腫瘍外科学について

胆道道場

長い長いあいさつです

神谷 順一 ときどき言われます。「変わった文を書きますね。」「文が短いですね。」「読みやすい文章でしたよ。」褒められた。そう思いたいです。思いたい理由があります。褒められていないような気がするのです。

 笑顔です。微笑みが怪しいです。何かありそうです。ありますね。批評です。微笑みの後ろに潜んでいます。(文は人ですな。)(思考も短く浅いですよ。)(難しいことは書けないんですね。)考えすぎかな。いやいや。考えすぎではありません。どうです。あなたも同感でしょう?

 反論してみます。とはいえ。文が人なら勝ち目はありません。無理です。人は変わりません。でも。長く深い思考はできるかもしれません。思索というやつです。やってみましょう。といっても自分を振り返るだけですけどね。うまくいけば難しい内容になるかもしれません。

 振り返ります。

 短い文は『消化器切除標本の取扱い方』に始まります。標本整理の方法やコツを説明する本です。分かってもらうことが目標でした。やってみよう、そう思わせることが究極の目的でした。1992年ころです。

 どう書くべきか。思案しました。内容は方法やコツです。コマ切れ情報の集まりです。物語はありません。感動とか論理展開とも無縁です。文に工夫が必要と思いました。普通に書いたら無味乾燥になるでしょう。読んでもらえそうにありません。

 軽く読める文章がベストでしょう。すらすら読めてすんなり理解できれば理想です。理解が容易であれば次のステップに進みやすくなります。実際にやってもらえるはずです。

 自分の経験から沈思黙考しました。第一印象ですね。これが大事です。最初に目にした時にどう写るか。読みにくいと思われたら予選リーグ敗退です。読んでもらえません。軽く読める文です。すらすら読める文が必要です。

 短い文です。とっつきやすいです。読みやすいはずです。短い文で書くことにしました。でも初めてでした。短い文をつなげて本を作った経験なんかありません。まず書きました。普通に書いたのです。そして短くしました。切り刻みました。

 刻んだだけでは駄目でした。すらすら進みません。読みにくいです。目が滑っていきません。つながりが悪いのです。ゴッツンゴッツンの凸凹でした。工夫しないといけません。細工を考えました。

 一つは繰り返しです。同じ言葉を繰り返します。潤滑油になります。言い換え言葉も有効です。次へ次へと目が進みます。初めは不安でした。びくびくしていました。繰り返しが多いと小馬鹿にしている雰囲気になるのです。なぜでしょうかね。

 今では抵抗は感じません。私は慣れました。みなさんはどうですか。実は感想は気になるのです。気にならない振りをしていますけどね。

 もう一つ。「その」「それ」といった指示語を極力排除しました。「その」「それ」は曖昧です。意味不明になりがちです。推理が必要になります。あれれ分からない、となると目を止めて逆走です。停止と逆走はエネルギーの浪費です。低効率に陥ります。

 どんどん文字を追い続けたら理解していた、そういう文章が良質なのです。賛同していただけますよね。理解するために読み返しが必要というのは失敗文と思います。読む人に推理を強要する文は悪文です。

 何度でも繰り返します。理解するために読み返しが必要な文章は落第です。国語の試験を思い出してください。どんなに苦労したことか。答えを間違えるような「その」「それ」がいけないのです。いろいろな読み方ができる「その」「それ」を使う人が間違っているのです。

 注釈を入れます。おせっかいです。

 理解だけでは十分ではありません。身に付きません。話したり、やってみる必要があります。うまくいけばOKです。失敗するかもしれません。失敗した時に読み返してもらえばいいのです。自分のものにするために読み返す、そういう読み返しには意味があります。

 戻ります。

 1992年です。短文スタイルが誕生しました。そして私の中でブームになりました。面白いのです。短い文を連ねるのは楽しいです。遊びの要素があります。達成感があります。やってみてください。短文蓄積はゲームです。

