(教授不在時代)
昭和41年4月 〜 昭和49年8月
 
 
 昭和47年4月、久徳重盛講師が愛知医科大学教授に就任、昭和48年7月、養島章先生、愛知医科大学小児科助教授となった。昭和49年7月、矢崎雄彦先生が、中京病院から保健衛生大学教授に就任。
 教授不在という困難な状況の下で、鈴木榮助教授を中心に、各診療研究班を中心に、活発な教育・診療・研究活動が行われた。

小児科学教室のあゆみ