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(順不同、以下原文まま)

アイビーリーグおよび北米最古の医学部病院実習を終えて

濱田 洋輔

2016年3月25日に胸を躍らせて中部国際空港を発った日を昨日のことのように覚えている。2か月間という短い実習ではあったが、米国ペンシルベニア大学へ小児呼吸器と腫瘍内科を学びに行く機会に恵まれた。名大医学部の伝統の恩恵を受けて可能になったのだが、サポートをして下さった国際連携室の粕谷先生、長谷川先生、そして西尾さんには感謝してもしきれない。渡米するのは初めてであり、入国するのも多少不安ではあったが、同級生の長井と全く問題なく無事に入国できた。本体験記では、臨床実習をした2つの病院とアメリカでの生活を中心に簡潔にまとめようと思う。

ペンシルベニア大学医学部 Perelman School of Medicine at the University of Pennsylvania - 1765年にアメリカで最初の医学部として設立され、臨床にも研究にも非常に力を入れており、とにかく医療や研究設備が整っていた。研究費の額としては全米で第2位の5億5000万ドル以上を受け取っていて、医学研究分野で世界2位の実績を誇っていると聞き、納得であった。ネットでも事前情報はあったが、実際に見るとやはりその凄さに圧倒された。関連病院としては、アメリカ初の大学病院であるペンシルベニア大学病院 (通称HUP)、アメリカ初の病院であるペンシルベニア病院 (通称Pennsy)、またアメリカ初の小児病院であるフィラデルフィア小児病院 (通称CHOP)があり、ペン大は正にアメリカ医療の発祥地である。私はCHOPとPennsyで実習することができた。先生はアイビーリーグとしての誇りもあり、大変教育熱心だと感じた。

フィラデルフィア小児病院 Children’s Hospital of Philadelphia (CHOP) - 始めの1ヶ月はCHOPの小児呼吸器を回った。建物が名大よりも大きく(部屋を探すのも一苦労で最初の週はよく迷った)全ての科が小児専門なので、患者は理想的なケアを受けられ、世界中から最先端の小児医療を求めてやってくる。
 実習内容としてはコンサルト、入院患者のケア、外来の3種類を週ごとに分けて行うもので、毎日が本当に刺激的で常に脳を働かせていた。初日からコンサルトチームに配属され、Chief DirectorのAttendingと優秀なFellowに付き添い学んだ。初日はついていくのがやっとだったのが、2日目からは積極的に質問し、ディスカッションに参加できた。診る患者ごとに沢山質問され、治療方針についても意見を聞かれた。それでも上級医との壁を全く感じず、思ったことを素直に話せ、忙しい中でもジョークやたわいもない話をしながら楽しく仕事をしていたように感じた。また、多くの人が日本の文化や医療に興味があり、説明するのが大変ではあった。症例としては嚢胞性線維症Cystic Fibrosis (CF)やTracheomalacia気管軟化症の重症患者が多く、小児用の細いファイバーを用いた気管支鏡検査中に心肺停止になった患者もいて衝撃的であった。外来での印象としては、全体的にCFや喘息患者が多かった。
 ベッドサイドでの実習以外にも、呼吸器に関わる生理学から毎日お昼のResident向けの小児ケースカンファレンス(昼食無料なので学生には助かる)まで出席し、現地の医学生やレジデントと同じ生活を送り交流を深めた。また、CHOPのDr. Campbellが発明した脊椎側弯症に対するVEPTRの手術にもお願いして見学することができた。今回の実習を通して、自分が興味あることをしっかりと伝え、自分からイニシアチブを取ることによって多くの事が可能になることを再確認できた。「望みあれば道あり」である。

ペンシルベニア病院 Pennsylvania Hospital (Pennsy) - 2か月目はアメリカ最古の歴史ある病院で、以前から興味のある腫瘍内科Hematology and Oncologyの実習をした。同病院にはアメリカ最古の手術室もあり、外科医志望の私にとっては、そのような歴史的な場所に足を踏み入れ、手術台に触れたことは大変貴重な経験だった。
 実習はCHOPとは違い、基本的にはコンサルトを行い、空いている時間で外来患者を診るという形であった。先生と一緒に回診し、チャンスがあれば身体診察くらいに思っていたが、コンサルトを受けると、最初から先生なしで問診や身体診察を行い、それをコンサルトシートにまとめ、後から先生にプレゼンし、再び患者に会いに行くという形を取っていた。初日にいきなり精神病棟のエイズ患者を診た時は、大変不安であったが、長井も同時期に回っていたため、2人で協力して何とか乗り越えられた。徐々に要点を掴めるようになり、1か月間を通して自分でも力が付いたように思う。珍しい癌の症例や治験についても学べて非常に勉強になった。終了時の先生の評価では一番良いHonorsを貰え自信がつき、また将来やりたいことを考えるとても良い機会になった。患者や医療スタッフとの距離が近く、ペン大を考えている後輩には、間違いなくPennsyでの実習をお勧めする。

フィラデルフィアでの生活 - 滞在中はSansom Place Eastというペン大の寮に住んでいた。同じフロアやルームメイトとも交流でき、沢山友人もできた。留学時期も良く、深緑の芝生に皆寝転んで本を読んだり、友人とお喋りしていて、私も映画で見るようなキャンパスライフを送ることができた。フィラデルフィアは歴史的な街で、自由の鐘などの観光地も沢山あるが、お気に入りはフィラデルフィア美術館である。ここは映画ロッキーシリーズにも登場する有名な場所で、時間があればトレーニングも兼ねて走って美術館へ行ったが、街を一望できる階段の上からの生の景色は言葉にならない。NYやDCにも近く、電車やバスで2時間程で行けたので、週末を利用して観光できた。またNYのアイビーリーグであるペン大のクラブハウスにも入ることができ、米国人の大学に対するブランド意識が浮き彫りになっていた。
 他にも伝えたいことは山程あり、全ては書けないが、米国で体験した1つ1つが大変貴重で、今後の人生の糧になることは間違いなく、一生忘れられない2か月間となった。


フィラデルフィア美術館からの風景

ペンシルベニア病院のオンコロジスト

ペンシルバニア大学留学体験記

長井 伸

私は3月の下旬から5月いっぱい、アメリカのペンシルバニア大学で留学をしました。ペンシルバニア大学は米国東海岸の名門私立連合のIvy Leagueに属する世界屈指の大学です。そんな環境で2ヵ月という短い期間ですが、勉強できたのは良い経験となりました。

3月28日からの4週間、私はCHOP(Children’s Hospital of Philadelphia)の小児循環器内科で実習をしました。4週間のスケジュールとしては、病棟が2週間、外来が1週間、コンサルトが1週間というものでした。実習初日の朝、メールで指定されたCHOP内の医局に赴き、事務の人と二言三言交わした後、その人に連れられ病棟へ行き、いきなり小児循環器の朝の回診に放り込まれました。そしてそこのattendingにいきなり、「大動脈狭窄症について知っていることを説明して。」と言われ、しどろもどろになってしまいました。なんとか朝の回診についていき、終わったと思ったら、みなそれぞれの業務につき始め、私は放置されたような状態に。日本のポリ1で経験した常に予定が決まっている状況と全く違い、またある程度しゃべれるとはいえ異言語の空間の中放り出された私はかなりメンタルを削られました。覚悟が足りていなかったのと、準備不足が悔やまれました。アメリカで実習をしていくうちに徐々に学んでいくのですが、学生は自分からどんどんアグレッシブに行かなければ放置されます。受動的な者に寛容な雰囲気はなく、能動的に勉強して、参加してくる者に対して、初めて寛容になるのです。私は実習2日目から、朝の回診で分からないことがあれば近くにいるスタッフに質問をし、回診が終わればfellowを捕まえてフォローするスタイルを確立しました。外来の1週間、コンサルトの1週間でも分からないことは積極的に質問し、日常会話など些細なことでも極力加わるようにしました。名大の小児科ではあまり見ることのできなかった、ファロー四徴症、TAPVR、大動脈狭窄症などの珍しい先天性心疾患を見られたことは良い経験になりました。また、小児循環器のローテーションでは4週間のどこかで小児循環器の疾患を選んで30-40分のプレゼンテーションをするという課題が与えられます。文献を探したりするのになかなか苦労したのですが、終えた時に先生にgood jobといわれ、ほっと胸をなでおろしたのを覚えています。

2か月目はPennsylvania Hospitalの血液腫瘍内科をまわらせていただきました。この科では、見学が中心であった1か月目とは違い、ハンズオンのオンパレードでした。偶然にも名大から一緒に来ていた濱田君と2人でこの科をまわることになっており、血液腫瘍内科のコンサルトのファーストタッチを学生がすることがこの科のシステムでした。デスクに私たちの電話番号を渡しておき、他科からのコンサルトが来るまでは外来を見学します。コンサルトが来ると、デスクから私たちに電話がかかってきて、外来を抜け出して病棟に向かい、カルテを読み漁ります。コンサルトの理由と患者の大体の情報が得られたら、患者を自分たちで診察し、必要な情報をまとめ、アセスメント、プランを作成し、attendingに発表し、その後attendingと患者を見に行く、というのが流れです。最初はカルテのどの部分に必要な情報が書いてあるか分からないなど苦労することもありましたが、診療のサイクルに自分たちが入っているような気がして、非常に楽しい1か月になったのを覚えています。また、Pennsylvania Hospitalはアメリカ最古の病院であり、一部が博物館のようになっていました。アメリカ最古の手術台が展示されていたり、古い文献が残された図書館に入れたりと、アメリカの中でも古い歴史を持つフィラデルフィアを感じることもできました。

実習以外の面もかなり充実していました。ペン大に留学していた先輩方も利用していた、International House of Philadelphiaというところで2か月間暮らしました。値段に見合う宿泊施設のクオリティではないものの、名前の通り、フィラデルフィアに留学してくる海外の学生用の宿泊施設で、パーティーなどが随時開催されており、そこで過ごすだけで大量の友人を作ることができました。空いた時間はその友人たちと飲みに行ったり、ニューヨークに遊びに行ったりと本当に楽しい時間を過ごせました。最後はfarewell partyまで開いてくれて、一生関わっていきたい友人ができたと思います。これからペン大に留学に行く後輩はぜひこの施設を利用してほしいです。また、ペン大は名大から留学できる他のアメリカの大学と違って都市の中にあるため、アメリカのアーバンライフが楽しめたというのも良かったです。たまに実習が早く終わった日はハッピー・アワーを利用してお酒を飲んだりしてとても楽しかったです。

留学に行って本当に良かったです。今まで自分がどんな狭い世界にいたのか、どれだけ受動的に学んできたのかを痛感させられました。アメリカの医療制度、実際の病院内での雰囲気、学生の意識など日本とは違うことばかりで、アメリカに行くことで今までクローズドであった価値観をこじ開けることができたように思います。どちらが優れているとかそういう話ではなく、視野が大きく広がりました。能動的に学ぶことは日本にいてももちろん出来ますし、そういった名大の学生を私は何人も知っています。ですが私の場合は医学部に入ってから日本の大学生特有の温さに浸かっていたような面もあり、その部分に関して今回の留学で目を覚まされたように感じました。自分から学び、求めなければ放置されていく状況。これから社会人となる私にとってはとても良い薬であったような気がします。

この場をお借りして、感謝の気持ちを述べます。今回の留学が実現するようにご尽力なさってくれた、粕谷先生、長谷川先生、西尾さんをはじめとする国際連携室、学務掛の皆様、本当にありがとうございます。また金銭的に援助してくれた両親にも感謝です。ありがとうございます。最後に、帰国を祝ってくれた日本の友人と一緒に留学に行った濱田君に感謝の意を示して、この体験記を終えます。


血液腫瘍内科の先生と

CHOPのコンサルトチーム

留学体験記 ~Johns Hopkins大学に留学して~

R.Y.

1. 渡米するまで
2. 腫瘍内科での実習
3. 眼科での実習
4. 休日や生活について
5. 最後に

1.渡米するまで
 2016年4月20日から6月17日までの二ヶ月間、Johns Hopkins大学の腫瘍内科と眼科にて実習をさせていただく機会に恵まれました。留学をすることは入学当時からの目標でもあったので、留学に応募することに迷いはありませんでした。言語を理解できずに医療を学ぶのは難しいと考えアメリカにしました。どの大学にするかは治安や金銭面で迷うこともありましたが、親に背中を押され、アメリカトップクラスを見たいと思いJohns Hopkins大学に決めました。渡米するまでは、トフルの勉強に始まり、留学への応募、大学への書類提出、実習科の決定などと大変なことの連続で、留学に行ってからも書類が多くありました。留学前までに実習科が決まらない場合もあると聞いていたのですが、つてなどを使いながらも無事に決まっていたので安心でした。

2.腫瘍内科での実習
 腫瘍内科は、Solid Tumor, Leukemia, MLT(Myeloma, Lymphoma, Transplant)の3つのチームに分かれています。最初の2週間はSolid Tumorチームで実習をし、後半の2週間はMLTで実習をしました。Solid Tumorでは末期がんの患者ばかりを扱っており、何か合併症があると入院するという様子でした。担当患者が亡くなったり、危ない場面に何度も立ち会ったりと、最初は戸惑いも感じました。また、Clinical Trialsの数がとても多いこと、外来が1.5時間枠であり回診も十分に時間があること、患者と家族の医療知識や治療方針への入り込み具合が全く異なるなど、見ること全てが新鮮に感じました。「君の患者のsecond lineを考えてそれをサポートする論文も見つけといてね」と言われたり、毎日の患者の動向を把握し朝夕のカンファレンスで発表をしたり、と2週間だけでも10人以上の担当をさせていただくことができ、大変勉強になりました。
後半の2週間は、MLTの造血幹細胞移植の患者のフォローをしていました。Johns Hopkins大学ではHLA Haploidentical BMTと世界でも珍しい方法で、造血幹細胞移植をしていて、その第一人者の先生方が集結していました。それにより日本での血液内科でのイメージを覆される体験や話を多く学ぶことができ、具体的には外来で造血幹細胞移植をし、合併症があった場合に入院をし、病棟内でも子供、家族、ペット、花など持ち込みが可能で、普通の患者と同じような生活をしているのに本当に驚かされました。今ではガイドラインにより決まっており、国や場所によって治療法が変わることはあまりないと思っていましたが、造血幹細胞移植に関しては異なっており貴重な経験ができました。

3.眼科での実習
 眼科は、アメリカでの人気科の1つでもあり見てみたい!という思いから選び、実習をさせていただきました。Johns HopkinsではWilmer Eye Instituteという全米最古の眼科施設があり、ここのレジデントは100倍の倍率を合格してくる優秀な人ばかりでした。やはり人気の高い理由としては、QOLと給料が高いこと、研究が盛んであることが主な理由だそうで、アメリカではエリート意識がとても高く、日本との違いに驚きました。実習としては、現地の学生とともに授業や手術シュミレーターをしたり、外来について患者の問診・診察をしたりと、現地の学生から刺激を受けつつ実習をすることができました。
眼科では、病院近くに住むアフリカアメリカ人の患者も来院しており、全米からやってくる金持ち層との格差も垣間見ることができました。アフリカアメリカ人は、片眼失明して両眼失明しそう、またはしてから病院に来るのに対し、白内障かもしれないと心配になったからと半年おきに西海岸からわざわざ来る金持ちも多くいました。貧富の差、医療保険の有無により、眼科にかかるハードルをここまで変えさせるという事実を体験することができたことも、大変勉強になりました。

