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交換留学経験者からのメッセージ 2006年

留学体験記:フィラデルフィア小児病院

早野 聡


私はPenn大付属の小児病院CHOPで実習することになりました。小児内分泌、小児消化器、小児呼吸器に所属し、診療業務の大きな三部門である外来の予診、病棟の入院患者担当、コンサルトをバランス良く体験することができました。
最初の月に配属された小児内分泌での体験がとても思い出深いので、そこでの実習の様子から留学体験を語りたいと思います。最初の月は毎日が緊張の連続で、見るもの全てが新鮮で刺激的でした。最初は英語が思うように通じず歯痒い思いをしましたが、結局Happyな先生達に支えられて楽しい一ヶ月を過ごすことができました。

入院患者を受け持った時には、毎朝早くに病棟を訪れ、PCと看護記録でデータをチェック。申し訳なくもご両親を起こしてしまい、まだすやすや眠る患児をそっと聴診します。寛大なご両親が多く、日本から来たというと例外なく喜んで協力してくれ、祖国を誇らしく思いました。インスリン量の増減や低血糖の鑑別診断など内分泌学の基本も多くを学びました。
私のチームはボスも含めて全員女性でしたので、毎朝のラウンドは笑いが絶えない楽しいものでした。誰が持ち込んだのかベーグルやドーナッツを囓りながら、やれ血糖が何百だったとか改善したとかで大騒ぎ。しかし治療方針で疑問が生じると突然に真剣な議論が始まります。解消しない疑問は自然と「じゃあ明日のラウンドでレクチャーしてよ。」という流れになり、フラれた方はPubmedなどで調べて気楽なレクチャーを披露することになります。こうして上下なく、チーム内でフランクにuptodateな知識を交換していました。しかし緊張の初ラウンドでは、ポリクリの感覚で「・・なのでインスリンの"増量"が必要です。」なんて発言をしたら「Satoshi、シンプルなプランを有り難う(笑)」と一同に爆笑されてしまいました。こちらでは学生でも投薬のmgまで要求されるのです。ポリクリ1では人垣の後ろからしか患者を診たことが無かったので、ほとほと困ってしまいました。成書ではなく治療マニュアルを読み、忙しそうなレジデントを捕まえては教えを乞いました。鑑別診断からプランまで、たどたどしい英語でプレゼンし終え、"Good work!"などと声が掛かると本当にホッとしました。
レジデント達は最初は忙しくて構ってくれませんでした。が、毎日粘っていたら、時間が空くと病室で彼女たちの患者を診察させてくれたり、レクチャーしてくれるようになりました。これは大変勉強になりましたし、若いレジデント達と色々な話をするのはとても楽しい時間でした。写真はこの時のメンバーと撮ったスナップです。

毎日が大変アカデミックで、興味深い疾患を診た後はすぐ論文を紹介されました。時には教官がその論文の著者だったこともありました。翌日には「あの論文読んだかい?」とくるので、毎晩頑張って読みました。その道の権威と一緒に患児を診察し、論文を読み、議論するのはエキサイティングな体験でした。すぐ隣の冴えない先生が、Pubmedで検索すると論文が並ぶような権威だったりするので油断なりません。
学生はおろかレジデントがどんな基本的な質問をしてもOKで、時にふとした質問から医師達の熱いディスカッションが始まったりしました。日本のポリクリと比べて何と面白かったかと思います。
小児病院は高度に専門科、細分化され、超レア疾患も集まります。平均的な医師が一生で二人と診ないような疾患を毎日のように目にしたのは得難い体験だったと思います。また内分泌の酵素・ホルモン疾患は言うに及ばず、消化器ではIBD、呼吸器ではCFなど、日本では少なかったり教科書でしか目にしない疾患が多く来院するのにも面食らいました。DMや低血糖の管理、食事指導といった日常診療に彼我の違いを感じました。消化器ではグリチルリチンが分かって貰えず、驚いたこともありました。

呼吸器でコンサルトチームに所属した時には、小児ICUに入り浸り、興味深い症例を数多く診ました。肺だけではなく、神経筋疾患やレアな遺伝性疾患まで、実に様々な原因で呼吸不全が起こることを知りました。コンサルトでは他科の病棟へ出向き、過去のカルテを解読し(手書きカルテは殆ど暗号で、米国人も匙を投げていました)、鑑別診断とプランを立てます。あまりの病歴と暗号カルテに時間切れに近いことも多かったのですが、"excellent!"と自分の鑑別診断をそのまま採用してくれたときは嬉しかった。

ところで米国に来て一番ショックだったのは、実は医師達が定時で帰宅することでした。レジデント達ですら定時が近づくとソワソワし始め、パッと帰ってしまいます。初めは「この後実験しているに違いない。」と解釈していたのですが、どうやら本当に帰宅しているらしいことがわかって驚きました(上級医ではoffでも自分のラボに戻る医師は多いです)。抄読会やミニレクチャーのために残業していたら(日本人だなあ)、「早く帰って春の日差しをEnjoyなさいよ。」と言われてしまいました。勤務態勢は明確で、仕事が片付けば4時でも引き継いで帰宅します。引き継がれた方はハードな当直をこなし、翌朝引き継ぎをすると真っ直ぐ帰宅できるのです。これは最終的には医療保険の問題だとは思いつつも、羨ましい・・・。
週末にはしっかり遊んできたことも付け加えたいと思います。PhillyはDC、NYも近く、東海岸まで車で1時間(Harleyを借りてツーリングしました)という抜群のロケーションです。訪れる後輩にはぜひ週末をEnjoyして欲しいと強く思います。
Phillyも魅力的な街で、一級の絵画、交響楽、Jazzと楽しみも色々でした。ご飯は中華、インド、アフリカ、ベトナム、とエスニックで世界一周できる程充実していました(日本食は・・)。こちらの医学生と飲み歩いたり、芸術を楽しんだりと充実した週末を送っておりました。特にお薦めなのはBarns collectionという私立の美術館です。後期印象派の素晴らしいコレクションです。

本当に多くの人々に支えていただきました。国際交流室の伊藤先生、小林先生、鈴木さん、西尾さん、浜口医学部長、CHOPの西崎先生、U-PENNのMs.Varelieにドクター達、医学生たち、そして三ヶ月を共に学んだK君。こんな濃密な三ヶ月を過ごしたことはありません。

