1878年 瀧浪図南 『組織学 第二』

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史料名 瀧浪図南 『組織学 第二』
元号 明治11
西暦 1878
内容 瀧浪図南(たきなみ となん 1852 ?-1902)は、新潟県佐渡国相川町の生れです。明治5年(1872年)東京へ出て、経史を学び、また司馬盈之(しば みつゆき 1839-1879 通称は凌海)に入門しドイツ学および英学を修めました。 明治9年、司馬が愛知県に赴任するのに従って名古屋に移り、公立医学講習場掛に申し付けられ、公務の余暇は、司馬およびローレツ(Roretz, Albrecht von 1846-1884)に医学を学びました。その後、公立医学校三等授業生、二等訓導、一等訓導、教諭心得、一等助教諭等を歴任し、明治22年12月に教諭となりました。物理学、生理学、断訟医学、衛生学等の授業を担当し、また、編輯係、副監事、教務部長等を兼務して、院校報告の編集などに尽力しました。在職27年、明治35年8月、急性肋膜炎にかかり療養中のところ、同年11月に逝去されました。
形態 1冊 : 挿図 ; 20cm
区分 講義録・ノート

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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