1945年 空襲で灰塵に帰した鶴舞キャンパス

空襲で灰塵に帰した鶴舞キャンパス 画像1
史料名 空襲で灰塵に帰した鶴舞キャンパス
元号 昭和20
西暦 1945
内容 昭和20年(1945年)3月12日の空襲で、医学部及び附属医院の木造建物は大部分を焼失し、3月19日の再度の空襲により病院の建物4棟を失い、3月25日の3度目の空襲では残存建物のガラス窓に大被害を受け、戦前の建物の62%以上を焼失しました。中央に焼残った建物は旧図書館です。図書館は鉄筋コンクリート造りであったため、焼失を免れました。『五十年間の回顧』によると、「本学内においては殆ど死傷者は無かった」ということです。 教室を焼失した診療各科並びに基礎教室の一部は外来診療所に、また基礎医学教室の大部分は、市内千種区城山町の昭和塾堂や血清製造所を愛知県から借り受けて分散し、かろうじて教育、研究を続行しました。
形態 1枚 ; 縦11.0cm×横15.6cm
区分 写真

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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