小児科開講100周年を迎えるにあたって

        名古屋大学大学院医学系研究科

 小児科学 教授 小島 勢二

  

  1909年、明治42年が名古屋大学小児科学教室の始まりです。以来、第2次世界大戦までは、東海地方における唯一の小児科学教室として、小児科医を輩出してきました。今年2009年は、小児科開講100周年にあたります。現在も500人に達する同門会員が、愛知県を中心に小児医療に従事しています。この500人の小児科医が、大学病院でのスタッフ、人事交流がある関連病院小児科の勤務医、研究所の研究者、開業医としてそれぞれの立場で、診療、教育、研究に従事し、ひとつの集団を形成してきました。

 明治から大正時代には、出生した1000人の子どものうち160人は、感染症が主たる原因で死亡していました。それが、2006年のわが国の乳児死亡率は2.6までに低下し、世界で最も安心して子育てができる国の仲間入りをしています。一方、世界に目を向ければ、現在でも毎年1,000万人の5歳以下の子どもが死亡しています。その大部分は発展途上国の子どもであり、その死亡原因もわれわれの先人が克服してきた、肺炎や急性腸炎、麻疹などの感染症です。わが国が50年前に通過した過去が、この地球上に未だ存在することに目を向けなければなりません。

 それでは、私達が愛知県の子どもに提供している医療は胸を張って、万全なものと言えるでしょうか。私が小児科医として過ごしたこの30年間を振り返っても、県下の小児医療は長足の進歩を遂げました。30年前には想像もできなかったことですが、500gで出生した超未熟児が普通に救命され、小児がん患者の生存率も70%に達しています。しかし、裏を返せば、まだ医学、医療の進歩を待つ多くの子ども達がいます。今回、100周年記念事業の一環として、患者さんやその御家族から「私と小児科の先生」をテーマに作文を募集いたしまして、多数のご応募を頂いたのですが、その中の最愛の子どもを失った御家族の投稿作品を読むことで、その無念な感情が伝わるとともに、目標が再認識されました。私達は、先人が達成した小児医学の進歩を受け継ぎ、とり残された分野におけるより優れた治療法の開発に取り組んでいきたいと考えています。

 最後に何年か後にあとを振り返り、2009年が愛知県の小児医療の分岐点であったといわれるような意義深い年にしたいと考えています。

  
  
    原稿大募集“私と小児科の先生”  結果発表!
     
最優秀作品:1編
「 小児科医と私 」 大竹 由美子(40歳) 
  
  
 岐阜県土岐市
優秀作品 :1編
 
「 がんばれるかなあ 」 佐野 将馬 (12歳) 
 
 
 愛知県岡崎市
佳作   :3編
 
「 私と小児科の先生 」 福岡 朋子(43歳) 
 
 
 愛知県名古屋市東区
 
「 せんせい 」

北岡 早紀(15歳) 

 
 
 愛知県名古屋市天白区
 
「 我が子雄大と小児科の先生 」 植木 倫枝(46歳) 
 
 
 愛知県名古屋市緑区
 
  pagetop