4.休日や生活について
 ボルチモアは治安がいいとは決して言えませんが、想像していたよりも快適な生活ができました。自分から積極的に話しかけ行動しなければ、現地の友達や留学生の友達を作る機会があまりないので大変でしたが、そのような積極性を持たないと、と思うきっかけにもなりました。友達を作ってしまえば、大人数で行動しても危険でもありませんし、何よりとても楽しい留学生活が送ることができました。ワシントンDCやニューヨーク、フィラデルフィアも近いので、友達に会ったり、観光に行ったりすることができました。

5.最後に
 最後になりますが、今回の留学に向けて準備の段階からとてもお世話になった国際連携室の方々、特に長谷川先生、西尾さん、本当にありがとうございました。親、友達、SGULで一緒だった呉山さんには、準備段階から留学の2ヶ月間、本当に色々な場面で助けられ、無事に留学を終えることができました。
この留学は、医学だけに留まらない知識を身につけ、さらに自分の将来、医療システムについて様々な意見を聞き、自分で考えるという貴重な機会となりました。この経験を活かし、自分の理想とする医師になれるようにこれからも勉学に励みたいと思います。


ワシントンにて現地の友人と

Johns hopkins hospital 留学報告

呉山 由花

【初めに】
 私がこの派遣留学に行きたいと思ったきっかけは中学生だったか高校生だったかのころに夕方のニュースで紹介されていたことでした。念願かなって大変うれしい気持ちであるとともに、帰ってきた今はこの留学を踏まえて次のステップに進んでいきたいという気持ちです。
 私は4月20日から6月17日までジョンズホプキンス大学病院に留学させていただきました。4月20日から5月20日までを小児腫瘍内科、5月23日から6月17日までを腫瘍内科(成人)でローテートさせていただきました。腫瘍どっぷりの構成となっていますが、これは自分で希望したわけではなくホプキンスの都合上このような形になりました。しかしながら実際にローテートしてみるとどちらの科も大変興味深く、今思えばとてもよかったと思います。

【小児腫瘍内科】
 一日を通してのスケジュールは夜勤からの申し送りに始まり、sit down rounds(朝カンファ)、walk rounds(回診)、お昼のレクチャー、午後のレジデント向けのレクチャーです。空き時間は、研修医室でカルテを見させてもらったり、研修医に質問したりしていました。小児腫瘍で扱う疾患は様々で、白血病、脳腫瘍、骨肉腫などの患者さんたちが多くいます。特に感銘を受けたのがroundsで、医師、看護師、薬剤師、栄養士が一緒になって活発にディスカッションし治療計画を考えている様子が印象的でした。ただ、元々小児腫瘍内科は学生をほとんど受け入れたことのない科だったらしく、課題などは与えられず、質問もあまりされず、なにをしたらいいのか途方に暮れることが多かったです。ローテートする前はホプキンスでの実習は、毎日いろいろな課題を与えられ、息つく暇もなく動き回っているイメージでした。「何か自分から動かなければ」という焦りが生まれてきて、それからは担当患者を割り振ってもらったり、少しずつ自分から質問したりするようにしました。
 特に実習中に困ったのは略語の多さです。化学療法で実に多くの薬剤を使用するため、カルテを読む際に一苦労でした。それらの情報を用いて、朝のカンファレンスで流れを妨げないような患者プレゼンを行うのは緊張の連続でした。カンファ後に、「あなたのプレゼンはとても良かったよ」と言われたのは本当にうれしかったです。
 外来を見学した際に、約三年骨肉腫の化学療法を行っていた男の子のコース完了をお祝いしていました(“chemo party”)。歌を歌ったり、実にアメリカらしい巨大なケーキが贈られたりしていて、男の子とその家族の嬉しそうな様子を見ていたら、自然と涙がこみ上げてきました。一方、病棟では骨盤発生骨肉腫の局所再発の女の子が入院してきました。この場合、予後が大変悪いということを女の子自身知っていて、毎日泣いていました。家族とともにとても落ち込んでいて、小児腫瘍内科の辛さを目の当たりにした出来事となりました。

【腫瘍内科】
 私がいたチームは主に固形腫瘍を担当していました。ほとんどの患者さんに転移性腫瘍があります。回診時にアテンディングからどのような治療をしても治る見込みがないことを告げられる患者さんを何度となく見て、癌というものの恐ろしさを再認識すると同時に、新しい治療法を開発したいと意欲を掻き立てられました。このようにすべての患者さんがそれぞれに重大な問題を抱えているので回診が4時間に及ぶこともありました。ホプキンスに来ている患者さんは「最高の医療施設に来ているから治るはずだ」ととても高い期待を抱いている方が多く、それだけに医師側も責任が重く大変そうでした。実際にホプキンスのレジデントはとてもレベルが高く、マッチするのはとても難しいそうです。
 私は患者さんを常時一人担当させてもらって朝のプレ回診とプレゼンを行いました。二か月目にもなるとホプキンスのシステムに慣れてきて、だんだんと医師同士の早い会話も聞き取れるようになってきました。しかし、看護師さんから薬のオーダーについての質問をされて答えられないという経験が何度かあり、そのたびに悔しい思いをしました。また腫瘍内科にドミニカ共和国から一か月見学に来ている生徒がいてとても刺激になりました。今年夏に医学部を卒業して、一年をUSMLEの勉強に充ててアメリカのレジデンシ―にマッチすることを目指しているそうです。英語力もモチベーションも高く、仮に自分がアメリカで働くとして、このようなcompetitiveな環境の中で自分は働いていけるのかと考えてしまいました。腫瘍内科は小児腫瘍内科に比べて学生慣れしているというか、より教育的で、ティーチングは末期がんの緩和治療について、免疫療法について、腫瘍崩壊症候群について…など興味深いものが多くとても楽しかったです。

【留学総括】
 ホプキンスの前評判から、私は現地の学生と交流することはほとんどできないだろうと考えていました。しかし、いつもより少しだけ勇気を出すことで、いくらでもそのような機会を作ることができました。救急のシミュレーションクラスの参加を頼んでみたり、学部生向けの交流会に忍び込んでみたり、日本ではためらってやめてしまうようなことも色々チャレンジできて良かったと思います。その中で仲良くなった学生たちがとても親切にしてくれて、車でボルチモア近郊の都市を案内してくれたのはとても良い思い出です。ボルチモアの治安についてはさておき(笑)、私はホプキンスに来ることができて本当に良かったです。この留学を通して、いろいろな人に出会い、素晴らしい経験をすることができました。留学をするために支えてくださったすべての人に大変感謝しています。これからは支えてくださった人達に恩返しができるようにこの経験を活かしていきたいと思います。

派遣報告

服部 智貴

医学科6年の服部智貴と申します。フロンティア会の先生方には日頃よりご高配を賜りまして厚く御礼申し上げます。この度、3月24日より6月26日までの間ノースカロライナ大学(以下UNC)に留学させていただくことが叶いました。これも一重に国際連携室の先生方、留学課の皆さん、そして留学の礎を築いて下さったフロンティア会の諸先輩方のおかげだと心より感謝致しております。本当にありがとうございます。

ノースカロライナ州はアメリカ合衆国の南東部に位置し、たばこの生産が盛んな南部色の強い州です。私の行かせていただいたChapel Hillという街は非常にこぢんまりしており、住み心地がよくまた緑に囲まれた研究や勉学に集中するにはもってこいの土地でした。患者さんも南部訛りの特有の英語を話される方も多く、診察に苦労することもありましたが、皆さんとても親切でSouthern Hospitalityの言葉通りの人の温もりを感じさせる場所でした。

私は3か月の間、病理学、老年内科、循環器内科の3科を実習させていただく機会をいただきました。病理学ではFrozen Section, GI, GU, そしてCytologyにて1週間ずつ実習させていただきました。病理学の勉強不足は痛感しましたが、自分でスライドをのぞき込み、わからないところを聞き、知識を身につけていくという過程はやりがいのあるものでした。標本作りであるGross Sectionでは左足底原発のメラノーマの全身転移の症例で、疼痛緩和の目的で左下腿のamputationを行った症例の病理をやらせていただくことがあったのですが、大変衝撃的でした。また、人生で初めて英語でのプレゼンテーションをさせて頂く機会をいただき、遺伝性の大腸癌疾患であるHNPCCの症例について発表しました。ただ、論文やガイドラインからの抜粋を聞いてもらうだけのありきたりなプレゼンテーションにはしたくはなかったので、アニメーションや自分なりの解釈を踏まえた独創性に富んだ発表に仕上げようと時間を惜しまず作り上げ、発表の英語もそれなりに何とかやりとげることができました。

次の老年内科では九州大学出身の岩田勲先生のご協力のもと、非常に有意義な実習を行わせていただきました。最初の2週間は主に外来患者の診察にご一緒させていただきました。外来も通常のクリニックから超高級ホテルのような老人ホーム(CCRC)まで幅広く見学させていただくことができました。患者さんと直接お話をさせていただいたり、身体診察をさせていただいたりする機会はこれが初めてだったのですが、事前研修で取り組ませていただいた成果と、まだまだ練習不足であった部分の両方が浮き彫りになりました。日本での練習はおおまかな型を習得し、実際の鑑別診断を絞り込むという一連の流れを繰り返すというものでした。しかし、いざアメリカ人の患者さん相手に英語で診察をさせていただくと、まず自分の言っていることを理解してもらうことが大変でした。私の発音と英語のリズムが現地の人と異なるというのが一番の原因ではあったのですが、回っていた科が老年内科であったので患者さんは耳が遠く、かつ南部訛の方が多かったので余計に難しかったと思います。また、自分がいかに表面的な医学知識だけに基づいてこれまで診察を行ってきていたかを痛感しました。問診の流れ、組み立て方は練習通りうまくいくのですが、いかに患者さんの一番の悩み、困りごとである主訴を掘り下げて、そこから患者さんの全体像を把握していくということが当初全くできていませんでした。しかし、現地の医学生やレジデントの協力のもとで、問診と身体診察の一連の流れがスムーズにかつ的確に行えるようになってきたと思います。また、神経身体診察や認知機能テストの実践方法を岩田勲先生に直接ご指導いただく機会もいただき大変勉強になりました。

老年内科での実習の後半は病棟で入院患者を持たせていただいたのですが、これはかなり大変でした。基本的に現地の学生と同じスケジュールで動いていたので、症例検討会や講義などの日程をこなしながら、担当患者の全身状態の推移を追い、さらに自分で今後どの検査が必要か、治療の流れはどのようになっていくかをチェックしなければならなかったので、できなかったことも多いです。もちろん、現場での会話で大事な部分を聞き漏らしていたり、医療者同士(レジデントやアテンディング)の方針決定の場に同席できなかったりして、またすべての内容が即座にカルテに書かれているわけではなかったので非常に大変でした。それでも終盤は自分の意見を反映させたプレゼンテーションができるようになってきたと感じることができました。また、ここでも何か自分にできることはないか探して積極的に取り組むことでやりがいと達成感を味わうことができました。例えば、病棟薬剤師が不在の時にワーファリンと前立腺肥大の薬の相互作用を調べ、レジデントに伝えることで治療方針の決定に携わったり、患者さんの奥さんがイタリア出身で英語がまだ堪能ではないからという理由で介護施設との電話でのやり取りを私が代わりに行ったりといった具合です。チームの中でDutyが最も少ない私が最も綿密に患者さんと関われると信じて色々なことをやってきました。その結果患者さんとの信頼関係を築くことができ、自分自身の自信にもつながりました。本当に患者さんから多くを学ばせていただくことができた実習でした。

最後に回らせていただいた循環器内科では、CICUにて実習をさせていただきながらカテ室に出入りして色々な症例を見学させていただきました。ここでは中国からの留学生と一緒に実習をしたのですが、彼女の知識の豊富さ、また内科学の奥の深さを思い知らされました。劣等感を感じることもままありました。しかしながら、私自身の循環器内科への興味と熱意は多くの人を巻き込んで、たくさんのかけがえのない出会いと思いやりと熱意あふれる教育という最高の形で実を結びました。最も勉強になったのは、1か月という長いスパンで実習を行ったことで、急性期治療の治療方針の決定の流れを追うことができたことです。もちろん、日本でのこれまでのポリクリで色々な科を回り、医療者の意思決定の過程は見てきたつもりでした。しかし、Swan numbersや他の検査値、また患者の全身状態を把握し、患者はDryなのかWetなのか、infectionの可能性を念入りに調べ上げていき、また今後どのような検査がいつどのような時間間隔で必要になってくるのか、ここまで心機能が低下してきたらIABPが必要になってくるといった‘現状とその先を読む’力というものを勉強させていただきました。さらに、日本でも最近承認されたTAVRという経皮的弁置換術を2例見学させていただきました。2例とも2時間を切る速さで、しかも術後に症状の大幅な改善を認め合併症もないという完璧な手技で感動しました。週に6日、朝6時から夜6時までという過酷なスケジュールでしたが、循環器内科の忙しさ、頭の使いどころ、そしてかっこよさを存分に堪能させていただけた1か月間でした。

最後になりますが、私はこの3か月間アルバートという中国系アメリカ人とルームシェアをさせて頂く機会を得ました。そのことについて少し紹介したいと思います。彼は日本のアニメが大好きなUNCの2年生で現在は日本人の先生が数多くいらっしゃる研究室で勉強しています。彼は、私にとって最高のパートナーでした。医学知識やプレゼンの仕方で分からないところがあると丁寧に教えてくれ、日米の文化の違いや政治について熱く語り合い、寝食を共にし、つまらないことで笑いあった最高の友達です。彼自身、派遣プログラムを通じて名古屋大学で実習をしてみたいといってくれており、近い将来また彼と色々なことを語り合えたらなと思っています。

私の留学は多くの方々に支えられてこそのものでした。留学前から困難に直面した私をサポートし、勇気づけてくださった国際連携室の先生方、私のことを気にかけてくださった日本人の先生方や、留学についてアドバイスを下さった諸先輩方、皆様のおかげで私はUNCに行かせていただくことができました。この御恩に報いることができるように、私自身今まで以上に努力を重ね一人前の医師になると同時に、後輩や現地の学生のつながりが、また、名古屋大学とUNCの交流がこれまで以上に盛んになるように微力ながら尽力させていただく所存です。

