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交換留学経験者からのメッセージ 2010年

Tulane大学での臨床実習を終えて

馬越 弘泰(Tulane大学)

2005年8月、強大な勢力をもったハリケーン"カトリーナ"はアメリカ南部の町に壊滅的な打撃を与えた。町の多くの部分が海抜以下である観光都市ニューオリンズでは、堤防の決壊のために市内陸上部の80%が浸水の被害を受け、多くの住民が死に、行方不明となり、あるいは非難を余儀なくされた。ニュースを通じてでしか知りえなかったあの惨劇から5年、私はそのニューオリンズの地に立ち、三か月に渡って多くのことを学ばせていただくこととなった。今年度より、Tulane大学医学部での交換留学制度が復活したことは、私にとって本当に幸運であった。

ニューオリンズはアメリカ国内でも有数の観光都市であり、大学病院も観光名所のフレンチクォーターから徒歩10分足らずの場所に位置している。多くの支援、住民の決死の努力により、市内中心部はかつての南部特有ののどかな雰囲気を取り戻した。しかし一本裏道に入ると、そこにはカトリーナの爪痕が確かに残っている。Tulane大学医学部もかつての軍人病院が使用不能となりながらも取り壊されることなく、壁面の水没した際の水跡が痛々しく、毎朝私の目に飛び込んできた。

手さぐり状態からスタートした一ヶ月目の循環器内科。朝は7時からのカンファで始まった。毎日テーマが決められ、それに応じて若手の医師が発表するという形式であった。EKG読解、カテ症例、そして基礎医学的研究にいたる幅広い範囲がカンファで取り上げられていた。その後はチームに分かれての回診であったが、やはり懸念していた英語には悩まされることとなった。チャリティホスピタルの実習では、患者さんの多くが、あまり裕福でない黒人の方々であった。訛も強く、聞き取るのに非常に苦労をした。回診でのドクター間の会話も単語を拾っていくだけでやっとという状態であった。暇な時に紙カルテ争奪戦に参加し、今問題点になっていることを、読みづらいカルテから解読し、ようやく翌日からの回診でなんとなく流れが自分の頭に入ってくるという状況であった。大学病院での実習では、診療の他に各種検査や心カテの見学もさせていただいた。Tulane大学は精力的に心カテを行う方針があり、いつカテラボに伺っても患者さんがおられた。先生方は「日本の病院でカテを見させてもらったけれど、やはり日本人のほうがこのような繊細な手技は上手である」と口にされていた。他国の医者から見た、日本の医療について伺うことができるのは、この実習ならではであった。

なんとか英語での回診に慣れてきた2ヶ月目。呼吸器ICUでの回診はレジデントなど若手の医者が多く、教育的示唆に富んだものであった。Attendingは患者さんの問題を的確に指摘し、各々に対する治療を担当医に質問していた。そして、事あるごとに関連するジャーナルのトライアルの記事を引用しておられた。何年何月に行われた、どのようなデザインのトライアルで、結果はどのようであったか、すべて記憶して紹介していたことには驚いた。さすがEBMの発祥の地アメリカであるなと感じていた。また、重篤で回復の見込みのない患者さんの今後に関し、家族と意見が食い違うことがあり、病院の倫理委員会に参加する機会があった。開催するために、担当している医者・看護師や倫理部の方々、ソーシャルワーカーに加えて、医学生も参加しなければならなかったことには驚いた。多くの人々が額を突き合わせて、今後どのようにすべきか、家族にどのように説明すべきかといった議論を行った。まさにアメリカの医療はチームワークで、コメディカルやその他の人を含めて、非常に多くの方が一人の患者の治療に携わっており、そのためこのようなカンファが重視されていることを実感した。

