1897年 奈良坂源一郎 『踊る骸骨』と『骸骨二体』

奈良坂源一郎 『踊る骸骨』と『骸骨二体』 画像1 奈良坂源一郎 『踊る骸骨』と『骸骨二体』 画像2
史料名 奈良坂源一郎 『踊る骸骨』と『骸骨二体』
元号 明治30
西暦 1897
内容 奈良坂源一郎(ならさか げんいちろう 1854-1934)は、後藤新平(ごとう しんぺい 1857-1929)に招かれ、明治14年(1881年)、愛知医学校の解剖学、生理学、組織学の教諭として赴任、40年間、教鞭をとりました。 『踊る骸骨』は、奈良坂が門弟 大北武彦(明治26年(1893年)卒業)に寄贈した戯画です。解剖図や博物図など絵の得意な奈良坂が、竹内栖鳳の『観花』を見て、よし自分も、と柳の下に骸骨を配した画を描いた、と言われています。 『骸骨二体』も同時期に描かれたものと思われます。 号は故郷の松島に因み「松洲」としていました。
形態 2幅 ; 縦190.5cm×52.6cm ; 194.0cm×47.0cm
区分 絵画・掛軸

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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