フロンティア会の今後のますますの発展と繁栄を祈念致しまして、結びとさせていただきます。本当にありがとうございました。

アメリカとカナダでの3ヶ月間の挑戦

細野 枝里菜

昨年度で協定が終了したはずのDuke大学から「1ヶ月で1人のみ」という条件付きで再募集が来たのは、選考を終え、派遣先が決定した後のことでした。異例の事態に私たち学生も先生も戸惑いましたが、こうして実り多き留学を成し遂げられましたのは、多くの方々のご支援があったからだと心より感謝しております。
 私は、MD Anderson Cancer Centerの乳腺腫瘍内科において1週間見学をさせて頂いた後、Duke大学の小児血液腫瘍内科で4週間、松波宏明先生の研究室で基礎研究を4週間行い、最後にカナダのMcGill大学の救急科で4週間実習を行いました。また「トビタテ!留学JAPAN」の第4期生に選抜して頂いたことで、資金のみならず分野の異なる沢山の留学仲間を得ることができ、多くの発見と多様な視点を通じて、非常に盛り沢山な留学生活を送ることができました。

【Dukeでの生活】
 私にとってDuke大学は、貪欲な自分を受け入れ、人間的にも精神的にも成長させてくれる場でした。VISAや学費の送金、BLSの取得や横浜での尿検査、そして15種類近くに及ぶインターネットトレーニングと、事前の手続きが物凄く煩雑で、何度も心が折れそうになりました。しかしその分、現地でもそのコストに見合ったパフォーマンスを発揮してみせる!といった反骨精神が働き、毎週涙を流してしまう事態が発生しつつも、自分が望んでいた実習が実現できたように思います。
 Dukeでは小児血液腫瘍内科で実習を行いました。小児腫瘍は名大のポリクリでも経験させて頂きましたが、日本とアメリカの違いを大きく感じました。まず第1に、患者さんの入院期間が非常に短いことです。日本で白血病の治療をするとなると、生活を捧げて親子で何ヶ月にも渡る入院生活を行わなくてはならず、母子ともに過酷な現実が待ち構えています。しかしアメリカでは、たとえ抗がん剤治療中でも、入院が必要な治療(腎障害を避けるための48時間持続輸液など)の際のみ入院するため、数日で退院し、2週間後にまた数日入院をしに来るという治療の流れでした。第2にノースカロライナではAfrican-Americanが多いため、患者さんの3分の1はSickle cell crisisで入院していました。これは鎌状赤血球症の患者さんに生じる急性の疼痛で、鎌状赤血球がその形ゆえに細い血管に詰まってしまい、痛みを生じさせているそうです。幼稚園以上の年齢になると「どれくらい痛いか」を本人に尋ねて、そのスケールによって退院を決めることも多いので、中には、学校に行きたくなかったり、親の関心を引きつけておきたいといった理由から、ずっと8や10と答える患者さんもいました。Attendingと「親の教育から始めないとね」と話し合ったことが印象的でした。
 実習を振り返ってみて努力したことは、毎週自分で自分に負荷を掛けること、自分の思いはしっかり主張して取り組むように意識したことです。実習当初、私は外来の「見学」をすることになりました。それが余りにも孤独で辛くて仕方なかったため、「私はobserverとして来た訳ではない!」とattendingに主張して、入院に実習を変えてもらうことができました。そして1週目の最終日にresidentの先生に指導してもらいながら、原稿を丸読みする形でなんとか患者さんのプレゼンができました。2週目はプレゼンのスキルが上がり、メモだけでアドリブを交えながらプレゼンができるようになっただけでなく、カルテを記載してみたり、一人で問診や身体診察をしてみたり、また疾患(小児ITP)について最新の知見を交えながらのトークも行いました。3週目には担当患者さんを2人に増やしてもらっただけでなく、治療についてのプランに関して自分の意見を言えるようになりました。residentの先生に「患者さんに○○を聞いて来て」と頼まれるようにもなり、チームの一員として認めてもらえた気がして嬉しくなりました。また自分でも実習に慣れて来たように思うので、担当患者さんだけでなくチーム全体(10人前後)をしっかり把握するように努め始めました。最終週には、血液・腫瘍内科の枠を超えて、プライマリーケアをしている一般小児のクリニックでinternのように働かせてもらったり、Duke大学そして日本が世界に誇る脳外科医の福島先生の手術を見学させてもらったりと、本当に大変有り難いことに、好き勝手に思う存分Duke大学を堪能することができました。
 休日には台湾からの留学生4人とダーラム近辺を遊び回ったり、ホームステイ先から徒歩3分の所にあるmusic libraryで趣味のピアノを楽しんだり、UNCに留学中の服部くんとルームメイトのAlbertに、映画館や遊園地に連れて行ってもらいました。また嬉しいことに同じ科を回っている現地の学生が常にいたため、彼らには実習面でサポートをしてもらっただけでなく、積極的で貪欲な姿勢には非常に刺激を受けました。朝と昼には小児科全体のレジデント向けのカンファレンスがあり、そこで沢山の医学生とわいわいおしゃべりできたのはとても楽しいひとときでした。
 ローリー・ダーラム・チャペルヒルのノースカロライナ州のトライアングルと呼ばれる3地域は、自然豊かで治安も良く、人々も優しくて住むのにとても良いところでした。デュークで研究をされているホストファミリーには夕食を作って頂くだけでなく、お二人の趣味の陶芸教室や野球に連れて行ってもらったりと、とても可愛がって頂きました。二匹の可愛いワンちゃんと共に過ごしたほのぼのした生活は、私の一生の宝物です。

【McGill大学での生活】
 Dukeでの1ヶ月の臨床実習では物足りなかったため、カナダのモントリオールにあるMcGill大学でも実習を行って来ました。モントリオールのあるケベック州は、歴史的な背景からフランス語が公用語となっています。移民国家のカナダですが、ケベック州では、両親の母語が英語でない移民は皆フランス語の学校に行かねばならず、英語は義務教育でないそうです。当初、想像以上の「ボンジュール」の世界に戸惑いましたが、患者さんの1/3は英語がペラペラであり、医療者同士は英語しか使っておらず、フランス語優位だからといって病院で不自由することは殆どありませんでした。
 私はMcGillの関連病院であるSt. Mary Hospitalの救急科に配属になりました。そこでの実習はまさに超参加型・実践型実習で、ポリクリというより「あぁ、私働いているなぁ」と日々充実感に浸っていました。St. Mary Hospitalはまさにモントリオールの市民病院といった位置付けで、walk-inが10床、救急車が30床と、かなり救急に重きを置いている病院です。救急科のスタッフはみなシフト制で動いており、day shift (7:30-16:00)、evening shift (16:00-24:00)、night shift (24:00-8:00)に4週間で計15回入る形になります。residentもattendingも同じように働いているのを見ると、日本の労働環境は恵まれていないなあと痛感致しました。
 実習内容は、nurseによる患者情報を見て1人でfirst touch(問診と身体診察)をし、カルテに情報をまとめます。nurseが血液検査や心電図等を取っておいてくれることもあるので、合わせてまとめます。そしてAssessmentとPlanを記載し、それらをattendingにプレゼン、discussionして一緒にまた診に行く、というのを1日約6症例繰り返します。人種も年齢も疾患も、移民国家のカナダの市民病院らしく多岐に渡っており、まさにUSMLE step2 CSの実践といった印象でした。
 アメリカ同様カナダでも、医学生でも治療まで考えなければいけなかったことが、教育上の大きな違いだと感じました。上の先生の治療方針に意見を言うことは、日本のポリクリでは考えられないことです。いま目の前で困っている患者さんにどんな検査をしてどんな治療をすべきか、瞬時に的確に考えることに本当に苦戦を強いられました。attendingが毎回下さるフィードバックのお蔭でかなり上達したように思うものの、現地の学生のレベルには至ることはできませんでした。またカルテを書く練習を全くして来なかったので、医学英語、特に身体所見の記載の仕方にも頭を悩ませました。しかし留学も3ヶ月目になると、英語が苦手だった自分が、患者さんが何を言っているか分かり、自分が言いたいこともスラスラ言えるようになりました。その自分の成長には、自らとても感動しました。
 またモントリオール滞在中に、非常に衝撃的なことが起こりました。ホームステイ先で人が1人亡くなったことです。原因はヘロイン中毒。午前3時頃、自身の身体に注射をし、眠りに落ちるとともに心停止。CPRをするも甲斐なく、息を引き取られました。目の前で人が亡くなったショックで暴れ狂う15歳の息子に、”This is the reality around here.”と言われたのが、強烈に脳裏に焼き付いています。彼もその場で同じくヘロインを嗜んでいたようです。海外での違法ドラッグは本当に身近な問題であることを、まさに目の当たりにした瞬間でした。ドラッグの恐ろしさ、乱用問題の深刻さと身近さを、このような形で知ることになるとは想像すらせず、私自身強いショックで眠れない一夜を過ごしました。今はまだ、良い意味でも悪い意味でも「カナダは日本とは違う」かもしれません。でも少なくてもここでは「これが現実」。子どもにとってもドラッグは簡単に手に入る環境であり、遠い世界で繰り広げられている問題ではないことを胸に留めて置かねばならないと感じました。

【留学を終えて】
 私は名古屋大学に入るまで、英語が得意でもそんなに好きでもありませんでした。しかしこの留学プログラムを知り、アメリカで留学をしたいと強く思い、短期留学も重ねコツコツと勉強をしてきました。名古屋大学に入るまでは全く英語が話せなかった私が、3ヶ月間の北米で留学が出来るなんて!と、計画を認めて頂けた時には本当に感無量でした。そして留学を通じて英語がまた少し上達し、自信も段々ついてきました。海外からの刺激も大いに受けることができ、友達が世界中にいるということも非常に嬉しく思います。しかし留学で得たものはそれだけではありませんでした。ネガティブ思考で劣等感の塊である自分自身が、精神的に少し強くなって自分に前向きになれたような気がしています。「まだ見ぬ世界は大きい。まだ見ぬ自分はもっと大きい」。留学の意義を強く感じました。
 最後に、私が自分の軸として大切にしているキーワードは、「豊かさ、家族、影響力」です。私の留学が自分の中だけで完結せず、どなたかに影響を与えることができていましたら本望ですし、自分自身もここで終わりにせず、また次のチャンスに繋げていきたいと考えています。


Dukeでのホストファミリー

外国人の人は大きくてびっくり!

Tulane University School of Medicine留学体験記

田口 真帆

 この度、私はアメリカのルイジアナ州ニューオリンズにあるTulane大学へ約2ヶ月間留学して参りました。ニューオリンズはJazz発祥の地であり、独特の食文化を持ったアメリカ屈指の美食の街としても知られ、南部の陽気で賑やかな雰囲気の漂う素敵な街でした。この留学は、私の人生の中で、苦しいけれども楽しく、最も刺激的な2ヶ月となりました。

最初の2週間は呼吸器内科のコンサルトチームをローテートしました。呼吸器内科はMICUとコンサルトチームに分かれており、コンサルトチームは他科からの呼吸器内科的な依頼があった場合に一定期間対応します。朝はフェローと一緒に回診に行き、問診や診察を一緒にして、その後アテンディングと共にもう一度回診に行きます。空いた時間は、気管支鏡検査の見学をしたり、外来を見に行ったりしました。また、フェローが毎日宿題を出してくださり、論文を読んでサマリーを発表したり、疾患について調べてプレゼンしたりする機会が多く得られました。基本的に担当フェローと一緒に動くため、マンツーマンで色々と教えてもらうことができ、留学のスタートに良い実習だったと思います。担当してくださったフェローがアジア人で、アジアの大学の医学部を出てからUSMLEに合格してアメリカで研修をしている先生でした。同じアジア人ということで親近感を抱いてくれ、色々な話をしました。私のように医学生時代に海外実習の機会があったが、点数が足りなくて行けなかった、それが悔しくて英語を頑張って勉強してアメリカの医師免許を取ろうと思った、という話を聞いて、その努力と学ぶ姿勢に感銘を受け、自分のモチベーションも上がりました。呼吸器内科には、タイ人の他、インド人や中国人、ドミニカ人など様々な出身地の先生がいて大変国際色豊かなチームでした。様々なバックグラウンドを持つ先生方の話を聞くことは、自分の将来にどのような選択肢があるのか、どのようなキャリアプランがあるのかを考える上でとても参考になりました。

次の2週間は麻酔科をローテートしました。ここでもフェローやレジデントにマンツーマンで色々と教えていただきました。気管挿管の練習がしたくて麻酔科を選択したのに、最初は「留学生だからobservationだけだよ」と言われ、気管挿管をやらせてもらえませんでした。しかし、「私はobservationをしに来たのではない。clerkshipをしに来たのだ。きちんと書類も記入して許可をもらっているのでやらせてもらえないのはおかしい。」とアテンディングに申し出たところ、気管挿管をやらせてもらえるようになりました。一度ダメと言われても、諦めずに交渉することが大事だと身をもって感じました。また、アメリカ人は挿管困難な人が多く、LMAやブロンコスコープやビデオ喉頭鏡を使う機会が多く、日本のポリクリでは見たことのなかった挿管方法を試すことができ、大変勉強になりました。

最後の2週間は、神経内科のStroke serviceをローテートしました。志望科ということもあり、気合を入れて臨みましたが、すぐさま心が砕けました。Stroke serviceは脳梗塞の急性期治療を担当するため、基本的にNeuro ICUで実習をします。ICUではアテンディング、フェロー、レジデント、4年生、3年生がひとつのチームとなって行動します。今まで一人の先生についてマンツーマンで教えてもらっていた私は、初めて現地の医学生と一緒に実習することとなり、現地の医学生と自分を比較した時に自分の出来なさが一層露呈し、自己嫌悪に陥りました。また、留学生に対してあまりフレンドリーではない先生もいて、最初私だけ患者を持たせてもらえず、そもそもローテーションする生徒のリストにも私の名前は無く、実習のスケジュールに関するメールも私だけ届いていませんでした。留学生だという疎外感、自分の英語能力の低さと医学知識の不足に対する劣等感に押しつぶされそうになりました。悔しくて毎日泣いたのを覚えています。しかし、「現地の学生と比べても仕方がない。自分の中で少しでも成長を感じられるようにしよう」と思い直し、失敗を恐れずに恥を捨てて、先生や生徒に積極的に話しかけ、少しでも多くのことを吸収しようと試みました。3日目からは患者さんを持たせてもらえるようになり、回診の際チームの皆の前でプレゼンする機会も毎日得られました。また、2週目には、先生に「患者さんを今日dischargeしようと思うんだけどあなたの意見を聞かせて」と言われたり、生徒に「〇〇さんの脳梗塞のetiology難しそうだけどわかる?」と聞かれたりと、自分もチームの一員として扱ってくれるようになりました。Neuro ICUでの実習は本当に辛くて涙の毎日でしたが、最も自分が成長できた2週間でもありました。

私がこの留学で得たものは沢山ありますが、一つあげるとしたら自信です。上記した実習以外にも、寮の手続き、実習科の決定、wifiの接続、カルテへのアクセスなど、スムーズにいかないことが多く、苦難の連続でした。しかし、諦めずに交渉することでどんな困難もなんとか乗り越えることができました。その経験が、何事も頑張ればなんとかなる、という自信につながったと思います。また、現地の生徒の実習態度を見て、自分に自信を持つことの大切さを教えられた気がします。現地の生徒たちは、レクチャーはもちろんカンファレンスでも、間違いを恐れずに積極的に発言していました。相手が先生であろうと関係なく、自分が間違っているのではないかと思ったことに対して異議を申し立てている場面も見受けられました。そんな生徒たちの姿を見て、私は今までのポリクリでの自分の姿勢がなんて受動的だったのだろう、と反省しました。そして自分に自信をつけるためにも、今まで以上に懸命に勉学に取り組まなくてはならないと感じました。