フィラデルフィア小児病院での臨床実習を経て

2006年度 川島 希


コートの中で寒さに身を震えさせながらも、米国での生活と臨床実習に希望で胸をいっぱいにしてフィラデルフィアの地に降り立ったのは三月の終わりでした。アイビーリーグの一つであり総合大学として米国最古の歴史を誇るUniversity of Pennsylvania(ペン大)へ三ヶ月間、臨床留学する機会をいただきました。
現地の医学生に混ざってあらかじめ希望科を教務課に提出し、四週間ずっと一つの科を実習する"elective"というコースで実習をしました。ペン大は大学病院であるHospital of University of Pennsylvania (HUP)だけでなく、米国東海岸の三大小児病院の一つに数えられるChildren's Hospital of Philadelphia (CHOP)、退役軍人が無償で医療を受けられるVeterans Affairs Medical Center (VAMC)など多数の関連病院を抱えていて、これら病院のさまざまな科で医学教育が行われています。私は三ヶ月間ともCHOPで実習させていただきました。
CHOPは米国最初の小児専門病院として知られ、昨年2005年に創立150周年を迎え病院の内外でそのことを祝うのぼりが立てられていました。ただ歴史があるというだけでなく、数々のジャーナルで全米No.1の小児病院として輝き、fellowやresidentとなるには幾多の競争に打ち勝たなくてはならないような研修病院としても人気のある病院です。病院に付属する独自の研究センターを持ち、基礎研究や臨床研究も盛んに行われています。毎日昼にresidentや学生を対象にレクチャーや症例報告を主体にしたカンファレンスが開かれ、毎週水曜の朝には他の機関から講師を招聘して全職員を対象にした講義がもたれていました。臨床もしっかりとこなし、同時にアカデミックな雰囲気も漂うとても魅力的な病院で、私は血液内科、神経内科、消化器内科の三つの科を回りました。
CHOPでの初めての実習では血液内科でコンサルト・チームに所属しました。CHOPでは血液内科と腫瘍内科とに分かれておりそれぞれ専門の教授職が置かれています。Fellowはこの両方の科で研修を積むことになっていますが私は主に血液内科の患者さんを診ることになりました。指導医であるattending一人が入院とコンサルトの両方を統括してその元に二人のfellowがつき、入院ではさらに数名のresidentと学生が担当していました。コンサルトはattendingとfellow、学生の私というたったの三人で構成されていて、上級医を学生が独占できるという恵まれた状況にありました。毎朝8時15分からラウンドといって病棟スタッフが集まり入院患者さんのプレゼンテーションとそれに対するディスカッションの場が設けられていました。午前中は新規コンサルトがある時には患者さんのところにむかい、ない場合にはattendingについて入院患者さんの回診につきました。午後はfellowとともにフォローアップしているコンサルト患者さんの診察に回り、attendingの前で患者さんのプレゼンをしてからまた回診をしました。CHOPの血液内科は鎌状赤血球症のコントロールで知られており感染症などを契機に症状の悪化した患者さんが多く入院していました。コンサルトされてくるのはスクリーニング血液検査で凝固系に異常が見つかった患者さんが多く、この場合は検査計画を提案してフォローアップすることになります。時には出血が止まらないなど病態が複雑でかつ急を要する問題もコンサルトされてきましたが輸血や止血に関する専門知識をフル活用して対処することになります。


実習を始めて最初の週は英語のスピードに慣れるだけでもやっとの上、医学生に何が要求されているのかが分からず戸惑うことが多かったように思いますが、三週目頃から患者さんとその家族に医療面接をするとともに身体診察をして、病歴や検査結果なども含めてチャートにまとめて上級医にプレゼンするという一連の流れを通すことができるようになりました。特に詳細な病歴聴取は学生の仕事であり、私が調べてチャートに書いてプレゼンで述べたことがそのまま正式な記録となってしまうため、日本の臨床実習では負ったことがないような重い責任を感じました。 次の神経内科でもコンサルト・チームに属しました。小児神経を専門とするfellowのほか隣のHUPで大人の神経専門医を目指すresidentが数ヶ月間、小児神経の研修に来ていましたが、彼らとコンサルトの仕事に当たりました。小児神経ではseizure(痙攣)に対するコンサルトが多いため詳細な医療面接が必要となり、ようやく慣れたと思っていた英語での医療会話に再び難渋していました。この科で印象深かったのはstroke team(脳梗塞チーム)の存在でした。小児病院で脳梗塞チームとは一体どういうことなのだろうか、と思いましたが、もやもや病など脳血管系の異常や腫瘍による圧迫などで脳血管障害を負う小児患者さんが入院しているということに気づくのにはそれほど時間を要しませんでした。コンサルトがまず初診を担当してからDr. Ichordをリーダーとしたチームに連絡を取り、看護師やソーシャルワーカーも一丸となって患者さんのケアに当たりました。病棟や救急室に呼びつけられ混乱状態にある家族に配慮しながら最善を尽くす彼女らの熱心さには脱帽する思いでした。神経内科ではCHOPだけでなくHUPでの外来実習などの機会も与えられて小児病院と大人病院の違いを知っただけでなく神経内科がカバーする幅広い疾患像を目にすることができました。
最後の消化器内科でもコンサルトに配属されました。他科に入院している患者さんに体重増加不良が見られたためコンサルトされてくることが多くありました。これまで実習した科と異なり、消化器内科では内視鏡検査など手技を必要とする場があり、学生として見学に徹することも多くありましたが、二ヶ月間の臨床実習を経て英語での医療面接やプレゼンにも慣れてきたこともあり、充実した実習をすることができたことだと思います。消化器内科では「日本ではどのような治療を行っているのか」と聞かれる場面が多かったように思います。炎症性腸疾患などの治療法では日本からも多くのエビデンスの報告があり、米国の臨床の場でも評価を受けているのが分かりました。米国で外国の医学教育を受けた医師や学生に求められるのは米国流の医学を模倣することではなく、違いをぶつけ合わせてよりよい医療を目指す姿勢にあるように強く感じた一場面でした。
こうした病院内での実習だけでなく、いろいろな人との出会いがあったことも留学の大きな収穫でした。ペン大では神経研究がさかんで、米国国立衛生研究所(NIH)のグラント数は全米一位に輝いたことがあります。その一翼を担うthe Center for Neurodegenerative Disease Researchの見学とセンター長の一人であるTrojanowski教授と話をする機会を持ちました。


日本人研究者の瓜生先生に案内された室内はラボベンチが数列にも渡って並び、医学博士号(MD)や理学博士号(PhD)を持ったさまざまな背景を持った研究者が共同して研究しており、他の分野の研究者どうしディスカッションを重ねて、お互いの得意分野を寄り合わせて研究しようという雰囲気がとても印象的でした。最後になりましたが学部長、国際交流室の先生方を始め多くの方のご配慮のもと留学が実現したことに感謝いたします。特にフィラデルフィアでお世話になった西崎彰先生、Jason Liu君、また一緒にCHOPで実習して病院の内外で苦楽を共にした早野聡君に感謝いたします。

DUKE大学での実習を終えて

2006年度 M.S.

