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史料名 |
Roretz, Albrecht von |
元号 |
明治9 |
西暦 |
1876 |
内容 |
ローレツ(Roretz, Albrecht von 1846-1884 日本語表記は老烈)は、新ウィーン学派時代のウィーン大学医学部で学び、オーストリア公使館付き医官として明治7年(1874年)、28歳のとき来日し、博物学研究調査などを行っていました。明治9年、愛知県から病院長兼医学校教頭の招聘を受け、同年5月、訳官の司馬盈之(しば みつゆき 1839-1879)を伴って来名し、ヨングハンス(Junghans, T. H.)の後任として、愛知県公立病院・公立医学講習場に着任しました。
3年任期を1年延長され、明治13年満了となりました。その後、金沢医学校、山形の済生館に在任し、オーストリアに帰国し、ウィーン郊外の病院長を務めていましたが、明治17年、37歳という若さで急逝しました。 |
形態 |
写真 |
区分 |
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