この留学で、日本にいては絶対に経験できなかったことを沢山経験できた気がします。英語力の向上だけでなく、この2ヶ月間で培ったことはきっとわたしの人生の糧となると思っています。今回留学にあたりお世話になりました国際連携室や学務課の方々、応援してくれた家族や友達、留学先で出会った人たち、全ての方々に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

Tulane留学体験記

坂下 勝哉

大学入学時から交換留学プログラムの存在は知っていて興味はありましたが,もともと英語が得意でもない私は出願をなかなか決心出来ずにずるずると大学5年生になっていました。そんな私の心に響いたのが,帰国報告会での粕谷先生のお言葉でした。

「たった数カ月の留学で英語力を劇的に伸ばすことは難しい。しかし大切なのは,この留学という困難に挑戦し乗り越え成長することです。帰国後の学生たちは皆顔つきが変わっています。」

言葉は多少違うと思いますが,大体このような内容でした。その言葉に背中を押された私は私にとって大きな挑戦となる留学をすることを決意し,決して満足のいく準備はできませんでしたがアメリカ合衆国のTulane Universityに約2か月留学し無事帰国する事が出来ました。

初めはSICUでの実習でした。朝は6時頃,Residentが来る前に集合し入室中の患者の問診,診察をして情報をまとめてレジデントにプレゼンします。そこでディスカッションがあったりミニレクチャーがあったりします。大抵皆で朝食をとったあとにAttendingが来て,再び入室中の患者についてプレゼンをします。午後は比較的自由で,処置の手伝いをしたり,論文を読んだり,入室予定患者の手術を見に行って時には助手として参加したりしていました。
ここでは一緒に回った女子学生が非常に印象的でした。彼女は機嫌が良いと実習中でも陽気に鼻歌を歌っている一方,お腹が空いてくると途端に不機嫌になるようなおもしろい子でしたが,非常に優秀だと私の眼には映りました。ResidentやAttendingとICU内を回診しディスカッションをしていましたが,彼女は上級医にズバズバと意見するし検査値もかなり覚えていたようで,私は非常に驚きました。日本の,少なくとも私の大学の実習では学生が医師に意見するような光景はなかなか見られません。発言するか否かに関しては文化の違いによる部分もあると思いますが,彼女はそれだけ医学知識があって患者の状態もしっかり把握しているというのが印象的でした。彼女達は実習の事を“work”と表現するし科によっては土日も実習をしているし,それだけ責任感を持って実践的なことをやっているのだということを私に気付かせてくれました。

2つ目はERでの実習でした。実習が始まる前の週にシフトに関してメールが来ました。それによると「実習は2週間(10日間)で5回のシフトをこなすこと。各シフトはAM7:00~PM7:00のdaytime shiftとPM7:00~AM7:00のnighttime shiftがある」とのことでした。まさか夜勤をするなどとは思っていなかったため大変驚きましたが,なんだか面白い実習になりそうだと期待も湧きました。実際その通りで,緊張感もあり非常に充実した実習でした。実習ではまず診察室に新たに来た患者の元へ行き問診・診察を行いました。SICUとは異なり鑑別を考えながら焦点を絞った問診をすることが要求され,またモタモタしているとResidentが入ってきて問診を始めてしまうので大急ぎで診察までを行っていました。その内容を整理して上級医にプレゼンし,AssessmentやPlanについてディスカッションしたり,余裕のある時にはミニレクチャーをしてくれたりする先生もいました。問診→診察→プレゼン→フィードバックをもらう→問診→・・・という一連の流れを繰り返すことで型が身についていくのを感じ,時には上級医の問診や診察を見学することで自分のものに活かすことができました。

最後はPM&R (Physical Medicine and Rehabilitation)という部門での実習で、ここはいわゆるペインクリニックのようなところでした。慢性疼痛を抱える患者さんに前回の来院からの経過を聞き、必要であれば神経診察などを行い、薬剤の処方の手伝いをしました。また時には関節注射を指導医の指導下でやらせてもらいました。この部門のボスが非常に面白い人で、ジョークを交えながらいろいろな過去の症例を提示してくれました。このボスに限らず、アメリカの上級医は非常に教育熱心だと感じました。病歴の聴取や患者の診察の仕方、またカルテの書き方などについて系統立てて教えていますし、特に印象的だったのは、彼らが学生に対し「君たちはプロフェッショナルとしての意識を持って、責任を持って患者を診なさい」というような話をしていたことです。医師としての心構えについて説かれたことはありませんでしたし、レジデントの言葉にも熱がこもっていて胸に響く話の一つでした。

この留学を総括すると、やはり粕谷先生のおっしゃった通りだったと思います。英語に関してはもちろん上達した部分もありますが、劇的な飛躍とはいかず、まだまだだなと感じています。大切なのは今回の留学をひとつのきっかけとして今後も英語学習を続けていくことでしょう。それよりもむしろ、現地の学生や指導医の言葉から受けた影響、自分から何か行動を起こした経験、そういったものこそ今回の留学で得られた大きな収穫で、今後も財産として残っていくように思います。

このような貴重な機会をくださった粕谷先生をはじめとする国際連携室の先生方、事務の方、また共に勉強をした同級生に感謝したいと思います。

Tulane Universityでの留学を終えて

山村 眞有子

今回私は、アメリカのNew OrleansにあるTulane University School of Medicineで2か月の病院実習を経験いたしました。名古屋大学に入学したのも交換留学プログラムに惹かれたことが一番の理由だったので、今回無事に2か月の研修を終えることができとても嬉しく思っています。アメリカを選んだのは英語力向上のため以外にも、様々な背景を持つ世界中からの多様な人々に出会って視野を広げたいと思ったこと、日本の医療との違いを見たかったこと、そしてアメリカの医学生の働きぶりを見てみたいと思ったことなどが理由としてありました。New Orleansはジャズとお酒の町として有名で、文化を楽しみたかったのも理由の一つです。

現地での実習を始めるまでの間には、実習の準備だけでなく、派遣期間が予定の半分になってしまったり、希望の科が通らなかったり、カルテ閲覧の権利がないことが分かったりと苦労がとても多かったです。せっかくの機会なのだからやれることはやって悔いのないようにしようと、何か問題が起きるたびに、現地での交渉など自分たちのできることは全部やるようにしました。結果的に思うようにならなかった部分もありましたが、苦労した分も含めとても良い経験になったと思います。

病院実習では、呼吸器内科、産婦人科、循環器内科を2週間ずつ回らせていただきました。最初の呼吸器内科ではICUチームに配属され、緊張しながら初日を迎えました。行ってみると皆各自の仕事に忙しくずっと話せる相手もいなかったため、場の空気とならないようにできるだけ自分から話しかけ、患者さんについての質問なども積極的にするように努力しました。しかし速いテンポの英語のディスカッションについていくことは難しく、力不足を痛感しました。それでも2週目には患者さんを一人持たせていただき、チームに対するプレゼンを行ってディスカッションにも多少参加できるようになりました。

産婦人科では、産科と婦人科を一週間ずつ回りました。3rd yearの医学生が多数まわっており、彼らはresidentと同じように毎朝回診に行き、カルテを書き、プレゼンをして治療方針を考えるという作業を朝6時前から始めていて、日本の学生との違いに愕然としました。分娩見学や帝王切開にも参加させていただき、赤ちゃんが生まれる時の喜びや感動はどこの国でも同じだなと感動しました。分娩はほぼ全例が無痛分娩で、イスラム教徒の患者さんが男性医師を拒否して問題になるなど、文化の違いを感じました。

最後の循環器内科ではコンサルトチームに配属されました。他科からの循環器コンサルトが来るたびに問診と身体診察を行い、fellowにプレゼンをして一緒に診に行くという日々を送りました。心不全や狭心症などよくある疾患が多く、勉強になりましたし、コンサルトがないときには心臓カテーテルやERの見学をして、有意義な時間を過ごせたと思います。

実習以外では、現地で知り合った学生たちと週末飲みに行ったり、4月は毎週末festivalが行われていたので参加したりしました。休暇を使ってアメリカを旅行することもでき、大変充実した日々を送りました。

2か月間New Orleansで過ごして、アフリカ系アメリカ人、インド系、中国系、白人系など様々な背景を持つ人々と毎日喋り、刺激的な毎日でした。またアメリカは日本と違って多民族国家であり、埋まらない貧富の差の存在と、それによって生まれる医療システムのジレンマを感じました。日本とは全く違う生活を送れてとても世界が広がったと思います。

今回の留学を支援して下さった、西尾さん、長谷川先生はじめ国際連携室の先生方、家族、そして一緒にTulaneで過ごした友人たちに心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

Tulane大学留学体験記

平賀 孝太

2016年3月末から5月末までの約2か月間、アメリカ、ルイジアナ州、ニューオリンズにあるTulane大学に留学をした。この大学を選んだ理由は、漠然とした、アメリカ医療への憧れ、英語スキルの向上目的であった。事前研修などで、英語での問診、身体診察、プレゼンテーションを練習した。その成果を試す意味でも、自分の英語能力で、どれほど医学を学ぶことができるのか、不安と期待が混ざりながらの留学となった。

最初の2週間は循環器内科を回った。最初に回った科ということもあり、どうしていいのか分からず、右往左往した。Fellowの先生に基本的についていたが、初めのうちは、「後ろで見てて」といった感じで、仕事をしているのをただ見るだけになっていた。これではいけないと思い、自分から積極的に質問すると、とても丁寧に教えてくれた。日本で勉強をしていた時は、ほとんど受け身でしか学んでいなかったため、自分から質問していくというのが初めは辛く、今までの自分の甘さを思い知った。しかし、慣れてくると、分からないところは聞き、また、積極的に患者さんを持たせてもらったりして、この教育方法が効率的で良いものに感じた。実習中は、ドラッグによる胸痛の患者、他臓器を移植した患者など、日本ではなかなか見られない症例が見れて勉強になった。

次の2週間は神経内科を回った。ここで初めて学生3人と共にまわった。現地の学生は患者さんを持つと、レジデントが来る前に、受け持ちの患者の回診を行い、患者の情報を的確に集めて、アセスメントもしっかりと行い、レジデントとディスカッションをしていた。また、新しく紹介された患者さんの問診、身体診察が的確にでき、しっかりと医師として働いていた。患者さんも学生だからといって馬鹿にするような雰囲気もなく、医師として扱っていたのは印象的であった。実際に患者さんを持ち、問診、身体診察、プレゼンテーションをさせてもらう中で、事前の準備が活きたと思う場面もあったが、 現地の学生より劣っていると痛感させられることが多かった。もっと精進しなければ、と強く心に思い、勉強をする原動力となった。実習中はできるだけ多くの患者を診察することに努めた。薬物乱用で、四肢の脱力を訴える患者さんを診察したのはいい思い出である。

最後の2週間はMICUを回った。先生方は忙しそうにしており、向こうから何かを教えてくれることはやはりほとんどなかったが、質問を積極的にすることで、少しずつながらも集中治療について学ぶことができた。3つ目の科ということもあり、今までよりも質問やディスカッションが流暢になってきていると感じ、自分の英語能力の向上を感じた。

留学中は、アメリカと日本の医療で何が違うのか?それを常々考えていた。留学に行く前は、アメリカでは日本よりも格段に優れた医療を行っている、自分が見たこともないようなことをしているに違いない、そう考えていた。しかし、もちろんアメリカ全ての大学を廻ったわけではないが、Tulane大学に限って言えば、日本の医療のレベルと大差はないように感じた。しかし、現地に行ってみて、印象的であったことは数多くある。例えば、患者の医療への熱が違うことである。現地の患者は自分の現病歴をこと細かく説明できたり、自分が使用している薬やその用量までしっかり覚えていたりと、医療に払う費用が日本よりも高いからか、医療に対する関心が高く感じた。他に、教育体制の違いも印象的であった。現地の学生は、まるで研修医のように働いていて、自分から積極的に学ぼうとしている姿を見て、日本のポリクリがいかに受け身なものであるか改めて感じさせられた。また、ニューオリンズは黒人が多く住む都市であり、医者や学生は白人が多かったが、患者は黒人が多かった。独特の訛りもあり、彼らとコミュニケーションをとることは困難な場面が多かったが、今まで接したことのない人種の人たちと関わり、自分の見聞を深めることができた。

留学の良いところは、新たな環境に対峙することであると思う。その環境に対して、いかに自分が適応、克服していくか、その過程で自分の成長を感じられればこの上ない喜びである。今回留学をして、今までにない経験を数多くできた。小さいながらも、成長を感じられることも多かった。この素晴らしい経験を、この先の自分の人生に生かして行けるように、これからも切磋琢磨していきたいと思う。

最後になりましたが、今回の留学は、自分一人では決して成り立ちませんでした。このような貴重な機会を与えて下さった名古屋大学の先生方、国際連携室の方々、学務課の方々、先輩方や、同級生、家族、Tulane大学の方々など、支えてくださった全ての方に、心より感謝を申し上げます。


神経内科のレジデントと

アメリカ チュレーン大学での留学を終えて

粟生 晃司

私は、これまで留学したこともなく、また、ずっと実家に住んでいて、一度海外で一人暮らしをしてみたいと思い、留学を希望しました。また、アメリカは最大の医療先進国であり、また練習してきた英語で医師とも患者さんとも会話できるという魅力があり、アメリカに留学しようと思い立ち、アメリカのチュレーン大学に2ヶ月留学させていただくことになりました。  チュレーン大学はアメリカ南部の町、ニューオリンズにある、アメリカ南部の拠点病院です。ニューオリンズは人口の七割が黒人で、患者さんは大半が黒人だったような気がします。また、アメリカにありながら、フランスの影響を受けている町で、食事がなかなか美味しいです。ザリガニという日本では食べないようなものも食文化にあります。また、ジャズ発祥の町であり、町中では至る所でジャズが演奏されており、4月にはジャズフェスティバルも賑やかに行われており、有名バンドのコンサートも楽しめました。一方、治安が悪く、また、しばしばハリケーンが襲ってくる町でもあります。

