾患の患者が多いため、病棟患者のほとんどが乳児だったのですが、先生の計らいにより、16歳の急性心筋炎の高校生を担当させて頂きました。16歳でも英語が私よりも堪能で、こちらが診察するどころか、逆にフォローされてしまうこともあり、自分の力不足を身に染みて感じると共に、オーストリアの英語教育の水準の高さに圧巻されました。

次の産婦人科では、産科と婦人科を2週間ずつ回りました。産科では、外来見学や帝王切開の助手を主にさせて頂きました。産科の実習は、何を学びたいのかを自分で決め、毎日交渉し、実習させていただくというスタイルだったので、自分にすべて任せられていることに最初は非常に戸惑いました。しかし、目標としていた自然分娩もいくつか見ることができ、その中でも最近のヨーロッパ事情を象徴するかのような移民の方の出産にも立ち会わせていただきました。妊婦が英語もドイツ語も理解できないため、旦那さんが逐一医師や助産師の指示を訳して妊婦に伝えるという日本では珍しい出産の光景でした。時間のかかる難産でしたが、お母さんが涙を流しながら無事生まれた子供を抱く姿に、親と子の愛情の深さが感じられ、その現場に立ち会えたことに感動しました。

婦人科は、Oncology, General gynecology, Endocrinologyと3つのstationに分かれていましたが、主にoncology の手術見学をさせていただきました。Oncologyには進行癌の患者さんが多くいらしており、泌尿器科や一般外科、形成外科と合同で行う手術は大変興味深かったです。骨盤臓器全摘術などの今まで見学したことのない珍しい手術が多く、いつも多くの医師や学生でオペ室はにぎわっていました。卵巣癌の手術では、Oncology の教授が肝切除を行っており、婦人科の医師のできる範囲の広さにも驚かされました。

最後の4週間は、ERで実習させて頂きました。主にwalk-in外来で初期診療を見学させていただいたのですが、ここでの学生の仕事は主にECGと静脈路確保でした。最初はうまくいかず、流血させてしまったり、点滴を噴射させたりと多大なご迷惑をかけたのにも関わらず、現地の学生や医師が丁寧に指導して下さいました。ゆとりがある時には、重症患者の初期診療を見学や、呼吸器管理のレクチャー、全自動胸骨圧迫装置の使い方の体験などをさせていただきました。そこでも現地の学生や留学生が親切に説明してくれ、本当に彼らには感謝の気持ちでいっぱいです。一緒に回っていた学生らは、夜間や土日、祝日にも病院に来ており、意識の高さをひしひしと感じました。また、医師が問診している間にも、自ら患者さんに症状の有無を聞いたりと、診察に積極的に関わろうとするその姿勢に大変刺激を受けました。

実習外の時間には、バレーボールをしたり、日本でもやっているマクドナルドハウスでのボランティアをしたり、オペラやコンサートを見に行ったりと毎日充実した時間を過ごしていました。また、現地の学生、ドイツ語を教えてもらった友達、日本人の先生方、ホストマザー、ルームメイトなど、たくさんの素敵な出会いもありました。ウィーンの春から夏にかけての一番過ごしやすい時期に留学に行くことができ、また今まで名古屋から出たことがなかった私にとってはすべてが新鮮な日々でした。

振り返ってみると、この三カ月間で楽しかった思い出は山ほど作ることが出来ましたが、一番に思い出すのは実習中にしばしば感じた孤独や、きつい一言を言われた苦い思い出です。現地の学生と比べられ、「彼はworking だけど、あなたはobserving だものね。」と言われ、悔しい思いも味わいました。留学中も自分の力の無さに何回も落ち込みましたが、その度に周りの人に支えられて乗り越えることが出来ました。また、その孤独を打破し、積極的に新しい事に挑戦する度胸を付けること事ができ自分の自信になりました。このような自分を成長させてくれる貴重な機会を与えて下さった、粕谷先生、長谷川先生をはじめ国際連携室の皆様、名古屋大学の先生方、学務の方々、先輩方や同級生、家族、ウィーンで出会った方々など、支えて下さった全ての方にこの場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