現地の担当者に無理をお願いして実現した三ヶ月の目小児科。小児循環器のチームでの実習で、外来診療を見学したり、実際に所見をとらせていただいたりした。NICUやPICUでの回診もあり、週に2日ほど小児ERでの実習もさせていただいた。子どもに話しかける英語は今まで経験したことがなかったので苦労し、顔芸でなんとかやり過ごすこともしばしばであった。また、ここでは現地の学生と一緒に行動する機会を得た。これは今回の留学の目的の一つでもあったが、非常に現地の4年生のモチベーションの高さに驚かされた。学生用講義に参加したこともあったが、いろいろな人が発言する、"動的"な講義であったと思う。確かにこちらの先生は学生を引き付けて、学生から話を引き出す巧みさを持っていると感じたが、それ以上に、学生が先生の話を引き出すのも非常に上手である。少人数レクチャーでも、講義ホールでの大人数に対するレクチャーでも、気付いたこと、わからないことはどんどん質問し、あるいは先生の問いかけに間違いの答えを発表し、「なぜそのように考えたのか?」と聞かれると、臆することなく自分の誤った考えを発表してゆく。そしてテンポよく講義が進んでゆく。自分たち学生がどのような姿勢で講義に臨めば、あのように強く印象に残るのだろうかと、強く自省させられる機会となった。

この臨床実習において言語の壁を透かしてみることのできたもの、それは思った以上に日本と似通った"医学"であり、そして思った以上に日本と違った"医療"であった。ICUで特殊な細菌感染症に罹患した患者さんを見たとき、レジデントが偶然にも名古屋大学の症例報告を引用しておられた。医学は言語の違いこそあれ、このように遠く離れた国で、自国の結果が応用されうる。診断・治療等の原則もさほど変わらないように見える。それは、医学が世界共通の基盤であり、疾患の理解・克服という同一の目標に向かっているからだと思う。ただ、それを応用する過程、すなわち医療は大いに違いがある。さまざまなコメディカルの人々、保険制度の違い、そしてコンサルト中心のフォローアップ、今回の実習を通じて非常に多くの違いを経験することとなった。

自らの目で見、耳で聞き、このような事に気付くことができたのは、国際交流室の諸先生方、現地の先生方、互いに励ましあった留学生仲間、事前研修に来ていただいた先輩方、その他本当に多くの人たちの支えがあればこそであった。特に、国際交流室の粕谷先生、長縄さんには私が4年生であったときから、交換留学生を紹介していただき、苦手であった英語を上達する機会、モチベーションを与えていただいた。心から感謝の意を表したい。

この留学制度は、留学中だけが重要なのではないと思う。事前研修では非常に多くのことを学ばせて頂き、留学スタートの足がかりをしっかりと造っていただいた。そして、今日本に持ち帰ってきた経験、モチベーションをさらなる足がかりに、今後しっかりと自分の医学を歩いてゆくことが必要なのだと自戒している。海外での臨床実習という貴重な経験は、留学中はもちろんのこと、留学前から、そしてこれからもずっと、私にいい刺激を与えてくれるに違いない。

私の中にはまだ、あの蒸し暑く照りつける太陽の下で聞いていた、ジャズの調べが響いている。

Duke大学留学報告

原田 陽平(Duke大学)

今こうして机の前に座って報告書を書いていると、留学が決まるまでのTOEFLとの格闘、決定後の留学メンバーとの事前研修会、そしてアメリカでの様々な思い出など密度の濃いあの毎日が蘇ってきます。

最も苦労したものは英語でした。日本ではTOEFLの勉強などを通して英語の勉強はそれなりに準備していたつもりでしたが、一人一人の発音の違いや、いわゆるスラングなど、実際に現地で聞くものは想像以上に難しく戸惑いが大きかったです。しかし、英語が理解できないと前に進めない状況のためでしょうか、時間が経つにつれ少しずつですが理解できるようになりました。

Duke大学での三か月の実習は、約一カ月ずつ循環器内科、脳神経外科、神経放射線科を回りました。最初の循環器内科は率直に言って、非常にハードな実習でした。朝五時半に家を出てバスで大学へ向かい、帰りは大学の深夜タクシーを利用して帰るという日々でした。学生としての役割は他科からのコンサルトを受けることを主に行い、その他に週二回の身体診察の取り方のレクチャーがありました。一日中働き続ける形の実習で、肉体的にはきつかったのですが、実際は毎日大学に行くのが楽しみでした。何より現地の学生と一緒に、担当の患者さんについてあれこれ議論しながらの勉強が充実していたからだと思います。高いモチベーションで勉強している彼らと過ごすことは非常に刺激的でした。