2006年の3月末、まだ桜も花開いていないまだ少し肌寒い名古屋から、アメリカ合衆国北東部に位置するノースカロライナ州のダーラムへと旅立ちました。3ヶ月間の医学生実習への期待と不安に包まれながら熟睡できずに到着した先は、のんびりした田舎町といった印象の市。ついに待ちに待った、Duke大学付属病院での実習の始まりでした。
Duke大学は1924年に創立された米国の中では比較的新しい大学ですが、全米の中では有名私立学校として知られています。最先端の治療を提供する大学病院として様々なサービスを提供しており、近隣の州からも多くの患者がはるばるやってくるような病院でした。Medical Schoolとしても他校とは少し異なるユニークなカリキュラムを組み、絶大な人気を誇っており、優秀な学生が集まってきています。そのような恵まれた環境の下、私は眼科、血液内科、腫瘍内科にて実習を行いました。以下それぞれの科での実習の概要と感想について順にお伝えしたいと思います。
眼科では外来実習と手術見学を中心に4週間行いました。角膜、緑内障、網膜等、専門毎の外来を週代わりにローテートし、レジデント・フェロー・アテンディングが行うチームでの診療に加わりました。最初の二週間はただただ見ているだけで、めまぐるしいスピードで流れる英語と診療に圧倒されていました。しかし三週目にまわった復員軍人病院での実習では、まず自分一人で患者さんを診察し、レジデントやアテンディングにプレゼンテーションし、その後一緒に診療する機会を与えていただきました。細隙鏡顕微鏡とレンズとともに患者さんを前にして奮闘し、なんとも楽しい実習をさせていただきました。わからないなりにも自分がやる気を見せて努力していれば、それを評価してくれるということを実感しました。レジデント向けのレクチャーは週に何度も開かれ、実際に臨床・研修双方に通じているアテンディングによる説明は実践的かつ興味深く、眼科という分野の広さと面白さが強く伝わってきました。偶然にも4週目にはDuke網膜チームが毎年開催するワークショップがあり、世界中から専門家が集まる場に同席できたのは光栄でした。
血液内科では主にconsultチームに加わって3週間を過ごしました。そして週に二回、凝固異常外来と鎌状赤血球外来に参加し、多くの患者さんを診察させていただきました。レジデント・フェロー・アテンディングによるチーム診察は患者さんの数が多いときには夜8時近くまで続き、その後に検査のオーダーなどを行っている様子をみていて、米国医師は9時5時だという空想は見事に吹き飛びました。血液内科カンファレンスと血液内科腫瘍内科合同カンファレンスなどは早朝に週一回ずつあり、多数の医師によるプレゼンテーションと活発なディスカッションとが繰り広げられました。これらを通して、「多数の論文からの報告を基に議論を始め、そこに多数のアテンディングの経験的知識を加えて熱い討論をすることで、各患者に適した治療で診療に臨む」、という米国におけるEBMの姿をみることができました。またこのような多くの発表機会によって、フェローの医師たちが専門家として必須となる発表能力と議論能力とを鍛えていく様子も心に残っています。
最後は腫瘍内科でした。月・木は腫瘍内科病棟でのチーム診療につき、火・水・金は腫瘍外来に参加という忙しい日々で、三ヶ月目にも関わらずそれぞれのチームに慣れるのが一苦労でしたが、心温かい医師やコ・メディカルの方々に支えられて、実りある4週間にすることができました。腫瘍内科医は化学療法の専門家であり、腫瘍への抗癌剤投与は血液疾患を除けばほとんど腫瘍外来で行われているため、腫瘍内科病棟に入院してくるのは状態悪化により急性期治療を必要としている患者が中心です。同じ腫瘍内科という名前で括られていますが、外来での診療と病棟での診療は大きく異なり、光と影の関係となる双方を見る機会を持てたことはとても幸運でした。病棟では急性期の治療を行うのを目的としているので、一旦状態が落ち着けば自宅へ帰るか、ホスピスへ移るかになります。何度かホスピスへの移動を促さなければならない場に面し、がんの宣告以上にシビアな空気に息が詰まる思いでした。病棟では各症例があまりに深刻で関われなかった私も、外来では新患やフォロー中の患者さんなど様々な患者さんを診察させていただき、多くの症例を見る機会に恵まれました。全米有数の癌治療施設として知られているだけあって、セカンドオピニオンや最先端の治験を希望してくる患者が主で、それぞれの人が秘める生き残ることへの執念をひしひしと感じました。そんな患者を次から次へと効率よく診ていくためにチーム医療がうまく機能しており、医師の豊富な医療知識が治療方針決定にのみ専心できる環境が整えられていると感じました。
様々なことに慣れることに疲れることも度々でしたが、それを理由に、休日に小旅行したり、現地でできた友達とスポーツ観戦や映画を楽しんだり、ホームパーティへ参加したりと、アメリカの文化も十分に楽しみました。
日本と異なる医療システムの代表として、よく比較される米国での医療の中にわが身を置き、その利点・欠点を体感するチャンスを与えていただいたことによって、私は逆に日本の医療の充実を感じることができるようになりました。もちろん米国に学ぶべき点があるのは否めませんが、日本のよさを評価できる視点を得ることができたことが最大の収穫となりました。このようなかけがえのない機会を与え、常に支えてくださった小林先生、伊藤先生、Fields先生、事務の鈴木さん、西尾さん等、諸々の方々に深く感謝するとともに、これからもこの制度を利用して多様な刺激を受けることに積極的な学生が増えていくことを期待しています。

アメリカの救急医療

医学部6年 M.S.

