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先輩から学生へのメッセージ

2008年6月号 若林俊彦先生 (脳神経病態制御学講座 脳神経外科学)

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若林 俊彦 先生

私の今後10年の展望では、名古屋大学の国際的活躍に貢献していきたいと考えています。夢は、名古屋に国際的研究活動拠点を設立する事です。今後、その設立に向けて、世界的に超一流とされる海外の大学との交流、共同研究などに積極的に取り組んでいきたいと思っています。名古屋大学の学生はみんな頭脳明晰で素直ですが、内向的な方が多く、それだけに特に海外交流など、自分から進んで出て行くことが少ないように思います。校内には留学生がたくさんいます。とりあえず図書館や食堂で声をかけて、できる所から国際交流をしていってほしい。そうすれば次に自分が海外に行ったとき、今度はその人達がむこうでバックアップしてくれるはずです。身近な国際交流の第一歩を踏みだし、それを足がけに、自分が世界に出て、国際的な様々な医療を勉強してきでほしいです。

2008年7月号 豊國伸哉先生 (病理病態学講座 生体反応病理学)

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豊國 伸哉 先生

人がやらないことをやってほしいですね。それから、最終的には世界にいろんなことを発信できる人になってほしいと思います。そのためには、英語の読み書きに加え、外国人ともディスカッションできるくらいの英語力を身につけてください。例えば3・4年生ならロビンスを英語で読む、ポリクリ生なら毎週『The NEW ENGRAND JOURNAL of MEDICINE』のケースレポートを読みこなせるようにする。英語に親しみ、そしてその時代に流行っていることをやるのではなく、流行っていないことを持続し、最後には自分の分野、哲学をもって取り組んでほしいと思います。長い間続けていれば、どんなことでも必ず芽は出てきます。

2008年8月号 西脇公俊先生 (生体管理医学講座 麻酔・蘇生医学)

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西脇 公俊 先生

どのような道に進むとしても、医者として働く限り、目の前で患者さんが急変することが必ずあると思います。そのような時に、適切な初期治療を行い、患者さんを率先して助けるための技術を身につけてください。そのために、臨床医学の基礎部門である麻酔・集中治療・救急などの急性期医療を、若いころに一度きちんと学んでほしいと思っています。

2009年4月号 濵口道成先生 (総長)

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濵口 道成 先生

人生とは、やってみなければわからないものです。新しいことに賭ける勇気、恐れずに一歩前に進めることが、今の時代に大切なことだと思います。

また、医学には非常に多様性があるにも関わらず、自分に合った仕事、天職だと信じられる分野に進める人は意外に少ないのではないかと思います。自分の天職を探すような旅、いろいろな経験や失敗、人との交流などを、学生の内にたくさんしてもらいたいと思います。こういった学生の時の苦労は、必ず生涯生きる経験になると思いますので、苦労を厭わない学生生活を送ってください。

2009年4月号 祖父江元先生 (医学部長)

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祖父江 元 先生

学生の方々には、学生時代の間に自分がどういう人間になりたいのか、どういったことをしていきたいのかということをじっくり考えてほしいと思います。社会に出ていくと、日常業務に追われてしまい、時間の余裕がなくなってしまいます。是非時間のたっぷりある学生時代に様々なことにチャレンジし、自分の将来像をつかんでほしいと思います。その際に大切なのは、短期的なビジョンでではなく、ロングスパンで物事を見ていく訓練をしていくということです。学生のうちに心してこの能力を身につけておけば、日々の業務に追われた社会生活の中でも、長期的な視点で物事を見ることが可能になると思います。

2009年5月号 武川睦寛先生 (環境医学研究所 ストレス受容・応答研究部門 シグナル制御分野)

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武川 睦寛 先生

研究は毎日がトライ&エラーの連続ですが、学生時代はそれにめげない精神と体力作りをする良いチャンスです。失敗を恐れず、自分の興味のある事に果敢に挑戦して貰いたいと思います。また、部活やクラスでの人間関係を大切にしてチームワークを学び、将来の仕事に生かして貰いたいと思います。

2009年9月号 亀井 譲先生 (運動・形態外科学講座 形成外科学)