二つ目の実習は脳神経外科でした。Duke大学の脳神経外科はアメリカの中でも高い評価を得ているという話を聞いていたので大変楽しみにしていましたが、期待以上のものでした。毎日10件以上の手術があったのですが、自分の興味のある手術選んで参加することができ、様々な器具の使い方、縫合などの手技を学ぶことができました。しかし、この脳神経外科の実習ではそれ以上に大きな経験を得ることができました。それはフロリダで行われたワークショップに参加させて頂いたことです。このワークショップには世界中の脳神経外科医が集まり、三日間ホテルに泊まりこみ御検体を前にDuke大学の教授から指導を受けながらその技術を高めていくというものでした。レジデントはもちろん、大病院の部長や大学教授などすでに何年も脳神経外科医としてのキャリアを積んだ先生方まで参加されていたことには驚きを感じました。先生方の常に自らを磨いていく姿は将来自分が医師になった時も決して忘れてはいけないものだと強く感じました。また、毎晩行われた食事会は、先生方の様々な経験を聞かせて頂く機会でもあり、とても楽しいものでした。

最後の実習科は神経放射線科でした。放射線科での実習は、読影している先生のすぐ横に座り自らも読影を試み、その場で質問していくという形でした。読影の勉強になったのはもちろんですが、私にとっては有意義な英語学習の場でもありました。また、先生方は私のどんな質問に対しても一つ一つ丁寧に、私が理解できるまで教えて下さいました。医師を育てるという責任感だけでなく、自らも教えることを楽しんでいるようにさえ思えました。

実習以外でのDuke大学の学生達との交流も忘れられない経験の一つです。彼らとは、毎日のように実習の空いた時間や食事の時間などを共に過ごし、日本とアメリカの医療や医学教育の違い、将来どのような医師になりたいかなどの真剣な話から、取るに足らないいわゆる世間話や下らない冗談まで様々な話をしました。院内の食堂でDuke大学のあるノースカロライナ州が発祥の地であるクリスピークリームドーナッツ(名古屋の初日オープンでは行列ができたとのことでした)をスターバックスコーヒーと一緒に食べながらの時間は、異国に来ているのだなあということを私に感じさせてくれるものでした。彼らと別れるのは本当に寂しかったです。しかし、これから医師として世界中のそれぞれの場所にいるであろう彼らの存在は、私もその仲間の一人であるという誇りと勇気を与え、常に私を励ましてくれるものだと思います。

このような貴重な経験を医学生としてさせて頂いたことに大変感謝しております。この経験は必ず私のこれからの生き方に大きな影響を与えるものだと思います。この場をお借りして、留学を無事行えるよう支えて下さった名古屋大学の先生方、学務課及び国際交流室の皆様、Duke大学の先生方や学生達、国際課のスタッフの皆さん、快くホームステイさせてくれたFred とJenny、共に切磋琢磨した今回の留学の仲間達、そして金銭面でも精神面でも私を支えてくれた両親に心からお礼を言わせて頂きたいと思います。

Johns Hopkins大学留学報告

磯野 正晶(Johns Hopkins大学)

私は2010年の3月より3ヵ月間アメリカ合衆国のBaltimoreにあるJohns Hopkins Hospitalで実習をさせて頂きました。

Johns Hopkinsは全米No.1病院をHarvardと毎年競っている全米でも有数の病院で、p53を見つけ現在の癌分野の基盤を作った先生や、up to dateの編集をしている先生が病院内を歩いています。教育面でも定評があり、絶大な人気を誇っており、優秀な学生が集まってきています。そのような恵まれた環境の下、私はPulmonary, Emergency Medicine, GIにて実習を行いました。