BaltimoreにあるJohns Hopkins Hospitalに3ヶ月強、臨床留学させていただきました。Baltimoreは、アメリカ有数の治安の悪さを誇り、Fire Truck出動率全米No.1、Medic 7(Ambulance)のrunも全米No.1というすばらしくeventful cityです。Hopkins Hospitalは、スラム街の中心に位置しております。私は、Traumaに興味があったので、ここを選びました。ERを中心に、Emergencyに関わるdepartmentは、ほとんど見てきました。


特に私が興味があったものは、Gunshot wound, Stab woundですが、ER実習初日から、激しいものに出会いました。学生は労働力なので、実践でたくさん学ぶことができます。
ERは当然内科的疾患の患者がたくさん訪れます。しかし、鑑別疾患として、日本の知識を基本にしようとするならば、話にならない環境です。例えば、Chief ComplaintがChest PainのPatientに対する鑑別診断では、日本ではMIを疑わなければいけないのでしょうか、しかし、Baltimoreでは、真っ先にCocaine、Heroinをrule outしなくてはいけません。こういう状況を把握するためには、多少、Baltimoreの生の生活を知っておく必要があると思います。ERの一環として、EMS(Emergency Medical Service)に携わる機会が与えられるのですが、非常に重要な経験です。具体的に言うと、Ambulance ride alongです。ParamdicsによるPrehospital Careを見ることができます。


日本とは違い、Paramedicsの推察力、判断力に感動させられます。また、事件現場にdirectに訪れる楽しみがあります。実際、様々な現実を垣間見てきましたが、文章では表せない経験をさせていただきました。まったく、どんな患者がERに来るのかわかっていない私を手取り足取り教えてくださったDoctorたち、慣れてきた私をチームの一員として扱ってくれたDoctor、Nurseたちに感謝しています。
次にPlastic Surgeryにお世話になりました。ここでは、cosmeticからTrauma reconstructionまでありとあらゆるものを扱っています。ORでは和気あいあい楽しく会話しながらsurgeryをしています。名古屋大学では見ることのないcosmetic surgeryはすべて見ることができ、様々なreconstruction(日本でいうENTからOral Surgeryの分野まで含みます)では、素晴らしい技術を見ることができました。あまりに手早いので簡単に見えてしまいますが、実際やってみると、かなり大変でした。
最後にCardiac Surgeryを見せていただきましたが、"the biggest surgery in the world"というほどの手術を日常的に行っています。レベルが高すぎて、学生には理解できませんが、とにかくスゴイということだけがわかりました。日本とアメリカの医学(医療)教育の違いを目の当たりにしました。予想通りの違いでしたが、それ以上に病院内での一般的行動・態度の違いが新鮮でした。私が感じた最大の教育の違いは、日本では「やってはいけない」ことをうるさく教育すること、アメリカでは「やらなければいけないこと、やるべきこと」を学生に教育することです。
このような素晴らしい機会を与えていただき、ありがとうございました。

A Whole new world

坂 なつみ

「漠然とした外国、留学への憧れ。未知の世界を体験してみたい」名大に交換留学制度があるのを知り、こう意識し始めたのは一年生のときでした。それからあっという間に5年の年月が流れ、今こうして日本に帰国してみると、3ヶ月間のアメリカ滞在は予想していた以上のものを私に与えてくれたと感じています。
私が実習させていただいたのは、Johns Hopkins University、本院であるJohns Hopkins Hospital、関連病院であるBayview medical centerです。全米屈指のメディカル・スクールであり、臨床、研究共に、ハイレベルな大学であるとともに、日々、銃創、AIDSなどと闘っている病院でもありました。
3ヶ月の実習の間は、この環境を自分なりに活用できたのではないかと思います。
ここでは、そのシステム、疾患の多様さが共に勉強になりました。
まず、システムの違いです。3ヶ月間で3つの科、腎臓内科、内分泌内科、感染症内科を回りました。米国の一般的な病院では日本のようにそれぞれの科が病棟を持っているわけではなく、レジデント(研修医)が一般内科病棟に属して患者さんの総合的な管理を行い、手に負えない問題が生じると、各科にコンサルトを依頼する。というシステムです。私もコンサルトチームに属し、病棟で患者さんを診察し、フェロー(専門研修医)やアテンディング(指導医)にプレゼンテーションして、一緒にプランやアセスメントを考える。という毎日でしたが、日本と比べることで様々な発見がありました。まず、研修医や学生の立場としては、一人の患者さんに対してたくさんの医療関係者が関わることになるので、プレゼンテーションの能力が必要になり、更には各分野の人から様々な角度からの教育を受けることができます。医師ばかりでなく、コメディカルの人々にも様々な職種があり、内分泌内科では、糖尿病専門ナースの講義を受けるという機会もありました。また病棟管理をする必要のない専門内科の医師は研究や教育に時間を割くことができます。学生にも責任があり、多くを求められました。一人で病棟に向かい、患者さんに自己紹介をして、診察し病棟のスタッフに患者さんの容態を聞く。ということも、日本での実習では考えられないことだったために、最初は患者さんの病室に入るのにさえ戸惑ってしまうこともありました。また、患者さんや、ドクター、コメディカルも学生だから、外国人だから、ということに躊躇せず(または気づかずに?)話しかけてきます。日本と比べて、責任があり、多くを求められました。しかし、1ヶ月程経った頃、抵抗なく病室に入り、病棟に電話をかけている自分に気づき、少しずつ成長していることに気づきました。
一方、学生にいろいろなことをやらせてくれるということは、将来への評価にもつながっているということも実感しました。評価表などで細かくチェックされる厳しさも、また日本にはないものでした。その厳しさの前で、自分の力のなさを歯がゆく思ったことは何度あったか分からないほどです。
そして、見る疾患の多様性には目をみはるものがありました。コンサルトでは毎日違った患者さんを診ることになったので、体験できた症例の数自体も多かったのですが、鎌状赤血球症や、cystic fibrosisなど人種によるもの、薬物中毒や、HIV/AIDSなど社会背景によるもの、肥満による疾患の多さなど日本では見ることのない疾患をたくさんみることがありました。特に感染症科は日本にはない科だったため、そこで見る疾患や、考え方などはすべて新しく興味深いものでした。一方、社会背景や、肥満に基づいた疾患、医療保険の問題を目にするたびに日本の医療の長所に気づいたことも多々ありました。

