1641年 朱震亨 『格致餘論』 1347年(1641年風月宗智刊行)

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史料名 朱震亨 『格致餘論』 1347年(1641年風月宗智刊行)
元号 寛永18
西暦 1641
内容 朱震亨(1281-1358)は、字は彦修(げんしゅう)、号は丹渓(たんけい)、中国 元の医学者であり、金元医学の四大家の一人です。
格致とは格物致知(かくぶつちち)の略で、事物の道理を追究することです。『格致余論』は、論文41編を収め、「陽は常に余りがあり、陰は常に不足している」という朱震亨の医学理論を重点的に解明し、陰を養うことを重要視し、臨床治療では、滋陰・降火の剤を用いることを主張しました。このため朱氏の学派は、養陰派(滋陰派)と呼ばれました。
本書は和刻本(外国、特に中国の本を日本で木版本として出版)です。寛永(1624-1645年)以後の和刻本では、返り点、送り仮名を付したものが多く発行されました。
格致餘論 / (金華)朱彦脩撰.[京都] : 風月宗智 , [1641]
形態 58丁 ; 縦28cm×横20cm
区分 図書

近代医学黎明デジタルアーカイブ
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