1845年 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)

宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像1 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像2 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像3 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像4 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像5 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像6 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像7 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像8 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像9 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)画像10
史料名 宇田川榛齋 譯述 諏訪俊 筆記 『西説醫範提綱釋義』 3巻 1805年(1845年再刻)
元号 弘化2
西暦 1845
内容 榛斎(しんさい)は、宇田川玄真(うだがわ げんしん 1770-1835)の号です。伊勢国(三重県)安岡家に生まれ、杉田玄白(すぎた げんぱく 1733-1817)、大槻玄沢(おおつき げんたく 1757-1827)らに学び、宇田川玄随(うだがわ げんずい 1756-1798)が亡くなると宇田川家を継いで、美作国(みまさかのくに)(岡山県)津山藩医となりました。 本書は、榛齋の講義を門人の諏訪俊(すわ しゅん)(藤井方亭(ふじい ほうてい)の別名 1778-1845)が筆記したもので、西洋解剖学の概要や病理学など平易な内容であり、榛齋が開いた私塾 風雲堂や蘭学塾で教科書として利用され、江戸時代で最も普及した解剖書となりました。 西説醫範提綱釋義 3巻 / 榛齋宇田川先生譯述 ; 諏訪俊筆記. 江戸 : 須原屋茂兵衛 : 須原屋伊八. 京都 : 勝村治右衛門. 大坂 : 秋田屋太右衛門 : 河内屋喜兵衛 , 弘化2 [1845]
形態 3冊 ; 縦26cm×横18cm
区分 図書

近代医学黎明デジタルアーカイブ
トップへ戻る