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(順不同、以下原文まま)

アメリカ Tulane 大学留学体験記

石川稜恭

この度、私はアメリカルイジアナ州ニューオーリンズにあるTulane大学へ三ヶ月間留学して参りました。ニューオーリンズはアメリカ南部に位置し、黒人が非常に多い街です。 Jazz発祥の地としても有名であり、街には音楽があふれ、非常に陽気な雰囲気があります。4月から7月にかけて留学させていただき、ここでの経験は非常に大きなものとなりました。

一ヶ月目は呼吸器内科/MICUをローテートしました。ここには日本人の先生がアテンディングとしていらっしゃったこともあり、実習に関しては相談に乗ってもらえました。最初の二週間はコンサルチームに配属され、後半の二週間は希望してMICUを実習させてもらいました。コンサルチームは、基本的に他科で呼吸器疾患を抱えている患者についてのconsultを受けます。自分にも担当患者を振り分けてもらい、回診前に自分で所見をとってアテンディングにプレゼンをするということも経験出来ました。日本では珍しい嚢胞性線維症の患者も割り当てられました。また、MICUでは非常に多くの患者を抱えており、毎朝7時からフェローについて本回診の前にプレ回診を行いました。マンツーマンで各患者について教えてもらえ、非常に勉強になったと実感しました。また、MICU のスタッフはモチベーションの高い人が多く、自分にとって良い刺激になりました。

二ヶ月目は循環器内科を選択しました。循環器は自分が将来考えている進路の一つでもあるので、積極的に取り組めました。コンサルチームやCCUだけでなく、多くのチームがあり、カテチーム、心不全チーム、エコーチームなど細分化されていました。その分、ドクターたちは自分の仕事に集中し、高いパフォーマンスを維持している印象を受けました。 私は、呼吸器と同じようにコンサルチームとCCUチームをローテートしました。基本的にフェローについていましたが、コンサルのない時はNEJMやup to dateなどの課題を与えてもらい、フェローにプレゼンしたりしていました。エコーについても、日本のポリクリで学ぶ以上の事を教えてもらえました。非常に熱心で厳しい先生で、途中嫌になることもありましたが、大きく成長できたと思います。 三ヶ月目は病理を選択しました。病理には日本人の先生がいらっしゃり、実習科が決まらないときに相談したところ、融通をきかせてもらえました。外科病理をローテートしましたが、sign outや切り出し、迅速診断など様々な標本を見せてもらえて非常に充実していました。たくさんの臓器の構造や診断名、病理像などが英語で会話されるため、自分の医学英語の語彙が大幅に増えたと思います。毎日のdutyなどはなかったので比較的時間はありましたが、その分実習中は集中することができました。また、標本をチーム全員で見な がら所見をディスカッションしていて、和気あいあいとした雰囲気だったの覚えています。

今回留学をしようと思ったのは、海外の医療はどうなっているの、実際に見てみたかったからです。三か月もの間海外で実習させてもらえる経験は本当に貴重だと思いました。6年生で海外留学できるプログラムがあるということは入学当時から知っていましたが、 部活に打ち込んでいたのもあり、最初は本気で考えていたわけではありませんでした。しかし、自分の一つ上、二つ上の先輩が何人か部活でいらっしゃり、留学から帰ってきていきいきと留学経験を語るのを見て、本気で目指そうと思い始めました。ただ、5年生になってから英語の勉強を本気で始めたため、留学前には留学前研修会も開いていただきましたが、多少英語力に不安を持つ中出発を迎えることになってしまいました。しかしながら、 現地でも様々な人に支えられて無事留学を終えることができました。今回の派遣留学を通して多くの経験が得られました。患者さんへの問診やドクターへのプレゼン、カンファレンスの参加など、英語についていけないこともありましたが、この経験は将来必ず活かされてくると確信しています。また、アメリカのモチベーションの高い医学生やドクターと接し、話をすることで非常に刺激を受けました。日本にいては絶対にできないこの経験を今できたことは、一生の財産になると思います。

最後になりましたが、今回貴重な機会を与えて下さった名古屋大学の先生方と、国際連 携室、学務課の皆様、国試前の忙しい中サポートして下さった先輩方や、同級生、家族、Tulane大学の方々に心より感謝いたします。


共に留学したメンバーとベニエ

アメリカにトビタってみて。

石山顕信

4年次のソウル大学に続き今年度はアメリカへ派遣させていただきました。名古屋大学の留学プログラムに加え、文部科学省が主催するトビタテ!留学 JAPAN日本代表プログラムにも選抜され、日本代表としてアメリカで学んできました。アメリカではNew OrleansのTulane UniversityとBostonのMassachusetts General Hospitalの2箇所で学びました。最終学年の臨床実習の集大成として海外で実習できたことは大変貴重な体験となりました。 楽しい事だけでなく辛い事も多かったですし、失敗ばかりの4ヶ月間でしたが、非常に良い経験をすることができました。

Tulane Universityは名古屋大学の協定校の中でも最も交流の歴史が長く活発な大学です。今年度は名古屋大学から5名、Tulane Universityからは6名が留学しました。低学年時より留学生との交流を活発にしてきたので、現地にも友人が数人居ました。彼らがどのように学んでいるか、どのような学生生活を送っているのか自分の目で確かめたいと思い、Tulaneへの留学を決めました。さらにTulaneの位置するNew Orleansはジャズの発祥地であり、ジャズバーも多数あります。さらに音楽や風土料理のフェスティバルも頻繁に開催されています。日本でバンド活動もしていた私にとっては実習だけでなく余暇も楽しめそうだと感じたのもここを留学先に選んだ理由の一つです。Tulaneでは整形外科、麻酔科、泌尿器科で実習させていただけました。整形外科ではJoint, Trauma, Food & Ankle, Sportsの4つの班で実習でき、様々な分野を見られたのはとても貴重な経験となりました。私は外科系志望であり将来麻酔の知識は必要になると考え、麻酔科での実習を選択しました。麻酔科ではレジデントについて麻酔の導入を手伝いました。術前回診を任せてもらえたり課題を与えられてそれについて話し合ったり、最後には現地の学生と同じようにプレゼンテーションをする機会も与えられて非常に有意義な実習となりました。最後に実習した泌尿器科では日本ではあまり行われていないロボット支援による腎臓摘出術を多数見学 できました。ロボット支援手術にも興味があり、上級医がマンツーマンで手術について指導してくださったり、ベネズエラからロボット支援手術を学びに留学にきている医師とも知りあえたり貴重な経験ができました。

次の留学先のMassachusetts General Hospital(通称 MGH)はHarvard Medical Schoolの教育病院でありさらに本年度は全米第1位の病院にランクされた世界的にも有名な病院です。腎臓移植にも興味があり、MGHの移植外科にいらっしゃる河合教授にお願いしました。朝はカンファレンス、回診に始まりその後は手術見学をメインに、手術がないときは研究室に通いました。研究室には北海道大学からいらっしゃる先生と知り合えたり、研究ではまたサルを用いた腎臓、心臓同時移植を見学できました。手術は腎臓移植やシャント手術を主に、肝臓移植や肝腎同時移植も見学しました。さらに、心停止ドナーの臓器摘出を見学するために隣の州の病院に連れて行って頂けました。河合先生の外来も見学させてもらえ名大病院でのポリクリでは運悪く移植の見学ができなかったので非常に有意義な時間を過ごせました。まず英語に慣れるのに必死で、さらに術野に入るためのScrubbingの方法も日本とは違い戸惑いました。少しずつ慣れてくるとUp-to-dateや論文を読む余裕も出てきて、実習中に興味の出た内容に関して文献検索したり読んだ内容に関してレジデントと話したり、術前回診を任せてもらえることも増えてきました。外来でも予診をさせてもらえたり、日本ではあまり見学できない症例を見学することも出来ました。ただ、それでもやはり英語のハードルは高く医学を学ぶ効率は日本で学ぶよりは悪かったように思います。さらに事務手続きや飛行機の遅延など勉学以外にも物事はうまく進まないことも多くありました。その中でも必死に食らいついて学べたり、自ら交渉したことは良い経験となりました。さらに現地での出会いも日本では経験のできないことではないでしょうか。初めは現地で少しでも多くの友人をつくるために、現地学生のFacebook Groupに加入して自己紹介したりパーティを企画しました。そのおかげで、苦労しているなか相談に乗ったり助けたりしてくれる現地の友人に出会えたことは留学に来たからこそ 出来たと何より感じます。Bostonでの滞在先がTulaneでの実習が開始した後も中々見つかりませんでした。New Orleansで知り合った友人がBostonでレジデントをすることになり、そこに1 ヶ月間滞在させてもらえました。BostonではHarvard Medical Schoolの学生と一緒にRotation出来、助けてもらいました。やはりHarvardの学生は勉学への意欲が旺盛で、最後に良い刺激を受けることが出来ました。以上のように出会いに恵まれた留学生活を送ることができました。New OrleansとBoston は同じアメリカ合衆国といえども全く文化も景色も人々も全く異なりました。全く異なる「2つのアメリカ」を経験できたことも良かったです。

