名古屋大学医学部史料室 English

企画展のご案内

名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵している近代医学黎明期の史料を、医学部分館2階入口ホールで展示・公開しています。(入場無料です)
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開催中の企画展

タイトル
開催期間
概要
第21回
感染症との闘い
2020年1月6日(月)
~2020年7月31日(金)
 古くから人類はさまざまな感染症に悩まされ、その克服に向けて感染症と闘ってきました。19世紀後半に感染症が微生物に起因することが明らかにされ、予防のためのワクチンや治療方法が開発されるまでは、感染症が死亡原因の第一位となっていました。 日本における伝染病対策は、1897年(明治30年)に施行された「伝染病予防法」により行われ、虎列剌(コレラ)、赤痢(セキリ)、腸窒扶私(チョウチブス)、痘瘡(トウソウ)、発疹窒扶私(ハッシンチブス)、猩紅熱(ショウコウネツ)、實布垤利亞(ジフテリア)(格魯布(クルップ)ヲ含ム)及「ペスト」を伝染病と称しました。「伝染病予防法」では、家宅への立ち入り、交通遮断、隔離、死体及家屋の処分など、伝染病の拡大阻止を優先するあまり、患者の人権に対する配慮が欠けた点もありました。 医学や医療の進歩、公衆衛生水準の向上など、感染症を巡る状況が著しく変化し、エボラ出血熱などの新興感染症や、結核などの再興感染症の脅威が増し、それに対応するため、1999年(平成11年)から「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」が施行され、「伝染病予防法」は廃止されました。 「感染症との闘い」は、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、「伝染病予防法」施行前後からの、 感染症との闘いの歴史に関連する古医書、掛図などを展示公開します。

【開催延期】特別講演会「抗菌薬が効かない多剤耐性菌の現状と展望」
日時:2020年5月12日(火)14:00-15:30 
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:荒川 宜親(名古屋大学大学院医学系研究科教授)
新型コロナウイルスの感染予防・拡大防止のため、5月12日に予定していた特別講演会は、秋頃に延期させていただきます。
新しい日程等は決まり次第こちらのウェブサイト等でお知らせいたします。

過去の企画展

タイトル
開催期間
概要
第20回
後藤新平-名古屋活躍編-
2019年6月7日(金)
~2019年11月29日(金)
 記念すべき第20回となる今回は、名古屋大学医学部の礎を築いた人物の一人でもある後藤新平(1857-1929)を取りあげます。後藤新平は、内務省官僚、台湾民政長官、満鉄総裁、東京市長を歴任し、近代日本を代表する官僚・政治家として広く知られていますが、そのキャリアのルーツは名古屋時代の医師でした。 1857(安政4)年に陸奥国胆沢郡塩釜村(現 岩手県奥州市水沢区)の留守氏家臣の家に生まれた後藤は、福島県の須賀川医学校を卒業後、1876(明治9)年、19歳の時に愛知県公立病院(名古屋大学医学部附属病院の前身)に三等医として着任しました。当時、病院にはオーストリア人医師ローレツ(1846-1884)と病院副教師兼医学所教師兼通弁の司馬凌海(1839-1879)が在籍しており、二人からは、後藤のその後のキャリアにつながるような衛生行政思想等の影響を大いに受けました。明治14年、弱冠24歳で愛知県公立病院長兼公立医学校長に就任し、1883 (明治16)年内務省衛生局に入るまで、名古屋で衛生行政の推進に尽力しながら医療活動に従事していました。 「後藤新平-名古屋活躍編―」は、愛知医学校時代を中心に、名古屋における後藤新平の足跡をたどるものです。国内で最初に西洋式麻酔を使った外科手術を描いたとされている「明治初年愛知県公立病院外科手術の図」や、『国家衛生原理』をはじめとする著書、後藤が考案した卒業証書、写真、絵葉書などを展示します。

