VRシミュレータ

シミュレーション訓練におけるシミュレータの導入

  シミュレーション教育,訓練は,概ね,患者さんの診療とは別の場面での教育,訓練のことで, 仕事外訓練(off the job training)といいます(正確には,患者さんの固有データにもとづくシミュレーション手術があるのですが, 混乱をふせぐため,とりあえず実診療とは別機会の訓練と考えてください).シミュレーション教育,訓練といいますと,シミュレータのような機械が思い浮かぶ方が多いと思いますが, シミュレーション=シミュレータではありません.医学教育におけるシミュレーション訓練は,1960年代に米国で模擬患者(SP)が導入された頃から50年以上の歴史があります. ロールプレイという手法もシミュレーション訓練であり,当初は,このような,人が演じるシミュレーションが主でした.シミュレータが本格的に登場してくるのは1990年代からで, 各種の手技に関しては,マネキンや臓器モデルに始まり,2000年前後から高性能,小型化したコンピュータに救急訓練用マネキンや腹腔鏡手術鉗子のようなインターフェイスが付属したシミュレータが導入されました.


バーチャル・リアリティ(VR)・手術シミュレータ

  内視鏡手術(腹腔鏡下手術)は,1987年にフランスのPhilippe Mouretが行った腹腔鏡下胆嚢摘出術が現在のタイプの腹腔鏡下手術の最初ですが (1985年にドイツのErich Müheが行った腹腔鏡を使用した小開腹創からの胆嚢摘出術が最初とみなすこともできます), 1990年頃から全世界に急激に普及しました.コンピュータの画面のようなディスプレイを見ながら行う手術であり,画像・通信技術の発展の成果が大きく反映されることになりました. このため,1990年代の終りには手術支援ロボットや遠隔手術(テレサージャーリー)も開発され,コンピュータとの親和性が高い手術として, コンピュータ支援手術(computer assisted surgery: CAS)という用語が生まれました. こうした手術の訓練用に先端的な画像技術を盛り込んだトレーニング機器が実用化されたのは自然な流れで,バーチャル・リアリティ(VR)手術シミュレータは,工学系の研究者が大きくかかわって生まれました.


  内視鏡手術に必要な能力として,対象臓器を直接見ないで視覚情報にもとづいて手を動かし(eye-hand coordination), 長くて扱いにくい手術器械をオープン手術と同じように無意識に動かすことができる能力(psychomotor skill)などが指摘され, 箱に孔を開けて内視鏡や手術器械を入れて行うボックス・トレーニングという方法が開発されました. 米国においては,新しく登場した腹腔鏡下手術に対する教育法としてFundamental Laparoscopic Skills (FLS)トレーニングと いうプログラムが確立され,この中で,ボックスで行う,把持,切開,ループ結紮のような基本実技のメニューも作られました. このFLSのメニューは,そのまま,あるいはmodifyされて,VR手術シミュレータの基本タスクとなりました. こうしたタスクの有効性について,2000年代に多くのエビデンスが示されました.
  基本手技と同時に,胆嚢摘出術,卵管結紮術のような術式モジュールも登場し,さらに多くの手術手技がVRモジュール化されました.


名古屋大学におけるスキルスラボとVR手術シミュレータの導入

  医学教育の改革に伴った2005年のOSCE(臨床実習前評価試験のうち技能の試験)導入を機に,全国的に基本手技のラボ(スキルスラボ)の整備が進みました. 名古屋大学では以前より基本的診療手技のスキルスラボを整備していましたが,2006年には,当時最新の映像機器を導入し集中管理できる患者面接用の模擬診察室8室(模擬患者の育成も行われました), 顕微鏡実習用ラボ,および教育・研究用にDICOMなどの医用画像データを出力できるラボを含むスキルス&ITラボとして整備されました.
  一方,手術トレーニング分野では,Johnson & Johnson株式会社のご寄附により,2005年からVR内視鏡手術シミュレータを導入し, 2006年に内視鏡手術ラボができました(画像情報外科学講座:NU-ESSトレーニングラボ).VRシミュレータは,MIST (Mentice)(2005), LapSim (Surgical Science)(2005), LAP Menter (Simbionix)(2005),LaparoscopyVR (Immersion Medical)(2006), ProMIS (Haptica)(2007)などで,各種ボックス・トレーナも含め,当時, わが国でも有数の内容の内視鏡手術トレーニングラボとなりました.