後輩に伝えたいことは、チャンスがあるなら是非学生のうちに海外に飛び立って欲しいということです。ただ医学を学ぶだけなら名古屋大学で学んだ方が効率的に学べます。それでもわざわざ海外で学ぶメリットは苦労しながら学んで逆境に打ち勝つ経験、日本ではできない出会い、海外での生活を経験し異なる視線から日本を見ることなどではないでしょうか。私も今回の留学を経験し将来に対する考え方を見つめ直すことができ、それに向けて今自分がしなければいけないことを考える良い機会となりました。海外留学にはやはり資金が必要ですがそのための奨学金も探してみれば複数見つかるはずです。私も同じように留学資金が心配でしたが素晴らしい奨学金プログラムに巡り合えてこのようにかけがえのない経験が出来ました。諦めずに果敢にチャレンジしてください。

最後にこの4ヶ月間の留学を支援してくださった名古屋大学医学部国際交流室の皆様、留学先のスタッフの皆様、さらに奨学金に関して支援をしてくださった文部科学省や支援企業の皆様そして名古屋大学東山キャンパスの国際学生交流課の皆様に御礼申し上げます。特に唐突に連絡したにも関わらず1ヶ月間面倒を見てくださったMGH河合教授には特に御礼申し上げたいです。私の人生さらに事前研修から留学中まで助けあえた交換留学生のみんな、家族には感謝しております。この未熟な私の留学を支えてくださった皆様、ありがとうございました。

Tulane University School of Medicine の実習を終えて

木村仁美

私は6/8~7/31までの8週間、米国ルイジアナ州のニューオーリンズにあるチュレーン大学へ留学させていただきました。

留学先を決めるとき、私はただ漠然とアメリカへ行きたいと思っていました。英語の勉強がしたかったのは言うまでもなく、アメリカは世界の中心であるという先入観や、アメリカに行けば最先端の医療が見られるのではないかとか、そんなことを考えていました。

6月の4週間は呼吸器内科をローテしました。MICUとconsultに分かれているのですが、私はconsultチームを回りました。気管支鏡検査や胸腔穿刺を中心に様々な手技を見学できました。課題を与えられて、それについてのプレゼンをする機会もありました。優しいFellowに恵まれ、非常にいい雰囲気の中実習を送れました。

7月の前半は病理をローテしました。あらゆる標本の作製や診断を見ましたが、一番印象的だったのは婦人科のTVM手術のメッシュの標本があがっていたことです。メッシュなんかをどうするのかと聞いたら、どうやらTVMの結果が患者の納得いくものではなく再手術 となり、前回の手術時のメッシュを裁判の証拠品として提出するために取って置きたいというものでした。さすがは訴訟大国アメリカです。余談ですが訴訟について掘り下げて聞いてみたら、日本では医師 30 万人に対して弁護士は 3 万人ですが、アメリカでは医師が約90万人に対して弁護士が100万人もいるようです。チュレーン大学も毎年、医師の二倍の弁護士を輩出しているようです。医師たちは弁護士のことをenemyと表現しており、高額の保険に加入して自分自身を守っているようでした。

7月の後半は産婦人科をローテしました。産婦人科は志望科なので日本でも長く実習しており、一番アメリカと日本の違いを実感できるかなと思ったことや、将来もし産婦人科に進んだときに海外の産婦人科で実習した経験はきっと自分にとって大きな価値のあるものになると考え、何度か断られましたが諦めずに交渉した末2週間回れることになりました。 日本人は世界的にもかなり勤勉と言われているし、日本にいたときは日本の医師は他の国の医師よりも長時間働いているのではないかと勝手に思っていました。しかしその考えは初日に変わりました。実習開始前日にコーディネーターから、産婦人科ローテをしている チュレーンの学生が私の住んでいるところに4:45に迎えに来てくれるという連絡が来ました。「…!?」となりましたが、最後の 2 週間だし志望科ということもあり、今までの実習よりも内容の濃い充実した実習が送れるはずだという期待でいっぱいになりました。病院に着くと朝5時にも関わらず、すでにResident は到着していました。しかも Night shift の医学生たちもいました。ポリクリ1で朝7時集合の科の時に、朝早いなぁと思っていた自分が情けなくなりました。拘束時間がすべてではないと思いますが、長い日は19時過ぎまで実習がありましたがその時もやはりResidentたちは残っていました。学生たちはというと、朝着いたら自分の患者を回診し、7 時からのモーニングカンファでのプレゼンの準備をします。カンファの後は各々外来見学であったりオペであったりと、それぞれの実習スケジュールを送ります。私も様々なことをさせていただき、BMI 45の患者の帝王切開もインパクトはありましたが、一番印象に残っているのは日本とアメリカにおける経膣分娩の違いです。経膣分娩を見学するために病室に入ったとき、妊婦はかなり余裕そうに見えたのにすでにlatent phaseに入っているというのです。なぜこんなに痛そうじゃないのかを聞くと、アメリカではほぼ全例が無痛分娩だと答えてくれました。日本では無痛分娩はあまり見ないというと、なぜ日本人は経験する必要のない痛みを回避しないのかと聞かれました。国によって考え方は様々なのだなあと改めて感じました。しかし同時に共通点もたくさんありました。出産の瞬間は、白人、黒人、アジア人関係なく感極まって涙したり、 歓声をあげたりしていました。医師も目の前の患者を助けるために緊急帝王切開をし、眠くても仕事が終わるまでは帰りません。当たり前のことかもしれませんが、私もあまり英語はわからないですが出産のときは涙ぐんでしまい、ご家族と自然と抱き合ったりしました。産婦人科ってやっぱり素敵だなと感じることができました。

8週間のローテを終えて私が感じたのは、漠然と感じていた“アメリカの医療は世界最先 端のはずだ”という先入観は必ずしも正しくはなかったということです。もちろん病院によると思いますが、少なくともチュレーン大学と名古屋大学の医療レベルの大きな違いは感じませんでした。一つ一つの手技の正確さなどでは日本の方が勝っていると感じるときもありました。しかしながら、医療システムや教育形態には大きな違いを感じました。アメリカでは、自分の加入している保険によって行ける病院が決まります。受けられる医療の質も変わってきます。私はLSU(Louisiana State University)病院でも実習をしましたが、州立大学病院に来るのは貧困層で、病院の設備や雰囲気含めて他の病院とは違ったものがありました。また病院における医学生の役割も日本でいう研修医のような感じで(もちろん 責任等で違うところもありますが)外来では初診を担当したり、病棟管理でも担当患者がいたり当直をしたりしていました。朝4時や5時に実習が始まることにも疑問は感じておらず、Residentたちも朝早いし普通でしょといった感じでした。一度大学を卒業してからでないと医学生になれないため社会人経験のある学生も多く、またunder graduateの時に何を専攻していても構わないので、ArtやMusicを専攻していたという学生もいました。そして医師も学生も世界各国の様々なBackgroundをもっており、外見だけで判断したら私も現地の学生と変わりません。文化が異なる人々が共存しているからこそ、アメリカでは自己主張をして自分が何を考えているのか周りに伝えないといけないと言っていました。その点で私は英語で自分の思っていることを全部は表現できないので、周りの雰囲気から取り残されていると感じることも多々ありました。また、ニューオーリンズが南部にあったことも大きいですが、スペイン語しか話せない患者も多くいました。スペイン語も話せる医師や医学生が数多くおり、彼らの中には、ヒスパニックの割合はどんどん増えていっているのでこれからは英語だけ話せても不都合になるに違いないと言っている人もいました。世の中の移り変わりを肌で感じ、今後の日本はどうなっていくのだろうかと少し不安にもなりました。

8週間、チュレーン大学で実習できて本当に良かったです。日本でのポリクリ 2と海外での実習を比較することは出来ませんが、学生最後の実習で、日本にいては絶対に気付けなかったことを多く知れたのは揺るぎもない事実です。これからの人生でこの経験がどう生きてくるかはまだ自分自身わかりませんが、きっと振り返った時にかけがえのない経験だったと思えるはずです。今回の留学にあたりお世話になりました国際連携室や学務課の方々、ニューオーリンズでお世話になった方々、全ての人に心より感謝しております。本当にありがとうございました。