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亀井 譲 先生

私たち形成外科医は自由な発想に基づいて手術を行なっていますが、例えば「こんな手術をやってみよう」と新しいことをやってみたら、実はそれは先人が20年も前にやってだめだと言われた手術方法だった、そんなこともあります。先輩方が積み重ねてきて今あるものというのは、それなりの経験に基づいているものです。それをしっかり理解していれば、先輩方が経験してきたことを自分が経験したものとして、自ら新しいことに取り組むことができます。皆さんには「温故知新」ということを大事にして、ぜひ新しいことをやってほしい。せっかく医者になるのだから、何か自分はこれをやったのだということを残してほしいと思います。私たち形成外科医はみんな自由な雰囲気でやっていますが、決して好き勝手にやっているわけではなく、責任を持った上での自由主義を大切にしています。最後になりますが、興味がある方はぜひ形成外科に入局して頂きたいと思います。

2010年2月号 松田直之先生 (生体管理医学講座 救急・集中治療医学)

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松田 直之 先生

授業一つ一つを大切にして、そこから自分でさらに細かい部分を分け隔てなく勉強するという姿勢を大事にしてほしいです。また、友人を大切にしてください。

2010年4月号 松下 正先生 (附属病院 輸血部)

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松下 正 先生

今の学生は自身の頃より知識も膨大で、大変だと思います。ただ、一つ忘れないでほしいのは、患者さんから目を離さない先生になってほしいということです。担当する患者さんが増えてくるとどうしても1人1人に100%の力を注げなくなります。それでも、患者さんをしっかりと見据えて何が患者さんの問題点なのか、どうしたら改善できるのかを日々考えてください。そういう習慣を病院実習などを通して身に付けてほしいと思います。

2010年5月号 松尾清一先生 (病院長/病態内科学講座 腎臓内科学)

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松尾 清一 先生

内に引きこもらず、とにかく外に出ていってほしいと思います。若いうちに経験できるものを全部経験して、どんどん吸収していってください。色々と自分の頭で考えることもできるようになり、また自分の実力もわかるので、欠点を克服することもできます。「内ではなく外へ外へ」という文化や習慣が代々伝わっていくといいと思います。バイタリティは使えば使うほど早く溜まるようになります。外へ行くことは疲れることですが、決して無駄ではありません。私は名大病院を、そのような発展型の病院にしていきたいと思っています。

2010年5月号 石黒 洋先生 (健康増進医学講座 健康栄養医学)

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石黒 洋 先生

昔に比べると随分早くから専門科目を勉強するようになりましたが、私は必ずしもよいこととは思っていません。やはり大学に入学したら、最初の2~3年間は医学にこだわらずに色々なことを勉強したり経験したりするのが良いと思います。一見医者になるのに役に立たないと思われることや無関係に思える授業、そして読書を楽しんでください。

服部 龍夫 先生 (名古屋第一赤十字病院 名誉院長)

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服部 龍夫 先生
(昭和30年卒業)

1998年1月、赤十字国際委員会(ICRC)の要請を受け、20年以上も内戦が続くアフガニスタンの国際医療救援活動を視察した。世界から隔絶し、荒廃した国土の中で、ICRC が支援する唯一の戦傷外科病院では、世界各国から派遣された赤十字医療スタッフがボランティア活動を行なっていた。そこではすぐれた医術と医療の心を持っていても、極めて貧しい医療環境の故に、人工呼吸器を必要とする患者には手術をしないという厳しい現実があった。
それに対して、日本のすばらしい医療技術の進歩は、ともすると「病気をみて病人をみない」という弊害を生み出している。21世紀には多くの病気が解決されるであろうが、心も共に癒す全人的な医療は今後も常に求められる問題として残るであろう。
その意味で、人の心を理解できる感性を、少なくとも医療人を目指す諸君には、常に磨く努力をしてほしいと願う。

永井 美之 先生 富山県衛生研究所長(ウイルス部長)

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永井 美之 先生
(昭和40年卒業)

医学校へ入学すれば将来は実地医家として臨床に携わると思うのが世間の常識であろう。事実医学とは無縁のごく普通の市民であった私の両親もそれを楽しみにした。
ところがウイルス学という基礎研究の道に入ったことに、そんな人生もあるのかと驚き、また、少々落胆もした。以来30年余、名大と東大でウイルス感染の仕組みの研究に没頭してきたが、はからずも最近、国立感染研のエイズ研究センター長に任じられ、エイズの予防や国際協力研究の推進など、これまでとは一味違う役もまわってきた。医学は患者の治療だけでなく、精緻な基礎研究から先端的医療の開発、厚生行政、世界保健機構(WHO)などを足場にしたグローバルな活動まで、選択肢は豊かである。21世紀にはさらに新しい分野も拓かれる。名大医学部は豊かな選択肢を学生に提供できる有力な大学のひとつである。
御両人の期待を裏切って(?)、ぜひ、いろいろな分野へと羽ばたいてほしい。