 文は短くなり続けました。そして今の形です。もう最終形でしょう。これ以上に短くするのはたぶん無理です。

 で。

 効果はどうだったのでしょうか。短くすることが目的ではありませんでした。読みやすい文が目的でした。そして分かってもらうことでした。分かってもらえたのでしょうか。成功したと信じています。何人か読みやすいことを褒めくれました。ただし本は重版されませんでした。残念。

 短い文は特殊な環境に適応するための文でした。そして楽しく進化しました。実は心配があります。環境変化です。短い文は別の環境に対応できないかもしれません。仕方ないですね。もう戻れません。長い文は書けません。どうなりますか。

 ここから長い文を攻撃します。短い文の擁護になるはずです。

 まず。長い文は見通しが悪いです。不都合が起こります。起こっても分かりにくいです。主語と述語がねじれます。途中で主語が替わってしまうのです。能動と受動が混線します。形容する部分が長くなって主語が迷子になります。読む人には災難です。読み返しが必要になります。

 次。長い文では「ので」とか「が」を多用します。連結に使うのです。とたんに発火します。「ので」になっていなかったりします。「が」もやっかいです。二つの「が」があります。「しかし」の「が」がひとつです。例を一つ。太っているが身が軽い。もうひとつはつなぎの「が」です。例文です。鼻が長いが耳も大きい。「が」を目にすると判定しないといけません。いやな言葉です。使いたくありません。短くするしかありません。

 注釈を入れます。「が」の注です。大辞林を見ました。接続助詞として4つの「が」が載っています。4つです。(1)前置き・補足的説明などを後に結びつける。「ご存知のことと思いますが、一応説明します」(2)二つの事柄を並べあげる場合、時間的前後・共存など、それらの時間的関係を表す。「しばらく見ていたが、ふっといなくなった」(3)対比的な関係にある二つの事柄を結びつけ、既定の逆説条件を表す。けれども。(4)どんな事柄でもかまわない、の意を表す。「どうなろうが知ったことではない」。失礼しました。書くときには「が」は使わないほうがよさそうです。

 次。長い文には毒があります。書いている人に効く毒です。陶酔させます。自分の文に酔うのです。書くだけで充足してしまいます。分からせようという気持ちがなくなります。危ういです。あなたの文章に文句を言ってるのではありません。一般的な悪口です。長い文の悪口です。気にしないでください。

 非難ばかりでは品がありません。自画自賛します。自賛も品に欠けるかな。

 短い文は修正が楽です。気楽に直せます。例を書きます。

 入れ替えが簡単です。説明します。文A、文B、文Cがあります。読みます。入れ替えてみます。たとえば文Cを最初に持ってきます。読みます。こっちのほうが流れがいいかな。分かりやすいかな。よければ採用します。よくやります。「ので」や「が」で固まった文では無理でしょう。

 文Mと文Nの間で足りないものがないか。理屈が飛躍していないか、説明が足りているか。一番の心配です。検討します。文が短いと効率がいいです。見通すのが楽です。文Mと文Nを眺めます。じっくり見ます。不十分かな。足りなければM’を追加します。M、M’、Nにします。そして検討します。成功なら次へ。だめなら別の文を考えます。長い文では難しいですよ。きっと。

 おまけです。

 「その」「それ」を使わないと先ほど書きました。入れ替えや追加の効果です。帰結です。使えないのです。「その」「それ」があるとまずいです。入れ替えで「その」「それ」が先頭に来たりします。混乱です。追加でも意味不明になります。混沌です。

 文の一部や単語を複数回使えば大丈夫です。くどいかもしれません。幼稚と思われるかもしれません。いいじゃないですか。もう一度言わせてください。読む人に推理を強要する文は悪文です。読み返しが必要な文章は落第です。分かりやすくて何が悪いですか。

 最後は感情的になってしまいました。少しは難しい内容になったでしょうか。

 神谷 順一 拝

神谷順一マニュアル集



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