多田 学三郎 教諭
明治36年4月 〜 大正4年5月
 
 
 明治22年11月、県立愛知病院内に参加・婦人科・小児科を併せて婦嬰科が新設され、明治31年6月、多田学三郎先生が、婦嬰科勤務を命ぜられた(愛知病院内)。前後して、明治29年12月、日本小児科学会総会第1回の会合が東京で開催された。
 明治36年4月、愛知県立医学校の多田学三郎教諭は、愛知病院産科婦人科部長兼小児科部長兼務となったが、明治42年10月、愛知病院産科・婦人科部長兼務を命ぜられ、この発令により小児科学専任教諭の席に就いた。明治44年5月、小児科名古屋地方会が設立された。
 この時期、小児科が教育・診療の両面で独立し、小児科学教室の歩みが始まった。研究面では、小児科学の診断・治療学の基礎作りに加え、栄養障害、チフスなどの感染症などについて検討が進んだ。
 大正4年5月、多田学三郎教諭(児科学・小児科部長)退職。

小児科学教室のあゆみ