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戦後の混乱もおさまり、全国的に各大学で整備案が立案され、1952年(昭和27年)6月29日、国立施設計画設定会は、名古屋大学の整備委員会立案の総合計画について審議を行い、建設案を決定しました。
医学部は他学部と分離して鶴舞キャンパスに医学部は10年、附属病院は5年計画とすることを決め、建物はすべて鉄筋コンクリートとして建設することになりました。
病院改善委員会では、次の構想をまとめました。「外来、臨床教室、病棟がそれぞれ一つの建物に収まり、中央診療施設が適当に附設されるようにした。また名古屋は夏の暑さがきびしいので、この暑さに対する配慮も、建物の位置や構造に現れるように工夫した。」(戸苅近太郎) |