1868年 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』

普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像1 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像2 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像3 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像4 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像5 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像6 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像7 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像8 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像9 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』 画像10
史料名 普林篤 ; 松山棟菴 訳 『窒扶斯新論』
元号 明治元
西暦 1868
内容 普林篤(Austin Flint 1812-1886)は、米国マサチューセッツで生まれ、ハーバード大学医学部を卒業しました。腸チフスと発疹チフスとは異なる病気であることを研究しました。また、オースチンフリント雑音(大動脈弁閉鎖不全で心尖部に聴取される拡張期雑音)で知られています。
松山棟菴(まつやま とうあん 1839-1919)は、紀伊国那賀郡(ながぐん 現在の和歌山県紀の川市)に、医師 松山庄太郎(まつやま しょうたろう)の四男として生まれました。蘭学を修めたのち慶應義塾へ入学し、英学を修めました。明治4年(1871年)大学東校の助教に就任し、後に大教授となりました。『窒扶斯新論』(ちふす しんろん)の他、英語医学書の翻訳出版を行いました。
形態 2冊 ; 縦23cm×横16cm
区分 図書
図録ページ 198

近代医学黎明デジタルアーカイブ
トップへ戻る