[実習について]
 私は、産婦人科2週間、整形外科4週間を回らせていただきました。
 産婦人科はUniversity Medical Center のClinicでの実習を1週間、Lakeside Hospitalでの周産期の実習を1週間行いました。Clinicでは妊娠初期の妊婦さんの健診をしたり、婦人科診察や検査などをやっていました。Tulane大学の3年の学生さんがたくさんいて、residentの先生や、彼らと共に患者さんのところに行って超音波を当てたり、問診したり、内診したりの毎日でした。金曜日の午後は現地の学生と一緒に産婦人科の先生の講義を受けました。アメリカの患者さんに出会い、たくさんの現地の学生さんと知り合えたのは良い経験になりました。二週目のLakeside Hospitalの実習はなんと5AMに始まるので、早いときは3:30AM起床でした。Lakeside Hospitalへはバスが通っておらず、現地の学生さんに車に乗せてもらって行きました。こちらには出産を間近に控えた妊婦さんや、産後の方々が入院していて、お産を見学したり、帝王切開に入れてもらったりしました。アメリカの出産はほぼ無痛分娩であり、日本のように妊婦さんが叫び声を上げていることもなく、静かな雰囲気の中でのお産でした。帝王切開も何回も入れてもらいました。最初の帝王切開で、体格の大きな妊婦さんから、まず4キロ以上ある巨大児が出て、さらに3キロくらいの普通の赤ちゃんが出てきて、大きな双子が入っていたことが分かり、これがアメリカンサイズなのか、と大変驚きました。朝は早かったですが、命の誕生に立ち会えるのはとてもうれしく、日本もアメリカもやっぱり赤ちゃんは可愛いなと思ってしまいました。アメリカで産婦人科に回らせてもらい、日本との違いや、日本と変わらぬ魅力に気付かせてもらえたことは大きな収穫だったと思います。

残りの4週間は整形外科を回らせてもらいました。チュレーン大学の整形外科は、Trauma unit, Reconstruction unit , Rheumatoid unit , Sports unit Pediatric unit  に分かれており、私は一週間ずつPediatric以外の四つを回らせていただきました。Trauma unitでは外傷患者さんのオペがメインで、大半がankle fractureだった気がします。次にReconstruction unitで人工股関節置換術や人工膝関節置換術に入れてもらいました。これらのオペは大変迫力があり、 何度入っても飽きませんでした。日本ではあまり術野に入ってなかったので、自身も痛めた股関節を実際に見るのはとても新鮮でした。次のRheumatoidでは特に何もやってなかったので、reconstructionのオペに入れてもらいました。最終週のsports unitではハムストリングスの徐圧手術や、人工肩関節置換術に入りました。日本ではあまり見ない手術だったので新鮮でした。実習以外にも、整形外科のresidentの先生にビアガーデンに連れて行ってもらったりと、楽しく過ごさせてもらいました。

[まとめ]
留学準備期間中に足を骨折して入院することになり、留学行けるかどうか定かではありませんでしたが、なんとか間に合って行くことができました。留学準備中、留学中も本当にたくさんの皆さんに支えてもらいました。何度も留学先のチュレーン大学と交渉していただいたり、相談に乗ってもらった西尾先生、長谷川先生、粕谷先生。オペをしていただいたり、その後の方針について相談に乗っていただいた整形外科やリハビリの先生方。入院費用、留学資金を出してくれた両親。留学先でいろんな時に助けてくれた名大の実習仲間のみんな。本当にありがとうございます。おかげで、自分の将来につながるとても貴重な経験ができたと思っています。留学に行くことができて本当に良かったです。自分が怪我をして入院した経験やアメリカで素敵な先生方とお話できたり、オペに参加させてもらえた経験を生かし、来年から始まるであろう医師の仕事に活かしていきたいと思います。機会があれば、またアメリカやその他の国に勉強しに行きたいです。


With Orthopedic Dr. D. Johnson

Lunds Universitetでの実習 ―LAGOM― ピッツバーグ大学にて

関 友望

今回私は、スウェーデンのルンド大学にて4週間、それからフロンティア会OBの土井先生のいらっしゃる、ピッツバーグ大学感染症内科・感染症研究室に約4週間、お邪魔させていただきました。

スウェーデンは、もともと4月5月の2か月予定であったのですが、ルンド大学側の事情で4月のみとなりました。ルンド大学への派遣は今年が初めてでありましたので、留学準備は手探り状態でしたが、国際連携室の先生方や、あちらの事務の方も親切丁寧に対応してくださり、無事留学を終えることができました。また、以前名古屋大学に留学に来ていたルンド大学の学生さんも親身になって助けてくれ、大変力になりました。
 ルンド大学での実習科は、general surgeryでした。そこからさらに細分化されており、私はcolorectal surgeryということで、下部消化管の分野にて実習を行いました。実習内容は回診・外来・手術(手洗い)・カンファレンスなどで、回診の際の手技や、手術の術野に入っての鈎引きや縫合など、やらせていただけることも多くあり、また暇な時間にfellow的立場の若手医師がミニレクチャーをしてくださることもありました。全体的な印象として、明るく仕事をされている方が多く、プライベートも大事にされているからこそ生まれる心の余裕もあるのかなと感じました。お世話になったある女医さんは、同僚にも患者さんにもしょっちゅうジョークをとばしておられて、周りに笑顔が絶えない方でした。あるときは、術後のつらさから病室にこもり、食事を食べる気力もなくなってしまった患者さんに、笑顔と食欲とやる気を取り戻したのも、彼女のトークでした。

スウェーデンは非英語圏ということで、個人的にはそれも楽しみにしつつ不安も抱えつつで飛び込んだのですが、スウェーデンでは非英語圏の国の中で一番英語がうまいと言われるほど、みな達者に英語を話すので、意思疎通に不自由は感じませんでした。ただ、年齢が上の患者さんは、英語が苦手という方も多かったので、外来を英語でお願いすることはできませんでした。しかし、患者層が若い科での実習を行えば、簡単な問診をとることももしかしたらできるのではないかなという印象を受けました。先生方もカンファレンスや雑談を英語で行ってくださったり、外来においても患者さんとコミュニケーションをとった後、英語で説明してくださったりと、配慮してくださりました。
 わたしも出発前に日本でスウェーデン語の簡単な会話本のようなものを買って少しですが勉強していったのですが、全然足りないな、もっと話せたらなと感じ、現地にてスクラブのポケットに入るくらいの英語スウェーデン語のミニ辞書を買い、実習中もプライベートでも持ち歩いていました。とくに外来中においてはスウェーデン語を豊富にリスニングできるチャンスでしたので、知っている単語を拾いつつ文脈をよみ、知らなかった単語を発音から辞書でチェックするといったことをしていました。ルンド大学の学生二人とルームシェアをしておりましたので、帰宅してから彼女たちに、「今日こんな場面でこんな感じの発音の単語を聞いたのだけど、どういう意味―?」と質問することもしていました。スウェーデン語能力のベースが低かったので知っている単語、聞きとれる単語が増えていくのがまた楽しく、また実際に自分で使ってみると先生方がうまくなったねーと褒めてくださるので、語学習得にもとても良い環境でした。そういった意味でも、2ヶ月いられたら良かったなぁと感じました。

生活に関しては、スウェーデンの学生は、高校を卒業すると一人暮らしor友だちとルームシェアを始めることがほとんどで、ルンド大学も様々なルームタイプの学生寮を数多く提供しています。学生の課外活動も盛んで、Nationとよばれる学生クラブが週2,3といった頻度でランチや飲み会を企画していたり、留学生対象のMentor Group, International Buddy Group(医学部対象)がハイキングなどのイベントを企画してくれたりと、平日の夜や週末の過ごし方は様々なチョイスができる環境でした。 また、高福祉国家で税金が高いスウェーデンですが、払った税金は国民のために還元されているのが実感できるし、良いことに使われているからいくら高くても喜んで払う!と聞いたときは、軽いカルチャーショックを受けました。男性女性関係なく、実習先の先生が子供の具合が悪いからと休んだり早退されているのをみたり、産休育休中も一定のお給料をもらい続けられたり、子供の学費や医療費がかからなかったりと、国を挙げて子供、子育てに優しいのだと実感しました。その分、離婚率も高いといった問題もあるようですが。

6月には、アメリカはペンシルバニア州のピッツバーグ大学に行かせていただきました。研究室見学と、土井先生にご配慮いただき、感染症内科にもお邪魔させていただくことができました。朝は、医学生とレジデントとともに、フェローの先生方が日替わりテーマで行ってくださる約1時間のレクチャーを受けました。その後、カンファレンスに参加し、以前からの患者さんのフォローや、新しくコンサルトされた患者さんのプレゼン、回診に参加しました。日本での実習では、感染症に特化して長期間回ることはなかったこと、それから北米ならではや、日本では知らなかった感染症を見聞きすることができたこと、から大変勉強になりました。また先生方の論理的な思考方法に触れられたのも良い経験になりました。研究室では、研究員の方々や学生の子たちが温かく迎え入れてくれ、それぞれの研究を紹介してくれたり、一緒に実験をしたり、論文を読んだりと勉強になりました。ASM Microbeという、参加者1万人以上の微生物・感染症学会に参加できたのも、興味深かったです。

今回の約2ヶ月で、本当にたくさんの有意義な経験をすることができました。学生の間に、いろいろなことに挑戦して自分の世界・視野を広げたいと思い過ごしてきたので、学生最後の年にこのような経験ができ、とてもうれしく思います。機会を与えてくださり、また支えてくださった皆さまに深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

ウィーン医科大学留学体験記

舩田 瑛太郎

私は今年度オーストリアのウィーン医科大学に留学させて頂きました。呼吸器外科4週間、家庭医4週間、救急科3週間の計11週の充実した実習をすることができました。以下で体験記として実習内容、感じたことなどを纏めさせて頂きます。

【呼吸器外科】
 呼吸器外科を実習先に選らんだ理由としては前年度交換留学に来ていたウィーンからの学生から、肺移植を世界的に盛んに行っていて(年間200例超)有名という非常に曖昧な理由でした。日本ではあまり見ることのできない手術を経験することが目標でした。まず移植に関して日本との大きな違いが臓器提供の意思の有無の示し方です。日本ではドナーカードを持って臓器提供の意思を示すことでドナーになることができますが、オーストリアでは逆で脳死判定となった人が臓器提供拒否のカードを持って意思を示さない限りドナーになることができるといったものでした。そのため脳死後の臓器提供数が多く多くの移植を行うことができます。また大学病院には移植内科という移植後の全身管理をする内科の部署がありこの存在も移植を積極的にできる環境だと感じました。実習は7時半のカンファから始まります。留学生や移植の勉強に来ている他国の医者もいるので基本的には英語で行われていました。ただ議論が熱くなって誰かがドイツ語で話しだすとそこからドイツ語に変わるのでそこは苦労しました。その後学生の仕事として新規入院患者の入院時検査を行います。採血や心電図、呼吸機能検査などです。最初は採血も上手にできず現地の学生との差に落ち込みましたが練習をしていくうちに上達していくことができました。

【家庭医】
 これは留学生向けに作られたプログラムで私は畑下さんの他にキルギスタン、ウズベキスタンのおばちゃん先生と四人でウィーン市内の医療施設を見て説明を受けました。主なところとして学校医、HIV施設、療養型病院、ホームレス受け入れ施設等です。ここでは英語で説明を受けてその後ディスカッションをするといった流れが多く、日本と他国の医療の違いを考えていく上で貴重な機会になりました。歴代のウィーンに留学している先輩方もお世話になった家庭医の先生のお宅にも泊り込みで実習させていただきました。非常に温かい家庭で3泊4日の実習でしたが本当の家族みたいに接していただき別れの時は本当に悲しかったです。

【救急科】
 ここでは主にWalk-inの患者の初期対応を見学しつつ診療補助といった形で実習させていただきました。静脈ルートをほぼ全患者取るのでその仕事はしっかりと積極的に行ってルートの取り方はかなり上達しました。全体として患者さんの学生の教育に対する理解があったので、手技等は積極的にでき、また夜間や土日救急の見学もさせていただきましたが、現地の学生は実習・見学に来ており意識の高さに驚かされました。画像診断やエコーの使い方など空いている時間に先生に話しかければ簡単なレクチャーもして頂けました。

留学体験記:ウィーン医科大学

畑下 直

私は、オーストリアのウィーン医科大学に三ヶ月間留学させていただきました。家庭医療に興味があったこと、希望科が通りやすいということ、またヨーロッパの色々な国を見てみたいと思いウィーン医科大学への留学を決めました。実習は、1ヶ月ずつ小児科(神経腫瘍、NICU各2週)、家庭医療、救急科を回りました。

最初の1ヶ月間は小児科で実習させていただきました。ウィーン医科大学の小児科は専門が細分化されていて、独立した大きな病棟と近くに小児病院を持っています。私は前半2週間小児神経腫瘍科、残り2週間はNICUで実習をさせていただきました。神経腫瘍科では英語が話せる患者さんやご家族の場合は問診をさせていただき、NICUでは処置の手伝いやカンファレンスへの参加が日課でした。どちらの科でも、特に東欧の国からウィーン医科大学にいらっしゃる患者さんが多いということで、先生方やコメディカルの方も複数言語を使い分けながら患者さんのご家族と話していることに驚きました。

5月はGeneralPractice(家庭医療・公衆衛生)を回りました。ウズベキスタンとカザフスタンの先生方とウィーン市内の様々な施設を見学し、お話を聞きました。月末にはウィーンを離れ、山の中の村で開業されている家庭医の先生の元にホームステイし、実習を行いました。HIV予防センターや、学校医の先生のお話、ホームレスの方々のための施設など、多くの場所を見学させて頂いて、オーストリアやその他の国の医療について学ぶことができました。また、日本のことをもっと説明できるようにならなくてはとも感じました。他国の先生とお話できたことも貴重な経験になりました。

最後の1ヶ月間は救急科で実習をさせていただきました。ここでの学生の仕事は静脈ルート確保、心電図などでした。ルート確保は日本の実習であまりやったことがなく、最初はなかなか上手くいかず、患者さんに痛い思いをさせてしまって申し訳なかったです。しかしウィーンの患者さんは本当に温かく声をかけて下さって、患者さんや現地学生の助けもあって少しずつ手技に関して上達することができたと思います。現地の学生は本当に優秀で、日本の研修医のように実習をしていました。ウィーン医科大学では主体性を強く求められるのですが、そのような中で学んできた学生達だからこそ優秀なのかとも感じ、自分ももっと頑張らなくてはいけないなと気持ちが引き締まりました。

実習外では、学生や、ウィーンで活躍されている日本人の先生、他大に留学に来ている他国の留学生の子たち、バレーチームメンバー、ホームステイ先のホストマザー、旅行先のホステルで出会った人たち等、本当にたくさんの素敵な出会いに恵まれました。たくさん思い出がある中でも特に印象に残っているのは、週一回通っていたウィーンマクドナルドハウスでのボランティアです(マクドナルドハウスとは、病気のお子さんとその家族のための滞在施設です)。元々私は名大病院の横にあるなごやハウスのボランティアをやっていて、ウィーンのハウスにも興味があり短期のボランティアとして受け入れて頂きました。はじめは仕事もわからず ドイツ語もあまり話せずでバタバタ迷惑をかけてしまっていましたが、マネージャーさんや他のボランティアの方々や滞在されているご家族が温かく接してくださり、子どもたちにも元気をもらい、次第に仕事にもなれたくさんの方とお話させて頂いて毎回心が温まる経験をさせて頂きました。お互いに言葉が通じない事があっても、こんなに心が通じ合って笑顔になれるのだなと強く感じることができ、とても幸せで学びの多い体験になりました。多くの方との出会いを通じ、様々なバックグラウンドを持つ人と話すというのはこんなにも面白いのだということを感じ、また同時に日本や自分を見つめなおす機会にもなりました。オーストリア以外の様々な国にも旅行に行き、たくさんの文化や雰囲気に直接触れられたことも本当に良い経験です。

