1880頃年 明治初年愛知県公立病院外科手術の図

明治初年愛知県公立病院外科手術の図 画像1
史料名 明治初年愛知県公立病院外科手術の図
元号 明治13頃
西暦 1880頃
内容 ローレツ(Roretz, Albrecht von 1846-1884 日本語表記は老烈)の依頼に応じて、愛知県出身の浮世絵画家である柴田芳洲(しばた ほうしゅう 1840-1890)が描きました。 ローレツは、新ウィーン学派時代のウィーン大学医学部で学び、オーストリア公使館付き医官として明治7年(1874年)、28歳のとき来日し、博物学研究調査などを行っていました。明治9年、愛知県から病院長兼医学校教頭の招聘を受け、同年5月、訳官の司馬盈之(しば みつゆき 1839-1879)を伴って来名し、ヨングハンス(Junghans, T. H.)の後任として、愛知県公立病院・公立医学講習場に着任しました。 左端の襷に眼鏡で麻酔をかけているローレツは、自身の好みで老人に描かれていますが、この時30歳そこそこの青年医師でした。片膝立ちの執刀医が後藤新平(ごとう しんぺい 1857-1929)、患者の右腕を支える和服に襷姿が司馬盈之(しば みつゆき 1839-1879)、患部を洗浄している格子ズボンの紳士が早川養順、などと伝えられています。 スキンネル・マスクを用いて施されたクロロフォルム麻酔下の手術記録、しかも視覚的記録としては、日本の近代外科史上、最古に属すると言われています。
形態 図 縦99.3cm×横123.8cm
区分 絵画・掛軸

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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