1949年 『故桐原教授告別式順序』

『故桐原教授告別式順序』 画像1 『故桐原教授告別式順序』 画像2 『故桐原教授告別式順序』 画像3
史料名 『故桐原教授告別式順序』
元号 昭和24
西暦 1949
内容 桐原眞一(きりはら しんいち 1889-1949)は、東京市本所区千歳町(現 墨田区千歳)の出身です。1915年(大正4年)東京帝国大学医科大学を卒業し、京城(日本統治時代の旧称、現 ソウル)の総督府医院、医学専門学校などを経て、1926年、県立愛知医科大学講師となり、外科学を担当しました。1931年に教授となり、1933年(昭和8年)ウォルフ(Georg Wolf 1873-1938)とシンドラー(Rudolf Schindler 1888-1968)による軟性胃鏡を改良し、器械技師武井勝に依頼して、1937年2月に先端が手元の操作により屈曲できる桐原式軟性胃鏡を完成しました。 キリスト教式告別式は名古屋帝国大学医学部講堂で行われました。東大で同期であった同僚 齋藤眞(さいとう まこと 1889-1950)は、その日「友逝きて一人淋しさまさりけるわれ還暦の春を迎へて」という歌を詠んでいます。 故桐原教授告別式順序. [名古屋] : [名古屋大学医学部] , [1949.2]
形態 1枚 [2つ折4p] ; 縦18cm×横13cm
区分 文書

近代医学黎明デジタルアーカイブ
トップへ戻る