ダウンタウンとチュレーン大学

Royal Adelaide Hospitalでの実習を終えて

木村仁美

私はオーストラリアのアデレードにあるRoyal Adelaide HospitalのBurns Unitにて、4/20~5/15まで4週間実習させていただいた。

Royal Adelaide HospitalのBurns Unitはとても有名で、あの壮大なオーストラリア大陸の約半分の土地からの熱傷患者を受け入れている。実習でRoyal Adelaide HospitalのBurns Unit を回ると決定したとき何か予習していかなければと思ったのだが、実際QBを開いてみても熱傷についてはチラッと載っているだけであり、人工皮膚移植についても2行ほど記載されているだけだった。名大のポリクリでも熱傷は見たことがなかったので、熱傷についての知識もあまりない状態で実習はスタートしてしまった。

実習初日、Burns Unitの先生にHi, Hitomiと呼ばれ処置室へ入ると、Nice to meet youと挨拶をしてくださった先生の顔にとりあえず目がいかないくらい衝撃的な光景が広がっていた。顔一面の熱傷で、真皮まで到達しており、耳や鼻もほぼなくなっているような患者がそこにはいた。「おお、これがここのBurns Unitで扱っている熱傷というものなのか」と衝撃を受けつつ、名大のポリクリでは学ぶことができないような内容がここでは学べるのだろうという期待も膨らんだ。

Burns Unitではfree flapやBiobrane(人工皮膚)を用いた熱傷治療が盛んに行われていた。現在の日本では人工皮膚を用いた熱傷治療は一般的には行われていないそうで、その点においても大変貴重な実習ができたと思う。またニュージーランドで産生されるマヌカ蜂蜜というものには殺菌作用があるらしく、デブリドマンをしたあとの熱傷にhoneyを塗ってVAC療法をするといった、日本では考えられないような治療を見ることができたのもいい経験であった。もちろん半年以上も入院しているような重症患者もいたが、4週間のローテ ーション中に入院から退院をしていく患者も数多くおり、創傷治癒の過程や、Burns Unitで働く医師たちのやり甲斐を肌で感じることもできた。
実習以外のことに関してだが、オーストラリアで出会った医師、学生、人々はどの人も本当に優しくて、同級生もおらず一人で留学へ行くことになった私にとってはとても嬉しく感慨深いものであった。アデレードは車がないと動きづらい場所であったが、私が一人で留学に来ていることを知った学生たちが、どこかへ行くときには私にも声をかけてくれて送迎までしてくれたり、留学生が集まるイベントに連れて行ってくれたり、他にも本当にたくさんのことをしてくれた。正直実習中も先生の英語を全部理解することは私には不可能で(特にマスクをしている先生や早口で声が小さな先生などは本当に苦労した)、集合場所と集合時間でさえも聞き取れないこともあった。そんなとき毎回現地の学生がゆっくりとわかりやすい英語で私に教えてくれ、彼らには感謝してもしきれない。もっと英語が話せたらもっともっと彼らとコミュニケーションが取れるのにと毎日もどかしさも感じたが、日本へ帰るときに彼らが手紙やプレゼントをくれ、Burns Unitで彼らと共に実習ができて良かったと心から感じた。途中から大学の近くに一人暮らしをしていたのだが、その時のお隣さんのインドネシア人が暇なときは毎日夜ご飯を食べに来ていいよと言ってくれ、何度も夜ご飯を一緒に食べたり、週末にはマーケットや回転寿司に連れてってくれたりした。そして何より、Dr.Patrick一家には一か月間大変お世話になり、家族の一員のように 扱っていただいた。ホームステイをしていた間はDr.Patrickの車で毎朝病院へ行き、日本人の奥様のおいしいご飯をいただけたおかげで日本食が恋しくなることもなかった。妹や弟のいない私にとって、二人の息子さんたちと一緒に毎晩 UNOやババ抜きをして遊んだのも本当に良い思い出である。週末にはハイキングやロッククライミングなど、日本にいるときの週末とは全く違ったところに連れ出していただき本当に楽しかった。

この一か月間、オーストラリアの医療体制や臨床の場における医学生の役割などについて、日本との共通点や相違点をRoyal Adelaide Hospital でこの目で学べた。5年生や 6年生の学生は、日本でいう研修医のような働きをしていた。確かに私は彼らより実技においてはかなり劣っていたと思う。診察のとり方や患者とのコミュニケーションの取り方がとてもスムーズで、採血なども学生の仕事なので卒なくこなしていた。それでは私が彼らに劣っていなかったものは何であろうか。今必死に彼らに劣っていいなかったところを探してみているが、しいて言うならば患者自身をこの目でみようという姿勢だろうか。やはり英語を現地の学生と同じようにしゃべるのは不可能なのはわかっていたので、言葉がわからなくてもわかること、例えば毎日全患者のベッドサイドへ行って傷を観察するとか、出来るだけ多くのオペを見学しようとするとか、せめてそういったことだけでも彼らに負けないようにしようと心がけていた。そして何より、医師や看護師をはじめとするBurns Unit全体(時には他科も含め)がチームとなって目の前の患者を救おうとする姿勢は、日本の医療現場と変わらないと思った。他国の医療現場を見たからこそ、日本人の勤勉さ、そして堅苦しさにも気づけた。それとともにアデレードに来て本当に良かったと強く思うのは、世の中にはこんなにも親切にしてくれる人がたくさんいるのだということを知れたことである。日本で過ごしていたときには決して感じることのできなかった言語の壁と孤独感の中、自分は本当に周りの人々に支えられて生きているのだということを強く感じることができた。この留学を通してでなければ出会えなかったであろうアデレードの多くの方々と、この機会を恵んでくださった粕谷先生をはじめ国際連携室の皆様方、名古屋大学の先生方に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


ロイヤルアデレードホスピタル

ジョンズ・ホプキンス大学留学記

水谷圭吾

三月から六月の三ヶ月間、ジョンズ・ホプキンス大学へ短期留学した。二ヶ月間の臨床実習と一ヶ月間の研究室滞在だった。最初の一か月は血液内科での実習だった。渡米前に唯一アクセプタンス・レターをもらった科だったが、入院患者は日本ではあまり見ないような遺伝性疾患を抱える患者が多かった。凝固異常や貧血などのコンサルトが多かったが、とても難しかったので大抵レジデントに聞いた。毎週アテンディングが替わり、レジデントやフェローの入れ替わりも激しかった。週三回以上行われているカンファレンスは、腫瘍内科や病理との研究色の強いものだった。

渡米してから二週間くらいたったある日、脳神経外科からアクセプタンス・レターの通知があった。そこで二ヶ月目は脳神経外科での実習を行うことになった。初日にレジデント・ルームに行ってみると、顔面蒼白のPGY2のレジデントがカルテを書いていた。週三回は夜勤があると言っていた。これから朝何時くらいに来れば回診に間に合うでしょうか、と聞いたところ、午前五時半にはここに着いていたほうがよいと言われた。

僕は主に腫瘍・血管系の手術に入った。多くの手術(特に脊椎班)で術野にも入らせてくれた。そういえば、メスによる切開や縫合を実習二日目にチーフ・レジデントに試されて、全然できなかったのを覚えている。僕があまりにあたふたしていたせいか、彼は僕に石田先生というポスドクの方を紹介してくれた。石田先生には実習面のことのみならず、日常生活の上でも大変お世話になった。当然、手術はあまりにも複雑か、そうでなくとも、解剖を熟知したうえで実際に手を動かしてみないと到底理解できる代物ではなかった。

当初三ヶ月間の臨床実習の予定だったが、ジョンズ・ホプキンス大学側の要求によって三ヶ月目は研究室にお邪魔することになった。室原教授のご助力によって、疫学研究をなさっている松下先生に、足利先生の研究室をご紹介いただいた。そこで一ヶ月間、井上先生にご指導いただきながら、心電図やMRIの解析を行った。実際にポスドクの先生方が どのような生活を送られていて、論文は概してどのように書かれていくのか、垣間見ることができた。渡米前から噂には聞いていたが、東海岸の地方都市ボルチモアの治安はすこぶる悪かった。特に五月頃、市内に暴動が起きた。そのころ僕は脳神経外科で実習をしていたから、早朝暗い中アパートから病院までの道を行くのは大変恐ろしかった。院内のカフェテリアに多様な文化的背景のひとたちがいたが、その時期、州兵まで混じっているというのは奇妙な光景だった。

血液内科にいた三月末ころ、台湾からの留学生四人組に会った。彼らは孤独な僕をワシ ントンの桜祭りに誘ってくれたり、ボルチモアでの野球観戦に連れて行ってくれたりした。なかでもジョーダンという聡明な学生は、二ヶ月間の臨床実習の修了を祝うため、ニューヨークで僕のために宿まで取ってくれた。本当に親切なひとたちだった。