そして今回の留学で一番の財産となったものは、様々な人との出会いです。
日々の実習で、快く診察をさせて下さった多くの患者さんたち、特に厳しかった腎臓内科を一緒に乗り切ったフェロー。それから実習の外で出会った多くの人たち。アメリカ全般にいえることでしょうが、Johns Hopkinsには、様々な国籍、民族が入り混じっていました。それぞれの人々が、ある人は基礎研究、ある人は臨床においてそれぞれに興味深い仕事をしており、彼らと話すことが一番刺激的でした。また病院に隣接して、School of public healthがあり、各国から公衆衛生を学びに来ている人々が、そこで研究されたことを、世界の健康のために生かそうとしている場面を見ることは、自分にとっては、まさに世界がそこに広がっているのを見るかの思いでした。彼らとの出会いを心から感謝したいと思います。そして、どのような分野にしろ、ぜひまたあのような環境で学んでみたいと強く思いました。
自分にとってまさにwhole new worldであった今回の留学でしたが、様々な人に支えられて充実した経験をすることができました。今回の留学の機会を与えてくださった国際交流室の方々、小林孝彰先生、伊藤勝基先生、鈴木さん、西尾さん、学部長の濵口先生、家族、同級生の皆様に感謝します。

ノースカロライナ大学病院での臨床実習を終えて

Y.I.


私は、2006年の4月から2ヶ月間、アメリカ合衆国の東海岸に位置するノースカロライナ州のチャペルヒルにある、University of North Carolina(UNC) Hospitalにて、2ヶ月間の臨床実習を行いました。名古屋大学とUNCの医学部との間では、10年以上も前から交換留学制度をはじめとした交流があり、昨年も2人の先輩が2ヶ月間留学しています。 1ヶ月目は、Hematology/oncologyの中のCoagulation consult teamで実習しました。アテンディング・フェロー・レジデント・私の4人でチームを構成していましたが、1ヶ月間メンバー交代はなかったのでお互いの距離も縮まり、とても懇切丁寧に指導をしてもらえました。最初はとても初歩的なところから始まりましたが、2~3週目ぐらいからは、新規患者やフォロー中の患者のプレゼンテーションを毎日やらせて頂き、基本的な問診・診察法や患者情報の把握の仕方、及びプレゼンテーションの方法を習得することが出来ました。
2ヶ月目は、Infectious diseaseのConsultation teamで実習しました。チームの人数が多かったため、1ヶ月目と比べると患者さんに直接関わる機会は少なめでしたが、チームが担当する症例数は1ヶ月目の倍以上だったので、毎日チームがフォローしている患者さんのカルテを隅から隅まで読んで分からないところや興味を持ったことを文献で調べて読んでいると、時間はいくらあっても足りませんでした。listening能力が向上したことと、大量の医学情報のインプットをしたおかげで、1ヶ月目に比べると、格段に回診での議論についていけるようになりました。 2ヶ月間の実習を通しての反省点としては、日本での英語のlisteningの勉強が不十分だったために、新規患者の問診が1人で全てできず、いつもレジデントかフェローの助けを借りながらペアで行っていたことです。身体診察やカルテ記載、プレゼンテーションと比べると、患者さんの問診は格段に日常英会話の能力を必要とされる分野だと思います。海外で医師として働くには、医師としての専門的な能力と同じくらい、もしくはそれ以上に言語能力が大切であることを実感しました。
ここで、実習中に印象に残ったことを、医師個人に関する事柄とシステムに関する事柄に分けて、いくつか挙げてみます。


まず、医師個人については次の2点が印象的でした。1つ目は、問診や身体診察法、及びカルテ記載法やプレゼンテーションの方法がパターン化されていて、システマチックなことです。パターン化により、誰がやっても同じ形式になるため、カルテ内容やプレゼンテーションが理解しやすいという印象を受けました。2つ目は、EBMをとても重視している点です。患者さんの診断・治療においての議論では常にエビデンスに基づいた話し合いが持たれます。また、エビデンスが確立されていない状況に陥った時には、必ずpubMedで今回の患者と似たケースが無いかを調べて、使えそうな論文が見つかればそれを採用していました。医師の中には公衆衛生大学院博士号(MPH)の取得者がとても多く、エビデンス作りに関心が高いことも印象的でした。
次に、システムについて印象的だったことを3点挙げます。1つ目は、コメディカルの種類が多種多様なことです。日本よりも医療業務の細分化が進んでおり、それぞれの職種の方が、高い専門性とプロ意識を持って仕事をされているという印象を受けました。2つ目は、医師のコンサルトサービスが発達し、1人の患者を複数の科で診療することが当たり前であることです。日本に比べて、他科へコンサルトすることへの敷居が低いという印象を受けました。3つ目は、各科ごとに、レジデント何年・フェロー何年と、1人前になるまでの年数が明確化されていることです。日本と比べると、医師は自分の将来のキャリアプランが立てやすいという印象を受けました。
UNCに留学したこの2ヶ月間は、毎日が本当に刺激的で充実していました。今回の留学に際し、学部長の浜口先生や国際交流室の小林孝彰先生をはじめ多くの方々にご後援を賜りましたこと、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

