内容 |
大正7年(1918年)12月6日、官学以外に公・私立大学を認め、その目的・組織および監督を規定した大学令が公布されました。同月、愛知県通常県会において、綜合大学設置に関する建議が政友会等から提出され、可決されました。
愛知県立医学専門学校(1903-1920)は、大学令に基づき、大正9年に県立愛知医科大学(1920-1931)となり、昭和6年には国に移管されて官立名古屋医科大学(1931-1939)となりました。
昭和12年12月14日、愛知県会において、綜合大学建設方に関する件が満場一致で可決されました。文化の高揚、産業の開発に寄与する多数平和の戦士および満州、支那において活躍するための人材の養成の必要性が訴えられています。近衛文麿首相ら閣僚や愛知県知事に提出され、名古屋帝国大学設置運動が本格化するきっかけとなりました。
縣會意見書||ケンカイ イケンショ [名古屋] : [名古屋帝國大學] , [193-?] [6]丁 ; 26cm
表紙は墨書、名古屋帝國大學の用紙に印字、大正7年12月10日議決-昭和12年12月14日議決 |