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吉益南涯(よします なんがい 1750-1813)は、吉益東洞(よします とうどう 1702-1773)の二男で、名は猷、字は修夫、号は初めは謙斎、後に南涯と改めました。
京都で父の医業を継ぎ、45歳で『医範』を著して、東洞の「万病一毒説」を発展させた「気血水説」を唱え、張仲景(ちょう ちゅうけい 150-219)の『傷寒論(しょうかんろん)』を解釈しました。「気血水説」は、人体には気(体内の見えない活力)、血、水(血液以外の体液)の三つの要素があり、そのバランスが崩れ、毒が加わると初めて証(症状)が現れるという説で、漢方の代表的な病理思想として伝えられています。
南涯の弟子の中には、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた華岡青洲(はなおか せいしゅう 1760-1835)もいました。
傷寒論 / 南涯吉益先生説.[書写地不明] : [書写者不明] , [1---] |