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沿革

名大医学部学友時報は、明治33年12月創刊の愛知醫学校同窓会雑誌に起源を有します。
愛知醫学校同窓会は当時の校長・熊谷幸之輔を会長として明治33年10月28日に発足しました。愛知醫学校同窓会雑誌は、その会報として同年12月に発行されています。発足当初の同窓会には雑誌部と運動部があり、雑誌部の部長は多田學三郎教諭が務められ、委員は本学卒業生・在学生から構成されており、現在の先生方と共に学生が編集を行うシステムは刊行当初からの伝統と言えるかもしれません。
愛知醫学校同窓会雑誌(第1-6号・明治33年12月~同35年3月)は途中、愛知県立醫学校同窓会雑誌(第7-11号・明治35年5月~同36 年5月)・愛知県立醫學専門学校同窓会雑誌(第12-24号・明治36年11月~同42年6月)・愛知県立醫學専門学校校友会雑誌(第25-51号・明治 42年11月~大正9年5月)・鶴天学友会会報(第52-73号・大正9年12月~昭和8年3月)と名前を変えながら昭和8年までに通算74号(官立移管記念号・昭和7年2月発行1号を含む)発行されています。
昭和8年からは学生部会の自治への希望が強くなり、講師・助手等の教官を編集者とする鶴天学友会報(第1-12号・昭和8年7月~同10年7月)と学生部会主体で発行の名大(第1-23号・昭和8年1月~同10年4月)の併行発行の時期がありました。その際も、両誌は共に名大の機関誌としてそれぞれの立場から卒業生と大学を結ぶ役割を果たしました。
その後、両誌の合同発刊の機運の高まりを受けて昭和10年より名大学友会報(第1-42号・昭和10年10月~同14年3月)として統一され、名帝大医学部学友会報(第43-57号・昭和14年4月~同15年6月)・名大医学部学友会報(第58-60号・昭和15年7月~9月)として昭和15年までに通算60号発行されています。また、第二次世界大戦期間中の6年間にも、少しでも学内外の諸事情を学友に伝えようと名大医学部学友会雑報として昭和16年と同17年に計3回小冊子が発行されています。
大戦終結後の昭和21年11月に名大医学部学友会報(第1-35号・昭和21年11月~同26年12月)として再出発し、昭和27年1月の第36号にて郵便物取り扱い上の理由により現在の名称である名大医学部学友時報となり、その後絶えることなく2016年9月号にて第800号を数えています。