経済的にも時間的にも、学生の僕には少々負担の大きいものだったが、この経験が今後なんらかの形で実を結ぶかもしれない。

米国 Tulane 大学留学報告

中村公亮

この度、私は2015年4月より12週間、米国ルイジアナ州にあるTulane大学にて臨床実習をさせていただきました。帰国しておよそ1か月が過ぎ日本での日常の生活に完全に戻った今、留学生活を振り返ると多少懐かしさを感じますが、帰国当初はうまく整理できなかった考えや感想も少しずつまとまってきたので、振り返りたいと思います。

留学の動機は海外での(学生)生活に対する憧れとアメリカの医療システムに対する興味が大きかったと思います。さらに、学生時代に海外で臨床実習することは将来もし海外で医師として働こうと思った時にとても役立つ経験だと考えたこと、将来海外で働かなくても研究留学する可能性があり、日常生活でも海外の論文を読んだり、論文を書いたりするときに英語は必ず必須なので若い学生のうちに英語のみの環境に身を置きたいと考えたことなどから学生のうちでの留学にこだわりました。

Rotationは2w(内分泌)→2w(循環器内科)→4w(SICU)→4w(循環器内科)でした。 内分泌での2週間の実習のほとんどは外来で行われました。渡米後初めての実習科だったので緊張しましたが、時間にゆとりがあったことやfellowの先生方がアメリカ国外出身ということもあり、外国人の私に優しく接してくれて、拙い英語ではありましたが担当fellowと英語で話す時間があったのはありがたかったです。最初は「これってどういう意味ですか?」や英語の説明で聞き取れなかった所を聞き返すなど、初歩的でかつ発展しない会話しかできませんでしたが、外来患者の疾患が糖尿病や甲状腺疾患に偏っていたこともあり、数日後からは事前に調べたり勉強してきた内容について質問したり、fellowの先生の 英語の説明に対して、より高いレベルで質問することができたと思います。実習に関しては何人かの甲状腺疾患の患者さんに対してattendingの先生の指導の下、触診や視診などを させていただきました。お世話になったattendingの先生は以前ハワイで日本人の診療をしたこともあり、日本人の私に興味を持ってくださり、2週間の実習後も病院内や医局の建物の中ですれ違った時は挨拶だけでなく、世間話をしたりと大変お世話になりました。

循環器内科での6週間の実習は、一番興味のある科ということもあり気合十分で臨みました。Consult・CCU・カテ・心不全などの班に分かれていた中、私は ConsultとCCUを中心に実習をさせていただきました。Consultではfellow の先生につき、他科からの consult があり次第カルテの確認、患者への問診、そしてattendingへのプレゼンという流れで実習させていただきました。attending の先生はCCUのtop も兼ねており毎日お忙しい中でのプレゼンだったので必要十分の簡潔なものが求められました。最初はfellow の後ろでプレゼンを聞いて勉強するだけでしたが、何度かプレゼンする機会をいただくこともできまし た。また他科からのconsult待ちということもあり、consultが少ない日はfellowの先生がカテ室に連れて行ってくださり、ほかの日にはattendingの先生のエコーを見学させていただくこともありました。CCUではCCU入院患者についてのカンファレンスとラウンドが 主な業務でした。最初はCCUについての具体的な説明のないままconsultのfellowの先生に連れられてきたこともあり、予定もわからず、CCUの先生方に正式に自己紹介する暇もなく、勿論英語でのカンファレンスにもついていけずと肩身の狭い日もありましたが、思い切ってある residentの先生に自己紹介してattending の先生が来る前のプレラウンド一緒に見ても良いですか?と聞いたら勿論オーケーだよ!と笑顔で言われ、それからはより充実した実習を行うことができました。傍から見れば何を当たり前な、と思われる事ですが、その後似たような経験が多くあったので、そのresidentの先生のおかげもあり積極的 に聞いていこうと思えたのはとても貴重な経験だったと思います。

SICUでの4週間の実習は一番ハードな実習でした。勿論その理由の一つは朝 6時前に来なければならないという時間的なつらさもありますが、どの先生方も(特に朝方は)忙しく、張り詰めた空気の中で全員(現地学生も含めて)がてきぱき働いている環境に身を置く精神的なつらさが大きかったと思います。ただその中でも現地学生のおかげで、少しずつではありますがカンファレンス・ラウンド後のSICUの業務に参加できたことはとても嬉しかったです。また後半には急性虫垂炎について現地学生に対して発表する機会を頂き、少しでもアピールしたい、役に立ちたいという思いで最大限の準備を行い発表後には chief resident の先生に褒めて頂いたのは実習中で一番の思い出です。Chief residentの先生は本当に陽気な先生で、同僚の先生は勿論患者さんや清掃員の人とも「What’s up man?」とラウンド中にも関わらず廊下で会話を始めだすような先生で、自分に対しても「公亮、調子はどうだい?」「何か困ったことがあったらすぐに連絡してね」と何度も気にかけてくれま した。忙しく、張り詰めた空気の中での実習でしたが、chief resident の先生のおかげでま た明日も頑張ろうと思えました。

こうして振り返ってみると、実習中や実習外、心細い環境の中で多くの先生や現地の学生の助けのおかげで充実した留学生活を送ることができました。留学中に達成できたこと、 達成できなかったこと様々ですが、好き嫌いせず全てのことにチャレンジできたことは今の自分の自信につながっていると思います。

留学からの帰国後、またすぐにでも留学行きたいと思うかどうかは人それぞれですが、 私の場合、留学熱はかなり下がりました。やはり海外での学生生活などに対する単純な憧れが大きかったからだと思います。しかし、いずれまた海外に行きたいという気持ちはあります。それは海外で生活してみたいという憧れよりは、もっと英語や日常診療のスキルを上げてもっと充実した時間を過ごしたいという気持ちからです。とりわけ病院での実習に関して言えば、楽しかったや嬉しかったよりは悔しかったという気持ちが大きかったので、今度はそうはいかないと思っています。

最後に、今回の臨床留学を通しての一番の収穫は医療システムにしろアメリカ人の生活にしろ肌で感じることができたことだと思っています。テレビやインターネット、書籍といった媒体を通じて想像していたアメリカは全体像としては当たらずと雖も遠からずでしたが、実際はもっとカオスだったように思えます。ニューオーリンズという土地柄もあるかもしれません。それがニューオーリンズやアメリカの魅力なのかなとも思います。また留学を通して医療や社会に対する自分の見方も変わりました。学生時代に3か月という長い間アメリカに留学した経験は貴重な財産だと思っています。そして留学を経験したから こそ今の自分があると自信を持って言えるように今後より一層努力することが、今回の留学を支え、助けてくれた人たちに対する恩返しだと思っています。家族や友人、事前研修会でお世話になった先生方、粕谷先生や西尾さんをはじめ、多くの方々にお世話になりました。本当にありがとうございました。

グダニスク医科大学留学体験記

禰宜田真史

私はポーランドのグダニスク医科大学において3カ月間臨床実習をする機会をいただきました。グダニスクは、バルト海に面した美しい港町で中世以来ハンザ同盟市として栄え、その後何度も世界史の舞台となってきました。ポーランドの公用語はポーランド語ですが、グダニスク医科大学ではポーランド国外出身の学生を英語で6年間教育するEnglish Divisionというコースがあり、地理的に近いスウェーデンやノルウェーに加え、イタリア、スペイン、イギリス、アメリカ、カナダ、ケニア、ラオス等様々な国から学生が集まってきています。東欧の医療現場において、世界中にルーツを持った学生と英語で学ぶことができるという環境は魅力的で、私がグダニスク留学を選んだ動機の一つでした。

実習では、家庭医学、一般外科、泌尿器科、婦人科、腫瘍内科、救急科を回らせていただきました。家庭医学では、小さなクリニックと中規模病院という大学病院の外の医療を見る貴重な機会がありました。外来診察の場で実習する中で、血圧を測らせてもらいそれを読み上げられるという程度の貧弱なポーランド語力を恥じましたが先生方に通訳していただきながら問診や身体診察なども色々とさせていただきました。せめて何か興味深い話をと互いの国の医療体制について意見交換をしました。ポーランド語が不十分なら余計に英語力、医学知識をしっかり持っていることは大切だと感じさせられました。

