これまでの研究成果 〜体温・代謝調節、感染性発熱、ストレス反応の仕組み〜

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これまでに私達は、体温や代謝を調節したり、感染や心理ストレスを受けたときに発熱を起こす、脳の神経回路の根本的な仕組みと動作原理を解明することで成果を挙げてきました(総説:Nakamura, Am. J. Physiol., 2011; Temperature, 2015; Nakamuraら, Nature Rev. Neurosci., 2022; Pflügers Arch., 2018; BioEssays, 2018; 中村, 生体の科学, 2010; 日本臨牀, 2012 など)。


これまでの研究成果は以下の通りです。(各項目をクリックすると概要を御覧いただけます)

1) 「暑さ・寒さから身を守るための温度感覚」が脳へ伝わる仕組み

2) 脳の「発熱スイッチ」

3) 熱を作ることを脳から指令する神経細胞(プレモーターニューロン)の発見

4) 体温を調節し、発熱を指令する脳の神経回路

5) 飢餓を生き延びるために機能する脳の神経回路

6) 心理ストレスによる交感神経反応を駆動する脳の神経回路 〜「ストレス」とは何か?〜

 


1) 「暑さ・寒さから身を守るための温度感覚」が脳へ伝わる仕組み

寒い環境で震えるのは、環境の寒さを皮膚の温度センサーが感知し、その情報が脳の体温調節の司令塔、視索前野へと伝達されるからだと考えられていましたが、はっきりしたことは分かっていませんでした。しかし、私達の研究によって、その温度情報の伝達メカニズムの実態が明らかになりました。

私達は、皮膚からの温度情報が脊髄で中継され、脳幹にある外側腕傍核という場所に伝達されること、そして、その情報がそこから視索前野へ伝達されることを発見しました。ラットを使って、この情報伝達を遮断する実験を行うと、寒い環境なのに熱を作る反応ができず、また、暑い環境なのに熱を放散する反応が起こらなくなりました。また、快適な温度環境を選ぶこともできず、体温が環境温度に影響されて大きく変動してしまいました。このことから、この情報伝達経路が暑さ・寒さから身を守るために重要な役割を果たしていることが分かりました。一方、それまで教科書的に知られていた、温度知覚(温度を意識の上で感じること)の情報伝達経路を遮断しても、体温を調節する反応や行動は影響を受けなかったことから、暑い環境や寒い環境においては、「暑い」「寒い」と意識の上で感じると同時に、無意識下では別の仕組みが働いて暑さ・寒さから体を守っていることが明らかとなりました。このように、私達が見つけた、暑さ・寒さから身を守るための温度感覚経路は、人間を含めた恒温動物が様々に変化する温度環境で生存するために必須の仕組みです(Nakamuraら, Nature Neurosci., 2008; J. Physiol., 2008; PNAS, 2010; Yahiroら, Sci. Rep., 2017; J. Neurosci., 2023)。

2) 脳の「発熱スイッチ」

脳にある体温調節の司令塔、視索前野は発熱を起こす司令塔でもあります。感染が起こったときに作られる発熱物質、プロスタグランジンE2が視索前野に作用すると、それが引き金となって、発熱を起こす神経回路が活性化されます。2000年頃に私達は、プロスタグランジンE2を受け取るEP3という受容体が視索前野の神経細胞に存在することを見つけました(Nakamuraら, Neurosci. Lett., 1999; J. Comp. Neurol., 2000)。このEP3受容体が「発熱スイッチ」として機能し、発熱の神経機構が働き出すのです。

私達は、EP3受容体を持つ視索前野の神経細胞が、脳の中のどこに発熱の信号を送るのかを調べました。その結果、ストレス反応に関わる視床下部の背内側核と、交感神経系の調節に関わる延髄の吻側縫線核という2つの脳領域に送ることがわかりました。このどちらの場所を遮断しても発熱が起こらなくなったので、これらは視索前野からの発熱シグナルを中継する脳領域だということが判明しました(Nakamuraら, J. Neurosci., 2002; Eur. J. Neurosci., 2005; Neuroscience, 2009)。

