腫瘍外科学について

「研究」について

 現在われわれが行っている医療行為は、基礎研究や臨床研究のデータをもとに成り立っています。一言で「研究」といっても、その世界は非常にきびしいもので、これには膨大な「時間」と「労力」、そして「お金」が費やされます。なかでも基礎研究で行われている実験は、そのほとんどが失敗に終わり、その過程で得られた結果の多くは世の中の役に立つことなくそのまま闇に葬り去られます。また、たとえ基礎研究ですばらしい結果が得られたとしても、臨床に応用するためには臨床研究というかたちでさらにその意義が厳しく検討されます。したがって、最終的に広くこの世で活用される研究成果というのは、膨大な量の研究結果のうちほんの一握りのものになってしまいます。このように、われわれが日頃行っている医療行為というものは、基礎研究あるいはそれに続く臨床研究における膨大な「失敗」と「試行錯誤」の繰り返しの上に成り立っているのです。

 動物や細胞を扱うことの多い「基礎研究」とヒトを対象にする「臨床研究」はともすれば、離れ離れな世界になりがちです。「基礎研究」を長く続けていると、どうしても論文を書くためだけの研究や研究費を獲得するためだけの研究にとどまり、その先にある臨床応用が見えなくなります。医学の世界では、「基礎研究」に携わるものは基礎の世界の人、「臨床」に携わるものは臨床の世界の人と大きく二分されているように思われます。基礎研究者は臨床に関する経験や知識が乏しく、どんな研究をすれば実際の臨床に役立つのかがよくわかりません。また臨床医は基礎研究に関する知識が乏しいため、自分たちが行っている医療行為がどのような過程を経て確立されてきたのかを十分に理解していません。「基礎研究」は動物や細胞を使いますが、それはあくまで最終的にヒトへの応用を念頭においたものでなければならず、先には必ず「臨床研究」あるいは「臨床応用」があります。また逆に臨床の現場で経験的に得られた結果が、本当に科学的根拠があるものなのか裏付けをとるためには基礎研究が欠かせません。すなわち、「基礎」の世界と「臨床」の世界はしっかりした架け橋でつながれていなければならず、その間には常に親密な往来がなければいけないと思います。当教室では、この基本理念を常に忘れず、できる限り基礎と臨床の架け橋になるような研究を行いたいと思っています。以下に我々が現在行っている臨床および基礎研究の概要をご紹介します。


当科研究内容の紹介

1.大量肝切除術後の肝再生に関する基礎的・臨床的研究

 肝臓は非常に強い再生能力を持つ臓器です。このような能力がある故にわれわれは、原発性肝癌、転移性肝癌、胆管癌、あるいは肝内結石症などの疾患に対して、大量肝切除術という大胆な治療を行うことができます。肝臓のような旺盛な再生能力は、他の実質臓器に類を見ないため、そのメカニズムの解明は古くから研究の的になっています。なぜあまたある臓器のなかで肝臓だけがこのような能力を備えたのか?考えてみれば不思議なことです。生体のしくみがそれぞれに理由があるように、肝臓の再生能力にもきっとそうあるべき理由があるのでしょう。肝再生のメカニズムを解明する過程は、この理由を解き明かす過程ともいえます。

 これまで肝再生メカニズムについて多くのことが解明されてきてはいますが、まだまだその全貌が見えているわけではありません。肝再生が起こるには、なんらかの刺激が肝臓に加わらなければならなりません。この刺激があるトリガーを作動させて、定状状態にある肝臓の肝再生が始まります。そのトリガーが何であるのか、さらにその後にどのような因子が肝臓の再生を促進しているのかは、まだ十分にわかっていません。われわれはラットの70%あるいは90%肝切除モデルを用いて、この肝再生の謎に挑んでいます。

