1884年 好生舘側面遠望

好生舘側面遠望 画像1 好生舘側面遠望 画像2
史料名 好生舘側面遠望
元号 明治17
西暦 1884
内容 横井信之(よこい のぶゆき 1847-1891)は、明治12年(1879年)3月から明治13年5月まで、愛知県公立病院長、公立医学校長を務めました。この頃、西洋医学の医師養成を痛感して、私財により名古屋市西区北鷹匠町の自宅内に、私塾好生舎を設けて、医学の講義を行い、患者の診療にあたりました。後進の啓発と治療の精巧さとで声望が高まり、1884年6月には、手狭となった北鷹匠町から、樋ノ口町(堀川の東、名古屋城の堀端西側)の2,600坪あまりの地に、新たに病院を建築し、好生館と改称して開業しました。
好生館は、横井の没後、女婿であった北川乙治郎(きたがわ おとじろう 1864-1922)、佐藤勤也(さとう きんや 1864-1920)らが経営しましたが、1945年(昭和20年)太平洋戦争で焼失しました。
[絵葉書]好生舘側面遠望.写真制版画.[出版地不明] : 伏屋商店 , [19--].
形態 1枚 ; 縦9cm×横15cm
区分 図・絵葉書

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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