3) 熱を作ることを脳から指令する神経細胞(プレモーターニューロン)の発見

延髄の吻側縫線核の役割をさらに調べていくと、感染性発熱や対寒反応を起こす時に活性化される一群の神経細胞がこの場所に分布していることを発見しました。この神経細胞は、小胞性グルタミン酸輸送体3(VGLUT3)という分子を持つ、グルタミン酸作動性(グルタミン酸を放出する)神経細胞であり、視索前野からの指令を、脊髄にある交感神経系の出力ニューロンへと伝達する「交感神経プレモーターニューロン」であることがわかりました。この交感神経プレモーターニューロンは、熱の産生器官である褐色脂肪組織や熱放散器官である皮膚血管における体温調節反応の制御に関わることも明らかになりました。それまで、延髄の別の場所にある、血圧維持に関わる交感神経プレモーターニューロンが教科書的に知られていましたが、私達が見つけたものは、体温調節や発熱、エネルギー消費制御に関わる、新しい種類の交感神経プレモーターニューロンであることがわかりました(Nakamuraら, J. Neurosci., 2004; NeuroReport, 2004; 総説:Nakamuraら, Neurosci. Res., 2005)。

4) 体温を調節し、発熱を指令する脳の神経回路とマスターコントローラー

では、寒い時に熱を作る対寒反応は視索前野からどのようにして制御されているのでしょうか? 私達は、視索前野からの発熱シグナルを中継する視床下部背内側核と延髄吻側縫線核を抑制してみました。すると、どちらを抑制しても、寒冷刺激で起こるはずの褐色脂肪組織熱産生が起こらなくなりました(Nakamuraら, Am. J. Physiol., 2007)。また、同時に、寒冷刺激や発熱刺激によって骨格筋で起こる「ふるえ」熱産生も起こらなくなりました(Nakamuraら, J. Physiol., 2011)。このことは、寒冷環境で身を守るための対寒反応も、感染性発熱の反応も、視索前野から送られる指令は同じであることを示唆しており、いわば感染性発熱は、体に備わった体温調節システムを一時的に乗っ取ることで体温を上げ、病原体の活動を抑制する生体防御反応であると言えるかもしれません。

しかし、これだけ解明してきても、体温調節システムにおいて司令塔の役割を果たす視索前野が、どのようにして緻密に体温を維持することができるのかはわかっていませんでした。しかし私達は最近、視索前野のプロスタグランジンEP3受容体を発現する神経細胞群(EP3ニューロン群)に着目し、これまでに培った電気生理学や神経解剖学的手法に加え、分子生物学的方法論も取り入れて、その神経活動を制御することに成功しました。その結果、EP3ニューロン群は常にGABAという抑制性の神経伝達物質を放出しながら、視床下部背内側核や延髄吻側縫線核を経た交感神経路を調節することで、体温を上下自在に制御する、体温調節の「マスターコントローラー」であることを解明しました(Nakamuraら, Science Adv., 2022)。

5) 飢餓を生き延びるために機能する脳の神経回路

私達は最近、生理学から分子生物学まで、様々な手法を多面的に駆使して、哺乳類が飢餓を生き延びるために機能する重要な神経細胞群を発見しました。飢餓状態に陥ると、脳の視床下部が「飢餓シグナル」を生み出し、その信号の働きによって熱の産生を減らしてエネルギーを節約します。そのために低体温になることもあります。私達は、飢餓シグナルによって活性化され、褐色脂肪熱産生を抑制する神経細胞群を延髄の網様体に発見しました。面白いことに、この神経細胞群は咀嚼を起こす運動神経も支配しており、網様体を刺激すると熱産生が抑制される(エネルギー節約)だけでなく、咀嚼も起こり、摂餌量(エネルギー摂取)が増えることを発見しました。通常、熱産生を調節する自律神経系と咀嚼や摂食行動を制御する運動神経系は独立して制御されますが、飢餓時には、生命の危機を乗り越えるために、網様体の神経細胞群がこの2つの独立した神経系を一元的に制御するというユニークな仕組みが備わっていることを明らかにしました(Nakamuraら, Cell. Metab., 2017; 総説:Nakamuraら, Pflügers Arch., 2018)。