家庭医を巡る旅

吉田 多恵美

私のアメリカでの家庭医見学の目的は、家庭医とは何かを知ること、そして、家庭医になるためにはどんな勉強をすればいいか学ぶことでした。前もってDr Gwytherから連絡をいただき、その旨を伝えたところ、1ヶ月に渡る完璧なスケジュールを組んでくださり、大変充実した実習を受けることができました。
家庭医という概念は残念ながら日本ではあまり発達していません。基本的にはホームドクターであり、日本で最も近いのはプライマリケアでしょう。家庭医の概念には、幅広い分野を網羅すること、継続的なケアを行うこと、患者の背景にも気を配ること、患者のみならずその家族を同時に診てゆくこと、その家族の属する地域の健康を考えること、そして予防医療などが含まれます。特に慢性疾患をいくつも同時に抱えた患者さんのケアにはこのような医者が求められています。専門医に行っても原因のよく分からない腰痛などでは、同じアウトカムでも、家庭医の方が安く、より患者さんの満足度の高い医療を提供できるという論文も発表されています。また、患者さんの目から見ると今の病院システムは細分化が進み、包括的に診てくれる医者がなかなかいません。そんな中でどの医者に行けばいいのか分からなくて困る患者さん、一日に何カ所もの科を回って大変な思いをしなければならないお年寄りの方も多いかと思います。そのようなわけで私は今の日本の医療には家庭医の制度が欠かせないと思っています。
さて、アメリカでの実習の主な内容は通常の外来クリニック、特殊クリニックの見学、3年生の家庭医でのポリクリの一部への参加、様々な家庭医の先生との面談、ノースカロライナ春の家庭医学会への参加でした。通常の外来クリニックでは医療面接や身体診察、場合によっては子宮頚癌のスクリーニング検査などをさせていただくことができました。
特殊クリニックというのは皮膚クリニック、スポーツ医学、腟鏡、S状結腸鏡、鍼治療、糖尿病クリニックなど、専門的な検査や治療を行うクリニックで、それぞれの分野について勉強し、訓練を積まれた家庭医の先生が行っています。UNCでは特に、鍼の輸入が進んでおり、中国の先生を呼んで、家庭医の研修医の先生に教えられたり、昼休みの時間を利用して学生に講義されたりなど、積極的に学ぶ体制ができていました。また、皮膚クリニックや糖尿病クリニックなど、特殊クリニックの中には訓練を積んだNP(Nurse Practitioner)の方が行っているものもあり、医者の負担を軽くするための努力が見られました。
アメリカの医学部は4年間で、3年生はポリクリをしているのですが、家庭医ではそれぞれ一人ずつになって別々のクリニックへ行き、外来で患者を診、医療面接・身体診察からアセスメント・プランまでを行い、先生にコンサルトすることを火曜日から金曜日まで、そして、月曜には大学へ戻ってフィードバックや講義を聴く(Day Back)という内容でした。私はそのDay Backに参加し、他の学生が前週に診てきた症例を元に行うロールプレイや、予防医療のプレゼンテーションをさせていただくなどしました。これで驚かされたのはやはり学生の知識が日本の学生より多いだけでなく、実践的だということでした。ロールプレイでは医師役の学生を中心として全員が20近い鑑別診断を挙げ、優先順位をつけ、更に最後には診断がついてもつかなくても患者さんにどういう説明をするか考え、実際に患者役の学生に話してみせるといった様子でした。
家庭医の先生方との面談では家庭医の研修プログラムディレクターの先生、禁煙推進センターの先生、国際医療に関わっておられる先生、研修医の先生などと話すことができ、家庭医の臨床面だけでなくシステム面について知るいい機会となりました。
家庭医学会は地域の家庭医同士の知識の共有が主で、講義やワークショップが催されていました。しかし、医師だけでなく学生のコーナーもあり、周辺の大学での家庭医部(家庭医に興味のある学生が集まって勉強会や地域での活動をするグループがそれぞれの大学で自主的に作られています)の代表が集まって活動の内容を紹介するなど、活発な議論が行われ、モチベーション維持につながっているようでした。
アメリカの医学生のレベルには驚かされるばかりでしたが、更に驚かされたのは学生が運営しているクリニックSHACでした。昼間クリニックとして使われている場所を週に一度夜間使わせていただき、医療費の払えない貧しい人などを相手に一切無料で学生が医療行為を行うのです。医学生だけでなく看護学生や検査技師学生、ソーシャルワーカーの学生などもおり、来た患者さんは何の問題で来たかに関わらずその全員と会い、学生の勉強の相手となります。患者さんの目的は様々で、学校の健康診断を受けに来る子供もいます。医学生は1・2年生が3・4年生と組み、患者さんに会います。基本的には1・2年生が診、3・4年生が監督、2人でアセスメントとプランを考え、控え室の家庭医の先生(当番制でボランティアしていらっしゃいました)にコンサルとしてOKが出ると患者さんにその内容を伝えて薬の処方箋なども出します。尿検査や血液検査、子宮頚癌検診など簡単なものであれば検査もでき、難しい疾患や、フォローが必要なものについてはUNCの家庭医への紹介状を書きます。私も2月目は毎週参加し、4年生の学生と組んで丁寧に教えていただきました。


さて、私はUNCが最長2ヶ月の受け入れということでウィーン大学にもお邪魔させていただきました。こちらは大学病院での実習はせず、General Practiceのオフィスを色々見学させていただいたり、薬物中毒者の施設、自殺予防センター、そして郊外の人口1000人ほどの村の開業医などにもお邪魔させていただいたりしました。また、GPのマイヤー教授が学会などで使われたスライドに基づいてオーストリアでの医学教育制度、医療システムやGPの概念などを講義して下さいました。ほとんどの先生方がドイツ語のほとんど分からない私に英語で通訳をしてくださったりと、とても温かく迎えて下さいました。
ところで、ウィーンの医者を見ていると、なんとなくのんきに診療しているような印象を受けてしまいました。アメリカと比べると、特にエビデンスに基づいているわけでもなく、よく勉強しているわけでもなく、ディスカッションをしている様子も特には見られませんでした。先生が腹痛の患者さんを見られた後に「診察していいよ」と言われ、反跳痛を見たら見事な陽性で(こんなはっきりした陽性を見たのは初めてでした!)、しかし先生はのんきな上に自信たっぷりで、口を挟ませていただけませんでした。腹膜炎を起こしてませんか?と言った方が患者さんのためにはよかったのかもしれませんが、それでその医師との信頼関係をくずすのもためらわれ、取り返しのつかないことにならなかったことを祈るばかりです(あのときの患者さん、ごめんなさいっ)。
しかし、そんなウィーンの医療でも、アメリカよりもいいと思われることが一つ。それは、患者さんの方が話している時間が長いということでした。アメリカでは医者の方が病気の解釈や治療方針などをエビデンスを交えて一方的に話していた印象が強かったのに対し、ウィーンでは患者さんの方が話したいことを自由に話して、希望を言ったりしているという印象を受けました。
日本人は特にアメリカびいきになりがちで、何でもかんでもアメリカがいいと思いがちなように私は思います。実際、華々しくてテンポが早く、アカデミックなアメリカを見ると、いいところばかりが見えてしまいがちです。私もそうでした。そしてヨーロッパの医療もそうなっているのだと思いがちですが、全く違うということが今回の留学でよく分かりました。帰り道に寄ったオックスフォードでは総合診療部の錦織先生に大変お世話になり、毎日何時間も医療教育や医療制度について議論に花を咲かせましたが、そこで先生がおっしゃっていたのは、「アメリカ型の医療はとにかく強いエビデンスを他の誰よりも早くみんなの前にたたきつけて相手を黙らせる、という感じだけれど、ここイギリスではそういうことをすると軽蔑されるんだよ。ディスカッションというのはお互いの意見を吟味しながらその妥協点を探していくプロセスなんだ。」というようなことでした。アメリカの教育は掛け値なく素晴らしいものだと思います。しかし、いい医者という面から言えば、それが良いわけでもまして正しいわけではありません。私はこんな批判を書いてばかりいると思われるかもしれませんが、アメリカで研修をしたいと今でも本気で思っています。ただ、いいところはいいところと分かって、悪いところも冷静に心にとどめているべきだと思うのです。今回は結局白人社会のアメリカとヨーロッパだけでしたが、第三世界に行けば更に違う価値観でものを見られるようになるのでしょう。私たちはそうやってより多くのものを自分の目で見、賞賛と批判の両方を常に心に持ちながらいいと思われるものを元に自分なりの医師像を創り上げてゆくのが大切なのではないでしょうか。今回の留学では、私は他の同級生とは違い、医学的な知識を増やすようなことはあまりできなかったという反省はありますが、この先決して手に入らないような貴重な経験ができたと思っています。
留学に際して多大なご助力をしてくださった伊藤先生、小林先生、そして実務のみならず精神面でも支えてくださった西尾先生には感謝してやまないばかりです。また、フロンティア会を立ち上げ、この留学を維持・発展させてきて下さった先輩方にもお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

