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医学部大先輩の足跡抜粋

第100回名古屋大学医学部学友大会(平成21年9月26日)

名古屋大学医学部学友大会は、今年記念すべき第100回大会を迎えることになりました。第1回の学友大会は明治18年に納屋橋近くの得月楼(現在の鳥久)で開かれ、数人が集まって懇親会を開き、恩師とともに胸襟を開いて語り合ったとされています。以来124年が経過し、名古屋大学医学部ではその間に多くの傑出した人材を輩出し、我が国の医学医療をリードしてきました。100回大会を記念し、大先輩たちの足跡に触れたいと思います。

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Chapter 1

ig_03.jpgまず、名古屋大学医学部の黎明期に活躍され、官僚、政治家としても有名な後藤新平先生をご紹介します。後藤先生は、1876年須賀川医学校を卒業され、当時愛知県知事の安場保和の縁もあって愛知県病院に着任されました。1881年、弱冠24歳で愛知病院長兼医学校長に就任しました。

Chapter 2

ig_04.jpg愛知県病院時代には『愛知県公立病院及医学校第一報告』を手がけ、調査重点主義が芽生えています。この当時、後藤先生は安場保和の次女和子と結婚しています。

Chapter 3

ig_05.jpg愛知県公立病院外科手術の図は、麻酔をローレツ、執刀を後藤先生、介助を司馬凌海に擬したといわれています。愛知県病院があった堀川東岸に記念碑が建立されています。

Chapter 4

ig_06.jpg後藤先生は愛知医学校を甲種医学校に認可させた後、内務省衛生局へと移り、以後、台湾総督府民政長官、鉄道院総裁、外務大臣、東京市長などの要職を歴任されました。台湾総督府博物館内にあった先生の銅像は、現在、国立台湾博物館内に展示されています。

Chapter 5

ig_07.jpg続いて、発汗の研究で有名な久野寧先生の業績を振り返ります。先生は1903年に愛知医学校を卒業され、満州医科大学教授を経て1937年名古屋医科大学教授に就任されました。世界で初めてヒトの汗の本格的な研究を行った業績は高く評価され、学士院恩賜賞、日本学士院会員、文化勲章に輝いています。

Chapter 6

ig_08.jpg1956年に刊行したHuman Perspirationは発汗研究のバイブルとして有名です。

Chapter 7

ig_09.jpg戦後の名古屋大学医学部時代にも、発汗器官の進化に関する学説を樹立するなど、先駆的な汗の研究を続けられました。また、イギリス生理学会名誉会員、国際生理学連合のカウンシル、アメリカ生理学会名誉会員など世界のリーダーとしても活躍され1955年に名古屋大学を退官されました。

Chapter 8

ig_10.jpg続いて日本における脳外科学の中興の祖とされる斉藤眞先生をご紹介します。大正8年、弱冠三十歳で愛知県立医学専門学校教授に就任した齋藤先生は、ヨーロッパ留学後、脳神経外科学の啓発に邁進されました。昭和11年には齋藤先生を会長とした日本外科学会総会が名古屋大学医学部講堂にて開催され、先生は脳血管撮影法の特別講演を行いました。

Chapter 9

ig_11.jpg齋藤先生の業績として、日本脳神経外科学会の創設、学会誌「脳と神経」の創刊、

Chapter 10

ig_12.jpg脊椎麻酔の発展、脳血管撮影法の確立、輸血法の確立などが挙げられます。齋藤先生が開発し、現在でも使われている脊椎麻酔薬「ペルカミンS」の"S"は先生の頭文字を充てたものです。また、脳血管撮影法の確立は世界的な評価を受けました。

Chapter 11

ig_13.jpgさらに、先生は救急隊の体制整備に尽力し、昭和9年、横浜に次いで名古屋に救急車が配備されることになります。

Chapter 12

ig_14.jpg本フィルムは昭和14年に制作され、齋藤先生の手術が収められている大変貴重なものです。

「齋藤先生の手術」のmovie再生はこちらをクリック

Chapter 13

ig_15.jpg次に、勝沼精藏先生の足跡を振り返ります。先生は、大正8年、33歳の若さで愛知県立医学専門学校の教授に就任されました。血液学をはじめとして、神経学、内分泌学、老年医学、航空医学などの草分け的な存在であり、昭和天皇の主治医としても活躍されました。

Chapter 14

ig_16.jpg1918年、ベルサイユ講和条約の際、日本首席全権の西園寺公望公爵とともにフランスに渡っています。また、1923年~1925年の欧米留学時代に、「インドフェノール青合成を指標とした酸化還元反応による細胞・組織学」を出版し、この業績に対し帝国学士院賞がおくられています。

Chapter 15

ig_17.jpg昭和10年の日本内科学会総会宿題報告において、勝沼先生は、白血病について「残酷なる臨床的転帰を診断確定と共に予言しなければならない現今の立場を遺憾この上もないことと思う」と、素直な心情で語っています。また、先生は多くの学会の創設に係わり、日本血液学会雑誌には「創刊、勝沼精藏」、「発行所、名古屋医科大学勝沼内科教室」と印刷されています。

Chapter 16

ig_18.jpg先生は、昭和24年から34年まで、名古屋大学総長を務められ、また、昭和29年には文化勲章を受賞されました。

Chapter 17

ig_19.jpg続いてX線CT開発の先駆者として知られる高橋信次先生をご紹介します。CTが出現する四半世紀も前の1948年に、"ある特定の方向、特定の深さの層をレントゲン学的に正確且つ具体的に知る事はレントゲン線を系統的に駆使すれば不可能でない"と述べられています。

Chapter 18

ig_20.jpg後に"Takahashi Tomography"と称され、X線CTの先駆となる撮影法が回転横断撮影です。X線管とX線フイルムが体軸を中心に回転し、横断断層像が撮影されていきます。これにより、世界で初めて生体の横断断面像を撮影することに成功しました。

Chapter 19

ig_21.jpg1969年には、「回転横断撮影図譜とその臨床応用」が発刊されました。生体の横断写真を基に作られたものとしては世界で初めてのものです。

Chapter 20

ig_22.jpg先生は、回転横断撮影の原理を放射線治療にも応用し、腫瘍の形状に合わせ、線量を集中させる原体照射を開発しました。また、高橋トモグラフィに基づく原体撮影法は、現在の最新のマルチスライスCTによる三次元再構成画像へと進歩してきています。

Chapter 21

このような大先輩たちの活躍による歴史と伝統に支えられながら、名古屋大学医学部は現在も発展し続けています。平成16年の国立大学法人化前には病棟と臨床系教室が入る医系研究棟1号館が全面新築されていましたが、平成18年には中央診療棟、平成20年には基礎系教室の医系研究棟2号館、そして平成21年には外来棟が新たに完成しました。このように高度な医療と医学研究を推進できる環境の下、次なる100年の発展を目指して参りたいと思います。

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