企画展期間中に、後藤が行政トップとして携わった公衆衛生(パブリックヘルス)の歴史について、特別講演会も開催します。

特別講演会「パブリックヘルス = 人々の健康を守る  ~後藤新平の築いた「公衆衛生」から「グローバル・ヘルス」ヘ~」
日時:2019年7月23日(火)15:30-17:00
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:青山 温子(名古屋大学名誉教授・名古屋学芸大学特任教授)

第19回
明治~昭和初期の名大医学部生
2018年12月4日(火)
~2019年4月30日(火)
 名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵している近代医学黎明期の 史料の中から、明治~昭和初期の名古屋大学医学部(前身校を含む)の学生の講義ノートや学生証、カリキュラム、卒業アルバム、 写真等を展示公開します。明治維新以降、日本の医学界では、伝統医学とされてきた漢方 医学を抑え、西洋医学を本流として、 教育制度が整備されていきました。明治~昭和初期の日本は、度重なる戦争や大恐慌、濃尾地震等の大災害があり、まさに激動の時代でした。 名古屋大学にとっても、洋医学校の発足から帝大医学部へ紆余曲折を経ながら発展して いった時期にあたります。このような中で、 名古屋大学医学部の先輩達が、どのように学生生活を送り医学を修めていたか、史料から垣間見える様子から想像してみてはいかがでしょうか。

企画展期間中に、特別講演会も開催します。

特別講演会「草創期の愛知医学校・病院と地域社会 -伝染病・災害への対応をめぐって-」
日時:2019年4月16日(火)14:00-15:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室1
講師:羽賀 祥二 (名古屋大学名誉教授)

第18回
医学史に残る大先輩の足跡
2018年5月23日(水)
~10月31日(水)
 名古屋大学およびその前身校の愛知県立医学専門学校、愛知医科大學、名古屋大学医学部(前身校含む)には、世界トップレベルの研究を行い、医学の発展に寄与した多士済々な大先輩がいます。 「医学史に残る大先輩の足跡」は、以下の7名に焦点をあて、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、大先輩たちが残した世界的な研究に関連する著書や、写真などを展示公開します。
 ① 日本の神経学の祖・川原汎
 ② ツツガムシ病の第一人者・林直助
 ③ 世界で初めて睡眠物質の存在を報告した石森國臣
 ④ 日本神経学の開拓者・勝沼精蔵
 ⑤ 汗の博士・久野寧
 ⑥ 脳血管撮影法の確立などを行った齋藤眞
 ⑦ 杉田クリップ開発者・杉田虔一郎

企画展期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「川原 汎先生 と 勝沼精藏先生 ―名古屋大学医学部史に輝く内科学の泰斗-」
日時:2018年10月16日(火)14:00-15:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:髙橋 昭 (名古屋大学名誉教授)

第17回
医療器具で見る日本医学史
2018年2月1日(木)
~4月27日(金)
 名古屋大学医学部史料室に保存されている19世紀末から20世紀初頭に使用された医療器具を通して日本医学・医療史を探ります。
 1930年代の桐原式軟性胃鏡と1980年代の電動胃鏡を見くらべることで、現在使用されている胃カメラへの道筋をたどることが出来ます。また、1900年ごろに使用された天然痘予防のための種痘用具や、100年前に視力を測定するために使用された電気視力計、20世紀初頭に使用された人体発汗天秤なども展示しています。
 過去の医療器具(当時のハイテク機器)がいかに巨大なものであったかを実感してください。
第16回
漢方の世界
2017年7月3日(月)
~12月27日(水)
→2018年1月31日(水)まで延長
 朝鮮を経由して日本に伝えられた中国医学は、わが国の風土や気候等に合わせて、独自に発展を重ね、今日における漢方医学に形成されました。明治政府の漢方廃絶方針により、漢方医学は一旦衰退するものの、高齢化社会による疾病構造の変化やストレス社会、患者の生活の質の向上への対応として、個人の体質や個人差を踏まえた全人的な治療が見直され、現在では西洋医学と相互に補完するものとして位置づけられています。
 企画展「漢方の世界」では、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、西洋医学の本格的な導入以前のわが国における伝統的な医療について、漢方医学の原典の一つと言われている「傷寒論」をはじめ、関連する図書、医療器具などを展示公開します。