欧州での臨床実習

上條 厚


私は今年の3月から英国のWarwick大学に1ヶ月、ドイツのFreiburg大学に2ヶ月それぞれ交換留学生として派遣され、臨床実習の機会を得ることが出来ました。今や世界の医学の中心はなんと言っても米国との感もありますが、競争社会の米国とは一味違う歴史的背景をもつ、社会保障制度の手厚い欧州の医療事情を垣間見ることができました。イングランド中部のコベントリーにあるWarwick大学は、2000年にmedical schoolを新設したばかりで、学士向けの4年間のカリキュラムとなっており、昨年始めて卒業生を送り出しています。(通常のmedical schoolは5年間のカリキュラムです。)こちらには、私が初めての交換留学生として実習をさせて頂きました。米国と異なり英国の医療事情については正確な情報があまりなく、その観点も交えて報告したいと思います。
英国のmedical schoolを卒業した学生は、Junior house officerとして1年、Senior House Officer (SHO)として2~3年、各科をローテートし、専門医specialistになるか、家庭医General practitioner(GP)になるかを選択することになります。その後、専門医はRegistrarとして数年研鑽を積み、上級医Consultantのポジションを得て、担当患者を持つことができるわけです。一方、GPは診療所で数年研鑽した後に、独り立ちすることになります。私は、Cardiology、A&E(acute & Emergency:救急)、そしてGPで実習を行いました。英国では、住所に応じて掛かりつけの家庭医が登録されており、専門医specialistの診察を受けるためには、GPの紹介を受けるか、救急に行ってそこから紹介を受けねばなりません。その意味では、患者さんが受診するルートと、逆から実習したことになります。
最初のCardiologyでは、consultantの下にRegistrarとSHOが1人づつつき、3人でチームを組んでいました。Consultantは5人おり、1週間づつon callとなって全ての新患を受け入れます。その後はチームでfollowしていくことになります。病棟管理は主にSHOの仕事で、consultantは外来と心カテに専念し、Registrarはその下で技術を学んでいくことになります。Consultant、Registrarは病棟管理の負担が軽く、書類作成等も全て秘書がやってくれるので、consultantは治療と教育に、Registrarは技術の向上に専念できます。
次に回ったA&Eでは主力はSHOでした。SHOが患者さんの診察、治療方針を立て、上級医にコンサルトした後、必要に応じ各科コンサルトといった感じでした。基本的には日本の救急と同じなのですが、医師にもきちんとシフトが組まれており、特にSHOには長時間労働が出来ないよう、労働時間制限が設けられているとのことでした。私も慣れない英語で診察をさせてもらいましたが、処方の経験がないので、1人で患者さんを担当するのは実力的に無理でした。
最後に回ったGPは、恐らく日本と最も異なるシステムでしょう。所謂無床診療所で、何人かの医師が外来を分担します。GPも病院と同じく政府機関のNHSが運営しているのですが、血液検査などの検査は全て病院で行い(心電図すらありませんでした)、プライマリケアと専門医の治療後のフォローを主に担当することになっています。しかしながら全ての検査データは病院とオンラインで結ぶシステムが最近導入され、しかも疾患のリスクをスクリーニングするシステムなども組み込まれており、システム面での病診連携が非常に進んでいることに感銘を受けました。
英国の医療については、救急の待ち時間が長い・専門医にかかるのも数ヶ月待ち・GPにもすぐアポイントが取れず患者の不満が高まっているのみならず、労働環境の悪化で医師のモチベーションも低下しているなど、あまりいい噂を聞きませんでしたが、恐らくこれは数年前までの話で、実際の印象は異なりました。2000年にブレア政権が医療費1.5倍増、医師数増の政策を打ち出し、それが着実に成果を上げているようです。実際、日本より多少アクセスが悪い感はありますが、救急の待ち時間ももはや日本と大差ないし、何といっても医療費は基本的に無料です。患者さんの満足度もかなり向上しているようですし、医師の待遇も、日本に比してかなり恵まれているようです。米国と異なる方向性をもつ英国の医療制度も、一つの医療のあり方として学ぶべきことが多いように思いました。


