1882年 藤井麗輔 『岐阜凶報板垣君遭難顛末』

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史料名 藤井麗輔 『岐阜凶報板垣君遭難顛末』
元号 明治15
西暦 1882
内容 板垣退助(いたがき たいすけ 1837-1919)は、明治15年(1882年)自由党総理として岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷しました。この時、リスター氏消毒を施し傷を治療したのは、当時愛知医学校長・愛知病院長であった後藤新平(ごとう しんぺい 1857-1929)です。
「名古屋鎮台病院長横井信之(よこい のぶゆき 1847-1891)氏へ往診のことを依頼せしに何分公務の身なれば即座に派出し難き...故に公立病院長後藤新平氏は外科の名手なればとて更に同氏へ往診の義を依頼せしに...後藤氏は車(人力車)を馳せて岐阜に赴かれたり...疵は肺に及ばず此上胸膜炎を発せざれば大丈夫なり最早24時間を経れども其徴なければ気遣いなしとの診断なり」(本書より)
岐阜凶報板垣君遭難顛末 / 藤井麗輔(ふじい れいすけ)編纂. 東京 : 岩崎好正 , 1882. 43p, 図版1枚 ; 19cm
形態 43p, 図版1枚 ; 19cm
区分 図書

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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