  その後,平成24(2012)年度には文科省予算で高度スキルトレーニングセンター整備用に多領域のVRシミュレータを含むトレーニング機器が追加され, NU-ESSや泌尿器科など各診療科からの継承機器とともにスキルス&ITラボに統合され,2013年,クリニカルシミュレーションセンターとなりました.


VR手術シミュレータの現状

1.内視鏡手術VRシミュレータ 
  内視鏡手術VRシミュレータは,先述のFLS基本タスク訓練のプログラムをアレンジしたメニューを基本に搭載しました. VRシミュレータの有用性は,ボックス・トレーナと同様,単独で時間を問わず訓練でき,繰り返し練習が可能,という点があげられます. シミュレータがボックスや動物と異なる利点は,クリティカルな状況の表示が可能な点のほか,利き手,非利き手の移動距離や移動速度などの詳細な評価機能にあります.
  私達も,内視鏡手術VRシミュレータの有用性は,内視鏡手術初心者に対する基本スキルの教育にあり,中でも,われわれは,eye-hand coordinationの修得にペグ移動, その次の段階として,円周切開が左右の手の協調運動,力の調節,鉗子の回旋の練習に役立つと考えてきました.



  また,ロボット(da Vinci)支援内視鏡手術は,通常の内視鏡手術より訓練期間を短縮できるとされていますが,やはり機械を使いこなすためのoff the jobトレーニングが必要です. da Vinci VRシミュレータ(dV Trainer, Mimic)は,コンソールの現実感が高く,有意義な訓練が行えます.dV Trainerには術式モジュールが付属しませんが,賢明な方針と考えます.
  さらに,最初に触れましたが,シミュレーション技術の進歩により,患者個々の情報を利用した訓練も可能になってきています. 術前検査の解剖情報を入力し個々の症例の手術リハーサルが行えるVRシミュレータがわが国から市販に至っています(Lap PASS,三菱プレシジョン).まだ改良を要しますが,画期的な機器であり,今後が期待されます.



2 術式モジュール
  VR手術シミュレータは,先述のように,当初から胆嚢摘出術,卵巣切除術などの術式モジュールも装備しており, その後,虫垂切除術,結腸切除術,胃バイパス術(減量手術)などの術式モジュールが追加されました.しかし,現時点では,術式モジュールは,基本タスクにくらべてリアリティが低く, 外科医の訓練に有用と考える指導医はほとんどいないというのが現状です.私達の検討でも,虫垂切除術(LapVR)や結腸切除術(LAP Mentor)では, まったくといってよいほど構成妥当性(シミュレータの示す成績が手術経験に応じていること)は認められませんでした.これに対し,LAP MentorとLapVR(Immersion → CAE)の 胆嚢摘出モジュールだけは多数の項目で構成妥当性が示されました.腹腔鏡下胆嚢摘出術モジュールは,実際に手術を行う前のリハーサルに有用という報告もあります. こうしたことから,私達は,外科1年目医師に対する手術セミナーにおいて,LAP MentorとLapVRの胆嚢摘出モジュールを中心にしたプログラムを実施しています. ただし,指導医が,訓練される医師の横について,シミュレータのシナリオではカバーされていない細かな点を指導し評価することが重要です.
  以上の点から,中堅医師に対する手術セミナーでは,VRシミュレータは用いず,臓器モデル(ファントム)と実際の手術機器を用いる訓練を行っています.
  逆に,医師以外―学生やコメディカルに対して,VR 手術シミュレータの術式モジュールは手術体験を提供できるという意味で有意義です.最近,重視されているチーム医療学習の素材として使用できます.

内視鏡手術以外のVRシミュレータ

眼科手術用シミュレータEyesi Surgical (VRmagic)
  白内障手術および網膜硝子体手術用のシミュレータです.当センターで診療科医師に最も良く使用されている機種です.
耳鼻科手術シミュレータ Tempo (Voxel-Man)
  7種類の中耳手術トレーニングコースが装備されています.画面は3Dで,力覚フィードバックもあります.