まずPulmonaryでは、コンサルトチームに所属して、患者さんを受け持たしてもらいファーストタッチをしてattendingにAssessment/Planを含めプレゼンしていました。学生であっても、一度コンサルトを受けた患者さんは退院するまでフォローするのが原則であり、学生に求める基準の高さに驚きました。EBMを重視しており、受け持ち症例に関する論文を渡され、次の日にそれを踏まえた上での治療方針のdiscussionをしたりしました。医学英語の文章を素早く読める技術の必要性を感じました。コンサルト以外の時間はX線やCTの講義があり、とても勉強になりました。日本と見る疾患の違い、JHUのコンサルトはCystic Fibrosis、HIVなどの基礎疾患を持つ患者の感染症だったりILDだったりと大変興味深いものでした。
続いてEmergency Medicineで実習を行いました。実習はシフト制で8時間シフト16回(当直シフト2回と土日のシフト2回を含む)が義務であり、合間に講義等もあり大変有意義な実習を行えました。フォームの始まりではresidentに付き患者のファーストタッチを取りました。問診から、縫合や尿カテ等、多くの場合やらせてもらえました。症例として期待していたgun shotは別の患者さんを自分が縫合中で見ることは出来ませんでしたが、stabbingやdrug abuseなど、日本では珍しい疾患も多く大変楽しめました。

EDでは最後の日にcase presentationがありました。自分の症例と、それに関する論文を引用して説明するというものです。 発表の後毎回、学生同士で活発な質問とdiscussionがあった後に、attendingはこの点が素晴らしかったと言い、その事に関する説明をしてくれました。現地の学生のdiscussionの上手さとattendingのteaching能力の高さに大変驚きました。

最後の科はGIで肝臓チームとコンサルトチームに2週間ずつ所属する事になりました。僕の仕事は新しいコンサルトが来たら患者を受け持ちfellow, attendingに発表するというものです。治療法の選択肢の一つとして、常に肝移植があり、Assessmentをする際に常に肝移植をするメリットがあるのかの評価をするように言われ、多くの評価スコアがあり大変勉強になりました。GIは日本が進んでいる分野の一つで、日本に学会で行った事がある人が多く、大変良くしてもらいました。

Hopkinsでの最後の日は、精神科の尾崎先生の紹介でhopkinsの教授の澤先生と昼食を取らせて頂く機会があって、世界的に有名な研究者のお話を聞かせて頂き大変刺激になりました。また、澤先生の紹介で統合失調症の病棟も見せて頂きました。
以上の様な実習のみでなく、生活面でも大変楽しませて頂きました。現地で出来た友達とサッカーをしたり、飲みに行ったり、メジャーリーグ観戦に行ったりと充実していない日はありませんでした。

週末にはattendingの先生の家でイースターパーティに参加したり、Philadelphiaで西崎先生と、NYでは兼井先生、浅井先生にお会いしてお食事をご一緒させて頂きました。浅井先生にはその後に、家にも泊まらせて頂きニューヨーカーの生活を垣間見させて頂きました。アメリカで働かれている日本人医師のお話を間近で聞けて大変貴重な体験でした、またFrontierのネットワークの素晴らしさを痛感しました。

留学していなければ出会う事の無かったであろう、多くの人との出会いがアメリカでも出発前での日本でもありました。そういった出会いが今回の留学で一番自分の人生に大きな影響を与えて頂いた良かったものでした。
このような素晴らしい機会を与えて下さった、粕谷先生、長縄さん、事務の西尾さん、青木さん、事前研修に来て下さった先生方には、事前研修を開催して下さり役立つ情報も教えて下さった先輩方、そしていつも刺激を与え続けてくれた同級生のみなさんはじめ、多くの方々に心から感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

North Carolina大学での実習を終えて

三宅 奏衣(North Carolina大学Chapel Hill校)

この度、米国North Carolina大学に2カ月間留学する機会を頂きました。支えてくださった多くの方への感謝の気持ちをこめて、体験記を書かせて頂きたいと思います。