真野 行生 先生 (北海道大学大学院教授)

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真野 行生 先生
(昭和43年卒業)

現在、他大学で教えていると、母校名古屋大学で学んだことがより懐かしく感じられる。愛知県は地理的にも日本の中心にあるため交通の便も良く、活動的な産業県で、豊かな土地に恵まれており、その反面のんびりしている面もある。
私は名大を卒業し、名大で研修後、アメリカ留学、国立精神・神経センター、奈良県立医科大学を経て、北海道大学で臨床・基礎研究、教育に携わっている。主として神経障害者の機能回復、社会復帰も目ざしているが、ダイナミックな分野でもあり障害者の自立への新しい手法が次々に開発されつつある。
自分でも思いもかけなかった道へ進んでいるのに驚くことがあるが、医学部で学んだことが基礎となり、多くの道が開けていくのだと思う。

上坊 敏子 先生 (北里大学医学部産婦人科助教授)

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上坊 敏子 先生
(旧姓・荒木 昭和47年卒業)

1973年に名古屋大学医学部を卒業してから既に25年以上の時間が経過し、年齢も50代。学生さんから見れば、きっと老人に分類される存在でしょうね。私自身にしても、大学を卒業するころには50代の自分なんて想像できませんでしたから。
さて私は何故北里大学医学部で助教授をしているのでしょうか?これは、卒業時に北里大学病院でのレジデントを選択した結果です。医学部を卒業するとまず進路を決めることになりますが、これが将来に大きく関わってくるのです。同級生が名古屋大学で医師としての生活をスタートする中、私一人新設間もない北里大学病院を選びました。40代前半の先生方が中心になり、「医局制度に縛られない新しい医学部を目指す、患者中心の医療を確立する」といったスローガンは立派でしたが、実績は何もない大学でした。今考えると、私の選択は蛮勇だったような気もします。でも既存の医局制度に飽きたらない個性的な若い医師が全国から集まっている中でのレジデント生活は、猛烈な忙しさであると同時に素晴らしく刺激的でした。若かった私の進路選択は、結果的に私には合っていたようです。今は、私に医学知識・医療技術を社会に還元する道を模索中です。
これから医学の道を目指される皆さん、どうか自分の可能性に限界を設けることなく、勇気をもって新しい道を切り開いて下さい。医学にも医療にもやらなければならないことが山積しています。世界中の病み苦しむ人々のために、大きく羽ばたいて下さい。

久永 直見 先生 (労働省産業医学総合研究所)

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久永 直見 先生
(昭和47年卒業)

世界第2位のGDP,世界第1位の政府開発援助提供国、最長寿国である日本。しかし内実をみれば、環境汚染があり、過労死に象徴される厳しい労働環境があり、高齢化がある。そして、昨日の昇竜、アジアが、今日は経済破綻の淵に翻弄される現実が我々を囲繞する。既に幕を開けた世界経済の大競争時代は、今後ますますその熾烈さを増すに違いない。この時代に我々は、どこに活路を見出すべきか。
私がいる研究所は、政府に直属しており、働く人の健康増進のための行政運営、政策作りに科学的専門的見地から寄与することをその任務とする。我々の領域でいえば、21世紀の活路のキーワードは「労働と健康の両立を世界に」である。それは容易ではないが、実現可能であろう。現に日本には、戦後50年の経済発展と世界一の平均寿命を両立させた実績がある。
医師の活動の場はきわめて広い。このような場で疾病の予防に活躍することも君たちには可能である。

柳原 美根 先生 (東京都町田市医療法人社団あかね会 鶴川診療所勤務)

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柳原 美根 先生
(旧姓・野崎 昭和47年卒業)