企画展期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「我が国の伝統医学『漢方』の底力」
日時:2017年10月16日(月)14:00-15:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:佐藤 寿一 (名古屋大学大学院医学系研究科総合診療医学講師)

第15回
帝国大学へ あと一歩 - 官立名古屋医科大学の八年 -
2017年2月16日(木)
~5月31日(水)
 名古屋大学の前身校である県立愛知医科大学は東海地方に初めて誕生した大学でしたが、県費による補助が少ないため、経営を病院収入に依存せざるを得ませんでした。この状況を打開するには、帝国大学への発展昇格が最善であり、官立医科大学への移管が次善の策でした。しかし、昭和恐慌期の財政下での帝大昇格は覚束ないとの判断から、官立移管が帝国議会で承認され、1931年(昭和6年)5月1日、官立名古屋医科大学として発足しました。名古屋帝国大学創設までは、さらに8年の歳月を必要としました。
 企画展「帝国大学へ あと一歩」では、名古屋大学医学部史料室(医学部図書館4階)に所蔵する史料の中から、官立名古屋医科大学時代(1931-1939)の教育、研究、診療、そして名古屋帝国大学創設に関連する図書、写真などを展示公開します。

企画展期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「医育統一・インチキ学校征伐・官立医大不振 - 医育の1930年代 -」
日時:2017年5月18日(木)14:00-15:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:吉川 卓治 (名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授)

第14回
看護の力 - 医学部史料室所蔵資料に見る看護のあゆみ -
2016年10月20日(木)
~2017年1月31日(火)
 「洗練さるべき技術として、また従うべき専門職としての看護は、近代的なものである。しかし実践としての看護は、洞窟に住む人たちの間で、母親が病める子どもの額を小川の水で冷やした、漠とした過去に遡る。」(Aequanimitas / William Osler, 1932)
 フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)は、クリミア戦争(1853-1856)において、多くの看護婦を率いて、献身的に傷病兵の看護にあたり、わずか数か月で患者の死亡率を半減させました。この活動は、アンリ・デュナン(1828-1910)の赤十字運動の機運を生んだと言われています。
 近代看護を確立させたナイチンゲールの誕生から200年を経て、今日、傷病者の手当てから、大規模災害時の復興支援など、様々な状況において、看護は、その力を発揮してきました。
 ミニ企画展「看護の力- 医学部史料室所蔵資料に見る看護のあゆみ -」は、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、看護のあゆみに関連する図書、写真などにより、展示公開します。

企画展期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「結核のロマン化と病気の本質」
日時:2016年12月16日(金)14:00-15:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:福田 眞人(名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

名古屋大学大学文書資料室と共催

戦争と大学 ふたたび - 軍医と銃後 -


会場:名古屋大学中央図書館 2階 ビブリオサロン
2016年11月25日(金)
~12月26日(月)
 近代の日本が戦争を遂行するにあたり、戦場で活動する軍医は不可欠な存在でした。とくに1937年に日中戦争が始まると、軍から大量かつ急速な育成が求められるようになります。同時に、国内で戦争を支える「銃後」の体制づくりが叫ばれました。本学を含む大学は、これらにどのように関わったのでしょうか。附属図書館医学部分館と大学文書資料室の所蔵史料の中から、軍医と銃後に関わる当時の図書・写真・医療器具等によって展示します。なお本企画展は、今年6~9月に附属図書館医学部分館で開催された同テーマのミニ展示を増補したものです。

