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板倉與五郎(いたくら よごろう 1865-1937)が、「虎列刺」(コレラ)の講義を教場筆記したものです。講義者は不明です。
板倉は、慶応元年、三河国西加茂郡挙母村(現在の愛知県豊田市)に生まれました。生家は代々挙母藩の勘定方ですが、父の勧めにより医者を志しました。碧海郡鷲塚村(現在の愛知県碧南市)に近藤坦平(こんどうたんぺい 1844-1929)が開いた西洋医学校「蜜蜂義塾」(1872-1882)に明治12年(1879年)に入り、一般教科と基礎医学を学び、明治17年(1884年)、愛知医学校に入学しました。明治21年に卒業すると、郷里の挙母で開業しました。
虎列刺 / [板倉與五郎筆記] [名古屋] : [板倉與五郎手写] , [18--]
[参考文献: 平野潤三. 明治初年の医学生 板倉與五郎の手記(前篇). 愛知医報. 2006, no. 1781, p. 44.] |