1859年 賀川玄悦 『子玄子産論』 1765年(1859年校正再刻)

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史料名 賀川玄悦 『子玄子産論』 1765年(1859年校正再刻)
元号 安政6
西暦 1859
内容 賀川玄悦(かがわ げんえつ 1700-1777)は、近江国(滋賀県)彦根の生まれで、字は子玄(しげん)です。本姓は三浦で、7歳のとき母方の姓を継ぎました。鍼灸術を学び、のち京都に出て、鍼灸、按摩を業とするかたわら古医方を学び、賀川家の養子となり、徳島藩の藩医となりました。 たまたま一婦人の難産を鉄鉤(てつかぎ)を用いて救ったことから、助産術を独自に考案し、賀川流産科の祖となりました。 『産論』は、世界に先がけて胎児の正常胎位を確認した文献として知られ、後にシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 1796-1866)により広く世界に紹介されました。 子玄子産論 / 賀川玄悦子玄著 ; 賀川子達校正. [出版地不明] : [出版者不明] , [安政6(1859) 跋]
形態 2冊 ; 縦26×横18cm
区分 図書

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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