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医学部附属医院事務長の山元昌之(やまもと まさゆき)は、病院の防空対策について研究を重ねましたが、備忘用にまとめてあった内容が医院長 勝沼精蔵(かつぬま せいぞう 1886-1963)の目に止まり、その一部が『名古屋医学会雑誌』に掲載されました。そこに公表できない内容について、「部外秘」としてまとめたのがこの小冊子です。
名古屋師団の小越前防衛主任参謀等の指導を得て、また医学部長 田村春吉(たむら はるきち 1883-1949)、勝沼精蔵、図書館長 三輪誠(みわ まこと 1889-1946)の教示を仰いで、山元昌之がまとめ、昭和18年4月24日に部外秘として発行しました。
昭和20年2月、総長 渋沢元治(しぶさわ もとじ 1876-1975)は空襲に対する処置をまとめました。「1. 医学教育の中枢ともいうべき附属医院は空襲下名古屋市民の尤も重要なる治療機関である。随ってこれは疎開することは不可能であった。2. 医学部も大別して基礎と臨床、また内科、外科、耳鼻科、眼科等の諸学科に分かれて居るが、これ等を別々に隔たった場所に置いては教育も研究も殆んど出来ない。そこで特殊の戦時研究施設と応急治療上必要なる薬品、器具等を比較的安全の場所に移す程度の疎開を行うこととした。」
病院防空||ビョウイン ボウクウ [名古屋] : 名古屋帝國大學醫學部附屬醫院 , [1943] 25p ; 26cm
発行年は事務長山元昌之氏による序言(昭和18年4月24日)による
表紙左上に"部外秘", 右下に"以印刷代謄寫"とあり |