2.安全な広範囲肝切除術を目指した術前門脈枝塞栓術の適応に関する基礎的・臨床的研究

 当科では広範囲肝切除術を行う際に積極的に術前門脈枝塞栓術(PVE; portal vein embolization)を行い、手術の安全性向上を目指しています。臨床研究ではPVEの適応やアプローチ法に関する研究を行い、数多くの論文を排出してきました。また基礎研究ではラットの門脈枝結紮モデル(PBL; portal branch ligation)(図1)を用い臨床におけるPVEを再現して、肝再生メカニズムにかかわるさまざまな研究も行っています。なかでも、血管内皮伸展刺激に着目した肝再生メカニズムに関する基礎的研究では非常に興味深い結果が得られています(図2A,2B)。またPVEあるいはPBL後の肝再生に影響を与える因子についても積極的に研究を行っており、今後はさらに肝再生を促進させる因子を見出しPVE後により効率的に肝再生が得られるような治療開発を目指していきたいと考えています。

3.Synbioticsを用いた術前、術後管理法の研究

 大量肝切除を伴う胆道癌手術症例においては、術後感染性合併症が最も大きな問題となります。当科では術前および術後にsynbiotics(ビフィドバクテリウム+ラクトバシルス顆粒およびオリゴ糖)を投与する群としない群で前向き無作為抽出試験行い、synbiotics投与群で術後炎症性バイオマーカーであるIL-6、CRP、白血球数などの上昇が抑制されたり、術後感染性合併症発生が有意に少ないという結果を得ました(図3)。Synbioticsは腸内細菌叢組成の変化(Bifidobacterium属の上昇)や腸内細菌による発酵産物(fermentarion)である有機酸濃度の変化を誘発し、これが宿主の免疫能改善に貢献していると考えられます。またsymbiotics投与群では非投与群に比べ腸管の整合性が保たれており、bacterial translocationの発生が少ないものと推測されます。われわれはこのsynbiotics効果のメカニズムをさらに解明するため、大量肝切除術、膵頭十二指腸切除術、食道亜全摘術などに際してsynbioticsを使用し、その臨床的効果をみるとともに、synbiotics効果のメカニズムを解明するための前向き臨床研究を行っています。

4.閉塞性黄疸に対するインチンコウトウ投与の意義に関する研究

 胆道癌は閉塞性黄疸で発症することが多く、発見時にはこの胆道閉塞によりすでに肝臓が障害されています。このため、胆道をドレナージした後でも、減黄がなかなか進まないケースをしばしば経験します。この原因の一つと考えられているのが、肝細胞でビリルビンの排泄を司るMRP2(multidrug resistance protein-2)発現低下があります。われわれが行った以前の研究では、閉塞性黄疸を経験した肝臓では、MRP2の発現が有意に低下しており、このような症例では肝切除術後にも高ビリルビン血症を引き起こします。興味深いことに近年の研究で、漢方薬であるインチンコウトウが肝細胞微細胆管におけるMRP2発現を亢進するという結果がでています(図4)。われわれは、この結果をもとに閉塞性黄疸を経験した患者様にインチンコウトウ投与を行い、減黄の促進をはかるだけでなく、術後高ビリルビン血症改善を目指した、前向き無作為抽出試験を行っています。

5.胆道閉塞時における肝障害のメカニズムに関する基礎的研究

 胆道閉塞に伴う肝障害のメカニズムは大きく分けると(1)炎症性反応の亢進、(2)血管収縮因子の過剰産生による肝微小循環障害、(3)活性酸素種過剰産生による直接的細胞障害などがあげられます。またわれわれが以前に行ったラットの研究で、胆道閉塞時にはトロンボキサンA2が過剰に産生され、これが肝微小循環障害の一因と考えられます。現在われわれは、さまざまな薬剤を用いて、胆道閉塞後の肝障害抑制を得られないかどうかを研究しております。

6.胆道癌・膵癌の網羅的遺伝子解析とそれにもとづく分子標的治療の開発

 胆道癌や膵癌の手術成績は年々向上していますが、その予後はいまだ不良です。さまざまな前向き臨床研究により、これらに対する拡大手術には限界があることがわかってきています。したがって、胆道癌、膵癌の予後を向上させるには補助療法の開発が急務と思われます。近年の分子生物学の進歩により、さまざまな分子標的治療薬が開発されつつあります。われわれは、当科で数多く経験する胆道癌、膵癌の網羅的遺伝子解析を行い、癌特異遺伝子Nek2を発見し、さらにそれに対してsiRNAを用いた分子標的治療を行い非常に興味深い結果を得ました(図5)。今後はさらにこれを発展させ、臨床応用をめざしてゆきたいと考えております。