名古屋大学皮膚科学教室の沿革
1905年の開講以来、東海地域の皮膚科診療・医学教育・研究を支えながら、時代とともに役割を広げてきました。
名古屋大学皮膚科学教室の歴史は、1905年、愛知県立医学専門学校に皮膚病花柳病科が開設され、楠太先生が主任に就任したことに始まります。その源流は、明治初期の名古屋県仮病院・仮医学校、愛知医学校、愛知県医学校の時代にまでさかのぼります。欧州医学の導入とともに、皮膚病学、梅毒学、泌尿器病学の教育と診療が行われるようになりました。
1916年に田村春吉教授が着任し、教室の診療・教育・研究を長く主導しました。田村教授の在任中には、留学による不在を補うため、1919年から1922年まで志賀亮教授が東京帝国大学皮膚科から着任し、1924年から1926年まで太田正雄教授が在任しました。1943年には、皮膚科泌尿器科講座が皮膚科学講座と泌尿器科学講座に分かれ、それぞれが独立した専門領域として発展していく体制が整えられました。
1946年、田村教授の退任後に加納魁一郎教授が就任し、戦後の混乱期から新制名古屋大学発足後にかけて、教室の再建と発展に尽力しました。加納教授の退官後には一時、教授不在の時期を経ましたが、1974年に小林敏夫教授が就任し、診療・教育・研究体制の充実を図りました。1979年には大橋勝教授が就任し、幅広い皮膚科学領域における臨床と研究の基盤をさらに発展させました。
1997年には富田靖教授が就任し、色素細胞や遺伝性皮膚疾患の研究を中心に、教室の診療・研究・教育を推進しました。1998年には、名古屋大学医学部環境皮膚科学寄附講座が開設され、早川律子教授が就任し、接触皮膚炎を中心とする環境皮膚科学の診療・研究の発展に大きく貢献しました。2010年には秋山真志教授が就任し、先天性魚鱗癬をはじめとする遺伝性角化症、稀少難治性皮膚疾患、皮膚バリア機能、分子遺伝学的診断の領域で、国内外を牽引する診療と研究を展開しました。
名古屋大学皮膚科学教室は、1905年の開講以来、東海地域における皮膚科診療・医学教育・研究の中核として歩みを重ねてきました。皮膚泌尿器科学の黎明期から、戦後の再建、大学医学部としての発展、そして分子遺伝学や稀少疾患研究へと、時代の進歩に応じてその役割を広げながら、現在に至っています。
出典:「名古屋大学皮膚科100年の歩み」より