1ヶ月目は呼吸器科のconsult team。毎朝他科から入るコンサルトを1件割り振られ、その患者さんの問診・診察と、Attendingにassessment /planを含めたプレゼンテーション、カルテ記載をし、その後チームでのディスカッションと回診の中でプランを決定していきます。attending、fellow、私の3人の小さなチームであったため、質問やディスカッションでの意見もしっかりと聞いてもらうことができ、恵まれた環境で実習することができました。症例は画像上の異常陰影と病歴からの鑑別診断を求める依頼が多く、複雑な症例ばかりで、実際に自分が鑑別診断をつけ治療のプランまで考えることはほぼ不可能です。しかし、どんな可能性が考えられ最低限何を除外しなければならないか、そのためにどんな検査が必要で何が必要でないか・やってはいけないかなど、診断に至る初期のアプローチをトレーニングできたことが、大変有意義でした。初めは、プレゼンの後Attendingに"So, what's the patient's problem?"とよく言われました。大切なことは鑑別当てではなく、今患者さんの問題は何で、そのために何をしていけばよいかをひとつひとつ考えなさい、と。

2ヶ月目は、小児呼吸器科のinpatient team。患者さんの7割近くがcystic fibrosisと、日本ではまず見ない疾患に戸惑いましたが、少しずつ慣れてきた2週目より患者さんを2名割り振ってもらい退院までフォローアップしました。毎日問診と身体診察をし、SOAP形式での簡単なプレゼンテーションとカルテ記載、そしてそれについてattendingからフィードバックを受けます。患者さんの「退院」というゴールを目指した上でのplanの組み立ては非常に難しく、単に入院中の治療方針のみでなく、家族の受け入れ態勢はどうか、家庭での気管チューブなどのケアや抗生剤の選択についてなど、薬剤師、栄養士、看護師、ケアマネージャーなど多職種を交えたdiscussionを参考にしながら、日々取り組むことになりました。実習の最後に、興味深かった症例について他科との合同カンファレンスで最近の文献紹介を交えた症例プレゼンテーションを行ったことも、大変貴重な経験です。

実習中、日米の医療の違いを感じたエピソードがいくつかあります。1人の患者さんについて2時間もdiscussionするコンサルトチームのattendingや、1年間の大部分を自らの研究に費やし病棟業務は交代で年に1・2カ月やるのが普通だという小児呼吸器科のfellowたち。業務の専門化、細分化が進んだアメリカならではの、"ゆとり"のある時間の使い方だと感じました。重症の間質性肺炎の患者さんを前に、Drが言った「この人にはもう肺移植しかない」の一言。今の日本であれば、「肺移植」の選択肢も無いのではないかと想像しました(今後はわかりませんが・・・)。一方で、初期の肺癌で手術適応があっても、保険に入っていないため何も治療をせず外来でフォローすることしかできない患者さんもいます。こうして実際にアメリカの医療を"体感"することは、日本の医療の長所・短所ともに見つめ直すことに繋がりました。

学生である今、異なる文化、医療制度の中に飛び込んだ経験が、私自身の視野をぐんと広げ、自分の将来像を考える最高の機会となりました。とてもお世話になった女性のAttendingが、最後に"Don't be a stranger."と、メッセージをくだいました。意識はしていませんでしたが、アメリカ滞在中常に私の心にあった言葉を、ぴったり表してくれた言葉のように感じました。彼女は、あなたはきっと素敵なDrになるから、自信をもってもう一度アメリカに戻っておいで、そのときは私が必ず力になるから、と続けてくださいました。本当に嬉しく、留学してよかったと思えた瞬間でした。この留学プログラムに興味があるけれど、もし迷っているという後輩の方がいたら、私も同じ言葉を贈り、ぜひ自信を持って挑戦してください、と伝えたいです。きっとかけがえのない財産を得られると思います。

実習以外でも、地域の合唱団に参加したり、週末に友人たちと米国各地を旅行したりと、大変楽しい思い出ばかりです。お世話になったホストファミリーをはじめ、慣れない環境で親身になって助けてくださる人々のいることのありがたさを、毎日身にしみて実感しました。このような貴重な機会を下さった国際交流室の先生方、学務の方々、事前研修で指導くださった先生方・先輩方、そして共にUNCで頑張った小松君はじめ同級生のみんなに、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。