一般外科、婦人科ではEnglish Divisionの学生と一緒に実習しました。一般外科では直腸癌、IPMN、GERDのNissen術等に加えて肥満の治療としての胃切除を見学しました。日本では稀な手術ですがポーランドは欧米の中ではそれほど多くないとはいえ肥満外科的な手術も一定数あるようです。講義を受ける中では米国、EUに加えて日本ではこうだという話が疫学や分類法、治療法等についてたびたびあり、日本の医療が世界へ発信されていることを感じました。また、English Divisionの学生が基礎医学をよく勉強していて講義の中で鋭い質問や意見をたくさんする姿に刺激を受けました。婦人科では、卵巣腫瘍等の手術見学を中心に回診や一部模型を使った実習も行いました。ポーランド人学生に加えてEnglish Divisionの学生がおり3年生ぐらいから臨床実習が入ってくるので教員あたりの学生の人数は日本よりかなり多く、実習のdutyはそれほど多くなかったもののその分自分から積極的に取り組む姿勢の重要性を感じさせられました。

泌尿器科、腫瘍内科では他の学生はおらず個人的に先生に付いて回る形となりました。そこでは更に自発的な姿勢が必要となりました。多くの泌尿器科手術を見学し、助手もやらせていただき、日本ではまだメジャーではない腫瘍内科医が化学療法や放射線治療をどのように行っているかを学ぶことが出来ました。腫瘍内科では、多くの患者さんの枕元にポーランド人初のローマ教皇であったヨハネ・パウロ二世の写真が置かれていたのが印象的でした。癌のような生命に関わる疾患と向き合う中で文化や宗教は大きな影響を及ぼす ことを改めて感じさせられました。

救急科では前半は救急外来で実習したのですが、ここでも言語の壁に直面しました。やはり救急現場は忙しく先生方にとっても通常の診療をこなしつつ英語に翻訳しながら学生に教育するというのは大変な負担です。毎日担当の先生が入れ替わる中で、“Are there any doctors who can take care of me?”と聞いた時に“We cannot take care of you, we have to take care of patients.”と言われ少し心が折れそうになったこともありました。それでも外来の合間にポーランド語を勉強していると何人かの先生やスタッフに声を掛けていただき、いくらか距離も縮まり、通訳をしてくださったり問診や診察、採血などの手技をする機会を与えてくださったりしたこともありました。ポーランド語が少し上達したことを感じることもありました。後半はEnglish Divisionの学生と一緒に模型を使って主にACLSの実習をし、その内容に準じた講義を受けました。かなり込み入った内容もありましたが繰り返し何度も練習を行ったことでスムーズに行えるようになり、最後の筆記、実技試験も無事合格することができました。

実習外で最も思い出に残ったこととしましては、ノーベル平和賞受賞者であり元ポーランド大統領のワレサ氏及び氏の主治医であったPenson先生と面会する機会を得たことです。ワレサ氏と、ご自身が立役者となられたポーランドの民主化やリーダーの資質、日本とポーランドの関係性など様々なお話をすることができ忘れられない体験となりました。 また、ナチスドイツや民主化以前の政府に苦しめられながらも自らの意志を貫かれたPenson先生からかけていただいた、いい医師になりなさい、という言葉には大変重みがありました。

最後となりましたが、このような貴重な経験を得る機会を支えてくださった粕谷先生、 近藤先生、長谷川先生、西尾さん、Woźniak 先生及び若林先生を始めとした名古屋大学とグダニスク医科大学の交流に携わってきた先生方に改めて御礼申し上げます。本当にあり がとうございました。

Fake it ‘till I become it.

柴田淳平

自分は海外に行き現地の人々と話すこと、議論すること、そして共に生活することが楽しい、面白いと感じる人間で、学生生活を通して様々な国や地域に足を運んできました。ただどの滞在も長期に渡ることはなく、その意味において今回の渡米は、自分にとって初の試みとなりました。

自分は最大の提携校であるTulane Universityへ2ヶ月半留学させていただきました。 Tulane UniversityはPrivate Schoolで、全米で最も学費が高い医学校とも言われています。アメリカ南部のルイジアナ、ニューオーリンズに位置し、犯罪率も高い地域です。

2 ヶ月の滞在では、Tulane University Medical Center、また近接している Louisiana State University Hospitalにおいて実習をさせていただきました。放射線科、泌尿器科を回った他、個人的にお願いして臨床病理やBioengineeringの研究室の見学、またSchool Of Public HealthのOpen Houseイベントにも参加させて頂きました。

[実習について]
 放射線科、泌尿器科の実習は全く異なっており、様々な意味で貴重な経験となりました。放射線科ではモーニングレクチャーやランチョンセミナーに参加した他、読影室にてレジデントやアテンディングの先生方と今まさに目の前にある画像について議論(もしくは講義していただく)する毎日を過ごしました。現地の学生は2週間のタームで回っていますが、 多くの学生はやる気がなく、積極的に関わるだけで先生方からの信頼感、評価が高まってくることが実感として感じられました。多くの疾患を広く経験することが出来ることは放射線科の魅力の1つであり、Hodgkins Disease & GVHD, Recurrent artery of Huebner infarction, Spondylolisthesis, Madelung Disease, Alport Syndrome, Cryptococcus Meningitis, Tolosa Hunt Syndrome, Peyronie’s Disease, Scapholunate Advanced Collapse(SLAC), Tuber Cinereum Hamartoma, Ogilvie Syndrome 等、専門横断的な疾患を経験することができました。

一方、泌尿器科はアメリカにおいて成績・コネ共に優れた人々が集まる科ということもあり、自分の不甲斐なさを痛感し打ちのめされる事も多くありました。共に実習した泌尿器科志望の学生は大変優秀且つ有能で、その学生と比較される中での実習は決して易しい物ではなかったです。ただ、どう食らいついていくかを考え、「負けてたまるか」と怒りにも似た気持ちを抱いて日々を過ごす経験は日本では経験し得なかった筈で、その思いが洋書を実習の合間を縫って読み切り実習へ挑むという自分を突き動かしていたのだと思います。そんな中でも予診を取らせていただいたり術野に入ったり、現地学生と一緒にご飯に行ったりと楽しい時間も過ごさせていただきました。また、丁度開催されていたアメリカ泌尿器科学会にも参加させていただくことが出来、後藤教授をはじめとした名古屋大学泌尿器科の先生方や他大・他国の先生方に面会し、人間関係を広げる機会にも恵まれました。

[実習以外]
 実習以外の学びでは、現地で働かれている先生方にお願いをして、臨床病理室・ Bioengineering の見学をさせてもらいました。また、School of Public HealthにおいてOpen Houseというオープンキャンパスに似たイベントが定期的に開かれており、実際に行われている授業に参加したり現地の学生に話を聞いたりすることができました。伝手を辿って自分から動くことで世界はどんどん拡がっていく。それが実感出来た経験は貴重でした。また、現地の学生との遊びも多く、日本食パーティを開催したりお祭りに出かけたりと、余暇も含めて充実した日々を過ごすことができました。この地で出来た友人たちには心から感謝しています。

[最後に]
 “Fake it ‘till I become it.” この言葉は、自分が留学中、常に心の中で呟いてきた言葉です。「言語も知識も、自分は回っている科の人々の中で最下層」の環境で自らのプレセンスを示す為には、自分から動いて、自分から発言して、「自分は出来る人間である」ということを周囲にそして自分に騙し続けるしかない。緊張したとき、質問をするべきか迷ったとき、自分はその言葉を胸に前に進むことが出来たように感じています。こちらに来る前は、「留学を通して、日本で出来ない実習をしたい」と、そんなことを考えていました。結論として、そんな物はありませんでした。言葉は違い、人は違い、そこでしか出会えない人は確かにいましたが、実習の中身それ自体においては、日本と大差ない。医療者も学生も、真面目な人もサボり魔の人もいて、日本と同じ。

ただ、違うと気づいたこと。自分が積極的に取り組んだ分だけ、真面目に勉強した分だけ、還ってくる。質問の内容も、会話のレベルも、自分が準備して、考えて、調べた分だけ還元される。先生もきちんと返してくれる。そしてその方が楽しい。それに気が付いたからには、きっとこの学びを、もっと積極的に、国が変わっても、出来ると、そんなこと を思います。最終的に答えは自分の中にあり、それを見つける為、自分は渡米しなくてはならなかったのだと、今はそう思えます。 この留学で得、日本に持ち帰る言葉があるとすれば、「和敬静寂」この言葉は、慶應義塾大学や名古屋大学と、Tulane Universityの留学の契機となった、故有村章先生の研究室を伺った際、有村夫人から教えて頂きました。