名大トピックス No.285
第13回
戦争と大学 ふたたび - 軍医と銃後 -
2016年6月10日(金)
~9月30日(金)
 日本の軍医制度は明治初期に始まりました。司馬凌海(1840-1879)の師であった松本良順(1832- 1907)と、森林太郎(鴎外 1862-1922)は軍医としても知られ、二人は後に軍医総監になりました。
 1931年(昭和6年)の満州事変、1937年の日中戦争と戦争が拡大していくにつれて、軍医として召集される医師が増えて、医師不足が顕著となります。陸軍省などの要請により、医師の増員養成が国防上、国民医療上急務とされ、1939年5月に、帝国大学7校、官立医科大学6校に修業年限を4年とする臨時附属医学専門部が設置されました。同年、満蒙国境で大日本帝国とソビエト連邦両軍が衝突するノモンハン事件が起こり、国内では、国家総動員法に基づく国民徴用令が制定され、銃後(直接戦闘に加わっていない一般国民)も、間接的に何らかの形で戦争に参加していくことになります。
 この「戦争と大学 ふたたび-軍医と銃後-」は2014年2月から6月にかけて開催した「戦争と大学-1931~1945 官立名古屋医科大学・名古屋帝国大学-」の続編として開催するもので、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、軍医と銃後に関連する図書、写真、医療器具などにより、展示公開します。

 展示期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「第二次世界大戦中の赤十字と名古屋大学」
日時:2016年9月30日(金)15:00-16:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:大川 四郎(愛知大学法学部教授)

名大トピックス No.282
第12回
名古屋のセンパーイ! 大正・昭和編-名古屋大学全学同窓会大学支援事業(2)-
2016年2月10日(水)
~5月31日(火)
 愛知医学校長で後の政治家 後藤新平、司馬遼太郎『胡蝶の夢』の主人公医師で語学の天才 司馬凌海、魯迅『藤野先生』の藤野厳九郎、皮膚科学者・詩人の太田正雄(木下杢太郎)、オリンピック競泳代表 清川正二、日本人唯一のダーウィン・メダル受賞者 木村資生、哲学者 梅原猛、小説家の郁達夫、阿部知二、藤枝静男、小谷剛...愛知医学校から、旧制第八高等学校、名古屋帝国大学に至る名古屋大学の前身校に在学・在職した大先輩は多士済々です。
「名古屋のセンパーイ! 大正・昭和編」は、名古屋大学全学同窓会による大学支援事業の助成金により収集した「名古屋大学の大先輩」コレクションを展示公開するものです。このコレクションは、明治4年(1871年)の名古屋大学創基から、昭和22年(1947年)の名古屋帝国大学が名古屋大学へと改称されるまでの、本学の前身校に在学、在職した著名人に関連する、入手が困難になりつつある古書も含めた図書、文書、写真、絵葉書等によるコレクションです。

 今回の展示では、大正・昭和時代、愛知県立医学専門学校・愛知病院から、旧制第八高等学校、そして名古屋帝国大学までの関連史料を大正・昭和編として展示公開します。

 展示期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「衛生の道を拓き 雄大な先駆的視野に立って辣腕をふるった 愛知医学校長 後藤新平」
日時:2016年3月15日(火)14:00-15:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:高 橋 昭(名古屋大学名誉教授・愛知医科大学客員教授)

名大トピックス No.278
第11回
名古屋のセンパーイ! 明治編-名古屋大学全学同窓会大学支援事業(1)-
2015年10月21日(水)
~2016年1月30日(土)
 愛知医学校長で後の政治家 後藤新平、司馬遼太郎『胡蝶の夢』の主人公医師で語学の天才 司馬凌海、魯迅『藤野先生』の藤野厳九郎、皮膚科学者・詩人の太田正雄(木下杢太郎)、オリンピック競泳代表 清川正二、日本人唯一のダーウィン・メダル受賞者 木村資生、哲学者 梅原猛、小説家の郁達夫、阿部知二、藤枝静男、小谷剛...愛知医学校から、旧制第八高等学校、名古屋帝国大学に至る名古屋大学の前身校に在学・在職した大先輩は多士済々です。
 「名古屋のセンパーイ! 明治編」は、名古屋大学全学同窓会による大学支援事業の助成金により収集した「名古屋大学の大先輩」コレクションを展示公開するものです。このコレクションは、明治4年(1871年)の名古屋大学創基から、昭和22年(1947年)の名古屋帝国大学が名古屋大学へと改称されるまでの、本学の前身校に在学、在職した著名人に関連する、入手が困難になりつつある古書も含めた図書、文書、写真、絵葉書等によるコレクションです。
 今回の展示では、江戸末期から明治時代、仮医学校・仮病院から、愛知県立医学専門学校・愛知病院までの史料を明治編として展示公開します。