さて、次に実習させて頂いたドイツのFreiburg大学は、ドイツ南西の小都市Freiburgにある歴史と伝統のある大学です。こちらでは、心臓血管外科、神経内科、麻酔科をローテートしました。ドイツの医学生は5年間で講義、試験、実習を終え、6年目はPJ(Practical Jahre)と言って、学生ではあるものの病棟に組み込まれ、スタッフの一員として実際の医療に携わることになります。
心臓血管外科では、朝7時からカンファレンスがあり、その後は学生は採血などの雑務をしたのち、病棟担当医と病棟回診を行います。その後は新患患者さんの診察、退院前診察、サマリー作成などの事務を行い、あっという間に夕方になってしまいます。ドイツ語が出来ないと、事務は勿論できないし、診察も一人でするのは難しいですが、手技の機会は多いと思います。週2回ほどは手洗いしてオペに入ることができます。基本的に毎日2室で各2~3件オペが行われており、年間のオペは800件とのことです(これでもドイツの心臓血管外科では少ない方とのことですが)。ですから、上級医は、本当に毎日オペ漬けで、外科医にとっては願ってもない環境だと思いました。
次に回った神経内科では、当時ドイツ全土で展開されていた大学病院医師のストライキ(!)の影響もあって、患者さんが少なめでした。私は脳梗塞ユニットで実習しました。ここは急性期の集中ケアをしているので、24時間稼動で、医師も8時間交代でシフトを引いていました。学生は、安定してきた患者さんの診察を担当し、引継ぎ用のチャートを作るのが主な仕事になります。このチャートが非常に細かく、これを更新し、必要な処置、検査などをしているとすぐに引き継ぎになってしまいます。一見、無駄な作業にも思えたのですが、これも交代制をとるためには必要なコストなのでしょう。
麻酔科では、挿管などの手技を色々とやらせてもらいました。ドイツでは、麻酔は全て麻酔科が担当するとのことで、麻酔については完全に麻酔科医主導でした。外科麻酔などは、考えられないそうです。日本で認可されていない薬なども使われており、非常にスマートな麻酔が印象的でした。麻酔が安定すると、色々とレクチャーを受けることもできました。ドイツの医療は、皆保険制度をとっています。


患者さんは月々保険料を負担し、診療・治療は、基本的に無料です。やはり家庭医の制度もあるそうで、これが欧州のスタイルといえそうです。人口当たりの医師数が、日本の1.5倍以上おり、非常に手厚く配置されていますが、ドイツの医師には色々と不満があるようで(といっても、ドイツの医師は必ず数週間のバカンスをとるのですが・・・)、国外へ医師が流出する傾向にあるそうです。これがストライキの原因にもなったのですが、医師のストライキなど想像もしていなかった私は、かなり驚きました。また、患者さんもそれによる不利益があるはずなのですが、あまり不満を持っている印象もなく、社会が医師の権利の主張を当然のことと見做しているような感があったことも印象的でした。
制度のことが中心になってしまいましたが、英国もドイツも数々の歴史的建造物、文化的施設があり、絵画、音楽やサッカーなど、趣向に応じて存分に楽しむことができます。特に今回はワールドカップの期間と重なったこともあり、私も病棟の学生と一緒にドイツを応援したり、日本戦をスタジアムで観戦したり、はたまたドイツ全国の医学部の草(?)サッカー大会に参加させてもらったりと、実習以外にもとても充実した時間を過ごすことが出来ました。この場をお借りして、このような貴重な機会を与えていただいた国際交流室の先生方、事務の皆さんに改めて御礼申し上げますとともに、1人でも多くの方が海外での実習にチャレンジされることを願って止みません。

グダニスク医科大学への留学を終えて

K.O.


私は2006年4月~6月の3ヶ月間、ポーランド北部の歴史の深い港湾都市グダニスクに臨床留学する機会をいただきました。グダニスク医科大学には、英語科が存在し、また欧州の交換留学制度に参加しているため、英語による医学教育を受けることができます。若林隆名古屋大学名誉教授が、この大学で教授として研究を行っておられることも心強い後押しになりました。
私は心臓外科、緩和ケア、感染症科、神経内科、泌尿器科、小児科、循環器科にて実習を行いました。経済的に豊かではないものの、欧州標準の医療を行っています。
患者さんはポーランド語を話し、カルテもポーランド語記載なので、英語圏での実習のようにはいきません。しかし日本とは違う多様な価値観に触れることができる欧州における体験は、自分自身の人生経験の幅を増し、物事を多角的に見る視点を得られたように感じます。
余暇についても、欧州各地からの留学生との交流や、週末にはクラクフやアウシュビッツ、またドイツなどへ訪問できたことも意義深いものでした。
異なる民族や国家がひとつの大陸に国境を隔てて存在している欧州は、日本とはまったく異なる土地であり、価値観も違います。今やどんな情報もインターネットで入手できますが、知識と経験・体験はまったく別のものだということが分かりました。若いうちにしか出来ないことを後輩にもぜひ経験してもらいたいです。

グダンスクでの留学を終えて

大塚 裕之


私は今年の3月から7月までポーランドのAkademia Medyczna w Gdansk (グダンスク医科大学)に留学させて頂きました。
実習は産科、緩和医療、消化器外科、消化器内科、泌尿器科、小児科、皮膚科で2週間ずつでした。実習はEU諸国からの交換留学生達と同じ班や、一緒に留学した小野寺と二人であったりもするのですが、大半は一人で実習先の科に行って、そこの実習を受けることが多く、丁寧な指導を受けることができました。名大の病院実習と似たような感じで学生教育に熱心な科もあれば、そうでもない科もありましたが、毎回楽しんで実習ができました。
また、病院実習後の夕方からはAkademia Wychowania Fizycznego i Sportu w Gdsnsk ( AWFiS Gdansk ) という地元の体育大学の柔道部で稽古させて頂きました。この柔道部はポーランドのクラブランキングで男女共に1位の国内最強のクラブであり、そこでオリンピックや国際大会の代表選手達と稽古するという日本では考えられなかった貴重な経験をさせて頂きました。当然ながら、稽古はとてもハードであり厳しいものでしたが、充実した日々を送ることができました。
グダンスクの生活はとても快適なものでした。大学の近くの寮は広くて個室で清潔で無料でした。さらに、寮の食堂や街で食べるポーランドの食事はとても美味しくて、量が多くて、安くていつも満足していました。春から夏にかけての東欧の気候も快適でした。
この留学は全てが新鮮でとても良い経験になりました。初めての東欧生活、外国での病院実習、他国の医学生達との生活や飲み会、留学前には全く予想もしていなかった体育大学での柔道生活、体育大学の学生や社会人柔道選手との飲み会や遊びに行ったこと、休みの日に国内や国外を旅行したこと、その他、留学の全てが楽しかったです。今では、病院で先生にきつく叱られたことも良い思い出となっています。
最後になりましたが、私のような落ちこぼれを留学させてくれた伊藤先生、小林先生、事務の方々、グダンスクでお世話になった若林先生、奥様、研究室の方々、医科大学や体育大学の先生方、壮行会や帰国報告会を開いて頂き様々なアドバイスをくれた「グダンスク若林組」の先輩方、一緒に留学した小野寺をはじめ、お世話になった全ての方に心から感謝します。ありがとうございました。