三か月、悩んだことも多々ありましたが、それを含めて大変充実した三ヶ月間を過ごすことができ、少しは成長することができたかなと思います。色々な国の方と出会う機会がありましたが、どの国の人もそれぞれ素敵で温かくておもしろくて、留学に応募して本当に良かったなと感じました。ぜひ後輩にもこのプログラムを薦めていけたらと感じました。
 このような貴重な機会を与えてくださった国際連携室の先生方や学務課の方々、ウィーン医科大学の先生方、友人、家族、支えて下さった全ての方に感謝いたします。 本当にありがとうございました。


GPの先生と

グダニスク医科大学留学体験記

小林 潤貴

この度、私はグダニスク医科大学で3か月間臨床実習をする機会をいただけました。留学を終えて今こうして留学体験記を書くにあたって、改めて実に多くの人達に支えられた留学生活であったと痛感し日々感謝しております。僭越ながら留学体験記を書かせていただきます。

【留学しようと思ったきっかけ】
 私が留学をしたいと思った、決して前向きでも高尚でもない理由は主に2つ。1つ目は、海外の文化や生活に興味があったから。短い日数であったが海外旅行を通して、現地の人達の生きる事に対する凄まじいエネルギーを肌で感じ、海外での生活に対する思いが膨らんでいった。2つ目は、閉鎖された空間での生活から脱却したかったから。大多数がそうしているから何となく部活に所属し、真剣に競技に取り組む訳でも大会で結果を残す訳でもなく、酒を大量に飲み暴れる事が勲章であるかの様な価値観の中、大多数の中の同じ様な1人として何となく6年間を過ごす。年次を重ねるにつれ、この生き方に疑問を抱く様になった。海外で感じた生きる事へのエネルギーに触れて、私も何かしらの目的をもって日々生きたいと感じる様になった。

【臨床実習について】
 私は皮膚科に興味があるため、皮膚科、熱帯医学、臨床アレルギー科、老年内科、家庭医学といった、皮膚疾患が関わりそうな科を選択した。私達の代から正式に現地の学生のプログラムに組み込まれたとの事で、現地の学生達と共に各科1~4週間ずつ回らせていただけた。また、最終日の筆記試験、又は口頭試問に合格しなければ単位がもらえないので注意が必要である。

皮膚科実習は皮膚疾患に関する講義の後、グループに分かれて手術見学や問診を行った。中高年の患者さんはポーランド語しか話せないため、ポーランド語を話せる学生が問診を行って私達に英語で翻訳し、聞きたい事があれば翻訳をしてくれている学生を通して聞いてもらう、という形式で進められた。初めて回った臨床科であったため、初めの数日は英語を聞き取る事に必死だった。ようやく英語を聞くことに慣れてきたら今度は私の知らない知識が山ほどある事に気が付き、ここで現地の学生との学力の差を実感する事となった。また、実習初日にグダニスク医科大学の皮膚科医が作成した176ページの教材を渡されるのだが、そこから実習最終日の筆記試験、そして実習から数週間後にある口頭試問の問題が出題されるため熟読しなければならなかった。幸いにも試験には合格したが、ここでもやはり他の学生と比べ知識量も言語運用能力も明らかに劣っている事を痛感した。ただ、幸いにも足りない学力と英語力を補うべく、「私は皮膚科医になりたい」とアピールをしたせいか、手術見学の際には助手にいれてもらえる機会が多く与えられた。また、皮膚科実習が終わった後も個人的にプライベートクリニックの見学をさせてもらえた。

熱帯医学実習は私の寮があるグダニスクから電車で30分程かかる自然豊かなグディニアの病院で行われた。この科では主にマラリア、エキノコックス、バンクロフト糸状虫といった寄生虫について学習した。アフリカ大陸で宣教師として活動した際に感染したという患者さんが何人かおり、ポーランドにカトリックの信仰が根付いている事を実感した。また、日本製の文房具は他国ですこぶる評判が良いらしく、私が使用していたボールペンや消しゴムを欲しがっていた事も印象的である。

臨床アレルギー科実習では主に喘息、アナフィラキシーショック、その他アレルギー疾患について学んだ。学生全体に対する講義の後、グループ毎に講義を受けた。患者さんと直接話すというよりは講義や実際にパッチテスト等の検査を受けるといった実習がメインであった。この科のテストは口頭試問であり、アナフィラキシーショックの診断基準と対応について事細かく質問された。

老年内科実習では主に膠原病について学んだ。ここでは患者との問診の時間が非常に長くとられており、患者が持つ疾患に関する事や、問診すべき内容、注意すべき合併症等多くの事を質問された。他の科でも感じたのだが、医師が特に許可を取るわけでもなくいきなり患者さんの体に触れ、学生に対し講義を行う事に驚きを隠せなかった。しかし、患者さんも嫌な顔はせずむしろ私達学生に協力を惜しまないという様子であった。国が違えば医学教育の方針も違ってくるのだと実感した。また、講義の際に高齢者人口の割合が一番多い国はどこか、という質問に対し多くの学生が日本と答えていた事から日本の高齢者人口の増加は世界的な問題になっている事も認識させられた。

家庭医学実習は講義がメインであった。心電図の読み方、BMI測定、体脂肪率測定、胸部診察の仕方、小児のプライマリケア、頻度が高い精神疾患といった幅広い分野が題材にされていた。指導教官いわく、広い分野を勉強するのは日本の様に常にレントゲンやCTといった医療器具が使用できる訳ではないので、出来る限り知識を蓄えてその知識を基に診察した結果から答えを出せる様にするため、らしい。講義とは別に学外のクリニックでの実習もあり、私は小児を対象にしたクリニックで見学をさせてもらった。疾患は多岐にわたり、指導教官の広い分野の知識が必要であるという言葉が納得できた瞬間でもあった。クリニックの先生とはポーランドと日本の医療制度の違い、文化、食べ物の話をした。日本に憧れを持っている人は案外多いらしく、将来行ってみたいとの事だった。

【課外活動】
 ポーランドでは臨床実習以外の課外活動も充実していたが、Wozniak教授に紹介していただいたプロのラグビーチームでの練習が精神面でも肉体面でも、最も印象的だった。私は優れたラグビー選手ではないが、コーチやチームメイトの好意で練習に参加させてもらい、更には7人制ラグビーの公式試合にも選手として出場する機会に恵まれた。私の能力を遥に超えたレベルでラグビーが出来ただけでも幸せなのに、私の事をチームメイトと呼んでくれる多くの仲間が出来るなんて夢にも思わなかった。2019年の日本でのラグビーワールドカップの際には日本に来るからもてなしてくれよ、という言葉は涙が出る程嬉しかった。

【留学を終えて】
 終わってみれば3か月は本当に短かった。飛躍的に英語力が向上し医学知識が大幅に増えた訳ではないし、決してポーランドの医療が日本より優れていて刺激的だったとも言い切れない。私と比較して学力面で非常に優秀であったが、日本ではとても許容されない程実習態度が悪い学生達も多くいた。だが、グダニスク医科大学の学生達はかつて私が感じた生に対するエネルギーに満ち溢れており、各々夢や将来の目標があってそれに向かって勉強をしており、彼らとお互いの夢について話す事で私にも夢や目標がある事が認識出来た。また、時間を無駄にしてきたことで多くの事を成し遂げられなかった私自身に対し後悔の念が湧く様になった。留学を通して、また会いたいと思う友人、ラグビー仲間、医学に対する興味等多くの物を得られたが、何よりも「目標を持って日々を生きる」ための第一歩は踏み出す事が出来たと強く感じている。

最後になりましたが、今回の派遣留学を実現してくださった国際連携室の粕谷先生、長谷川先生、西尾さん、グダニスク医科大学のWozniak教授をはじめとした、本当に多くの方々、私の妻、両親、妻の家族、友人に心よりお礼申し上げます。


チームメイトと共に

生化学教室の方々と

グダニスク医科大学留学体験記

春原 裕希

この度、名古屋大学の交換留学プログラムにより、ポーランドのグダニスク医科大学に小林君と二人で留学させて頂きました。私自身今回が初の海外という事もあり、期待半分、不安半分の心境でしたが、無事実習を終え、達成感と満足感、様々な方々への感謝の念を覚えております。3か月の留学で、医科学を2週間、精神科1週間、神経内科2週間、血液内科2週間、外科3週間、血管外科1週間、臨床アレルギー科1週間といった内容でした。

大学の敷地内には年季の入った学生寮があり、そこで二人同じ部屋での生活が始まりました。最初に寮のあいさつ回りをすることになりましたが、そこで会ったスペイン人留学生に色々と気に掛けてもらい大変ありがたかったことを覚えております。

臨床科目で最初に受けた精神科は、寮から5㎞離れた単科病院で行われており、名古屋の城山病院のような感じでした。基本的に実習スタイルは1~2時間ほどの講義の後、班ごとに先生の英語通訳を交えての医療面接といった形でした。最初の患者さんは統合失調症で、まだ英語に慣れなかった(特にRを「ル」と直接読むポーランド英語)ため、そして何より患者さんの難解な病歴のため理解が進まず、同じ班の皆に助けてもらって、という状況でした。こちらではお国柄かアルコール依存症の患者さんが多いらしく、それらの患者さんの診察、Wernicke-Korsakoff症候群等の診察も行いました。

続いては神経内科でした。Huntington病、大脳基底核変性症、小脳萎縮変性症といった神経変性疾患から多発性硬化症などの脱髄疾患、小児てんかんについて多くを学ばせて頂きました。特に神経診察では特別に先生の個人レッスンを受けさせて頂き、充実しておりました。英語を話せる患者さんもいたのですが、ここまでの3週間でようやくそれらの患者さん相手に簡単な面接ができるようになりました。この三か月で一番身になった週だと思います。

もう一つ印象に残ったのは外科です。日本ほど清潔不潔の観念はなく、手洗いの後のハンドジェルは手押し式、ペーパもトイレにあるのと変わらないもので、手袋を付ければ良しという感じに。肝臓にできたエキノコッカス嚢胞の切除、巨大脾腫の摘出など日本ではあまり見たことのない疾患ばかりで新鮮でした。週の最後にはプレゼン大会もあり、English Division在学、4年生のスウェーデン人と憩室炎について図書館で勉強し、緊張しながら発表したのはいい思い出です。性転換手術について発表していたグループもおりましたが、旧社会主義国家で幾分保守的なポーランド人の先生と激論を交わしており、衝撃的でした。

また、私達二人はWozniak生化学教授から医科学の指導も受けました。主題は神経保護、記憶の改善について。こちらは5月末に開かれたイタリア、日本との合同シンポジウムで発表させて頂きました。その際日本より以前こちらで生化学の教授をしておられた若林先生、粕谷先生、近藤先生、中国からの留学中のGerry先生がお越しになり、ディナーの際は貴重なお話を頂きました。

課外活動では、外科の教授らと週2回フットサルをしたり、フルマラソンにも参加しました。田舎では英語が通じず苦労することもありましたが、基本的には堪能な人が多く、登録から手続きまで英語で行えるので、日常英語の訓練にもなりましたし、現地の雰囲気を肌で感じることができました。

学生との交流もかなりありました。ヨーロッパを中心に世界各国から6年制のEnglish Division、留学制度であるErasmusの学生が集まってきており、彼らとコミュニケーションを交わすことで様々な価値観の違いを教えられたような気がします。全体的に日本の学生よりもワークライフバランスを重視し、ビジネスとしての医療への指向がありました。彼らと話して気付いたのは、ヨーロッパ人でも南米人でも英語が比較にならないくらいうまいということ。語順が同じだからとか、起源がラテン語で一緒だからとか言っておりましたが、やはり英語の習得が苦手な日本人でも、より実践的な会話形式の教育にシフトして力をつけていかなければならないと感じました。これからも学び続けます。

また同階に住むポーランドの学生とも仲良くなることができ、寮の前の林や彼らの部屋で遊んだのもいい思い出です。国内の比較的安い物価のためか、国外に出ていく学生も多いようですが、またどこかで会えればと思います。

様々なイベントが次から次へとやってきた3か月間でしたが、生活環境の違い、言葉の違い等ストレスも多く、精神的苦痛を感じるような事態もありました。しかし小林君と協力し乗り越えることができたように思います。こうして同級生とより親交を深めることができたのも留学の醍醐味の一つではないでしょうか。

最後に、現地で色々と気に掛けて頂いたWozniak教授をはじめとする生化学教室の先生方(Adam)、粕谷先生を及び国際連携室の先生方、留学を通して知り合った多くの学生(特にYanusz,Piotr,Fillippo,Armando,Maciej,Szymon,Karolina,Duane,Dinal,Alvaro,Izabel)、寮のオバちゃんたち、そして小林君に感謝を申し上げて終わりにしたいと思います。

ドイツ Freiburg大学留学体験記

桐山 亮太

私は4/4~6/24までの3ヶ月間、ドイツ南西部にあるFreiburg大学へ留学させていただきました。
 名古屋大学のこの留学制度に応募しようと思った最初のきっかけとしてはヨーロッパの街で暮らしてみたい、英語の練習をしたい、旅行で様々なところへ行って見たいという少々不純なものでした。しかし、留学を目指す他の同級生と話したり実際に病院でのポリクリをやってみることによって、学生のうちに海外で臨床実習を経験することは将来のことを考えてもかけがえのない経験になるのでぜひ行くべきだと強く思うようになりました。

実習は4w(Neurosurgery)→4w(General Surgery)→4w(Plastic&Hand Surgery)と1ヶ月ずつ3つの科を回らせていただきました。
 まず最初のNeurosurgeryでは、向こうの大学内での連絡がうまく取れておらずNeurosurgeryに自分が行くということが伝わっていなかったので、実際のやりとりのメールを見せて説明したりしながら2時間ほど待たされるというハプニングがあり、初日から留学の洗礼を受け鍛えられました。Freiburg大学のNeurosurgeryはNeurocenterという神経疾患専門病棟に入っており、専用の手術室が6室、年間手術件数が3000件超という巨大な科でした。主な実習スケジュールとしては朝7:30から前日の手術に関するカンファレンス、その後オペ見学や病棟業務の見学、ICUにて管理や検査の勉強をし、14:30から翌日の手術に関するカンファレンス、若手医師による症例検討会を行い解散という流れでした。また、幸運にも私が回っていたのと同時期にタイから6年目のNeurosurgeryの先生が留学に来られてたため行動をよく共にしていました。その先生はNeurosurgeonとして経験を積まれてたので手術内容などを私に丁寧に教えてくれ非常に勉強になりました。Freiburg大学のNeurosurgeryはてんかんの手術が有名なため、てんかんや脳腫瘍の手術が多く行われており、比較的多い疾患から珍しい疾患まで様々な症例を見ることができました。
 次の1ヶ月間は大学病院ではなく市中病院でGeneral Surgeryを回りました。本来General Surgeryは回れないと言われたのですが、自分が興味を持っている科だからぜひ回りたいと主張したところ事務の方がコーディネートしてくれました。このようなことからも自分の希望はきちんと主張していかなければいけないと感じました。市中病院での実習は大学病院での実習と雰囲気が異なり、まさにチームの一員としての実習でした。5月がドイツのバカンスシーズンであり、先生方の人数が少なかったこともあり、1日に2,3件の手術に入らせていただき、自分の経験値がグンと上がった気がします。このようなバカンスシーズンが存在する点がプライベートや家族との時間を重んじるドイツらしいなとも感じました。手術内容としては肉料理の多いドイツらしく胆石や大腸癌の手術が多く、また日本と比べ肥満の方が多い影響かヘルニアの手術も多かったです。空いた時間には救急外来の見学もさせてもらい、身体所見やエコー所見などを学ぶことができました。

