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公立病院及び公立医学校は、明治10年(1877年)7月、約5,700坪の敷地を持つ天王崎の堀川端旧千賀邸跡に建設された新病院・医学校へ移転しました。設計は訳官鈴木宗泰です。建物の間には様々な花樹が植栽され、又、堀川越しに豊かな田野風景が開けていました。
西(図下部)の表門を入って南(右)部が病院で、正面の一棟が外来診療棟、南(右)隣の予備病室が教師館です。門柱の掛札には「ドクトル フォン ローレツ」とありました。奥(図上部)の六つの翼は病棟です。医学校は北(左)部で、第一から第三までの教場、寄宿舎、解剖局、屍室などからなっていました。当時としては立派な疑似洋風建築でした。 |