小児科学教室のあゆみ
藤井 静英 教授
大正4年5月 〜 昭和7年2月
 
 
 大正4年5月、藤井静英先生が愛知医学専門学校教諭(児科学小児科部長)に任ぜられ、同年5月愛知病院小児科部長を命ぜられた。6月、田中 作先生が小児科助教諭に就任(大正5年3月退職)し、大正6年1月勅令第5号により、教諭・助教諭はそれぞれ教授・助教授となった。
 大正8年6月藤井静英教授は、小児科研究のため2ヵ年間、英国・仏国・瑞西国へ留学し、その間、大正9年村田光邦先生が小児科教授に任ぜられた。大正11年3月、藤井静英教授が帰朝・復職され、11月に学位授与、愛知医科大学教授となった。大正15年3月、愛知医科大学第1回生卒業。昭和2年12月、藤井静英教授は大学長兼附属病院長に推挙された。昭和3年4月、坂本陽先生が小児科学助教授に任ぜられた。昭和6年5月、県立愛知医科大学は国立名古屋大学となり、藤井静英教授が、名古屋医科大学学長兼附属病院長に推せられた。
 この時期、小児感染症に対する診断・治療・病因の各領域での研究が進み、この方面での多くの論文・発表が見られる。昭和7年2月、藤井静英学長兼教授は退職となり、同年9月坂本陽助教授が、2年間ドイツへ留学。昭和8年3月、愛知医科大学は廃校となり(後の名古屋医科大学)、昭和9年4月中江亮一助教授の発令がなされた。