上部・下部消化管内視鏡シミュレータ AccuTouch (CAE Healthcare)
  上部消化管内視鏡検査とクリップ止血などの治療手技,下部消化管内視鏡検査とポリペクトミー,気管支内視鏡検査が可能です. 上部消化管では食道入口部の通過,下部消化管では口側大腸への挿入手技が訓練の“肝”ですが,いずれもリアリティが低く,これらの手技の訓練はできません. しかし,模擬内視鏡で,先端を屈曲させるハンドル操作の練習は可能で,最も入門的段階で使用できる可能性があります. その他,非専門医,非医師が内視鏡検査や手技を体験するのに使用できます.気管支内視鏡検査は,まず,気管支解剖知識の習得が重要であり, 従来,気管支ファントムと実際の気管支内視鏡を使用していた訓練をAccutouchではVRで可能です.
膝関節鏡VRシミュレータ ArthroSim (Touch of Life Technologies)
  コロラド大学発のベンチャー企業が開発した膝関節鏡トレーニングのVRシミュレータで,力覚フィードバックも備えています.
血管内治療VRシミュレータ
  VRシミュレータとしてはVIST (Mentice)があります.VISTは,透視台を模した大型のVRシミュレータで, X線画像用に加えて,心電図など患者情報表示の計3個のディスプレイを装備した,リアリティが高い機種です. PCI(冠動脈インターベンション), ペースメーカーのリード留置,脳血管コイリング,頸動脈ステント(CAS)からREBOA(大動脈内バルーン遮断)まで多くの領域のカテーテル手技のプログラムが装備されていますが, 当センターでは,循環器内科,脳神経外科などの使用が無く,限られた診療科の使用にとどまっています.
  なお,VRシミュレータではありませんが,血管内治療のシミュレータとして重要なファントムのEVE (ファイン・バイオメディカル)をご紹介しておきます. EVEは,実際の患者画像データから作成された全身の血管モデルで,本学の工学部と医学部(脳神経外科)の共同研究で開発され, 文科省の大学発ベンチャー支援制度やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の支援を受けて市販に至り,脳血管内治療学会の専門医試験にも利用されました.



当センターの利用現状

  私達はVRシミュレータを次のような目的に使用しています.
(1) 内視鏡手術における最基本手技―eye-hand coordination訓練
(2) 手術初心者(1年目消化器外科医)を対象にした腹腔鏡下胆嚢摘出術の講習会
(3) 医学生,研修医の手術・検査手技体験(early exposure)
(4) 医師以外を含む多職種の手術講習会
(5) 名古屋大学を見学する一般の人々への内視鏡手術などの紹介

  当センターの治療訓練機器(VR/ARシミュレータ,ボックス・トレーナ,高性能マネキン)の利用した初期研修以後の医師は, 消化器外科,泌尿器科,産婦人科,小児外科,脳神経外科,心臓外科,血管外科,呼吸器内科,麻酔科,救急科など多くの診療科にわたっています. 利用の約6割は自己スキル向上のための使用でしたが,VRシミュレータの利用目的は学生や研修医の指導が約2/3を占めていました. 手術訓練に関しては,自己トレーニングはボックス・トレーニングで行うことが多いが,学生や研修医指導にはVRシミュレータの方が主になる傾向がみられました.



VR手術シミュレータの今後

  手術トレーニングに関して,現時点ではVRシミュレータにはやや分の悪い状況で,内視鏡外科領域では,今世紀の初めに私達が大きな期待を持った状況は消え去り,工学系研究者の関心も,ほかに移ってしまった感があります.しかし,本学の使用状況を示したように,VR手術シミュレータは,倉庫でほこりをかぶっているわけではありません.東アジアでは,近年,動物トレーニングセンターが拡充されましたが,逆に,北米,西欧では,動物トレーニングは抑制され,wetトレーニングはcadaverを利用したトレーニングが主になりつつあります.名古屋大学においても,wetトレーニングは,世界の趨勢にあわせて,動物を使用せず,cadaverを利用したトレーニングを2016年より導入しています(Clinical Anatomy Laboratory, Nagoya ;CALNA).
  私達は,CALNAと密接に関連しながら,VRシミュレータ,臓器モデル(ファントム),cadaverを有機的に組み合わせた効率的トレーニングおよび評価システムの確立を目指しています.
  VRに関しては,最近,VR技術の進化とともに,多くの分野に急速に用途が広がっています.VR技術の初期の成果のひとつであったVRシミュレータにも近年の技術革新やコストダウンが及ぶと思われ,次世代のVR手術シミュレータ開発に期待したいと考えています.



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