6) 心理ストレスによる交感神経反応を駆動する脳の神経回路 〜「ストレス」とは何か?〜

精神的なストレスを感じたり、緊張すると心臓がドキドキし、体温が上昇します。これは、脳の中で情動や心理ストレスを処理するシステムが生体調節システムへ信号を伝達することによって、体の器官をコントロールする交感神経の活動が亢進する反応です。しかし、こうした誰もが日常的に感じているような生理現象であっても、その発生につながる脳内の神経回路は未解明です。

私達はこれまでの体温調節の神経回路の研究をさらに発展させ、情動や心理が生体調節に影響を与える仕組みを解明すべく研究を行っています。これまでに、心理ストレスによる交感神経反応を駆動する視床下部から延髄にかけての神経回路を特定しました(Lkhagvasurenら, Eur. J. Neurosci., 2011; Neuroscience, 2014; Kataokaら, Cell Metab., 2014; 総説:Nakamura, Temperature, 2015)。

私達はさらに最近、視床下部へ心理ストレスの信号を入力する仕組みを解明しました。内側前頭前皮質と呼ばれる大脳皮質の中でこれまで機能がわかっていなかった最深部の領域(DP/DTT)が心理ストレス信号を統合し、その信号を視床下部背内側部へ伝達することを発見しました。この伝達路は、脳の中の心の神経回路と体を調節する神経回路とをつなぐ「心身相関」を担う仕組みであり、ストレスによって起こる様々な交感神経反応とストレス源から逃避する行動を一括して駆動する、ストレス反応の「マスター信号」を伝達することが明らかとなりました(Kataokaら, Science, 2020)。今後この研究を進めることによって、私達が普段「ストレス」と呼ぶものの科学的な実体を明らかにできるかもしれません。

また最近では、「愛情ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンが脂肪を燃焼させて熱を産生させる脳内の神経路を同定しました。この神経路は育児などの向社会的行動に伴う体温上昇などの交感神経反応の発現に関わる可能性があるとともに、この神経路が肥満の予防や治療につながる新たな標的となることが期待されます(Fukushimaら, Cell Rep., 2022)。

「病は気から」を科学する

昔から「病は気から」と言われるように、情動や精神的なストレスが様々な疾患につながることが経験的に知られてきました。また、様々な病態が心理ストレスや情動の動きによって影響を受けることは臨床的にも認識されていますが、その現象の神経科学的メカニズムはわかっていません。特にストレスは、自律神経系、内分泌系、免疫系などの恒常性維持や生体防御に関わるシステムに影響を与え、その結果、患者さんの生命が危機に晒されることもあります。従って、心理ストレスや情動が生体調節に影響を与える脳のメカニズムを解明することは医学的に大変重要です。

また一方で、心理状態や情動が生体調節に影響を与えるということは、患者さんの心理や情動の動きをうまくコントロールすることで病状を緩和したり、快方に向かわせることも可能であることを意味します。実際に、がん患者の症状緩和を目的にして実践されつつある心理療法はその一例です。薬物療法に大きく依存した従来の治療法にそういった心理療法を取り入れることは、身体への負担を軽減し、副作用を減らすなど、患者さんのQOL向上に有意義であり、今後は重視されるべき医療の形態です。しかし現在、そういった心理療法の有効性の実証は経験的な部分に大きく依存しており、それがなぜ有効なのかという問題を科学的に扱うべき精神生物学などの分野においても神経回路の研究は進んでいません。私達が解明を目指す、心理ストレスや情動が生体調節に影響を与える中枢メカニズムは、心理療法の効果に科学的論証を与えるものであり、そして将来的には、明確な科学的論証に基づいた精神生物学研究の新たな一分野を築くことを目指しています。

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