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昭和15年(1940年)10月の帝国大学総長会議などにおいて、学友会を改組し、報国団を結成するよう求める文相訓示が行われました。名古屋帝国大学(1939-1947)では、15年7月に結成されていた体育会が翌年5月1日に解散となり、代わって同日に報国会が結成されました。会長は、渋沢元治(しぶさわ もとじ 1876-1975)名古屋帝国大学初代総長です。
「我が国教学の本義に徴し、全学和衷協同各其の分をつくし、もって大道に帰一せんこと」(会則第2条)を目的とする報国会は、教養講座、体力検定、スポーツ大会、映画会、レコードコンサートなどを催しました。
太平洋戦争開戦後の17年12月には、渋沢報国隊長から、東春日井郡牛山にて、工兵基礎作業訓練を受け、航空機滑走路整備作業に従事するた
め、報国隊を出動したいとする通知書が関係者宛てに出されました。そして、19年8月公布の学徒勤労令により、学校報国隊による「勤労即教育」の学徒動員が法制化されました。
報國會々報||ホウコクカイ カイホウ 創刊[1]號 ([昭16.12])-2號: 教養部特輯號 ([昭17]) 名古屋 : 名古屋帝國大學報國會 , 1941.12- 2冊 ; 22cm |