大学附属病院AKHの前にて

ボランティアのスタッフと

ERにて現地の学生と

留学体験記

穂積 未来

私は2017/3/27-6/16までウィーン医科大学にて臨床実習をさせていただきました。今回の留学を通して実習内外で多くのことを学び、刺激を受けてきました。ここではウィーン医科大学での実習内容について報告させていただきます。

私が実習をしたウィーン医科大学付属病院(通称AKH)はヨーロッパ最大の病院となります。ヨーロッパで陸続きという点や難民の関係などもありますが、科や医療関係者、設備が充実していることから西欧から東欧まで様々な国の方が診療を受けに来られていました。オーストリアの公用語はドイツ語なのですが、中にはドイツ語が話せず英語でコミュニケーションを取っている方もいらっしゃり、ヨーロッパの人々にとっての英語の必要性は日本よりも高いという印象を受けました。そのため、医者や学生はもちろん、看護師や技師、さらには患者までもが高い英語のスキルを持っており、英語でのコミュニケーションも難なく行われていたのでこれには驚かされました。

私が選択した科は1ヶ月ごとに小児腫瘍・てんかんグループ、産婦人科、放射線科となります。小児腫瘍・てんかんグループでは内科ということもあり、病棟業務のメインは回診で、学生はデスクワーク、時々神経所見等を取りに行くといった様子でした。AKHでは基本的に先生方は忙しく学生の面倒を見ている余裕はないので、自分から何か求めたりお願いしたりしなければ本当に何も指図されることがなく1日が終わってしまいます。また、回診も基本的にはドイツ語で行われるので、病棟で留学生が何かできることを見出すのは容易ではないなと感じておりました。そのため、最初の1日、2日は色々な先生方、現地の学生や留学生に何か出来ることはないか、何でもやらせてほしい、とお願いをして今自分がここで何が出来るのかを模索しながら過ごしていました。すると、段々周りの環境が変わってくるのを自分でも感じることが出来ました。最初は特に何も言われることなく、今出来ることを探してそれを遂行して実習が終わっていたのですが、次第に現地の学生や先生が神経診察やカンファがあるからおいでよ、と言ってくれたり、患者をもたせてもらってカンファの時に英語でプレゼンしたり、持ち患者の回診の際には英語でコミュニケーションとってくれたりと、明らかに初日とは違う手応えを感じることが出来、充実した実習にすることができました。

それでもやはり、デスクワーク中心の病棟では学生が出来ることは限られてしまうので、途中からお願いをして外来化学療法を行なっているデイクリニックにて実習することにしました。そこではずっと1人の先生について実習していたのですが、常に英語で説明してくださったり、身体診察や神経所見をとらせてくださったり、手技メインの実習をすることが出来、ここでは更に充実した日々を過ごすことが出来ました。ここでも先生がカルテ記載をしている間などは、論文を読んだり疾患について調べたりと、自分が出来ることを積極的に行なっていました。

2ヶ月目の産婦人科では、ここでも病棟で学生が出来ることはそんなに多くなかったので毎日オペ見学させていただきました。特に婦人科は腫瘍、内分泌、一般婦人科という3つの部門に分かれており、毎日それぞれが違う場所で手術を行っています。そのため、毎朝病院に来ては手術一覧を見て一番興味があるものを見学していました。婦人科の先生方は英語が堪能で教育的な方が多く、手術について教えてくださったり、術野に入って出来る仕事を与えてくださったりと1ヶ月目とは異なる環境で実習をすることが出来ました。また、da Vinciでの手術などなかなか見ることの出来ないものを見学することが出来、とても面白かったです。

最後の1ヶ月は放射線科を選択しました。AKHでは放射線科はとても大きな科らしく、6階から8階にわたってフロアを占めていました。ここに来て1番興味深かったのは放射線科の細分化です。ここではCT、MRI、US、Xray、Angio、Mammoなどのグループにわかれているだけでなく、それぞれにおいても外科CT、内科CT、肝臓のCT、肺のCTなど細かく分けられていて、それぞれ読影する医師も分けられています。なので、放射線科に興味がある、というとCTなのか、MRIなのか、と聞かれる他、肺なのか、肝臓なのか、と細かいところまで質問され、とても驚かされました。ここでも学生は見たいものを見られる、というスタイルなので、毎日自分でどのグループに行きたいか選択して直接読影室に行き、医師に交渉します。わたしは外科CTを学びたかったため、毎日そこに通っていました。私がついた医師は親日で、とてもよくしてくださいました。同僚や他の学生との会話も全て英語にしてくださり、CTについても解剖や病変の特徴など基本的なところから、時には何の病変か質問されたりと、主体的に学ぶことも出来とても良い経験ができたなと思います。

