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後藤新平(ごとう しんぺい 1857-1929)は、仙台藩(水沢藩)・陸奥国胆沢郡塩釜村(むつのくに いさわぐん しおがまむら)(現 岩手県奥州市水沢区)の出身です。
福島県の須賀川医学校を卒業し、明治9年(1876年)愛知県公立病院に着任し、明治13年5月に横井信之退職に伴い愛知県公立病院長兼公立医学校長心得となり、明治14年10月、24歳で病院長兼医学校長となりました。
明治16年、長与専斎(ながよ せんさい 1838-1902)の招きで内務省に任官し、後に東京市長、内相、外相などを歴任し、明治から昭和にかけて日本の政界で活躍しました。
[後藤新平肖像写真].[製作地不明] : [製作者不明] , 1880.5.鶏卵紙写真.台紙貼付.台紙裏面に「岩手縣平民 醫士 後藤新平 齢廿三年 明治十三年五月採影」とあり.写真の大きさ: 9.1×5.6cm |