LH-RHの発見に寄与され、日本とアメリカを繋ぐ研究室を設立され、あくまで日本人として、世界と渡り合っておられた有村先生。その研究室訪問は、自分にとって、この留学の一番の輝石となりました。「夏草や兵どもが夢の跡」先生の研究室はまさにかつて松尾芭蕉が詠んだ歌の景色そのものであり、自らもいつか兵 (つわもの)たれるよう、日々精進していきたいと思います。

最後になりましたが、この貴重な経験を与えて下さった先生方、スタッフの皆様、友人たち、そして家族に心より感謝いたします。

ポーランド医療の本質に触れて

清水一紀

【はじめに】
 大学入学後の5年間、東ティモール・マレーシア・カナダとのご縁をいただいた。日本の医療の先進性と、医師および医療制度に対する満足度の評価が乖離する現状、また一般的に日本人にあまり馴染みのないポーランドという国そのものへの関心、そこで施されている医療とはいかなるものかへの興味が、私をポーランドへ突き動かした。その結果、今年度は、派遣留学制度にてポーランドのグダニスク医科系大学において実習を行う機会に恵まれた。

【ポーランドの医学教育】
 ポーランドには10校の医科大学が存在する。全て公的機関が運営する組織だ。ポーランドの医学教育は4年ないしは6年制。前者はポーランド以外で最初の 2 年の医学教育を終えた者に行われ、USMLE 等の取得を目指すアメリカ型の医学教育である。後者は、日本と同様、高等学校卒業後に入学可能なコースである。こちらでは、“EU Standards”に重きを置く教育が行われる。

後者はさらに2つに分けられる。ポーランド人が入学するコース(Erasmus プログラム を含む)、English Divisionと呼ばれるコースの2つだ。English Divisionとは、6年間の全ての授業・実習が英語で行われ、卒後はEU 諸国で医業が可能な免許が得られるコース である。学生は、ポーランド以外の多くの国から集まるのが特徴だ。この制度は、ポーランドやハンガリーをはじめとする旧東欧諸国の一部に設置されている。もちろん日本人も入学可能だ。ハンガリーの例は、大学受験冊子などで見かけることもあろう。多国籍な環境である一方、ネックとなるのは費用だ。例えば、グダニスク医科系大学においては、ポーランド人用のコースの2倍の授業料、寮費が必要になる。

【家庭医学 Family Medicine】
 大学から電車で20分ほどのクリニックKlinikaへ。まずは外来見学から。平均外来患者 数は30~50人、幅広い年齢層。私も、血圧測定や口腔内診察、胸部聴診を行う。緊急で救急車を呼ばねばならないケースを除き、患者はクリニックを受診する。医師は、「地域住民数千人の状態を把握している。」と自負されていた。「クリニックにはCTはおろかX 線もない。問診・身体診察から症状を見極め、処方箋を出すのが医師の仕事。」とのお話。処方箋を渡し診察は終了。ポーランドは完全医薬分業制度であり、医師の“No interest in the price, the diagnosis.”という言葉が印象的。ポーランドには、国民皆保険の公的保険システムNFZがあり、診療所でNFZの保険証と支払い証明を提示することで、NFZ の定めた範囲の医療が無料になる。従って、患者が診療所に料金を支払うことはない。近年は公的保険で賄われることのない民間病院やクリニックができつつあるそうだ。日を改め、次に訪れたのは中規模の病院。再び外来を見学。外来用には 2 部屋用意されており、1 部屋でインターン2名が外来を担当、別の部屋にて指導医が外来を担当。この日の外来患者は15名ほど。胸部聴診や腹部診察を彼らと行う。この病院でも紙カルテを使用。処方箋も紙で患者へ渡す。問診用のテーブルにコンピュータは1台あったが、そういえば 先日のクリニックにはなかった。この日は卒後のインターンに関してもお話を伺うことができた。インターンの勤務時間は、平日 7.5 時間×5 日に当直などの 10 時間を合わせた、週47.5時間。インターン終了後専門科へ進むと、仕事内容や勤務時間も増える。大学卒業後のインターンは30ヶ月設定されており、その間様々な科を回る。

【一般外科General Surgery】
 朝、ホールに荷物の預け入れをする際に驚かされるのは、女子医学生の数。半数以上が女性だ。博士課程の学生に聞くと「医師に力が必要なのはアンプタ(Amputation:四肢の切除術)くらいだ。ちなみに私が医学生だった頃、15人ほどのグループで男性は私だけだったよ。」とのこと。階段を上り回診へ。医学生だけを見れば半数以上が女性だが、外科となると男性が多くなる。それでも4 分の1程度は女性医師。GERDに対するNissen術や肥満患者に対する減量手術、大腸癌への人工肛門増設術、バセドウ病に対する甲状腺摘出術など、幅広く実習した。ここでは、English Divisionの学生とともに実習を行えた。彼らのルーツは千差万別、日本への関心を示す学生も多く、多様性を感じながら実習する日々となった。

【糖尿病内科】
 まずはカンファレンスから。イギリスからポーランドに短期滞在中の内科医と語らう。今週は、卒後2年目のインターンと共に回診を行うことに。糖尿病患者の血糖コントロールがメインの仕事となり、一部の患者の皮膚疾患にも対応する。ポーランドでも糖尿病は 国全体の課題となっているようだ。食事指導・栄養指導(患者への動機づけなど)は、まだまだシステマティックなものはないとの答えであった。病棟を回るとまもなく昼食時。糖尿病患者用の食事を拝見したところ、大きなパンにおかずは少なめ。カロリー・栄養価 などを計算したものとのことだが、国が違えば食事も異なり、これが糖尿病患者への食事なのかと驚かされる場面も。インターンの先生に、一般外科で感じた女性医師の多さに関して質問をすると、逆に日本の男性医師の多さに驚かれた。ちなみに彼女は皮膚科志望。皮膚科・泌尿器科あたりは、レジデンシーの枠が少なく、学部時代から優秀な成績を収め、その上でインターンの間も 熱心に学習に励み、専門医選択の際の試験できちんとした成績を収める必要があるとのこと。日本は、自身が志望科を選択できると伝えると、驚愕。「それで科間の医師数のバランスは取れているの?」と。近い将来、日本においても都道府県あるいは地域単位で、各科の専門医数の制限が必要になるかもしれない。

【感染症内科】
 担当のDr. Pawelに、まずは病棟案内をしていただく。1フロア30床のベッド。主に結核患者、HIV(+)患者が入院。各菌に対する抗菌薬のスペクトラム、病歴聴取時のポイント、免疫低下患者の部屋へ回診に入る際の注意事項を伺う。結核患者の病室前には、N95マスクが大量に山積みされている。そして、部屋へ入る際は、医療者の我々も付けることに。医療資源は持つのか…午前中には、English Divisionの5年生への授業があるとのこと。5年生の間に臨床感染症の授業・実習が 4 週間ほど組み込まれている。ただし、現地の学生は、ポーランド語の壁に苦しみ、実習はオブザベーションが中心で、感染症内科においては、特定の患者を受け持つことはないそうだ。

【緩和医療】
 郊外のホスピスでの実習となる。主に末期のがん患者の疼痛コントロールがメイン。医師や看護師はもちろん、心理学者で精神科の Ph.D.取得を目指している先生とも数日学習を深めることができた。日本のホスピスケアの歴史は50年足らずと日が浅く、私自身も見学した経験がなかったため、今回緩和医療の実習を選択した。元来ポーランドは敬虔なカトリックの国であり、患者やその家族も、いかにして死を迎えるか、人生の最期をどう選択するか、きちんと考え、受け入れているように感じた。

【公衆衛生】
 1週間は現地の学生と共に授業に参加。癌の疫学に関し、米国・欧州・日本の順に話が進む。日本の科学の価値の高さを実感。自身も、世界へエビデンスを発信できる人材にならなくては。ここでは、Erasmusプログラムで3か月程ポーランドに滞在するドイツからの留学生2人とグループを組み、発表を行うことに。Erasmusのプログラムでは、数か月毎にいくつかの協定校で授業に参加し、実習を行える。しばしば私もそのプログラムの一員と間違えられ、「次はどこの大学に行くんだ?ん?日本に帰る?君はここにだけいるのか?」と問われることも。陸続きのヨーロッパ、人材の移動が非常に活発であることを伺い知る。English Divisionの学生には、4年次と6年次に1週間ずつ公衆衛生の授業が提供されている。ただし、卒後母国に帰る生徒を前にポーランドの疫学を語るのは大変難しく、どのように彼らに公衆衛生を教えるかという課題は、これからも存在し続けるだろう。