AKHでの実習を通して感じたのは、自分が日本でいかに与えられた環境にいたかということです。日本では何も言わなくとも課題が与えられたり、毎日のスケジュールが与えられたりと、与えられたものをこなす毎日だったように思います。ウィーンに来てからは、今自分は何が出来るのか、何をしたいのか、どの手術が見たいのか、どの先生や学生につくのが良いのか等、様々なことを自分で考え、判断し、行動しなければなりませんでした。このような日本とは全く異なる環境の中で身に付けることが出来たのは主体性、積極性だと思います。挑戦しても駄目だった時は悔しい思いもしましたが、上手く行った時や自分の行動次第で何か変化を感じることが出来た時はとても嬉しく、また刺激的でした。また、現地の学生はとても親切で、何か困ったことやわからないことがあればいつもサポートしてくれました。今回の留学がなければ学べなかったことや、出会えなかった人が沢山います。この貴重な経験はいつか自分の糧になると思いますし、今回の留学自体、沢山の方々のサポートがなければ実現しなかったものだと痛感しております。このような機会を与え、サポートしてくださった皆様に心から感謝しております。本当に有難うございました。

The Medical University of Gdansk 留学体験記

川口 大地

この度、私はグダニスク医科大学で3ヶ月間の臨床実習を経験させて頂きました。大学へ入学する前から派遣留学には非常に興味があり、念願が叶って感無量でございます。グダニスク医科大学を選択した理由は大きく二つあり、一つは「English Division」という制度により、ヨーロッパにいながらも英語で実習ができると考えたため、もう一つはポーランドという非英語圏の国で医学を学ぶことは将来的に非常に難しく、今回が最後の機会だと考えたためでした。今こうして留学体験記を書くにあたって、自分の選択は間違っていなかったと痛感するとともに、改めて多くの方々に支えられた留学生活であったと再認識しております。それでは僭越ながら留学生活について書かせて頂こうと思います。

私は、外科系に興味があったため、外科系を中心に自分の実習プログラムを組ませて頂きました。具体的には、産婦人科(3週間)、リハビリテーション科(2週間)、新生児科(1週間)一般外科(2週間)、家庭医学(3週間)というローテーションで様々な科を回らせて頂きました。昨年から正式にEnglish Divisionのプログラムに組み込まれたということで、現地の学生達と共にそれぞれの実習に参加し、現地の学生達同様に各科最終日の筆記試験(口頭試験)を合格しなければ単位がもらえなくなってしまいましたが、試験のお陰で現地の学生達と一緒に勉強する機会が生まれたり、日本ではなかなか見られない疾患などについての知識を学んだりすることができたと実感しております。現地の学生達のルーツは非常に多種多様で、スウェーデン、サウジアラビアを中心にスペイン、イタリア、ドイツ、スロヴァキアなど周辺諸国だけでなく、アメリカやインドからの学生も見受けられました。しかしアジアからの学生は非常に稀なようで、どこのグループでも日本人は非常にウケが良く、温かく迎え入れて頂けたお蔭で、充実した実習生活をおくることができたと考えております。中でも産婦人科が最も心に残っているので、簡単に書かせて頂きます。

産婦人科のある病院は、私達の寮から徒歩で30分ほどの所にあり、毎朝の良い運動となっておりました。この実習では五年生の学生達と一緒であり、中でもイタリア人の女学生と行動を共にすることが多く、お互いの国や将来のことなどについてよく話し合いました。私の指導医は産科のアダムスキー先生という身長2メートル越えのドクターだったのですが、非常に指導熱心な方で、実習の無い土曜日にも分娩に関する特別授業を開いてくださりました。彼はウイットにも非常に富んでおり、”I don’t like sleep, so I’m an obstetrician”, ”For the operation, the most important preparation is lunch. No food, no operation!” といったジョークも冴えわたっていました。実習ではBMI50を超える妊婦の自然分娩を見学させて頂き、Bishop scoreの測定等も含め、大変貴重な経験をさせて頂きました。