プライマリーケアの最前線はトラフィックジャムの整理をしているようなものである。
「ひきつけの子(A さん)が来るそうです。」「50代の男性(B さん)、胸がしめつけられるように痛いと冷汗を流しています。先にECGとります。」「誰か(C さん)が自分の悪口を言っていると頭を抱えながら怒鳴っています。」と看護婦さんが入れかわり言って来る。A さんには抗痙攣剤と呼吸管理の準備をして待つ。B さんはどうも心筋梗塞のようだ。ニトロペンを舌下させつつ、救急車を要請して、二次の医療機関を探す。C さんには近隣のメンタルクリニックを家族に紹介して電話をかける。その間に来院された患者さんもこなしていく。
こうして毎日毎日が過ぎた。そして春は週一回、学校検診などに出かけ、200人近くを半日で診る。月2回の乳幼児検診もある。学校の授業もした。地域のボランティアの仕事もある。社会福祉法人の保育園や特定非営利活動法人の障害者組織の立上げに参加する。夜は眠くてふらふらしつつ医師会などの勉強会へ出席する。こうして30年弱が過ぎた。その間、子供2人が育って行った。病気の母と20年過ごし、今また病いの義父と6年目を迎えつつある。医者になったから有難くも家庭の体験も仕事に生かしてこられた気がする。
地域社会にも、全人的に医者の情熱を注ぎ込める場がいっぱいあると思う。様々な生き方を模索して欲しい。

亀井 三博 先生 (開業:亀井内科・呼吸器科院長)

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亀井 三博 先生
(昭和54年卒業)

すでに卒業して20年の歳月が流れた。この間に医学は大いに発達し、CTやエコーなどの診断学に多大な影響を与えた機器が開発され、医学の分野もハイテク産業のごとき様相を呈している。しかし日常臨床の中で最も必要なことは人から話を聞く問診であり直接身体にふれ情報を得る理学所見である。問診理学所見の段階で8割がた診断の方向付けを行い検査はそれを裏付けるため必要最小限のものにとどめる。この仕事は探偵の仕事に似ている。捜査の基本は聞き込み、現場に残された様々な材料であって、最新の科学捜査技術はその裏付けにすぎない。診断を絞っていくときのスリリングな思いは古今の名探偵の気分に近い。
多くの人々は慢性の病気を抱えて私の診療所を訪れる。そのときからその人との長いつきあいが始まる。治癒を目ざすのではなく病気のコントロールによりよりよい社会生活をおくることができるように配慮する。しかもなるべく低いコストで。さらに病気による機能障害で生活に不自由を生じているときは福祉資源の活用の工夫も必要となる。現代の医師はこのように診断、治療技術だけでなく経済的、社会的な問題にも対応を求められている。医学部を目指す諸君はそれらの多様な技術の修得の基礎を大学での6年間に行うのである。

八谷 カナン 先生 (名古屋大学医学部附属病院勤務)

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八谷 カナン 先生
(平成14年卒業)

私は今年3月に名古屋大学を卒業し、5月より名古屋大学医学部附属病院に一年目研修医として勤務しています。
大学の5年次から始まる病院での臨床実習の中で、研修医の方々が働いていらっしゃるのを見て自分たちの臨床実習の延長のようなものかと浅はかにも感じたことがありましたが、医者として患者さんと接することの重み、責任、プレッシャーは、学生の時とは比べものにならないと日々実感しています。点滴一つ満足に入れられず冷や汗をかきながら、患者さんや周りのスタッフの方への申し訳ない気持ちと自分自身に対する情けない気持ちをひきずりながら日々の業務に取り組んでいます。
私は大学5年のときに社会医学を専攻している現在の夫と結婚し子供をもうけ、夫と2歳になった子供に励まされつつ仕事をしています。
朝早くから夕方遅くまで子供を保育園に預け、家事の多くを夫や母に頼っており、母親としても妻としても合格点からはほど遠いのですが、毎日の仕事における多くの発見を自ら見つけ貪欲に吸収すること、毎日子供から発せられる想像を絶する考えや子供が織り成す摩詞不思議な世界を一緒に楽しむこと、夫や母に対していつも感謝の気持ちを絶やさないこと、を心に留めながら、しかし最終的にはまあなるようにしかならないかと楽観視しつつ日々送っています。
大学時代には夫を始め、友人、先生など数多くの貴重な出会いがあり、現在の自分の人となりを形作っていることを実感しています。本当に大学の7年間は(育児休学を含め)楽しく光のように過ぎ去ってしまったように感じます。皆さんも多くの貴重な出会い、体験を大学時代を通してされることと思います。どうぞ自分の目標にむかって頑張ってください。