さて、チューターのDr. Ewaのご厚意により、GPのシステムに関するいくつかの文献をいただいた。自身でポーランドのGP制度に関する疑問を持ち論文検索を行っており、その疑問を投げかけたところ、face to faceで教育していただくことに。日本で学ぶ我々は、欧州は一つ、という見方をしがちだが、現実には国境が存在し、国により制度が異なる。また、旧ソ連圏では、冷戦終結後一時的に平均寿命が50 歳代に低迷した国家もあるという事実に加え、戦後の共産主義下、冷戦終結後のレジームチェンジ、その後幾度となく制度変更を経てきた歴史を深く学んだ。

【その他】
 ワルシャワで行われた「日本祭り」にボランティアとして参加し、日本に関心を持つ日本好きのポーランドの人々、現地でご活躍の日本人の方々と触れ合うことができた。在ポーランド日本大使館の山中誠大使にもお目に掛かり、現地での学びについてお話できた。グダニスクでは、ポーランド元大統領(ポーランド共和国第 3 共和制初代大統領)でノーベル平和賞受賞者の Lech Wałęsa氏との面会が実現した。1980年代以降、共産圏初の自主管理労働組合「連帯」指導者として名を馳せ、東欧諸国の民主化運動の先駆けとなった氏の存在感は、今までお会いしてきた方々とは一風異なる、独特なものであり、類い稀なその能力を垣間見たような気がした。その後、グダニスク医科系大学の元腎臓内科医で、Lech Wałęsa氏の連帯指導者・大統領時代を支えた Joanna Muszkowska-Penson氏にも面 会した。幾多にわたる困難を乗り越えてこられた高貴な医師と共有した時間、その中で彼女から発せられた「良い医師になりなさいよ。」という含蓄のある言葉。氏の壮絶な過去に 思いを馳せながら、少しずつその言葉の本質を噛み締めている。

【おわりに】
 日本ではなかなか目にしない症例、また、今後医師として世界各地でプロフェッショナリズムを発揮する多種多様な国籍を持つ医学生との学びの中で、意義深い日々を過ごすこ とができました。今回の派遣留学は、日本・ポーランド双方の多くの方々からのお力添えにより実現いたしました。お世話になりました先生方、スタッフの皆様には、心よりお礼申し上げます。


ロイヤルアデレードホスピタル

ウィーン医科大留学記

鈴木浩二

私は、今年の5月ウィーン医科大の総合診療科で実習をさせて頂きました。総合診療科は、 毎年世界各地からの留学生を対象とした1か月間の特別プログラムを開催しており、今回はそのプログラムに参加させて頂きました。このプログラムで、私たち留学生はウィーンのいろいろな医療施設に行き、施設の概要に関する説明を聞いたり、実際に様々な経験をすることができました。夜間救急車に同行させてもらったこと、学校医や開業医を訪問したことは、私にとって特に印象深い経験になりました。このような素晴らしい経験をする機会を与えてくださった国際連携室の皆様や、ウィーン医科大の先生方に感謝したいと思います。

アメリカ留学体験記

鈴木健史

この度、アメリカのPittsburgh大学にて4週間、Duke大学にて8週間臨床実習させて頂いた鈴木健史と申します。本来Duke大学での実習のみであったのですが、本プログラムのOBで、基礎研究をされながらPittsburgh大学の感染症内科にてAttendingを務めておられる土井先生の大変なご協力を頂いて、幸運にもPittsburgh大学の感染症内科でも実習する機会を頂戴することができました。

最初の4週間はPittsburgh大学感染症内科での実習でした。Pittsburghはかつて鉄鋼で栄えた都市ですが、現在はハイテク産業の他、Pittsburgh大学やカーネギーメロン大学を有する学術都市としても活気づいています。Pittsburgh大学の周辺は治安も良く、アメリカでは珍しく夜一人で出歩いても怖くない、住みやすい街でした。

実習は、毎朝レジデントと一緒にフェローによるレクチャーを受けることから始まります。1時間程度のレクチャー受けた後は、自分の担当患者さんの回診、情報集めを行い朝ラウンドで短いプレゼンテーションをします。その後、その日受けたコンサルテーションの中から一人患者さんを担当し、情報を集め、午後のラウンドでチームにプレゼンテーションをします。はじめは、主科それぞれの辞書にも載ってないような略語が分からず、カルテを読むのに苦労したり、そもそもカルテの使い方が分からなかったりで、午後のプレゼンテーションに間に合わないことが何度かあり、とても悔しい思いをしました。慣れてくると、少し余裕もできて患者さんと多く話したり、疾患についてより深く調べる時間も でき、辛かった実習がだんだんと楽しくなってきたのを覚えています。病院での実習を終えた後は、土井先生の研究室で小さなテーマを与えて頂き、実験を行いました。とても暖かな雰囲気の研究室で、スタッフのみなさんのみならず土井先生にも直接指導して頂き、貴重な時間を過ごすことができました。

Duke大学では肥満内科と放射線科で実習を行いました。肥満内科はアメリカでも珍しい診療科で、高血圧や糖尿病など、肥満と関連する多くの疾患の予防、治療と共に患者さんの容姿への劣等感を改善することのできる、興味深い診療科でした。実習では、患者さんのニーズに合わせた様々な減量プログラムを経験し、外来で多くの患者さんと話すことができました。基本的に患者さんは元気なので診察室や病院スタッフの雰囲気が明るく、また、アメリカのほとんどの先生に言えることですが、非常に教育的で多くの論文を与えて下さいました。放射線科での実習は私の希望ではありませんでしたが、結果としては実習して良かったと思います。放射線科ではDuke大学の2年目の医学生と一緒に実習するこ とができました。それまでの2つの科では医学生がいませんでしたので、放射線科が初めて医学生と交流を持つことのできた実習でした。Duke大生の熱意と積極性を間近に感じ、とても刺激的な4週間でした。

この4カ月は本当に貴重な経験となりました。連休などを利用して旅行もたくさんしましたが、今振り返ると、旅行等の楽しかった思い出よりも、苦労してどちらかというと辛かった時の方が、良い思い出として心に残っている気がします。多くの人に支えられて実現した経験でした。あまりにも多く、名前を挙げることはしませんが、皆様それぞれに心より感謝しています。ありがとうございました。

Johns Hopkins University での実習

竹内陸

2015年3月から6 月までの3ヶ月間、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアにあるJohns Hopkins University (JHU)のSurgical Pathology、Pediatric Infectious Diseasesにて臨床実習を、そして基礎病理の研究室で研究実習を行いました。

JHUでの最初の実習はSurgical Pathologyでの臨床実習でした。ここでは日本との違いを多くの場面で実感しました。外部の病院から持ち込まれた病理標本を診断するコンサルトチームに所属し、担当の Resident から割り当てられた症例を顕微鏡で見て、所見をまとめた上で Attending にプレゼンテーションを行いました。アメリカでの最初のローテーションということもあり、戸惑いも多かったですが、ていねいな指導をいただくことができ、病理標本の見方について多くを学ぶことができました。

2ヶ月目はJHUに入院している小児患者の感染症に関するコンサルトを受ける部門であるPediatric Infectious Diseasesにて実習を行いました。ここでの実習はFellowから割り振られたコンサルト症例のプレゼンテーションを Attendingに行うというものでした。日本とアメリカで使用する薬の違いに戸惑うこともありましたが、感染症を臓器によらず引き受けるため、感染症に関して多くのことが学べました。また、実習最終日には担当した症例とそれに関連するトピックについて30分の発表をしました。

最後の1ヶ月は膵臓癌の早期診断をテーマにしている病理の研究室にて基礎研究に携わりました。様々な実験手技を見学した後に行い、実験に関して多くを学んだほか、日本とアメリカでの研究室の運営方法や雰囲気の違いも知ることができました。また、この研究室には日本人の先生が多く所属されており、将来自分がポスドクとして研究留学する時に何に気をつけるべきかを把握することができました。

この3ヶ月のJHUでの日々はとてもexcitingで、そして楽しいものであり、ここで実習できたことはとてもよい経験となりました。また、日本で実習していれば決して会わなかったであろう人たちとの出会いはとても刺激的で、自分の研究者としての将来を考える上で 大きな影響を受けました。

Duke University での実習

玉井智久

私は2015年の5月中旬から7月上旬までの2ヶ月間、アメリカのDuke大学で臨床実習をさせて頂きました。Duke大学は、ノースカロライナ州のダーラムに位置し、キャンパスはもちろん街が自然に囲まれた田舎町です。そんなのどかな町での留学は、苦難の連続でした。一番に苦労したのは、もちろん英語です。留学に向けて TOEFL などを通じてそれなりに準備をしたつもりでしたが、略語や発音に戸惑い相手の言葉を理解しこちらの意思を伝えることには非常に骨を折りました。

