1913年 林直助 恙虫病

林直助 恙虫病 画像1 林直助 恙虫病 画像2
史料名 林直助 恙虫病
元号 大正2
西暦 1913
内容 大阪毎日新聞(大正2年10月26日発行)に掲載された林直助(はやし なおすけ 1871-1953)による恙虫病(つつがむしびょう)の紹介記事です。直筆の署名があります。「四国猿と人間の罹る奇病 □信濃川特有の野鼠が伝播する □越後の七不思議以外の恙虫」 林直助(はやし なおすけ 1871-1953)は、明治4年(1871年)3月、岐阜県恵那郡に生まれました。 明治30年(1897年)11月第一高等学校医学部を卒業後、東京帝国大学医科大学衛生科選科に入学、翌年退学、明治33年(1900年)検疫官を命ぜられ、明治34年2月に退職し、同月、京都帝国大学医科大学助手となりました。明治39年恙虫病調査委員を嘱託されました。 明治39年(1906年)12月愛知県立医学校専門学校の教諭となり、病理学、病理解剖学等を担当しました。 大正2年(1913年)1月「恙虫病病理解剖並に組織学的研究」により、医学博士の学位を授けられ、大正6年2月医学専門学校教授となりました。大正8年2月病理学研究のため、欧米各国に留学し、米国ロックフェラー研究所の病理部において病理学を研究、野口英世(のぐち ひでよ 1876-1928)とともに病原微生物の研究に従事しました。大正10年8月帰国、大正11年7月15日、県立愛知医科大学の教授となりました。退職後は、郷里の岐阜県恵那郡福岡村(現在の中津川市福岡町)の自宅で静養中、昭和28年(1953年)5月13日逝去されました。
形態 1枚 ; 縦54.5cm×横81.0cm
区分 文書

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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