 展示期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「尾張医学の大先輩 伊藤圭介-その医学と本草学」
日時:2016年1月27日(水)10:00-11:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:山内 一信(名古屋大学名誉教授・東員病院院長)

名大トピックス No.274
第10回
伝染病と闘ってきた-虎列剌 窒扶私 痘瘡 實布垤利亞 黒死病 そして-
2015年6月10日(水)
~9月30日(水)
 日本における伝染病対策は、1897年(明治30年)に施行された「伝染病予防法」により行われ、虎列剌(コレラ)、赤痢(セキリ)、腸窒扶私(チョウチブス)、痘瘡(トウソウ)、発疹窒扶私(ハッシンチブス)、猩紅熱(ショウコウネツ)、實布垤利亞(ジフテリア)(格魯布(クルップ)ヲ含ム)及「ペスト」を伝染病と称しました。「伝染病予防法」では、家宅への立ち入り、交通遮断、隔離、死体及家屋の処分など、伝染病の拡大阻止を優先するあまり、患者の人権に対する配慮が欠けた点もありました。
 医学や医療の進歩、衛生水準の向上など、感染症を巡る状況が著しく変化し、エボラ出血熱やエイズ、O-157などの新しい感染症が出現し、それに対応するため、新たな法律が必要となり、1999年(平成11年)から「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」が施行され、「伝染病予防法」は廃止されました。
 「伝染病と闘ってきた」は、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、「伝染病予防法」施行前後の、人間と伝染病との歴史に関連する古医書、掛図、医療器具などを展示公開します。

 展示期間中に、特別講演会も開催します。
特別講演会「わが国の疫病(伝染病)流行と その社会的衝撃」
日時:2015年7月10日(金)14:00-15:30
会場:名古屋大学医学部基礎研究棟1階 会議室2
講師:青木 國雄(名古屋大学名誉教授)

名大トピックス No.270
第9回
建物に見る病院と医学校の歴史
2015年2月13日(金)
~5月29日(金)
 愛知県立医学専門学校・愛知病院は、1914(大正3)年に、現在の名古屋大学医学部・附属病院の所在地である鶴舞キャンパスへ新築移転しました。
 2014年に移転後100周年を迎え、2015年からは次の100年へ向けて新たな時代が始まります。
 「建物に見る病院と医学校の歴史」は、広く日本と西洋における病院と医学校の歴史を建物から振り返るもので、絵画、図面、写真等、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料により展示公開します。

名大トピックス No.266
第8回
医心 絵心(いごころ えごころ) -医師たちの画力-
2014年10月8日(水)
~2015年1月30日(金)
 名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵している史料の中から、名古屋大学医学部の先輩医師たちによる絵画を展示公開するものです。
 医術の心得と、絵を描く心得とは通じるものがあるのでしょうか。愛知医学校の解剖学者 奈良坂源一郎は、優れた博物画も残しています。県立愛知医科大学の皮膚科学者 太田正雄(木下杢太郎)は、詩人として高名ですが絵画にも才能を現しました。解剖図だけでなく、人物、静物、動植物などの多様なモチーフに発揮された、医師たちの素晴らしい画力をご覧ください。