3ヶ月目は再び大学病院へと戻り、Plastic&Hand Surgeryを回りました。Freiburg大学では、Plastic SurgeryとHand Surgeryでは求められる技術が似ているので同一の科となっているとのお話でした。ここでは顔面神経麻痺に対する手術や軟部腫瘍の摘出術、皮膚欠損の形成手術、豊胸手術、美容整形術、手根菅解放術、骨折の手術など多岐にわたる手術を経験させていただきました。また、外来見学では患者さんについてレントゲンやCT、MRIの画像を用いて丁寧に説明していただけました。名古屋大学での形成外科の実習は決して長くはなく、その科について十分に理解することができたかというとそうではなかったので、こうして1ヶ月回ることで形成外科という科の守備範囲の広さを窺い知ることができました。また、病院近くのホテルの最上階にも分院を持っており、主にプライベート患者の美容整形手術を行っていました。週に一回教授が手術を行いに行っており、その手術に参加させてもらったりもしました。

私の留学生活は以上のように過ぎていきましたが、総じて周りの人々の優しさに救われ、自分から積極的に動くことの大切さを学んだ日々でした。先生達もお忙しい中、自分の拙い英語の質問に耳を傾けその質問に丁寧に答えてくれました。また、寮の人や街の人もドイツ語を話せない自分を突き放すのではなく、理解しようと努めてくれました。このような恵まれた環境で実習を行えたことを幸運に思い、この経験を今後の自分へと生かしていきたいと思います。
 最後になりましたが、このような貴重な留学の機会を作ってくださった粕谷先生、長谷川先生をはじめとした国際連携室の皆様、西尾さん、学務の方々ならびに今回の派遣留学にご尽力された関係者の方々やFreiburgの多くの方々に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

フライブルグ大学での実習を終えて

中村 元気

私はこの度、平成28年度海外派遣臨床実習プログラムにて、ドイツ南西部に位置する環境都市フライブルグに在るフライブルグ大学にて3か月間留学をさせていただける機会を頂戴した。突然だが私はオリジナルなどについてはめっきりめっぽう興味が沸くタイプの人間で、「日本の医療はドイツから来たモノとは数数聞くし、日本の昔のお医者のカルテはドイツ語で有ったそうだ!だから其れとなく興味がある。」というような少し幼稚かもしれないような興味でドイツに留学に行ってみたかったのが発端で応募させていただき、晴れてその機会をいただけたという次第だった。もともとこのプログラムは大学入学前から知っており、その当時はアメリカが医療の最先端の模様なので、それだけの漠然とした思いでアメリカに行きたいなという気持だったが、以上のように応募の時期にはドイツに留学したいというように変わってきた。これには、志望科上ドイツには将来あまり留学に行く機会がない?(これはわかりませんが応募時にはそう判断した。)のであろうことと、アメリカは将来学会発表などでも行く機会があるでしょうし、将来の自分の進む進路においてfixした後に「~が勉強・研究したい」というふうに訪れたいと思ったので、今回学生としては何より医師になる寸前のこの時期に日本医学のルウツであるドイツへと留学がしてみたいと思い本プログラムに参加させていただいた。

今回の留学では、心臓外科と整形外科(trauma surgery)はフライブルグ大学病院、一般外科と麻酔科ではDiakoniekrankenhausという大学病院の近くの市中病院にて実習をさせていただいた。ここで加えて、ドイツの医学教育の観点で一筆入れさせていただくと、ドイツの医学部は日本と同じ6年制だが、日本と実習などのシステムが少し違う。5年次には日本のポリクリと同様に幾つかの科を何週間ずつかrotationして、6年次には自分の決めた科・病院にて少しだけ給料をもらいながら実習を行い、言わば研修医と学生の間のような状態で過ごしている。実際に病院で働いているため薬や注射の用量だとかも熟知しており実際に麻酔科ではその学生が薬剤投与なども行っていた。こういったように海外での医学生がどのようなシステムで学んでいるかということを知ることも当初の目的だったのでこの点についても現地の医学生とともに実習することで垣間見ることができてよかった。それでは、それぞれの実習について述べていこうと思う。

まずはじめに、4/4から一般外科を4週間rotationさせていただいた。内容としては、朝集合してから軽い回診を行って、次にカンファレンスを行い当日のop予定の話や前日のERでの症例のコンサルトなどを行っていた。患者さんと話すときやカンファレンスなどはすべてドイツ語で、この時間はなかなか内容を把握するのに苦労してわからない内容などは先生に尋ねた。そのあと教授回診が行われ、手術に行く人・ERに行く人に分かれた。手術では主に鼠径ヘルニアやGERDや胆嚢炎、大腸癌などビールを飲み肉を食べ恰幅のいい人の多いこの国では納得のいくような症例ばかりや甲状腺腫瘍などであった。ここでは助手として清潔野に入らせていただいた。ERに行くと大抵一人の先生について術後の人の管理を行う外科の外来のようなものや、虫垂炎や精神科的な疾患の人、骨折などあらゆる患者を一緒に診させていただいた。私はエコーが練習したい・見たいと言ったら、実際に患者相手にやらせていただいたり見学をしたりできた。やはり市中病院だからかかなりやらせてもらえるなと思った。こちらの外科の先生方はとてもよくしていただきドイツ語というバリアもありながら、ディナーに呼んでいただいたり(もちろんビアレストラン)、とても楽しく有意義に過ごすことができた。

次に、大学病院にて整形外科(trauma surgery)で4週間rotationさせていただいた。大まかな流れは朝集合してから病棟回診を行いカンファレンスにいきそれぞれ外来や手術に行くというものであった。ここでも、大学病院であるものの医師の数が少なく毎日1-2件の手術に入らせていただいた。外来手術室のような橈骨骨折の固定などの軽いものから、高エネルギー外傷での骨盤骨折の固定の手術やspinal surgeryの手術にも入らせていただきとても勉強になった。外来ではspinal surgeryの教授につき神経診察を学ばせていただいたりした。ここでは、メンバーの一員として手術の助手としてたくさん勉強できたのではないかと思う。

さらに大学病院では心臓外科に1週間rotationさせていただいた。科の関係上あまり手術には入ることができなかったのでカンファレンスに参加して教授の講義に出席したり手術の見学をさせていただいた。講義はかなり臨床に即したものでありドイツ語であったが言葉の関係上わからないこともあったがとてもわかりやすく思えた。手術はここでは弁置換術や補助人工心臓の移植が多かったように思えた。また、教授にフライブルグ大学のハートセンター(ヨーロッパ最大)までクラシックカーでドライブして連れて行ってくださり、そこでは弁置換の手術に入ったりなどとても貴重な経験をした。

そして最後に、市中病院にて麻酔科を3週間rotationさせていただいた。ここも毎朝手術やICUに関するカンファレンスをした後、それぞれ担当の手術に入ったり、外来を回したりしていた。そしてその中で主に私は手術室で麻酔管理を見学補助したり、心電図診断の訓練、導入における各種手技(気管挿管、ルート、NGチューブ、人工呼吸器の設定)などをさせていただいた。やはり市中病院だからか数多くの手技を経験させていただきとても勉強になった。症例に関しても、一般外科から始まり整形外科、乳腺外科、産婦人科など様々なものの麻酔に携わらせていただきこれもとても勉強になった。

今回の実習を通して、積極的に動かないと、もしくは自身の存在を示さないとなかなか学べないような環境しかも文化も違うようなこの場所で生活・実習ができたことで、自然と積極的になり且つ自信を持つことができるようになった。この経験を生かし一生勉強と言われるこの医学の分野で一石投じようと思える気概を育むことができた。また、この3か月間の中でドイツでの実習についてしておいたことが良いと思ったことをまとめる。ドイツ語の勉強は中途半端となったが、実習に関しては然程困らなかった。しかし医学英単語などは意外にすぐにでないものがありこれはとても困った。なので、次回ドイツに行かれる方は生活上必要なドイツ語(自己紹介・店での注文や挨拶などなど)くらいに絞って喋られる程度にして、医学英単語などをしっかり勉強していくことをお勧めしたいと思った。

最後に、このように充実した3か月を過ごすことができたのは、粕谷先生や長谷川先生を初めとする名古屋大学の先生方、西尾さんを初めとする事務の方々、そしてフライブルグ大学のForeign Officeや各科の方々、最後に何と言っても一緒にフライブルグ大学へと行った桐山くんやその他関係者の方々のお陰であります。この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。


お世話になった一般外科の先生と

お世話になった麻酔科の先生と

臨床実習 上海交通大学

青柳 泰史

上海での実習, 実践:7:45から会議それから読影室で実習(OSCEスタイルで私が一枚一枚所見と診断を述べ、attendingが答える形式)19時には帰えりました。先生は22時過ぎまで残業している日もあり、忙しいです。3交代365日体制が基本でした。朝、昼、晩すべて病院の食堂で食べ、昼、夜は監督者同席でした。
 瑞金医院のRadiology部門はCT,MRI,radjographの読影を意味し、IR, Rad-on, US, nuclear medicineは別の専科ということでかなり細分化されており、特に腹部(膵臓)が主体でした。診断学の神と呼ばれてる缪先生からSQUIRE'S FUNDAMENTALS OF RADIOLOGYと同じくらいの分厚さの膵臓と小腸の高級な画像集2冊も贈呈していただき、夜な夜な知識を深めました。 また休日もEmergency Radiology(主にMSK、KUB、Chest radiograph)に参加し、徹底的に学びました1日147imagesの日もありました。。日本では胸単など休日はon-callの仕事、平日も読んでなかった気がします。その辺は違います。印象的な症例はvariant anatomyの一種であるazygos lobeでした。
 会議はneuro, bodyは理解できるもしくは知っているが、MSKになると厳しいかと今後の課題も見つかり残念なことに知識に穴が見つかり、改善に努めました。
 その結果その甲斐もあり、そして事前準備のおかげもあり、瑞金医院独自の評価表はGrade95/100をいただきました。良い成果を私自身が得たと感じそして客観的にも評価していただきました。

TCMでの実習:2weeksの実習で、ここではNew York, URMCからの留学生(4年)と同期になりました。ここに来て初めての同期で心強いものがありました。8時からTable roundがありその後TCM oncologyの病棟を回り、患者を回診しました。西洋のtechも導入されており、Palliative care unitとしての役割、family medicineの役割、臨床試験もやっていました。TCMでは、治験中のHerbもたくさん見せていただきました。Physicalも取らせていただき、特に、右の橈骨動脈(やり方もBraceletタイプを学習しました)、そして舌を見るの基本の診察を教わりました。
 午後はTCMのtuina departmentに行き、マッサージを実際に患者さんにさせていただきました。筋肉をリラックスさせる目的です。先生方は恰幅がとてもよく腕も太く力が入っているても、力んでなくしなやかで印象的でした。私もこのような形で臨床の現場に参加でき、勉強になりました。それ以外にも、関節可動域をf/uしたり、器具を使って体幹矯正したりしていました。
 他にもoutpatient、TCM pharmacy, moxibustion, acupunctureの実習に参加させていただきました。Acupunctureは西洋(米国では保険適応らしいです)、日本で行なわれているものと違い、針が穿刺が深く結構痛い点が挙げられます。TCM theoryはWMと違いますが、5000年の歴史の中で、ここ半世紀で西中の融合起こっています。私はこの科では、医療面接、診察の基礎、そして中医の5000年の歴史、概念を学び、将来の医師として幅ができました。

その後、神経外科に1w伺いました。回診後、初日から, Jannetta手術に2件とも術野で助手をさせていただきました。2件目は1件目よりも向上した技術を求められました。例えば、1件目はLeicaにカバーを被せるのを見学するだけでしたが、次には、私がやりました、1回目で見て技を盗む、2回目は自分で出来る。常にこの思考で取り組みました。名大と違い、オペ着は学生服ではなく、常に医者と変わらない格好で色も同じなので、名大ではオペ看がやる仕事をやったりする場面もあり、臨床に参加している責任を感じました。Jannettaも、3件目からは、皮膚縫合もやらしていただきました。異国の地で、縫合させてもらうのは本当にいい経験になると同時に自信が持てました。手術に入る以外にも、監督者の先生が行うspecialist外来に参加しました。監督者はご専門では、China#1の手術技術、成功率であり、瑞金病院には全国(北西Uyghurから南東Wuhan)から患者が来ていました。他の医院で受けたオペでは、治らないから来たという方が多数でした。問診の他、持参の他院CTの読影を行いました(Neuroradiologyで培った知識を他科でも生かせ、自信につながりました)。また特に神経外科は海外との交流があるようで、私の監督者は上海のアジア学会で学会長もなさり、この会には日本からも20名参加されるそうです。私が神経外科に実習に行ったことにより、交流も広がり、さらに名古屋大学医学部のinternational reputationに貢献したと心から思います。

呼吸器疾患科の実習:2wの実習で、上海での実習の中で、現地の学生と接し、共に、実習する機会はこの科が最初で最後でありました。
 実習は7時30分からtable round、そして回診を行い、その後、学生の仕事として、血圧測定やEKGなどを行いました。
呼吸器内科の先生から、日呼吸器会の雑誌の翻訳を頼まれ、手伝ったりすることもできました。これはPubmedにないが、どうすれば良いかと聞かれた時もあり、なかなか困りました。日本語の論文はもちろんPubmedにはないでしょう(あるかもしれません)。当時世界で35例、日本で3例しか報告がない疾患でした。治療方針も困難極まることが予想され、患者にとっても悲劇です。
 その他、3年生のうちから、combined lecturesとして、朝、座学、症例検討するために、昼から病院実習を行っており、上海でも特殊であるそうです。驚きました。問診を取り、その後、症例について発表しておりました。