ポーランドでの三ヶ月間は、最高の友人達と相棒にも恵まれ、人生で最も濃密で充実した日々であったと感じております。目に見えて英語力が上達したり、医学知識や手技を身に付けたりしたわけではありませんが、日本で実習しているだけでは学ぶことのできない多くのことを経験できたと断言できます。今後はポーランドで学んだことを最大限に活かして、有用な医師となれるよう、より一層励んでいこうと考えております。

最後になりましたが、今回の派遣留学だけでなく、これまでの名古屋大学とグダニスク医科大学の交流に携わってきた全ての方々に改めてお礼申し上げます。有難うございました。


Dr.Adamskiとの一枚

ポーランドの子供達に空手を指導

Medical University of Gdansk での留学を終えて

下村 佳寛

ポーランドにあるMedical University of Gdanskで三ヶ月間実習させて頂きました。

[Medical University of Gdanskについて]
Medical University of GdanskにはPolish DivisionとEnglish Divisionという二つのコースがあります。前者はポーランド人向けで、ポーランド語で医学教育を行います。後者は、世界中から学生を集め、英語で医学教育を行います。English Divisionの学生の出身国はスウェーデン、サウジアラビア、インド、ケニア、アメリカなど多岐に渡ります。母国語、宗教、肌の色が異なる学生たちと一緒に実習し、英語でコミュニケーションを取るのはとても新鮮でした。お昼ご飯のときに一人だけ何も食べていなかったので、「お昼ご飯を食べないのか?」と聞くと、「ラマダーン中で断食しているんだ。」という答えが返ってきたときは驚きました。

[実習について]
私は、English Divisionの学生たちと共に、1週間~3週間単位で、内科(糖尿病、高血圧)、産婦人科、小児科、家庭医学、外科、小児外科をローテートしました。正式にEnglish Divisionのカリキュラムに組み込まれているので、各科最終日もしくはセミスターの終わりに、筆記または口頭試験を受ける必要がありました。ただでさえ、日本語の知識も十分にないのに、英語で試験を受けることはかなり大変でした。外科の実習では、消化器疾患についての講義や、縫合結紮のトレーニング、手術見学などを行いました。20人ほどのグループで、清潔野に入る事のできる手術は5件ほどしかなかったのですが、幸運にも虫垂切除の手術にガウンを着て参加する事が出来ました。外科志望ということもあり、海外で手術に参加するというのは留学の一つの目標だったので、達成できて良かったです。また、最終日にはプレゼン大会がありました。スウェーデン人のアレックスと膵頭十二指腸切除術について、緊張しながら発表したのはいい思い出です。

[グダンスクでの生活]
物価がとても安く(瓶ビール1本60円、牛乳750ml60円などなど)、治安もいいです。ポーランドで第三の観光地であり、旧市街の町並みはとても美しく、何度となく写真を撮りました。グダンスクに滞在した三ヶ月間で、一緒にビールを飲んだり、ランニング、筋トレしたりする友達もできて、非常に充実した毎日を過ごすことが出来ました。また、昨年度留学された先輩に紹介して頂き、Ogniwo Sopotというチームに参加し、ラグビーをプレーすることが出来ました。7sの公式戦にも出場することができ、「You are a soldier.」というお褒めの言葉も頂き、忘れられない思い出となりました。

[留学を終えて]
最後になりましたが、このような貴重な機会を与えてくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめとする国際連携室の皆様、西尾さんをはじめとする学務の方々、壮行会を開いて下さったグダンスク組の方々、現地で色々と気をかけて下さったWozniak教授、Adam、そして三ヶ月間苦楽を共にしたルームメイトの川口くんに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。人生で最高の3ヶ月になりました。


外科実習にて

Ogniwo Sopotにて