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史料名 |
鈴木孝之助 『通俗肺病患者攝生法 : 附肺病豫防法』 |
元号 |
大正2 |
西暦 |
1913 |
内容 |
鈴木孝之助(すずき こうのすけ 1854-1945)は、愛知県田原の旧藩主の家に生まれ、1880年(明治13年)東京医学校(東京大学医学部の前身)を卒業、同年9月、公立医学校(名大の前身)の教諭となりました。当時の医学校長心得であった後藤新平(ごとう しんぺい 1857-1929)は、外国人教師は高給なため、他の専門科目の教授に徹底を欠くということで、県令(県知事)安場保和(やすば やすかず 1835-1899)の同意を得て、日本人の医学士を採用して、漸次増員するという方針を立てました。鈴木は、その最初の医学士で、後藤が内務省へ異動すると、後任として明治16年1月から同年10月まで愛知医学校長を務め、後に、海軍軍医総監となりました。
通俗肺病患者攝生法 : 附肺病豫防法 / 鈴木孝之助著.4版.東京 : 鈴木孝之助 , 1913.9. |
形態 |
4, 2, 106p ; 19cm |
区分 |
図書 |
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