名大トピックス No.262
第7回
千年の医書 -平安時代から江戸時代までの古医書の世界-
2014年6月11日(水)
~9月30日(火)
 名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵している史料の中から、平安時代から江戸時代までの千年にわたる、わが国の代表的な医書を展示公開するものです。
 現存する日本最古の医書『医心方』(国宝)や、平安時代末期以降に描かれた絵巻物『病草紙』(国宝)、日本の医学に大きな影響を与えた中国後漢の『傷寒論』と『金匱要略』、陽明学者 中江藤樹が門人のために書いた医学入門書『捷径医筌』、日本最初の実証的人体解剖図『蔵志図』、日本最初の本格的な西洋医学の翻訳書『解体新書』と、前年に世間の反響を見るために刊行された『解体約図』、日本最初の西洋内科翻訳書『西説内科撰要』、華岡青洲の麻酔薬の研究書『春林軒禁方録抜萃』など、いずれも古医書の歴史を語る上で極めて重要な史料を展示公開します(一部覆刻版もあります)。

名大トピックス No.258
名古屋大学大学文書資料室と共催

戦争と大学 -1931~1945 官立名古屋医科大学・名古屋帝国大学-


会場:名古屋大学中央図書館 2階 ビブリオサロン
2014年8月1日(金)
~8月31日(日)
 名古屋大学は、名古屋帝国大学として、1939年(昭和14)年という戦時体制下に誕生した大学です。また、前身校である名古屋医科大学も1931年に官立移管されました。つまり、その草創期は、満州事変から日中戦争、太平洋戦争を経て、1945年の敗戦までの時代と重なります。
 企画展「戦争と大学」は、今年2~6月に附属図書館医学部分館が開催したミニ展示「戦争と大学」に展示された同館所蔵史料に、大学文書資料室が所蔵する史料やパネル等を増補し、戦時期の名古屋大学の研究・教育・医療・学生生活などについて展示します。

名大トピックス No.256
企画展「戦争と大学 : 一九三一~一九四五 官立名古屋医科大学・名古屋帝国大学」(名古屋大学大学文書資料室紀要. v.23, 2015, p.1-87)
第6回
戦争と大学 -1931~1945 官立名古屋医科大学・名古屋帝国大学-
2014年2月12日(水)
~5月30日(金)
 名古屋大学の前身校である県立愛知医科大学は、1931(昭和6)年に官立移管により名古屋医科大学となり、1939(昭和14)年には名古屋帝国大学医学部となりました。
 官立名古屋医科大学・名古屋帝国大学の時代は、1931年の満州事変から、日中戦争、太平洋戦争を経て、1945年の敗戦までの時代と重なります。
 「戦争と大学」は、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、名古屋空襲により甚大な被害も受けた、この戦争の時代の官立名古屋医科大学・名古屋帝国大学における研究・教育・医療について、史料、写真等により、展示公開します。

名大トピックス No.254
企画展「戦争と大学 : 一九三一~一九四五 官立名古屋医科大学・名古屋帝国大学」(名古屋大学大学文書資料室紀要. v.23, 2015, p.1-87)
第5回
愛知医学校長 後藤新平 -『大風呂敷』と呼ばれた男の名古屋時代-
2013年9月25日(水)
~2014年1月31日(金)
 壮大な発想から「大風呂敷」と呼ばれた政治家 後藤新平(1857-1929)は、福島県の須賀川医学校を卒業した医師であり、弱冠24歳で、名大の前身である愛知県公立病院長兼公立医学校長となりました。
 「愛知医学校長 後藤新平」は、名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に所蔵する史料の中から、医書、写真、絵葉書、絵画等により、愛知医学校時代を中心に、後藤新平の足跡をたどるものです。
 代表的な著作『国家衛生原理』、県下の医師を組織して後藤が設立した私立衛生会「愛衆社」と、海水浴の医学的効果に注目した史料、後藤が考案した桃と蛤をあしらった医学校長時代の卒業証書、帝都復興院総裁として関東大震災後の東京の都市計画を指導した著作『帝都復興とは何ぞや』など、多彩な展示品のほか、後藤の生涯を描いたDVDも見ることができます。