Department of hypertension and Shanghai Institution of Hypertensionでの実習
8時からtable roundでその後、回診に行き、12時からpanel discussionを行い、そのまま研究室で、実習を行いました。外来にも、参加しましたが、ここでも研究資料を集めており、精力的に研究している印象でした。高血圧科は私たちの名古屋大学附属病院では、独立した科ではないので、とても勉強になります。腎臓、内分泌、神経、循環器、呼吸器、産婦、眼科などに該当する疾患を診ました。また高血圧研究所も中国で5カ所以下しかなく大変貴重な経験をさせていただいております。日本では、ABIが有名な高血圧の指標の一つですが、それ以外にも、数多くのパラメーターがあり、一つ一つ検査方法や、outcomeの意味することを理解することからはじめています。アジアでは、欧米と食生活が異なるため、欧米の基準値、目標値をそのまま当てはめることは参考にはなるが、あまり意味がないことは周知の通りであります。例えば、塩の摂取量は、圧倒的に、東アジアが多いです。同じアジアであれば、ここで学んだことを活かせるのではないかと思い、日々の学習に取り組んでいます。

生活
寮から瑞金医院まで徒歩10分以内。課外活動は現状実習が非常に忙しくタフだったこともあり出来てません。寮に上海交通大学医学院の1年生の邦人が1人いて、ここで邦人にあったのは初めてです。親睦を深める予定です。さらっと経歴を聴いたところ、大阪、サンディエゴ、上海での生活経験があり20代前半にもかかわらず、経験豊富です。私が困った時は、助けていただきました。

(小結)
 瑞金医院単独で、5診療科で実習しました。日本人は1ヶ月を基本とし、3ヶ月は初めてであると伺いました。上海で随一の病院であり、有名な先生であれば、1日に100人もの患者を問診し、年間で300万人近く問診数だそうです。実際に参加した時の次から次へと矢継ぎ早に押し寄せる患者、またエレベーターの長蛇の列、そして22階建てのクリニックにはただただ驚きました。その他に1700床の病棟もあり言葉がありません。


ハッピーイースター

MIT

国立台湾大学留学体験記

山口 克弥

私は、3月から6月にかけて12週間、国立台湾大学に留学させていただきました。台湾は、日本との関係が深く、国立台湾大学も、旧植民地時代に作られた台北帝国大学を前身としています。以前から、国立台湾大学では英語での医学教育が盛んで、多くの学生が英語を流暢に話せると聞いており、そんな環境の中で自分も英語の力を高めたいと思い、国立台湾大学への留学を希望しました。実習では、放射線科画像診断部門、産婦人科、放射線科核医学部門、麻酔科で3週間ずつ学ばせていただきました。

画像診断部門では、早朝の抄読会、カンファレンスに始まり、現地の学生とのレクチャーや画像撮影の見学、カテーテル治療の見学などをさせていただきました。特にカテーテル治療については、脳血管カテ、肝臓癌に対するカテ治療など日本ではなかなか見られない症例を見ることができました。

産婦人科では、現地学生とのレクチャーや手術の見学、通常分娩やカイザーの介助、市内の産婦人科クリニックの見学などをさせていただきました。台湾では、羊水穿刺による胎児の染色体診断が盛んで国が助成金も出しているとのことで、日本との違いを感じました。台湾人だけでなく、日本からわざわざ診断を受けに来る人もいるとのことで、産婦人科分野での台湾大学の能力の高さが窺えました。

核医学部門では、担当症例の画像診断についてプレゼンを行ったり、現地学生とレクチャーを受けたりしました。レクチャーでは、まず、その日学修する内容についてのスライドを自分で作り、そのスライドを使って自分で説明をしたり、先生が補足説明したりするという方法をとっていました。日本ではまず見られないやり方で、やっていてとても楽しかったです。

麻酔科では、手術室の見学を主にさせていただきました。台湾では、一人の麻酔科医が同時に複数の手術を担当するそうで、日本との違いを感じました。見学では開胸手術、カイザーの硬膜外麻酔、小児の麻酔などを見学させていただき、麻酔の打ち方についてのレクチャーを受けさせていただきました。また最終日は、朝のカンファで、日本の麻酔科医と医学教育についてのプレゼンも行いました。

実習以外にも、休日は台北市内の散策、地方への旅行、海外旅行、台湾新総統の就任式典の見物などをして、台湾や海外の雰囲気を存分に楽しめましたが、3か月では物足りなかったという気持ちもあります。実習、実習外問わず、中国語という言葉の壁を感じることはありましたが、同時に台湾の先生方や学生、台湾の皆さんの優しい心遣いに助けられ、大変充実した留学にすることができました。

今回の留学で、海外の医療現場の一端をかいま見、海外の学生がどんなことを考えているのかを知ることが出来たとともに、海外から日本の医療がどのように見られているのかも知ることが出来ました。この経験を、自分の医師としてのキャリアに直接的に、あるいは間接的に役立てられるよう、より一層精進していきたいと思います。最後になりましたが、このような素晴らしい機会を与えてくださった、国際連携室の先生方、学務の方々、留学奨学金の関係者の皆さんに心から感謝します。本当にありがとうございました。

台灣大学での留学体験

唐澤 ゆうき

私は今回の留学プログラムの機会を利用して台灣に留学しました。台灣は名古屋から3時間弱のところにある日本の隣国で、人口2400万人ほどの島国なのですが、年に400万人近くも日本を訪れる日本の友好国の1つです。私自身も何度か台灣に旅行したことがあり身近に感じており、また中国語も上手に話せるようになりたいとも思っていたので、台灣にぜひ留学したいと思っていました。

2月28日に台灣に入国し、台灣大学の景福会館に入寮しました。実習開始の2週間前に到着したのは、現地の語学学校に通って中国語会話に慣れたいと思っていたからです。現地ではTLIという語学学校の個人レッスンを受けました。3月14日からEmergency Medicineで4週間、Family Medicineで4週間、産婦人科と小児科で2週間ずつ実習しました。現地の患者さんから拙いながらも中国語で問診をとったり、先生と疾患について議論したりしたことはとても良い経験になりました。また、休みを利用して台灣一周したり、香港や廈門に旅行に行ったりして現地の文化を体験したりしました。現地の人が現地の言葉を話している中で、中国語で話しかけても中国語で会話できるという体験は、会話人口が多い中国語の強さを感じ、自分がいかに狭い世界の中にいたのかを身をもって体感しました。

今回このような貴重な留学で人生の糧になるたくさんの経験を得られたのは、長谷川先生や粕屋先生、応援してくださったフロンティア会の先生方、台灣大学のI-Wen Chang氏、Rui-Sheng Yan先生やShin-Yu先生、Chin-Der Chen 先生やShao-Yi Cheng先生、景福館のルームメートや現地の学生や留学生のおかげです。本当にありがとうございました。この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。


家庭医学部で集合写真

香港中文大学留学体験記

平賀 孝太

2016年6月の1ヶ月間、香港中文大学に留学した。今までに名古屋大学医学部から留学した人がいないことや、急遽決まった留学先ということもあり、慌ただしく香港に旅立つことになった。今になって思えば、もう少し香港の母国語である広東語や、香港の文化についてなどを多少なりとも学んでから行くことができれば良かったなと思う。事前の準備不足は否めず、留学期間もたった1ヶ月間ではあったが、アジアの他の国の医療を見ることができ、とてもいい経験ができたと深く感じている。

香港の医療体制はとても興味深かった。香港には大きく分けて、Public Hospital と Private Hospitalがある。Public Hospital では、一回受診料がHK$100で済み、これは、例え大規模な手術を受けたとしても変わらない。入院費としても1日あたり同額ほどらしい。しかし、値段は安い反面、医療を受けるまでの待ち時間はとても長い。私が実習を行ったPrince of Wales Hospital では、外来は、有症状であって、最短で半年待ち、無症状であれば、1年以上は待たないといけない。手術の待機時間は3年以上などもある。そんな医療へのアクセスの悪さのためか、上部消化管外科の外来の見学で、腹部に目で見て分かるほどの膨隆をつくる腫瘤を持った患者が、半年ほど前から気づいていたが、やっと受診できたと言っていた時は衝撃的であった。このような医療を受けるまでの待ち時間をなくすためには、Private Hospital に行かなければならない。Private Hospital は文字通り、個人営業の病院であり、その医療費に国からの補助は出ない。そのために患者が払う医療費は莫大なものになる。つまり、お金がある人は待たずに医療が受けられ、お金のない人は長いこと待って医療を受けるしかないのである。胆管結石による発作で入院していた患者が、入院で痛み止めはもらえるが、手術をしてもらうには9ヶ月待たないといけない。これから、仕事をしていく中で、いつ発作が起きるか不安だ、と言っていたのは印象的である。日本の医療の手厚さを痛感した瞬間であった。

香港は昔イギリス領であった。そのため香港の医療はイギリスの医療に強く影響されている。身体診察を重んじるのが、イギリスの医療だと言い、実際に、学生への指導も身体診察に力を入れていた。外来に来た患者を視診、聴診、触診、打診とさせ、その所見を細かく聞く。その後に、考えられる鑑別疾患を挙げさせ、その後の対応まで事細かに学生に問いていた。先生方の指導への熱が感じられ、また、問いている内容がとても実践的なものであると感じた。

先生や学生が全員英語を話すことができたのは印象的であった。イギリス領であった影響もあり、香港の大学は基本的に英語で授業が行われる。つまり英語ができないと大学に入ることはできない。そのため大学に入れる人達は英語を話すことができるのだ。彼らは母国語である広東語に加え、英語を話すことができ、加えて、北京語も話すことができる。3つの言語を話す彼らに対し、英語すら覚束ない自分を恥じる場面はとても多かった。しかし、そんな彼らを知ったおかげで、自分の中で、「英語は話せて当たり前」という考えが、強烈に焼きついた。これからもこの気持ちを忘れることなく英語をより上手に扱えるように努力していこうと思う。

今回の留学で、私はUpper GI & Metabolic Surgery を回った。印象的であったのは、日本から取り入れている技術が多いということだ。腹腔鏡や、香港では消化管の内視鏡検査や、治療は外科医が行っているのだが、その内視鏡、また、それらを映し出すスクリーンなど、日本製のものばかりであった。それだけではなく、手術や、内視鏡のテクニックなどで、日本の医療から学んだと先生が言う場面が多々あったことも印象的であった。他の国から日本の医療が高い水準のものだと思われていることを知り、自分の国の医療を客観的に見直すいい機会となった。

先生や学生は英語が話せるが、患者は広東語しか話せない人がほとんどである。現地の学生の助けなしでは、香港での実習は成り立たなかった。親日的な人が本当に多く、色々な場面でとても助けてもらった。日本に興味がある人ばかりで、日本に生まれたことを誇らしく思ったりもした。

今回の留学で、アジアの他の国の医療を学び、また、現地の人たちと接することで、日本の医療、日本の文化などを改めて考えさせられた。自分の国を客観的に見直す良い機会が得られて本当にためになったと感じている。留学は単に言語を学ぶためだけのものではないと本当によくわかった。今回の留学での体験を忘れずに、広い視野をもって、これからの人生を歩んでいきたいと思う。

最後になりましたが、今回の留学は、自分一人では決して成り立ちませんでした。急な留学先変更にも関わらず、このような貴重な機会を与えて下さった名古屋大学の先生方、国際連携室の方々、学務課の方々、先輩方や、同級生、家族、香港中文大学の方々など、支えてくださった全ての方に、心より感謝を申し上げます。


香港中文大学キャンパス

Flinders Medical Centre 留学体験記

森田 皓貴

私は、オーストラリア、サウスオーストラリア州の州都、アデレードにある、Flinders Universityの附属病院、Flinders Medical Centre (FMC)にて、12週間の臨床実習を行いました。アデレードという街と、FMCについて、また実習の様子と現地での生活がどのようだったかについて報告しようと思います。

まず、アデレードという町について紹介します。人口100万人ほどの街で、車で30分西へ向かえば美しいビーチに、東へ30分向かえば自然豊かなヒルに行くことができる、コンパクトでとても住みやすい街です。いろいろな国々から移民してきた人々が住み、人々は優しく、治安はとても良いです。

FMCはアデレードの南部に位置し、アデレードにある最も大きな病院の一つです。病床数は約600床です。私は救急科(ED)で12週間実習させていただきました。FMCのEDには年間74000人の患者が来院します。設備は大きく、医師の数も多く、日本のEDよりも発展している印象でした。救急科医師は合計60人ほどで、3交代のシフト制勤務でした。シフトのつなぎ目ではしっかりと引継ぎが行われており、医師の労働条件も整備されている印象でした。また、毎週各曜日ごとにteaching seminarがあり、日々のEDで経験した興味深い症例を共有したり、模型を使用してシミュレーションのトレーニングを行ったり、日々医療の質を向上するための勉強会がたくさん開かれていました。指導体制が整っていることを感じました。

私の実習の様子についてです。最初の3週間は特定の医師について回るshadowingのような形式で実習を行い、EDの仕組みや人に慣れることからスタートしました。残りの9週間は、3週間ずつ3つのエリアで実習を行いました。主に患者さんを一人で問診、診察を行い、doctorにconsult。その後、一緒に診察を行ってFeedbackを受けるという形でした。また手技があれば先生の指導のもと、実際にやらせてもらいました。例えば末梢ルート、ナートなどです。機会があれば、動脈血ガス、尿道カテーテルなどもやらせてもらえます。

先生方はとても優しく、私の拙い英語を一生懸命聞いて理解しようとしてくれますし、僕が理解できるまでかみ砕いて教えてくれます。それだけでなく、会うたびに声をかけてくれますし、一緒に働いた後は必ず、Thanks for your help.と声をかけてくれます。まるで、学生としてではなく、一緒に働いているメンバーの一員として扱ってくださって、そのおかげで私は積極的に参加することができ、自信をつけることができました。

FMCのEDは雰囲気がとても良かったです。仕事場以外でも月に一度程度、EDのメンバー(DoctorやNurseやその他スタッフ)でパーティーをしたりしていました(私も一度参加させていただきました)。Doctorどうしだけでなく、NurseとDoctorも名前で呼び合っており、一人一人がそれぞれチームの一員として認め合っているのだと感じました。

実習を通して、私が将来目指すべきと思える医師とも出会うことができました。その先生は患者に対してもスタッフに対しても非常に紳士的で、同じ目線で話をし、患者にとってベストは何かといつも考え行動する医師でした。先生から私は医師として働いていく上での核となるものを教わったように思います。

現地での生活も非常に充実していました。私は現地の男の子2人とshare houseをしました。2人ともとても優しく、たくさん話しかけてくれ、何かパーティーやイベントに参加するときはいつも僕も一緒に来ないかと誘ってくれ、そしていろいろな場所へ連れて行ってくれました。彼らのおかげで、僕の英語は上達し、アデレードのことをよく知ることができ、そして彼らの価値観や考え方を知ることができました。彼らと過ごした時間は一生忘れられない思い出となりました。

実は留学に行く直前、私は留学に行くということをとても不安に思っていました。自分の英語力は良いとは言えないレベルでしたし、医学知識でさえ不十分ではないかと考えていました。それでも現地の人々に助けられ、多くのことを学ぶことができ、今回の留学は間違いなく私の今後の人生に影響を与える経験となりました。最後になりますが、粕谷先生、長谷川先生をはじめ国際連携室の皆さま、そしてアデレードで出会った人々、家族や友人にこの場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


シェアハウスでの記念写真