Duke大学では放射線科、肥満内科をそれぞれ1ヶ月回りました。最初に放射線科を回りました。Duke大学では放射線科は大きく8つの部門に分かれており、それぞれを2-3日間回りました。現地の2年生の実習班に加わり、午前は実習、午後は講義、その後実習再開というスケジュールでした。また、これに加え中間・期末試験が課され、評価の半分以上を試験が占めており、実習前から不安を抱えていました。実習は、毎日課されるプレゼンなどの課題をこなし、時には超音波を使った生検の練習を鶏肉を使ってさせて頂くこともありました。その中で一番に驚いたことは、現地学生の優秀さです。医学部入学2年弱とは思えないほどの知識を持ち、講義中・実習中にその知識に圧倒されました。そんな彼らとの交流はとても良い刺激になり、毎日講義や実習科の勉強に没頭しました。そのおかげで、試験では及第点を取ることができました。

最後は肥満内科を回りました。メインの病院とは離れた場所での実習で、毎日違うところ だったのでそれぞれの場所に行くのにまずは苦労しました。実習は、胃のバイパス手術などの外科的な治療、そして炭水化物量を制限するなどの食事療法など様々なアプローチを 論文を読み、実習で学び、新鮮なことが多く毎日が刺激的でした。また、患者さんの問診を任せて頂き、それについて指導医にプレゼンをする機会を多く与えて頂き、非常に良い経験になりました。

実習を含めて、トラブルは多くあり様々な困難に直面しました。しかし、それを乗り越え 充実した留学を無事終えることができ、人として成長できたと思います。現地の学生のみ ならず、他の留学生との交流を多く持つことができ、それぞれの国の大学や医療の話を聞 けたことも大きな財産です。 また、今回の留学では多くの方の支えを強く実感しました。このような素晴らしい機会を与えて下さった国際交流室の先生方やスタッフの皆様、そして家族、留学を支えて下さった全ての方にお礼を申し上げます。

ウィーン医科大学留学体験記

上野琢史

私は今回、オーストリアのウィーン医科大学に三ヶ月間留学させていただきました。はじめはとにかく海外で一度暮らしてみたい、英語に慣れたい、といったことが動機の大部分でした。大学病院であるAKHにて、1ヶ月ずつ産婦人科、家庭医療、救急科の3つの科で実習を行いました。

最初の1ヶ月間は産婦人科で実習をさせて頂きました。産婦人科は大きく産科、婦人内 分泌科、婦人腫瘍科の3つに別れており、それぞれを1~2週間ずつローテーションさせて頂きました。毎朝7:30から始まる合同カンファレンスの後、3つの科に分かれて再びカンファレンスが行われます。その後はどの科でも基本的には手術、外来に参加しました。産科では多くの帝王切開術の助手をさせていただくことが出来た他、教授が回診前のカンファレンス中、私のために逐一英語で説明をして下さり、回診にも参加することが出来ました。婦人内分泌科では、性転換専門外来というものを初めて見学することが出来ました。 性転換手術やホルモン治療を行った後の患者さんの変貌ぶりをみて喜ぶ先生の姿がとても印象的でした。そして婦人腫瘍化では単純子宮全摘術、卵巣腫瘍摘出術、乳房切除術など多くの手術の助手を努めさせていただきました。

次の1ヶ月間は家庭医療・公衆衛生。他国から留学、視察に来ていたドクターと共に数多くの医療施設、福祉施設を見学し、また開業医のオフィスにお邪魔して実習も行いました。産婦人科ではドイツ語に苦戦しましたが、ここでは施設ごとの説明やディスカッションは全て英語で行われます。疑問に思ったことはなるべく質問するよう心がけていましたが、他のドクターたちの質問や議論に圧倒されることも多々ありました。また、10名ほどの留学生が集まって各国の医療の特徴、問題点を議論するといった授業もあり、オーストリアやその他の国の医療について学んだ他、日本の医療の現状を少しは伝えることができたと思います。

最後の1ヶ月間は救急科で実習をさせていただきました。初日に教授に挨拶に行くと、「ドイツ語が喋れないならあまりすることが無いだろうから、観光でもしてきたらどうだ。」と言われてしまいましたが、同時にローテーションしていた現地の学生が丁寧にERを案内してくれました。翌日からは、朝はカンファレンス前の採血から始まり、基本的にはウォークイン外来に参加していました。自分の仕事は主に、先生の診察結果の要約を聞きながらの静脈ルート確保でしたが、比較的患者が少ない時には英語で問診、身体診察を行い医師に報告、血液検査の結果を評価する、といった一連の流れも経験させていただきました。この時も現地学生がアドバイスをくれたり、一緒に相談したりしながら学びまし た。他には救急車で運ばれてきた患者の画像検査などを見学したり、院内での救急コールで呼ばれた時には走ってついて行ったりしました。はじめに教授にお会いした時には少したじろいでしまいましたが、結果的にはとても有意義な1ヶ月間を過ごすことが出来ました。

三ヶ月間を通して、非常に積極性を求められる実習でした。何もしなければドイツ語が耳を通り抜けていくだけでしたが、自分から動きさえすれば英語で説明は受けられますし、 診察や手術にも参加させてもらえます。そしてまじめに取り組んでいれば現地の先生方も理解してくれます。留学と言ってもただ行くだけではなく、実際にどう動くかが重要であると身をもって学びました。

実習外では、前学期に名大病院で実習していた学生や、次学期に来日する予定の学生の他、同時期に来ていた日本やその他の国からの留学生、個人的に訪ねた剣道場の人々など、 様々な出会いがありました。ウィーンの医学生がどういった考えを持っているのか、他の留学生たちはなにを考えてウィーンで学んでいるのかを知り、日本で、名古屋で今まで自分が考えていたこととは大きく違う部分もたくさんあり非常に刺激になりました。

最後になりますが、大変充実した三ヶ月間を過ごすことが出来ました。貴重な機会を与 えてくださった国際連携室の先生方や学務課の方々、ウィーン医科大学の先生方と学生たち、事前研修にご協力頂いた先生方と先輩方、支えて下さった全ての方に感謝いたします。

Freiburg 大学留学報告

成澤恩

2015年度4~5月の2ヶ月間ドイツのフライブルク大学で臨床実習させていただきました成澤恩です。長いようであっという間に過ぎた日々でしたが、本当にかけがえがなく貴重な経験をさせていただきました。ここでは留学を通して学ばせて頂いたこと、経験を少しばかりですが報告させていただきます。

私がドイツで最初に見学させて頂いたのは、精神科・心療内科でした。ドイツでは燃え尽き症候群が大きな問題となっているようで、外来には年齢、職業・役職を問わず様々な 患者が受診しておりました。そして、病棟では入院患者の退院が近くなると、患者の性格や技能に合わせて退院してからの仕事を探す手伝いもなされており、退院後の患者の生活にも配慮されておりました。また、フライブルクが近隣国との国境に近い場所に位置している事もあってか、スイスに出稼ぎに行っている患者が職場の人間関係に悩んで受診してきた時には、ヨーロッパの地域的特性を垣間見た気がして印象的でした。

次に実習させて頂いたのは、形成外科と手の外科でした。ほぼ毎回術野に入れて頂けた こともあり、手術が面白く実習中は主に手術室で過ごしておりました。見学できた手術の中で多かったのは、肥満患者が減量手術を受けた後になって余ってしまった皮膚を切除する手術、乳がん患者の腫瘍摘出とその再建をする手術、外傷による手の骨折や腱損傷に対する手術などでした。また、近隣国から受診に来た患者や家族のために敷地内にホテルがあり、その最上階にも分院を持ち、主にプライベート患者の手術が行われていたことも印象的でした。

今回の実習を通して痛切に感じたのは言語というツールの有用性でした。ドイツ語で医療が行われる現場で、ドイツ語が分からない私が何とか現場の状況を理解できたのは先生方から英語で解説をして頂けたからでありました。また移民の方も多く働いており、母語の異なる医療スタッフ間でコミュニケーションが出来るのはドイツ語という共通の言語を 持っていたからでした。このように、言語が一つでも多く使用できるだけで自身の幅が大きく広がる体験ができて、先生方が口を酸っぱくして英語を勉強せよとおっしゃる理由もわかった気がしました。

最後に粕屋先生をはじめとする名古屋大学の先生方、西尾さん、事務の皆さん、フライブルグ大学の先生方や事務の方々、家族、友人、その他ご支援くださったすべての方々に 感謝いたします。私が今回このように貴重な経験が出来たのは本当にみなさんのご支援があったからこそであり、私だけではとうてい出来ない経験でした。誠にありがとうござい ました。



写真左:外科病棟  写真右:精神科・心療内科病棟