名大トピックス No.250
第4回
珍品・逸品・新収品 -医学部史料室の最近の収蔵品から-
2013年5月21日(火)
~9月13日(金)
 名古屋大学医学部史料室(附属図書館医学部分館4階)に最近寄贈された史料の中から、17~19世紀の日本と西洋の不朽の名著、昭和初期の国産顕微鏡の名機「昭和号GK」、激動の時代 昭和12年名古屋医科大学(名大の前身校)の卒業記念アルバム、戦前・戦中の珍しい薬瓶の封緘シールなど、珍品、逸品の数々を展示公開します。
また、NHK「八重の桜」の主人公 新島八重や、日本初の女医 荻野吟子などの生涯を描いたDVDと、ツツガムシ病発生地である新潟県での愛知県立医大(名大の前身校) 林直助博士の労苦と功績を描いた記録映画が視聴できます。
 主な展示品: (図書)王栢 『天地萬物造化論』、(図書)フランソワ モリソー 『妊産婦の病気概論』、(図書)佐々井茂庵『産家やしなひ草』、(図書)横井信之 『撒善篤繃帯式』、(映画)DVD『恙虫記』、(写真)名古屋医科大学第六期卒業生アルバム、(医療器具)顕微鏡「昭和号GK」、(その他)戦前・戦中の医薬品シール ほか

名大トピックス No.245
第3回
不思議!? 解剖図 -ヴェサリウスから奈良坂源一郎まで-
2013年2月5日(火)
~5月10日(金)
 16世紀の解剖学者で「近代解剖学の父」と呼ばれるヴェサリウスの『ファブリカ(人体の構造)梗概』の注釈本(1642年)から、名古屋大学医学部の前身である愛知医学校等の解剖学者 奈良坂源一郎の戯画『踊る骸骨』まで、解剖図の美しさ、不思議さを古医書、絵画等により展示公開しました。
 主な展示品: (絵画)長束宗元 『乳癌手術の図』、(掛軸)奈良坂源一郎の戯画『踊る骸骨』、(図書)ヴェサリウス 『ファブリカ(人体の構造)梗概』の注釈本、(図書)レーデラー 『分娩術原理』、(図書)賀川玄廸 『産論翼』、(医療器具)経絡人形 ほか

名大トピックス No.241
第2回
ノ-トの中の青春 -講義ノ-トが伝える医学生の歩み-
2012年10月23日(火)
~2013年1月18日(金)
 明治、大正期の名古屋大学医学部の学生による講義ノート、口述筆記と、当時の写真、カリキュラム等を展示公開しました。
 主な展示品: (講義ノート)奈良坂源一郎、熊谷幸之輔、川原汎、小倉開治、鈴木孝之助ほか、(文書)ローレツ自筆のドイツ語格言、(文書)北越従軍銃創図録、(絵図)愛知県公立病院及医学校之平面図、(写真)明治21年、42年、大正4年、7年の写真と卒業アルバム ほか

名大トピックス No.238
第1回
歴史の時間 -名古屋大学医学部・附属病院の歴史を遡って-
2012年9月11日(火)
~9月28日(金)
 名古屋大学医学部・附属病院の歴史に関連する史料の一部を展示公開しました。
 主な展示品: (文書)愛知県管下永井松右衛門 合衆国医士ヨンクハンス氏と取結条約文、(文書)奈良坂源一郎 挿図帖とその使用例、(図書)杉田玄白 『解体新書』、(図書)ヨングハンス『原生要論』、(写真)校長 後藤新平氏送別記念撮影、(医療器具)種痘用具一式、(医療器具)桐原式軟性胃鏡、(医療器具)奈良坂源一郎作成のプレパラート見本 ほか

名大トピックス No.234
名古屋大学附属図書館医学部分館  
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